五年目 医学 3
内臓を作る試みは、失敗から始まった。
最初に作ったのは、胃だった。
動物の胃を調べる。
形を写す。
必要な材料を集める。
錬金窯で組み立てる。
出来上がったものは、確かに胃の形をしていた。
「袋だな」
治療師が言った。
「胃だ」
マードックが答える。
「何ができる?」
「食べ物を入れられる」
「革袋でもできる」
「溶かせる」
「自分まで溶けているぞ」
中へ薬液を入れる。
しばらくすると、作った胃の表面から液が染み出した。
「失敗だな」
「見れば分かる」
次は、液が漏れないように厚くした。
今度は縮まない。
食べ物を送ることもできない。
薄くする。
破れる。
丈夫にする。
身体と繋がらない。
「形だけでは駄目だな」
「皮膚のときにも言った」
「内臓はもっと面倒だ」
胃。
腸。
血管。
肺。
どれも単独では働かなかった。
血管だけ作っても、中を流す血が必要になる。
肺だけ作っても、空気を送らなければ動かない。
胃だけ作っても、食べ物を送る場所がなければ袋のままだ。
「全部繋がってるな」
マードックが言った。
「人間だからな」
治療師が答える。
「一個くらい、勝手に動くものはないのか」
「勝手に動かれたら困る」
マードックたちは、臓器そのものを作ることを一度諦めた。
代わりに、壊れた部分を補うものを作った。
切れた血管へ巻く薄い膜。
腸にできた穴を塞ぐ小さな当て布。
傷ついた臓器の表面を押さえる柔らかい板。
血が溜まった場所から、外へ流すための細い管。
身体のすべてを作るのではない。
治療師が治すために、足りない部分だけを支える。
動物で試す。
状態を見る。
数日待つ。
また調べる。
使えなかったものは捨てる。
使えたものも、すぐには人間へ使わない。
「遅いですね」
ギルバードが言った。
「人間だからな」
マードックが答える。
「親方みたいなこと言うようになりましたね」
「嫌なことを言うな」
「褒めたんですよ」
「もっと嫌だ」
ギルバードは治療院へ来ることが増えていた。
工場の仕事が終わると、マードックを迎えに来る。
セドリックが一緒にいる日は、肩車をして帰る。
「ギルバード」
「なんだ?」
「きょうもおしごと?」
セドリックが聞く。
「そうだ」
「なに作ったの?」
「細い管」
「なんで?」
「身体の中に溜まったものを外へ出す」
「なんで?」
「そのままだと治らないから」
「なんで?」
「それは治療師に聞いてくれ」
「なんで?」
「俺には分からないからだ」
「ギルバードもしらないの?」
「知らないことくらいある」
「おとうさんといっしょだ」
「そうだな」
少し前なら、マードックは反論していた。
今は何も言わなかった。
知らないものを扱っている。
その自覚だけは、なくしてはいけない。
最初に人間へ使ったのは、細い血管を補う膜だった。
患者は、刃物で脚を深く切った男だった。
治癒魔法だけでは血が止まらない。
治療師が傷を開き、切れた場所を探す。
膜を巻く。
固定する。
治癒魔法を使う。
血が止まった。
翌日も止まっていた。
三日後も、膜は外れていなかった。
熱が出る。
薬を使う。
腫れが引く。
十日後、男は脚の指を動かした。
「成功か?」
マードックが聞いた。
「まだだ」
治療師が答える。
一月後。
男は立った。
二月後。
仕事へ戻った。
そこで初めて、記録へ成功と書いた。
「長いな」
「生きている限り、本当は終わらん」
「どこかで終わりにしないと、次に使えない」
「だから記録を残す」
成功した。
だが、二月までしか確認していない。
その先に何が起きるかは分からない。
分からないことも、そのまま書いた。
使ってよい場所。
使ってはいけない場所。
確認できている期間。
異常が起きた場合の処置。
治療師の判断がなければ使わない。
錬金術師だけでは決めない。
少しずつ。
本当に少しずつ、人間の身体に使えるものが増えていった。
事故が起きたのは、その頃だった。
工場の外で、新しい吊り上げ設備を組み立てていた。
家よりも長い梁を扱うための設備だった。
太い柱を四本立てる。
上に横木を渡す。
複数の滑車で力を分ける。
重りを吊り、試験する。
最初は軽いものから。
次に、実際に使う材料と同じ重さ。
最後に、それより重い石を吊る。
「上げろ!」
合図が出る。
巻き上げ機が回る。
石が地面から離れた。
「止めろ!」
石が止まる。
縄を見る。
滑車を見る。
柱を見る。
問題はない。
誰も吊り荷の下には入っていない。
「もう少し上げる」
マードックが言った。
合図を出す者が周囲を確認する。
「上げろ!」
再び巻き上げ機が動いた。
音がした。
小さな音だった。
木が軋む音とは違う。
乾いた枝を折るような、短い音。
親方が顔を上げる。
「止めろ!」
巻き上げ機が止まった。
次の瞬間。
上部の横木が割れた。
滑車が傾く。
石が落ちる。
縄が跳ねた。
吊り荷の下にいた者はいない。
だが、切れた縄が地面を走った。
若い職人の脚へ絡む。
職人が倒れる。
吊り下げられていた石が地面へぶつかり、横へ傾いた。
その先に、倒れた職人がいる。
ギルバードが走った。
職人の服を掴む。
引く。
職人の身体が動く。
石が倒れる。
鈍い音がした。
土煙が上がった。
「ギルバード!」
石の下から、脚が見えていた。
腹から下が、石と地面の間に挟まれている。
「巻き上げ機を戻せ!」
マードックが叫ぶ。
「待て!」
親方が止める。
「そのまま上げるな! 石がずれる!」
柱を確認する。
使える滑車を集める。
別の方向から縄を掛ける。
石がさらに倒れないよう、木材を差し込む。
持ち上げる高さは、身体を抜けるところまで。
「ギルバード!」
マードックが地面へ膝をつく。
ギルバードの目は開いていた。
「聞こえるか?」
「……はい」
「すぐ出す」
「若いのは?」
少し離れた場所で、助けられた職人が座り込んでいる。
脚に縄の痕はあるが、立つことはできていた。
「無事だ」
「よかった」
「喋るな」
ギルバードが小さく息を吐いた。
口元に血がついた。
外から見える傷は少ない。
それが、かえって怖かった。
「上げろ!」
石が、少しずつ持ち上がる。
隙間ができる。
板を入れる。
さらに上げる。
ギルバードの身体を引き出す。
担架へ載せる。
「治療院へ運ぶ!」
止血具を使える場所ではなかった。
腹の中で出血している。
治療師が傷へ触れる。
魔力を流す。
表情が変わった。
「急げ」
「何が壊れてる?」
マードックが聞いた。
「ここでは分からん」
「治せるか?」
「運べ!」
治療院へ着く前に、ギルバードの意識が薄れた。
「ギルバード」
マードックが呼ぶ。
返事はない。
一度だけ、目が開く。
「セドリックに……」
「何だ?」
「今日は、行けないって……」
「自分で言え」
ギルバードは答えなかった。
治療院の寝台へ運ぶ。
服を切る。
腹部は大きく腫れていた。
治療師が魔力を流す。
助手が薬と道具を並べる。
「骨盤が砕けている」
治療師が言った。
「腹の中にも血が溜まってる」
「開くのか?」
「このままでは死ぬ」
「開いても?」
「分からん」
マードックは作業場へ走った。
人工骨の材料。
血管を補う膜。
細い管。
傷を押さえる布。
使えるものを、すべて持ってくる。
治療師が腹部を開く。
血を外へ出す。
切れた血管を探す。
見つける。
膜を巻く。
血が止まらない。
別の場所も切れている。
腸が裂けている。
肝臓の一部が潰れている。
「膜を」
「これか?」
「小さい。もっと大きいものだ」
作業場へ戻る。
材料を窯へ入れる。
魔力を流す。
「早く」
自分に言う。
急がせる。
膜が出来上がる。
取り出す。
端が薄い。
作り直す時間はない。
「使えるか?」
治療師が確認する。
「やるしかない」
切れた血管を補う。
出血が少し減る。
腸の穴を塞ぐ。
潰れた肝臓の一部を取り除く。
そこへ、試作していた組織を入れる。
身体と繋ぐ。
治癒魔法を使う。
「魔力が足りない」
治療師が言った。
「俺のを使え」
「お前の魔力では治癒術は使えん」
「窯へ送る」
試作していた補助具を動かす。
治療師の術式へ、魔力だけを送る。
強すぎれば身体を傷つける。
弱ければ足りない。
目盛りを見る。
治療師の指示に合わせる。
「少し下げろ」
下げる。
「そのまま」
保つ。
「上げろ」
上げる。
何度も繰り返す。
砕けた骨盤を人工骨で支える。
切れた血管を繋ぐ。
裂けた腸を閉じる。
失われた血の代わりに、身体を巡る液体を入れる。
冷えた身体を温める。
心臓の動きを助ける。
一つずつ。
壊れた場所を直していく。
どれほど時間が経ったか分からなかった。
治療師の腕が震えている。
マードックの魔力も、ほとんど残っていない。
それでも。
ギルバードの胸が上下した。
心臓が動いている。
「戻った」
マードックが言った。
治療師は答えない。
ギルバードの目を見る。
光を当てる。
名前を呼ぶ。
手を握る。
反応はない。
「眠ってるだけだ」
「違う」
「心臓は動いてる」
「身体を動かしているだけだ」
「なら、続ければいい」
「マードック」
「血を流す。息をさせる。身体を温める」
「もう届いていない」
「何が?」
治療師は答えなかった。
ギルバードの心臓が、また弱くなる。
「魔力を上げる」
「やめろ」
「まだ動いてる」
「やめろ!」
治療師が術式から手を離した。
補助具だけが、一定の魔力を送り続けている。
心臓が、一度動く。
長い間が空く。
もう一度。
そして。
止まった。
静かだった。
工場で事故が起きたときより、ずっと静かだった。
「動かせ」
マードックが言った。
誰も動かない。
「心臓を作る」
「やめろ」
「今のより強いものを作る」
「もう死んでいる」
「肺も作る」
「マードック」
「血が足りないなら、それも作る」
治療師がマードックの腕を掴んだ。
「戻らない」
「まだ分からない」
「私には分かる」
「お前にできないなら、俺がやる」
腕を振りほどく。
作業場へ入る。
紙を広げる。
心臓。
肺。
肝臓。
血管。
骨。
皮膚。
今まで作ってきたもの。
作ろうとしていたもの。
全部作ればいい。
一つ足りないなら、一つ足す。
壊れたものを交換する。
それでも動かないなら、すべてを作り直す。
ギルバードの身体から形を取る。
同じ材料を集める。
同じように組み合わせる。
魔力を流す。
「代価ならある」
マードックは新しい錬成式を描いた。
魔石。
材料。
自分の魔力。
足りない。
ならば。
「俺の命を使う」
治療師の顔が強張る。
「何を言っている」
「等価交換だ」
「やめろ」
「命には命だ」
「そんなものは治療じゃない!」
「ギルバードが戻るなら、何でもいい!」
マードックが錬成式へ手を置く。
魔力を流す。
線が光った。
窯が低い音を立てる。
寝台に横たわるギルバードの指が、わずかに動いた。
「ギルバード?」
マードックが顔を上げる。
もう一度、魔力を流そうとする。
その手首を。
誰かが掴んだ。
冷たい手だった。
治療師ではない。
助手でもない。
人の手の形をしている。
だが、その指先からは何の魔力も感じなかった。
「そこまでだ」
声がした。
聞き覚えのある声だった。
何度も夢の中で聞いた。
窯を改造するたび。
等価交換の抜け道を90探すたび。
呆れ、怒り、文句を言ってきた声。
「エルド……?」
マードックの前に、一人の男が立っていた。
白い衣。
灰色の髪。
年齢は分からない。
男は床に立っている。
足元には影がある。
マードックの手首を掴む指には、確かな重さがあった。
夢ではない。
声だけでもない。
神が。
人間の治療院に立っていた。
「放せ」
マードックが言った。
「放せば、お前は続ける」
「当たり前だ」
「その先に、ギルバードはいない」
「まだ分からない!」
「分かっている」
エルドは寝台を見た。
「お前が動かしたのは、あの者の身体だ」
「なら、身体を全部直せば戻る」
「では聞こう」
エルドはマードックを見る。
怒ってはいなかった。
いつものように呆れてもいない。
ただ、静かだった。
「その身体へ戻すギルバードを、お前はどうやって作る?」
「記憶がある」
「どこに?」
「頭だ」
「その頭が覚えていることを写せば、それはギルバードか?」
「同じ身体だ」
「身体が同じなら、同じ者なのか?」
「なら魂を戻せ!」
マードックが叫んだ。
「代価なら払う。魔力でも、材料でも、俺の命でもいい。だから戻せ!」
エルドの手に、わずかに力が入る。
「等価交換とは、何でも交換できるという意味ではない」
「命には命だろ!」
「違う」
「何が違う!」
「お前の命を差し出せば、あの者の命が戻る。そのような交換は存在しない」
「神ならできるだろ」
「できるかどうかを聞いているのではない」
エルドは光を失った錬成式を見た。
「お前は今、ギルバードを救おうとしているのではない」
「救おうとしてる!」
「死んだ事実を、お前が受け入れたくないだけだ」
マードックの身体から力が抜けた。
それでも、手を引こうとする。
エルドは放さない。
「腕を作るなとは言わぬ」
静かな声が続く。
「骨を作るなとも、臓器を作るなとも言わぬ」
「なら」
「生きている者を支えるためなら、お前たちの技術を使えばよい」
エルドは、ギルバードを見る。
「だが、死んだ者を材料から作り直すな」
「なぜだ」
「それは治療ではない」
「同じ身体なら」
「同じではない」
「同じ記憶があれば」
「それでも違う」
「何が違う!」
「ギルバードは、作られたからギルバードになったのではない」
エルドの声は変わらない。
「生まれ、生き、選び、失敗し、誰かと過ごした。そのすべてによって、あの者はあの者になった」
マードックは寝台を見る。
ギルバードは動かない。
「俺たちは、できることをした」
「そうだ」
「足りなかった」
「そうだ」
「なら、もっと作れば」
「届かなかったからといって、すべてを越えてよい理由にはならぬ」
マードックは何も言えなかった。
治療師が、錬金窯の魔力を切った。
低い音が止まる。
部屋から、すべての音が消えたように感じた。
エルドが、ようやく手を放す。
マードックの腕が下がった。
「……じゃあ」
声がうまく出なかった。
「俺は、何を作ればよかった」
エルドはすぐには答えなかった。
「お前たちは、今日必要だったものを作った」
「でも、助からなかった」
「技術は、必ず人を救うという約束ではない」
「なら、何のためにある」
「次に生きている者へ、できることを増やすためだ」
マードックは、破れた血管を補った膜を見る。
人工骨。
細い管。
止血具。
どれも使われている。
どれも働いた。
それでも、ギルバードは死んだ。
「この失敗を残せ」
エルドが言った。
「成功したものだけを残すな」
「失敗じゃない」
治療師が言った。
エルドが振り返る。
「私たちは失敗したのではない」
治療師は震える手を握った。
「救えなかった」
「同じだ」
マードックが言う。
「違う」
治療師は、はっきりと答えた。
「間違えたこともあった。足りないものもあった。それでも、救えなかったことのすべてを失敗と呼ぶな」
マードックは何も答えなかった。
窓の外は、すでに暗くなっていた。
セドリックが家で待っている。
ギルバードは今日、行けないと言った。
それを伝えなければならない。
マードックは寝台の横へ座った。
「少しだけ待ってくれ」
誰に言ったのか、自分でも分からなかった。
エルドは、何も言わなかった。
神は消えなかった。
逃げるように天へ帰ることもなかった。
ただ人間たちと同じ部屋に立ち。
ギルバードの死を。
朝が来るまで、一緒に見届けた。




