番外編 錬金技師資格試験
マードック錬金工房に、見慣れない紙が貼り出された。
『第一回 錬金技師資格試験』
「……なんだ、これ」
朝一番。
工房へ入ってきたマードックは、掲示板の前で足を止めた。
「資格試験よ」
後ろからローレライの声がした。
「それは読めば分かる」
「じゃあ聞かないで」
「いや、なんでうちに貼ってあるんだ」
「受験会場だから」
「聞いてないぞ」
「先月、ブラウンさんから書類来てたでしょう」
「見てない」
「でしょうね」
ローレライは呆れたようにため息をついた。
錬金術師協会が中心となって整備してきた、錬金技師制度。
これまでも工房ごとに教育や認定は行われていたが、地域によって基準が違いすぎた。
ある町では一人前と呼ばれる者が、別の町では材料の取り扱いすら危なっかしい。
そんな状況をどうにかするため、製造、検査、安全管理に共通基準を作ることになった。
そして今日が、その最初の試験日だった。
「三級からか」
マードックは案内を眺める。
「そうみたいね」
「三級なら簡単だろ」
「そう?」
「新人向けだろ?」
「じゃあ受ければ?」
マードックが振り返った。
「なんで俺が」
「簡単なんでしょう?」
「俺は教える側だぞ」
「資格持ってないけど」
「……」
「持ってないわね」
「俺が作ったような制度だぞ」
「だから?」
ローレライは笑った。
「受けてみればいいじゃない」
「嫌だ」
「自信ないの?」
「ある」
「じゃあ受ければ?」
「嫌だ」
見事なまでの堂々巡りだった。
その日の工房は、いつもより静かだった。
若い職人たちの多くが試験を受けるため、作業は最低限に絞られている。
普段は材料が並ぶ広い作業場に机が並べられ、受験者たちが座っていた。
マードックは腕を組みながら、その様子を眺めていた。
「緊張してるな」
「当たり前ですよ」
近くにいた若い職人が答えた。
「落ちたら?」
「また次回です」
「仕事できなくなるのか?」
「三級が必要な作業は一人ではできません」
「なるほど」
「先生、本当に知らないんですか?」
「制度の大枠は知ってる」
「試験内容は?」
「知らん」
若者が微妙な顔をした。
「先生、委員ですよね?」
「会議には出た」
「問題作成の話もありましたよね?」
「あったな」
「何してたんですか?」
「安全基準について文句言ってた」
「……」
「なんだ、その顔は」
「いえ」
やがて試験監督が入ってきた。
協会から来たカールだった。
「それでは、第一回錬金技師三級試験を始めます」
ざわついていた室内が静かになる。
カールは受験者を見渡し、それから最後列に立つマードックに気づいた。
「……マードックさん」
「なんだ」
「受験されないんですか?」
「しない」
「受験料は免除できますよ」
「金の問題じゃない」
「せっかくなので」
「嫌だ」
カールは少し考えた。
「試験問題、一部監修されてましたよね?」
「知らん」
「会議でかなり意見されてましたよね?」
「覚えてない」
「『事故が起きてからじゃ遅い』って」
「言ったかもしれん」
「『記録を残さない奴は信用するな』とも」
「それは言った」
「じゃあ大丈夫ですよ」
「何がだ」
そこへローレライが現れた。
「一人追加で」
「おい」
「はい」
カールが即答した。
「おい!」
数分後。
マードックは受験席に座っていた。
「……納得いかん」
隣に座った若者が必死に笑いをこらえている。
「笑うな」
「すみません」
「落ちても言いふらすなよ」
「先生、落ちるつもりなんですか?」
「たとえばの話だ」
答案用紙が配られる。
マードックは問題用紙を開いた。
一問目。
『錬金窯を起動する前に確認すべき事項を三つ挙げよ』
「簡単じゃないか」
材料。
魔力量。
設備異常の有無。
迷うことなく書く。
二問目。
『製造記録を残す目的として、最も適切なものを選べ』
これも簡単だった。
不具合が発生した際に、原因を追えるようにするため。
三問目。
『作業者が保護具の着用を拒否した場合の対応として正しいものを選べ』
作業を停止させる。
当然だ。
「余裕だな」
マードックは小さく笑った。
だが、問題が進むにつれて、その笑みは消えていった。
『製造設備の定期点検記録は、最低何年間保管する必要があるか』
「……何年だ?」
知らない。
『三級技師が単独で実施可能な作業範囲を、次の中から選べ』
「これ、変わっただろ」
たしか会議で変更された。
いつだったか。
『事故発生時、協会への第一報に必要な項目をすべて選べ』
「多いな!」
思わず声が出た。
「私語は禁止です」
カールが言った。
「分かってる」
さらに進む。
『規定第四十二条に基づき――』
「規定ってなんだ」
隣の若者が肩を震わせている。
「笑うな」
小声で言う。
「私語は禁止です」
「……はい」
実技試験になると、状況は一変した。
材料の確認。
設備の点検。
錬金窯の起動。
異常の発見。
製品の検査。
マードックは迷うことなく進めていった。
「圧力が少し高い」
計器を見る。
「供給弁だな」
すぐに原因を特定する。
「ここ、摩耗してる」
「正解です」
試験官が答える。
「こんなの問題にしていいのか?」
「三級の範囲です」
「簡単すぎるだろ」
「先生基準で考えないでください」
別の設備へ移る。
今度は材料に異物が混ぜられていた。
マードックは一目見て止めた。
「使わない」
「理由は?」
「粒度が違う」
「他には?」
「湿ってる。それと、この袋だけ封が新しい」
試験官が黙った。
「……全部正解です」
「当たり前だ」
実技試験だけなら、誰よりも早く終わった。
そして夕方。
結果が張り出された。
工房の若者たちが掲示板の前に集まっている。
「受かった!」
「俺も!」
「よかった……」
喜ぶ声が飛び交う。
その少し後ろで、マードックは腕を組んでいた。
ローレライが横から覗く。
「どうだった?」
「受かった」
「何点?」
「知らん」
「書いてあるじゃない」
「見なくていい」
ローレライが掲示板を見る。
「筆記八十八点。実技百点」
「十分だろ」
「筆記、満点じゃないのね」
「細かい規則が多すぎる」
「誰が作ったの?」
「協会だ」
「あなたも委員でしょう」
「俺は全部決めてない」
そこへ若い職人がやってきた。
「先生」
「なんだ」
「ここ、間違えてましたよね?」
指さしたのは、試験後に公開された解答だった。
『設備点検記録の保管期間――五年』
「三年って書いた」
「なんでですか?」
「昔は三年だった」
「去年変わりましたよ」
「知らん」
「変更提案したの先生ですよ」
「……俺が?」
「はい。『事故は数年経ってから問題になることもある』って」
マードックは黙った。
周囲から笑い声が漏れる。
「笑うな」
「もう一問は?」
「作業許可の範囲です」
「それも変わったのか?」
「先生が変えました」
「……」
「『三級のうちは一人でやらせるな』って」
再び笑いが起きた。
「誰だ、こんな試験作ったの!」
「先生です」
「俺じゃない!」
「半分くらい先生です」
「違う!」
そこへ、聞き覚えのある声がした。
「随分楽しそうだな」
全員が振り返る。
エルドが立っていた。
「なんでいる」
「近くまで来たのでな」
「帰れ」
「資格試験を受けたそうではないか」
「誰から聞いた」
「ローレライだ」
マードックが妻を見る。
ローレライは笑っていた。
「結果は?」
「受かった」
「ほう」
「実技満点だ」
「筆記は?」
「……」
「筆記は?」
「八十八」
エルドが盛大に笑った。
「神を呼んで笑うほどのことか!」
「いや、すまん」
「絶対思ってないだろ」
「自分で作った規則に自分で引っかかるとは」
「全部俺が作ったわけじゃない!」
「だが、間違えた二問はお前が変えた規則なのだろう?」
「……」
また笑い声が起きた。
マードックは頭をかいた。
「まったく」
掲示板には、何人もの名前が並んでいた。
若い職人たち。
これから技術を覚える者たち。
自分が直接教えた者もいる。
会ったこともない者もいる。
やがて、この資格を持った技師たちは各地へ散っていくだろう。
そして、自分の知らない場所で。
自分の知らない人間が。
同じ基準で、安全に物を作る。
マードックはもう一度、自分の名前を見る。
「……まあ」
「なんだ?」
エルドが聞く。
「こういうのも悪くないな」
「落ちていたらもっと面白かったがな」
「やっぱり帰れ」
エルドは笑った。
その横で、若い職人が資格証を大事そうに握っている。
「先生」
「ん?」
「次、二級受けます?」
「受けない」
「えー」
「絶対受けない」
マードックは即答した。
ローレライが言う。
「二級の試験、来年よ」
「受けないぞ」
「筆記、もっと難しくなるそうよ」
「受けない」
「規則も増えるって」
「絶対に受けない!」
工房に笑い声が響いた。
その数年後。
錬金技師資格は各地へ広がり、三級、二級、一級と制度を整えていくことになる。
そして第一回三級資格試験の合格者名簿には。
制度を作った本人の名前が、しっかりと残ることになった。




