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水の聖者  作者: 森川 悠梨
第一章 迷走
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別れ

 奴隷商人に見捨てられた奴隷の少女、ユウキを助けたシノン。彼女の故郷は、シノンの過去と関連があると考えられる幻夢龍を祀り、夢にまつわる異能を持つとされる民族の暮らす場所、夢見の里だった。しかし、その場所は広大で過酷な砂漠を越えなければ辿り着くことが出来ない秘境であった。

 故郷に帰りたいと願うユウキの願いを叶えるため、そして自身の過去を知るために、シノンはユウキを連れて再び夢見の里を目指して旅立つことを決意する。


「ただ、ユウキには体力を付けてもらわないといけない。それができないなら、砂漠へは連れて行けない」

「な、何をすればいいでしょうか。ボク、何でもやります」

「…まずはご飯を食べろ。マガネスさん、一人増えても大丈夫?」

「いいよ。子供が一人増えたところで、大差はない」


 マガネスは部屋にある椅子に腰かけながら、ルミナが街で買ってきた菓子を口に放り込み、シノンの言葉に返答する。


「とっくにわかっていた、から?」

「ああ。予言の魔女に二言はない、好きにしな」

「お、お世話に、なります…?」

「家に引き籠っていた割によく言えたじゃないか。さ、まずは湯浴みでもしてきな。あんたの分の飯も、私の弟子たちがとっくに作ってる頃さ」


 ルミナに導かれ、ユウキは湯浴みと食事を済ませた。

 これまで粗末に扱われてきた分、湯浴みも食事も、睡眠さえもまともに取れなかったのだろう、ユウキの身体には汚れがこびりついていてなかなか取れず、痩せこけて骨が浮き出ていた。与えられた寝床にはなかなか慣れず、夜中に抜け出して部屋の隅で蹲って眠っていた。

 ロウが帰ってくるまで、シノンはユウキに基礎体力の訓練を施すことにした。

 浅葱色の瞳は高い魔力を持つ証であることから、ユウキが自分の力で生きて行けるよう、マガネスは魔法をいくつか教えた。

 数か月もの間多くを学んだユウキは、出会った頃のように痩せこけた身体もすっかり健康体となり、通常の人間よりも多くの体力を身に着けることに成功した。さらに、非常に吸収力が高く、一を聞いて十を知る天才肌であり、マガネスが教えた魔法を使いこなし、応用する力も身に着けた。

 そうして過ごすこと、約五ヶ月。夏の蒸し暑さは鳴りを潜め、雪の積もる冬もとうに過ぎようとしていた。

 …ロウはというと、全くと言って良いほど帰ってくる気配はなかった。


「あ、可愛い花が咲いてる」


 今日もいつもの修業を行うため外に出たルミナは、庭に咲く小さな青色の花を見つける。

 この地で何年も過ごしてきたルミナはこの花の名前こそ知らないが、冬を越えて暖かくなってくると顔を見せるその花のことを気に入っていた。

 その様子を見たシノンも、その小さな花を見て小さく呟くように言った。


「勿忘草か? もう、そんな時期なんだな」

「シノン、この花の名前、勿忘草っていうの?」

「うん。今がちょうど見ごろかな」

「そうなんだ。毎年、この時期になると綺麗に咲いてるんだよ」


 ルミナはにこりと笑いかけながら、シノンにそう語り掛けた。その笑みは小さな幸せを噛み締める純粋で優しい笑みであり、そっと花を愛でたルミナはすくっと立ち上がる。


「よし、今日もよろしくお願いします、シノン」

「ああ」


 短く返事を返したシノンは片手を封じ、もう片方の手で木刀を持つ。

 ルミナは両手でしっかりと剣を握り、中段の構えを取る。自然体のまま立っているシノンには一切の隙がなく、いつも先攻のルミナには若干の迷いがある。

 ここ最近は毎日剣を振っており、出会った頃と比べるとかなり上達していた。実力だけでいえば、Cランク冒険者ほどのレベルに達しているだろう。ただ経験不足の観点から、本職の冒険者を相手にしてもルミナのほうが負けてしまうのは明らかである。

 ルミナは今日も正面からシノンに挑む。ほぼ毎日シノンと模擬戦をしているルミナが最終的に導き出した答えは、自分から下手にフェイントを仕掛けるよりも、シノンが仕掛けてくるフェイントを見極めることに集中することが得策だということ。ルミナ自身がフェイントを仕掛ける場合、そのことに集中しすぎてしまい、相手の動きを観察することがおろそかになってしまうという弱点があるからだ。

 シノンはそんなルミナに課題を言いつけた。それは、シノンが仕掛けるフェイントを見切り、一撃を食らわせること。その課題をクリアしてから、フェイントの仕掛け方を教えるつもりでいた。そもそも、剣術の初心者が最初にするべきはフェイントを仕掛けることなどではなく、相手の動きをよく観察すること、その上で相手の攻撃を回避あるいは受け流すこと、そして繰り出した技は最後まで撃ち切ること。

 基礎の動きを完璧にこなせるようになってこそ、戦いを有利に運ぶことができるから。


「左!」

「くぅっ!」


 シノンが攻撃を仕掛ける直前に合図を出し、防御が遅れていたルミナはギリギリのところでシノンの攻撃を防ぐ。右側に向けられたシノンの視線を見たルミナは攻撃を防ごうとするも、シノンは左に攻撃を仕掛ける動きをしたため迷いが生じ、結果的にギリギリの防御となってしまう。

 しかしそれでも、最初のころであれば、シノンに声をかけられても体が追い付いていなかったため、今となっては咄嗟に防御ができるほど成長してきたといえる。


「ふう…まだ、シノンのフェイントに追い付かないかあ…」

「思考が優柔不断なだけだと思う。体のほうはだいぶ慣れてきたし、もう少し経験を重ねたらわかるようになるよ」

「うん、ありがとう。もう一回お願いします!」


 シノンは小さく微笑むと、再び剣を構えた。


 *


 …そんないつもと変わらない日常を過ごし、ルミナの修業を終えたシノン。模擬戦後の復習と素振りを継続しているルミナを、ツリーハウスの上から見ながら物思いに耽っていた。



「シノン、夢見の里へ行きなさい」

「え?」

「あんたはロウの帰りを待っているんだろう? けど、それはやめたほうが良い」


 唐突にそう言われたシノンは一瞬だけ理解が追い着かずに、思わず聞き返した。

 この言葉が、予言の魔女と呼ばれるマガネスから言われたことの意味は大きい。マガネスは決して、自らの感情を理由に他者への助言をしないからだ。


「でも…ロウと行き違いになるのは嫌だ」


 シノンがこの場に留まっている理由は一つ。ロウの帰りをただ待っているからだ。

 ロウはシノンに約束した。必ず迎えに帰ってくると。

 ロウは約束を必ず果たす男だ。シノンはそれを知っているからこそ、ロウを信じてこの地に留まっている。


「気持ちはわかる。だが…あんたはこの場所に留まっているべき人間じゃないんだ」


 マガネスは目を細め、シノンへ忠告する。


「予言の魔女として、あんたに助言をする。シノン、旅に出なさい。旅に出て、自分の過去を探し、取り戻しなさい」



 …数日前のマガネスとの会話を思い出しながら、シノンは空を見上げる。今頃ロウも、同じ空を見上げているのだろうか?


「シノン君、少しいいだろうか?」


 珈琲を二人分運びながら、背後から話しかけてきたのはエジルだった。

 エジルは二つのうちの一つをシノンに差し出し、シノンはそれを受け取る。


「師匠から旅立つように言われたんだろう? もし…もし、シノン君さえよければ、今回の旅にルミナも連れて行ってやってくれないだろうか?」

「何故?」


 エジルはどこか陰のある笑みを見せると、珈琲を一口飲み込んでから話し始める。


「ルミナは幼いころから、友人と呼べる人がいなかったんだ。同い年の子と馴染むことも難しい環境でね、あまり笑う性格ではなかったんだよ」


 その言葉を聞いたシノンは、意外そうな反応を見せた。

 普段は一切表情を変えないシノンだが、それなりに付き合いのある者であれば読み取れるほどの表情の変化だった。しかし、それだけ驚くのも当然である。ルミナは明るく活発な性格で、落ち込んでいる様子など一切見たことがないからだ。


「はは、意外か? …お前と出会ってから、ルミナはとても明るくなったんだよ。だから、シノン君にはルミナと一緒にいてやってほしいと思うのと…あの子には、どんな状況でも、自分の身を自分で守れるよう、強くなってほしい。君との旅を通じて学べば、きっと俺が必要なくなるくらいに、強くなれると思ったんだ」

「エジルさんはもう旅をしないの?」


 シノンの問いかけに対し、エジルは苦笑を浮かべる。


「はは、俺はもう旅をできる年齢じゃないし、旅慣れていなかったせいで、何度もルミナを危険にさらしてしまった…でも、実力があり旅慣れている君ならば、きっとルミナのことも守ってくれると信じたい」

「……」


 シノンは言葉を返すことができなかった。エジルはロウと変わらない年齢だが、ロウは人間の寿命よりも長く生きる種族である。ロウはまだ現役でも、エジルはただの人間。年齢が理由で肉体が衰えていくことは避けられない、自然の摂理だ。


「…強制はしないよ。よく考えてから決めてほしい」

「…エジルさんは…いや、やっぱりいい。ルミナのことなら、任せて」

「本当かい? ありがとう、本当にありがとう。ルミナのことを、どうかよろしく頼む」


 影が差していたはずのエジルの表情は、希望に満ちた笑みに変わる。心の底からシノンへの感謝の意を表し、深々と頭を下げた。

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