五年目 医学 4
ギルバードの葬儀は、事故から三日後に行われた。
工場の仕事は止めた。
治療院も、午前中は閉じた。
大工組合。
錬金術協会。
加工場で働く職人。
ギルバードが手伝った家に住む人々。
多くの人が集まった。
棺の中に、ギルバードがいる。
傷は見えないようにされていた。
眠っているようにも見えた。
だが、眠っている人間とは違う。
胸が動かない。
呼んでも答えない。
セドリックは、ローレライの手を握っていた。
「ギルバード、いつ起きるの?」
誰も答えられなかった。
「起きないの?」
ローレライが膝をつく。
セドリックと同じ高さになる。
「ギルバードはね、死んだの」
「しんだら、どうなるの?」
「もう会えない」
「なんで?」
「身体が動かなくなったから」
「おとうさん、なおしたんでしょ?」
セドリックがマードックを見る。
マードックは、答えられなかった。
壊れた血管を繋いだ。
人工骨を入れた。
裂けた内臓を塞いだ。
心臓も動かした。
それでも、ギルバードは戻らなかった。
「直せなかった」
ようやく、それだけを言った。
「おとうさんでも?」
「ああ」
「なんで?」
いつもの問いだった。
何を答えても、また聞く。
分からないことがあれば、納得するまで聞く。
「分からない」
マードックは答えた。
「分からないことも、あるんだ」
セドリックは棺を見る。
ローレライの手を離す。
ギルバードのそばへ行く。
小さな手で、棺の縁へ触れた。
「きょう、あそべないの?」
返事はない。
「ずっと?」
返事はない。
セドリックはしばらく待っていた。
やがて、泣いた。
大きな声ではなかった。
何度も息を詰まらせながら、ギルバードの名前を呼んだ。
マードックは、息子の肩へ手を置いた。
それしかできなかった。
葬儀が終わった後も、エルドは町にいた。
誰にでも見える姿で、普通に道を歩いていた。
最初は誰も、彼が神だとは思わなかった。
白い服を着た、見慣れない男。
そう思われていた。
だが、錬金術協会へ入った途端、ルドウィックが椅子から転げ落ちた。
「エ、エルド……」
「久しいな」
「なぜ、ここに」
「呼ばれた」
「誰に?」
エルドがマードックを見る。
「呼んでないぞ」
マードックが言った。
「死者を作る錬成式に、我を組み込んだだろう」
「代価を管理する神だからな」
「それを呼んだと言う」
「来るとは思わなかった」
「来なければ、お前は何をしていた?」
マードックは答えなかった。
ブラウンが立ち上がる。
「本当に、エルド神なのですか?」
「そう呼ばれている」
「証明は?」
部屋の空気が止まった。
ルドウィックが青ざめる。
「ブラウン!」
「重要なことだ。神を名乗る者の言葉だけで、協会の方針は決められん」
エルドはブラウンを見た。
「何をすれば証明になる?」
「分かりません」
「分からないものを求めるな」
「では、神であることを理由に命令しないでいただきたい」
「そのつもりはない」
エルドは空いていた椅子へ座った。
「話し合うために来た」
「神が座った……」
カールが呟く。
「立ったまま話せと?」
「いえ」
「なら、お前たちも座れ」
ブラウン。
ルドウィック。
カール。
マードック。
治療師。
親方。
ローレライも呼ばれた。
全員が、一つの机を囲む。
エルドも同じ机についている。
「何を話す?」
ブラウンが聞いた。
「境界だ」
エルドが答えた。
「人間の技術と、魂の境界」
「死者蘇生を禁じるのですか?」
「禁じるだけなら話し合いは必要ない」
「神の力で止めると?」
「できる」
「なら、なぜしない?」
エルドはマードックを見た。
「止めれば、別の場所で試す者が現れる」
「俺はもうやらない」
マードックが言った。
「お前だけの問題ではなくなった」
錬成式は残っている。
人工骨の作り方。
皮膚を増やす方法。
血管を補う膜。
内臓の一部を作る試み。
そして、身体の機能を再び動かす設備。
マードックが作らなくても、記録を読んだ誰かが続きを考える。
別の町。
別の国。
何十年も後。
いつか必ず、同じ場所へ到達する。
「全部燃やせばいい」
ルドウィックが言った。
「医療の記録もか?」
治療師が聞く。
「危険なものだけだ」
「どこからが危険だ?」
「死者を蘇らせるものだ」
「止まった心臓を動かすのは?」
ルドウィックが黙った。
治療師が続ける。
「心臓が止まっても、すぐなら戻る者がいる」
「それは死者ではない」
「誰が決める?」
「治療師だ」
「治療師の判断が、必ず正しいと思うか?」
答えは出なかった。
生きている者と、死んだ者。
言葉にすれば簡単だった。
だが、その境目は一瞬ではない。
呼吸が止まる。
心臓が止まる。
声が届かなくなる。
身体が冷たくなる。
どの時点から、治療が蘇生へ変わるのか。
「神なら分かるのか?」
マードックが聞いた。
「魂が身体を離れたことは分かる」
エルドが答えた。
「なら、お前が決めればいい」
「それでは、お前たちは死の判断を神へ預けることになる」
「何が悪い?」
「我が現れなければ、何もできなくなる」
「呼べばいい」
「必ず応じると思うな」
「神だろ」
「神だからだ」
エルドは机の上に置かれた記録を見る。
「人間の身体を扱う判断は、人間が負え」
「でも、間違える」
「神も間違える」
ルドウィックが立ち上がった。
「そのようなことを!」
「神を何だと思っている」
「完全な存在です」
「なら、なぜ世界にこれほど面倒な決まりがある」
誰も答えなかった。
エルドは続ける。
「神は世界のすべてを知っているわけではない。我は等価交換を管理する。魂の行き先を管理する神もいる。生と死を見守る者もいる」
「神にも役割があるのか」
マードックが聞いた。
「お前たちと同じだ」
「神も仕事を分けてるんですね」
カールが言った。
「一人ですべてを行えば間違える」
「神も?」
「神もだ」
ブラウンが新しい紙を出した。
「では、神と人間で役割を分けましょう」
エルドが紙を見る。
「何を書く?」
「互いに、してよいことと、してはならないことを決めます」
「神と約束するつもりか?」
「命令ではないのでしょう?」
「ああ」
「ならば、約束です」
話し合いは三日続いた。
最初に決まったのは、生きている者を治す権利だった。
人工骨。
人工の皮膚。
血管の代用品。
内臓の補助。
失われた手足の代わり。
身体の働きを助ける設備。
それらを作り、使うことへ、神は介入しない。
「寿命を延ばすのは?」
カールが聞いた。
「治療の結果として延びるなら同じだ」
エルドが答える。
「百年生きる身体を作ったら?」
「生きている者の身体なら、人間が判断しろ」
「千年は?」
「年数を神に決めさせるな」
「では、不死も?」
部屋が静かになった。
エルドは少し考えた。
「不死になった者が、何を失うのかまで理解しているなら止めぬ」
「何を失うんです?」
「知らぬ」
「神なのに?」
「作ったことがないからな」
マードックが笑った。
「神も、分からないと言うんだな」
「お前よりは早く言える」
次に、人間が踏み込まないものを決めた。
死者の魂を呼び戻さない。
魂を材料として使わない。
魂を別の身体へ移さない。
記憶と身体を再現したものを、死者本人として作らない。
死者の身体を動かすために、魂の代用品を作らない。
「人形なら?」
カールが聞いた。
「作ればいい」
エルドが答える。
「人間そっくりの?」
「構わぬ」
「記憶を持たせたら?」
「死者の記憶を使わなければよい」
「自分で考える人形は?」
「それは、作った後に本人へ聞け」
「本人?」
「自分で考えるなら、お前の道具ではないかもしれぬ」
ブラウンが額を押さえた。
「問題が増えました」
「技術が広がるとは、そういうことなのだろう?」
マードックが言う。
「君が言うな」
三日目の夕方。
紙の一番上に、名前が書かれた。
生命と魂に関する不可侵条約。
人間は、生きている者を治す技術を手放さない。
神は、人間が身体を治し、補い、作ることへ介入しない。
ただし人間は、魂を作らない。
死者を本人として再製造しない。
神は、人間の命を勝手に奪わない。
人間の選択を、神の都合で変えない。
「最後の二つは必要か?」
エルドが聞いた。
「人間だけが約束するなら、条約ではありません」
ブラウンが答えた。
「神を縛るつもりか」
「嫌なら、命令として持ち帰ってください」
エルドは紙を読んだ。
何度も読む。
一か所を指さす。
「ここが曖昧だ」
「どこです?」
「死者を本人として再製造しない。本人でなければ作ってよいように読める」
「では、書き直します」
「こっちは?」
治療師が聞いた。
「魂を材料として使わない」
「魂を測ることは?」
「構わぬ。ただし傷つけるな」
「どうやって確認を?」
「これから決める」
神と人間が、言葉の意味を一つずつ確認する。
勝手な解釈ができないようにする。
書き直す。
読み直す。
また書き直す。
ルドウィックが、その光景を見ていた。
「神との約束まで、規格にするのか」
「必要だろ」
マードックが答える。
「口約束では、後で揉める」
「相手は神だぞ」
「神も間違えるらしい」
「聞こえている」
エルドが言った。
「聞こえるように言った」
完成した条約へ、最初にブラウンが署名した。
錬金術協会を代表する名前。
次に、治療師。
大工組合からは親方。
工場で働く者を代表して、ローレライ。
マードックは最後だった。
「俺も書くのか?」
「一番必要だ」
全員が答えた。
マードックは、自分の名前を書いた。
紙をエルドへ渡す。
「神はどうする?」
エルドは指先を紙へ置いた。
淡い光が広がる。
紙の一番下に、見たことのない文字が現れた。
誰も読めない。
「何と書いた?」
マードックが聞いた。
「エルド」
「本当に?」
「神の署名を疑うのか」
「証明できないからな」
ブラウンが咳払いをした。
「写しを作ります」
「神の文字も写せるのか?」
カールが聞く。
「試してみる」
錬金窯へ入れる。
同じ紙を作る。
人間が書いた文字は、そのまま写った。
しかし、エルドの署名だけが消えている。
「駄目ですね」
カールが言った。
「では原本を保管する」
ブラウンが答える。
「写しには、人間の言葉でエルドと書いておけ」
エルドが言った。
「それでいいんですか?」
「署名が光る必要はない。約束が残ればよい」
原本は、錬金術協会で保管されることになった。
写しは治療院。
大工組合。
マードック錬金工房。
そして、国の管理機関へ送られた。
神と人間が条約を結んだ。
その話は、すぐに町中へ広がった。
信じる者。
信じない者。
死者蘇生ができるようになったと勘違いする者。
反対に、治療が禁じられたと思う者。
説明するための紙が、さらに必要になった。
「仕事が増えたな」
マードックが言った。
「君が死者蘇生に手を出したからだ」
ブラウンが答える。
「反省してる」
「本当に?」
「もうやらない」
「それだけか?」
マードックは少し考えた。
「次にやろうとするやつを止める」
ブラウンがうなずいた。
条約ができても、ギルバードは戻らない。
工場の入口には、事故の記録が置かれた。
割れた横木。
切れた縄。
倒れた石の位置。
ギルバードが、若い職人を助けたこと。
治療院で行った処置。
使った道具。
成功したこと。
足りなかったこと。
死者蘇生を試みたこと。
エルドに止められたこと。
何も隠さず書いた。
「ここまで残すのか?」
親方が聞いた。
「成功したものだけを残すなと言われた」
「神に?」
「ああ」
「素直に聞くこともあるんだな」
「俺が間違ってたからな」
マードックは、事故を起こした横木を見る。
外からは分からなかった亀裂。
今までの確認では見つけられなかった。
それも記録へ残す。
見つけられなかったものを、なかったことにはしない。
「次はどうする?」
親方が聞いた。
「中を見る方法を考える」
「木を切らずに?」
「ああ」
「できるのか?」
「分からない」
マードックは答えた。
「でも、見つけられなかったことは分かった」
工場が、少しずつ動き始める。
最初に行ったのは、事故現場の片づけではなかった。
全員で記録を読むことだった。
ギルバードを知っている者も。
ほとんど話したことのない者も。
新しく入ったばかりの者も。
同じ記録を読んだ。
そして、それぞれが自分の持ち場へ戻った。
錬金窯に火が入る。
台車が動く。
作業の合図が響く。
治療院では、白い箱から清潔な布が取り出される。
人工骨を入れた男が、杖をついて歩いている。
火傷をした女性は、自分の手で服を着ている。
救えなかった命がある。
それでも、救えた命もあった。
技術は、死をなくさなかった。
ただ。
生きている者にできることを、少しずつ増やしていた。




