番外編 神の工場見学
その日、マードック錬金工房に神が来た。
「……なんだ、これは」
エルドは、門の前で立ち尽くしていた。
「工房だが」
「嘘をつけ」
即答だった。
昔は、家の裏に少し大きめの作業場がある程度だった。
そこに錬金窯が一つ。
棚がいくつか。
材料置き場。
あとはマードックが思いつきで増やした、用途不明の管や箱や車輪。
それだけだったはずだ。
今、エルドの目の前にあるのは、石造りの建物がいくつも連なった巨大な施設だった。
荷車が出入りし、材料が運び込まれ、作業服を着た人間たちが忙しそうに行き交っている。
建物の壁には、大きな文字で、
『マードック第一製造所』
と書かれていた。
「増えたな」
マードックが言った。
「増えたな、ではない!」
エルドが振り返る。
「私は、お前が小さな窯を弄っていた頃から知っておるのだぞ!」
「俺も知ってる」
「なぜこうなった!」
「便利だったからだろ」
「説明になっておらん!」
マードックは肩をすくめた。
「まあ、中を見るか?」
「そのために来たのだ!」
エルドは不機嫌そうに歩き出した。
門をくぐったところで、すぐに止められた。
「すみません」
若い男が駆け寄ってくる。
「見学の方ですか?」
「ああ」
マードックが答える。
「でしたら、こちらをお願いします」
差し出されたのは布製の帽子と、厚手の手袋だった。
エルドがそれを見る。
「なんだ、これは」
「保護具です」
「私は神だぞ」
「はい」
「神に必要だと思うか?」
若い男は少し困った顔をした。
「規則なので」
エルドが、ゆっくりマードックを見る。
マードックは何も言わずに自分の帽子をかぶった。
「……お前が作った規則か」
「俺だけじゃない」
「なお悪いわ」
ぶつぶつ言いながら、エルドも帽子をかぶった。
製造所の中は、昔の工房とはまるで違っていた。
材料を切る場所。
加工する場所。
錬金窯へ入れる前に確認する場所。
完成した物を検査する場所。
それぞれが明確に分けられている。
床には色の違う線が引かれ、人が歩く場所と荷車が通る場所も決まっていた。
「ここまで分ける必要があるのか?」
「前に荷車と人がぶつかりかけた」
「なるほど」
「それから分けた」
「なるほどではない。最初から考えろ」
「だから今は考えてる」
「屁理屈ばかり上手くなりおって」
少し先で、若い職人が完成品を持ち上げていた。
棚だった。
昔なら、一つ作るのにもかなりの時間がかかったものだ。
今では部材ごとに加工し、決められた寸法で組み立てられている。
職人は棚を確認すると、紙に何かを書き込んだ。
エルドが覗き込む。
「これは?」
「検査票だ」
「検査?」
「寸法が合ってるか、壊れてないか、決めた通りに作られてるか確認する」
「作った本人が分かるだろう」
「分かったつもりになるから確認するんだよ」
エルドが黙った。
「……随分と疑り深くなったな」
「人間だからな」
「妙に説得力があるのが腹立たしい」
さらに奥へ進む。
大きな錬金窯が並んでいた。
だが、マードックが昔使っていたものとは違う。
材料を直接放り込むのではない。
事前に重量を測り、材料ごとに分け、必要量だけを供給する。
使われなかった魔力の一部は別の系統へ戻され、次の工程に利用される。
魔力そのものを生み出しているわけではない。
ただ、無駄を減らしている。
最初にマードックがやろうとしていたことを、ひたすら巨大にしたものだった。
エルドはしばらく設備を眺めていた。
「……相変わらず、等価交換そのものには手を出しておらんな」
「約束したからな」
「意外だな」
「信用ないな」
「あると思うか?」
「ないな」
二人とも即答した。
そこで、工場の奥から声が飛んできた。
「マードック!」
ローレライだった。
書類の束を抱えている。
「何してるの?」
「エルドを案内してる」
「あら、いらっしゃい」
「久しいな」
「ちょうどよかったわ」
ローレライは一枚の紙をマードックへ渡した。
「第三ライン、材料置き場を移すから確認して」
「なんで?」
「今の場所だと、運搬する人が一日で余計に三百歩くらい歩いてるの」
「三百歩?」
「無駄でしょう」
「まあ、無駄だな」
「明日から変えるから」
「ああ」
ローレライはそれだけ言うと、さっさと別の場所へ行ってしまった。
エルドはその背中を見送った。
「……お前より厄介ではないか?」
「今頃気づいたのか」
「この施設、本当にお前が作ったのか?」
「半分くらいはローレライだな」
「なるほど」
エルドは深く納得した。
しばらく進むと、作業台を囲んで数人の若者が話し合っていた。
机の上には図面が広げられている。
「ここの厚みを二ミリ増やした方がいいと思います」
「でも、それだと材料費が上がる」
「強度試験は?」
「今からやります」
「記録残しておけよ」
マードックが横から言う。
「はい!」
一斉に返事が返ってきた。
エルドが眉を上げる。
「お前が作っているのではないのか」
「もう全部は作れない」
「では、誰が考えておる」
「こいつらだよ」
マードックは若者たちを指した。
「俺が教えたやつもいるし、そいつが教えたやつもいる」
「お前が知らぬ技術も?」
「ある」
「怖くないのか」
「何が?」
「自分より先へ進むことがだ」
マードックは少しだけ考えた。
「別に」
「即答か」
「俺一人で全部やってたら、いつまで経っても楽できないだろ」
エルドは額を押さえた。
「結局そこへ戻るのか」
「重要だからな」
工場を一周する頃には、日が少し傾き始めていた。
二人は製造所の外へ出た。
目の前を、大きな荷車が通り過ぎていく。
その上には、この場所で作られた部材が積まれていた。
町へ。
村へ。
もっと遠くの土地へ。
家具になるもの。
家になるもの。
治療に使われるもの。
昔はマードックの工房にしかなかった技術が、今では各地へ広がっている。
エルドはしばらく黙ってそれを眺めていた。
「最初は」
「ん?」
「お前は、ただ魔力を少し節約したかっただけではなかったか?」
「ああ」
「錬金窯を少し楽に使いたいと」
「そうだな」
「それが、なぜここまで大きくなった」
マードックも工場を見た。
あちらこちらから音がする。
金属の音。
車輪の音。
人の声。
錬金窯が動く低い唸り。
昔の小さな工房とは比べものにならない。
それでも、マードックには同じものに思えた。
「楽をしたかったからじゃないか?」
「……」
「一回で済むことを二回やりたくない」
「……」
「運ばなくていい物を運びたくない」
「……」
「失敗して、もう一回作るのも嫌だ」
「……」
「だから考える」
エルドは大きなため息をついた。
「お前たちは」
「ん?」
「怠けるために、よく働くな」
マードックは少し笑った。
「そうかもな」
その時、工場の中から声が飛んだ。
「先生!」
「なんだ!」
「第二窯の圧力計、少し数値がおかしいです!」
「止めろ! 原因分かるまで絶対動かすな!」
「はい!」
マードックはすぐに走り出した。
数歩進んだところで振り返る。
「エルド!」
「なんだ」
「見学終わりな!」
「勝手な奴だな!」
マードックはもう工場へ戻っていた。
エルドは一人、その背中を見送る。
「……楽をしたい、か」
工場の中では、人間たちが慌ただしく動き始めている。
誰かが確認し。
誰かが記録し。
誰かが原因を探す。
神が決めた理を破ることなく。
それでも人間は、少しずつ世界の使い方を変えていた。
エルドは帽子を取った。
「まったく」
小さく笑う。
「これも時代か」
そして神は、誰にも気づかれないまま姿を消した。




