五年目 医学 2
治療院の裏に、小さな作業場ができた。
錬金窯が一基。
作業台が二つ。
材料を置く棚。
完成した道具を保管する箱。
工場で使っている窯より、ずっと小さい。
「これでいいのか?」
マードックが聞いた。
「大きな窯を置いて、何を作るつもりだ」
治療師が答える。
「まだ分からない」
「分からないもののために場所を取るな」
「後で必要になるかもしれない」
「必要になってから考えろ」
治療師は棚を指さした。
「それより、あれをどうにかしろ」
棚には何種類もの布が積まれていた。
傷口を押さえる布。
薬を塗るための布。
火傷を覆う布。
身体を固定するための布。
洗ったもの。
まだ洗っていないもの。
一度使ったもの。
「分けてあるだろ」
「足りん」
「何が?」
「見ただけで分かるようにしろ」
「札がある」
「怪我人を運び込んだ後に、いちいち読むと思うか?」
マードックは棚を見る。
工場では、札と記録で材料を管理した。
だが、治療院では急ぐことがある。
血を流している人間を前にして、紙を読んでいる暇はない。
「箱を変える」
用途ごとに箱の形を変えた。
すぐに使う清潔な布は、蓋のついた白い箱。
使用したものは、赤い印のある箱。
固定用の布は、細長い箱。
薬を塗ったものは、中身が分かるように小さな絵をつける。
「これなら間違えないか?」
「暗い場所でも分かるようにしろ」
「色だけじゃ駄目か」
「夜に運び込まれる者もいる」
箱の蓋へ凹凸をつけた。
触れば区別できる。
「面倒だな」
「人間は、明るい時間だけ怪我をするわけじゃない」
「それもそうだ」
マードックたちが最初に作ったのは、傷を塞ぐものではなかった。
傷へ触れるものだった。
布を洗う。
煮る。
乾かす。
汚れがつかないように保管する。
一度使ったものを、清潔な布と混ぜない。
簡単なことだった。
だが、それだけで傷が悪くなる者が減った。
「錬金術をほとんど使ってないな」
ギルバードが言った。
「窯で乾かしてる」
「それだけですか?」
「箱も作った」
「錬金術師の仕事ですかね」
「治療師に必要だと言われたものを作ってる」
「地味ですね」
「家を建てるより小さいからな」
「大きさの話ですか?」
そんな会話をしながら、ギルバードは布を畳んでいた。
治療院へ来るたび、セドリックも一緒についてきた。
五歳になったセドリックは、白い箱へ布を入れる仕事を任されていた。
「これは?」
セドリックが聞く。
「白い箱」
「なんで?」
「きれいな布だから」
「こっちは?」
「使った布」
「なんで赤いの?」
「間違えないため」
「なんで間違えるの?」
「人間だから」
「おとうさんも?」
「特にお父さんが」
ローレライが答えた。
「なんで?」
「よく考える前に作るからよ」
「今は考えてる」
「今はね」
次に作ったのは、血を止めるための布だった。
怪我をした場所へ当て、強く押さえる。
それだけでも、多くの出血は止まる。
だが、深い傷では布がずれる。
押さえる力が弱ければ、血は流れ続ける。
「傷を塞ぐ薬はあるだろ」
マードックが聞いた。
「ある」
治療師が答える。
「なら、それを使えばいい」
「傷の中に汚れが残っていたら?」
「洗う」
「太い血管が切れていたら?」
「繋ぐ」
「誰が?」
「治療師が」
「できる者は多くない」
治癒魔法で血を止めることもできる。
しかし、すべての治療師が同じように使えるわけではない。
魔力が尽きれば使えない。
一度に大勢が怪我をすれば、全員には間に合わない。
「なら、魔力を使わずに止められるものを作る」
マードックは布の重ね方を変えた。
傷に当てる部分を厚くする。
その上から、長い布を巻きつける。
引けば締まる。
緩まないように留め具をつける。
「強く締めれば止まるな」
ギルバードが言った。
「強すぎれば、別のところが悪くなる」
治療師が答えた。
「では、どのくらい?」
「身体と傷による」
「また一人ずつ違うのか」
「人間だからな」
締める力は、作る側では決められなかった。
だから、少しずつ調整できるようにした。
締めた後に、皮膚の色を見る。
指先へ触れる。
冷たくなっていないか確認する。
時間も記録する。
巻いたまま忘れないよう、目立つ札をつける。
「道具だけでは使えないな」
マードックが言った。
「使い方まで一緒に渡せ」
治療師が答える。
「教えないで売るな」
出来上がった止血具は、治療院だけではなく工場にも置かれた。
加工場。
材料置き場。
建築現場。
台車にも一つ載せた。
使い方を教える。
傷を押さえる。
助けを呼ぶ。
いつ装着したか伝える。
勝手に外さない。
「使わないで済むのが一番ですね」
ギルバードが言った。
「ああ」
「でも、前より安心です」
「道具があるからって油断するなよ」
「分かってますよ」
ギルバードは笑った。
それから、皮膚を作った。
最初の患者は、かまどの火で腕を焼いた女性だった。
命に別状はない。
だが、腕の広い範囲で皮膚が失われていた。
傷を覆う布を交換するたび、女性は声を上げた。
「皮膚を作れないか?」
治療師が言った。
「革なら作れる」
「革では駄目だ」
「似たものなら?」
「身体が受け入れない」
動物の皮。
植物の繊維。
薄く加工した膜。
いくつも試した。
傷を覆うことはできる。
乾燥を防ぐこともできる。
だが、人間の皮膚にはならない。
「本人の皮膚を使う」
治療師が言った。
「傷のない場所から少し取る」
「取ったら、そこも傷になる」
「だから少しだ」
女性の同意を得た。
腕の内側から、ごく小さな皮膚を採る。
それを錬金窯へ入れる。
「増やせるか?」
治療師が聞いた。
「材料が足りない」
「魔力で補えないのか?」
「形だけなら作れる」
「形だけでは駄目だ」
皮膚は生きている。
ただ薄い膜を作ればいいわけではない。
本人の身体と繋がる必要がある。
血が通る。
汗を出す。
痛みを感じる。
傷つけば、また治ろうとする。
マードックは、少量の皮膚へ材料を足した。
水。
塩。
油。
動物から採った組織。
魔力を流す。
薄い皮膚のようなものができた。
治療師が確認する。
「使えない」
「なんで?」
「死んでいる」
「皮膚の形はしてる」
「形だけだ」
何度も失敗した。
厚すぎる。
脆い。
身体へつかない。
魔力を流した直後だけ動き、すぐに変色する。
「何が足りない?」
マードックが聞いた。
「本人だ」
治療師が答えた。
「この皮膚が、誰のものか分かっていない」
「皮膚にそんなことが分かるのか?」
「私は錬金術師ではない」
「俺は治療師じゃない」
「なら、二人で考えろ」
本人の皮膚を、完成品の見本ではなく中心に置く。
別のものへ形を写すのではない。
本人の皮膚が増えるのを、材料と魔力で助ける。
マードックは錬金窯の術式を変えた。
作るのではなく、育つ方向を揃える。
急がせすぎない。
途中で取り出す。
治療師が状態を確認する。
また窯へ戻す。
数日かかった。
出来上がった皮膚は、形が悪かった。
厚さも均一ではない。
家具や建築部材なら、不合格になっている。
治療師は、それを見てうなずいた。
「使える」
「これでいいのか?」
「これがいい」
女性の傷へ移す。
治癒魔法を使う。
新しい皮膚が、少しずつ身体と繋がっていく。
すぐには治らない。
何日も状態を見る。
色を見る。
熱を持っていないか確認する。
痛みを聞く。
一部は身体へつかなかった。
そこを取り除く。
残った皮膚が、少しずつ傷を覆った。
一月後。
女性は自分の腕を動かした。
完全には元に戻っていない。
大きな痕も残っている。
それでも、自分の手で服を着ることができた。
「ありがとう」
女性が言った。
マードックは皮膚を見る。
きれいではない。
同じ厚さでもない。
計画どおりの形でもない。
「こちらこそ」
「なぜ?」
「作り方を教えてもらった」
女性は不思議そうな顔をした。
治療師だけが笑った。
人工骨は、さらに難しかった。
鉱山で落石に巻き込まれた男が運び込まれた。
脚の骨が砕けている。
細かく割れた部分は、元の形へ戻せない。
「脚を切る」
治療師が言った。
男が青ざめた。
「待ってくれ」
マードックが言う。
「何か作れるか?」
「骨なら作れる」
「形だけでは駄目だぞ」
「分かってる」
砕けた骨の形を調べる。
反対側の脚も測る。
同じ形にはしない。
怪我をした場所に必要な形を作る。
材料には、動物の骨を使った。
洗う。
煮る。
不要なものを取り除く。
細かく砕く。
錬金窯で形を整える。
だが、硬く作ればいいわけではなかった。
「硬すぎる」
治療師が言った。
「骨より丈夫だぞ」
「周りの骨が負ける」
「弱くするのか?」
「本人の骨と同じくらいにしろ」
「同じにはできない」
「なら、少し弱い方がいい」
「壊れるぞ」
「壊れたときに、身体を壊さない方を選べ」
マードックは人工骨の中へ、小さな空間を作った。
本人の骨が伸びて入り込めるようにする。
永久に身体を支配する部品ではない。
治るまで支え、いつか本人の骨と一緒になる。
治療師が術式で周囲の骨を整える。
人工骨を入れる。
固定する。
傷を閉じる。
数日後。
熱が出た。
傷の周囲が腫れた。
一度開き、洗う。
薬を変える。
それでも、人工骨は身体の中に残った。
数か月後。
男は杖を使って立ち上がった。
一歩。
もう一歩。
長く歩くことはできない。
以前と同じように鉱山で働くことも難しい。
それでも、脚は残った。
「歩ける」
男が泣いた。
治療師が支える。
マードックは少し離れて見ていた。
「成功ですね」
ギルバードが言った。
「ああ」
「嬉しくないんですか?」
「嬉しい」
「そうは見えませんけど」
「どこまでが成功なのか分からない」
脚は残った。
だが、元には戻っていない。
歩ける。
だが、前と同じ仕事はできない。
命は助かった。
それなら成功なのか。
マードックには、まだ分からなかった。
「本人が喜んでるなら、今日はそれでいいんじゃないですか」
ギルバードが言った。
「軽いな」
「マードックさんが重すぎるんですよ」
「作ったのは俺だぞ」
「使って生きるのは、あの人です」
マードックは男を見る。
杖をつきながら、もう一歩進んでいる。
「そうだな」
その夜。
治療師が一枚の図を持ってきた。
人間の身体が描かれている。
骨。
血管。
肺。
心臓。
胃。
腸。
肝臓。
「今度は何だ?」
マードックが聞いた。
「皮膚は作れた」
「ああ」
「骨も作れた」
「完全じゃない」
「完全でなくても、助かった者がいる」
治療師は図の腹部を指さした。
「なら、身体の中にあるものは、どこまで作れる?」
マードックは図を見る。
皮膚や骨より、ずっと複雑だった。
形だけでは働かない。
他の臓器と繋がる。
血を受け取る。
別の場所へ送る。
一つだけで動いているものはない。
「作ったことはない」
「誰もない」
「失敗したら?」
治療師は答えなかった。
答える必要もなかった。
身体の外で試すことはできる。
形を調べることもできる。
動物で確かめることもできる。
だが最後には、人間の身体へ入れなければ分からない。
マードックは図へ手を伸ばした。
そこで止める。
「先に決めよう」
「何を?」
「誰に使うか」
「必要な者にだ」
「本人が知らないまま使わない」
治療師がうなずく。
「失敗するかもしれないことも伝える」
「ああ」
「治療師だけで決めない」
「錬金術師だけでも決めない」
「記録を残す」
「成功も、失敗も」
マードックは図を受け取った。
「それでも分からないことは?」
「分からないと伝える」
治療師が答えた。
「知らないことを、知っているふりだけはするな」
マードックは人間の身体が描かれた紙を見つめた。
作れるかもしれない。
その言葉が、以前ほど軽くは感じられなかった。
それでも。
作れなければ助からない人間がいる。
「やってみよう」
マードックが言った。
ギルバードが、その図を横から覗き込む。
「ついに人間まで作るんですか?」
「人間は作らない」
「じゃあ何を?」
マードックは、紙に描かれた内臓を見る。
「生きている人間に、足りないものを作る」
そのときはまだ。
その言葉の境界が、どれほど曖昧なものなのか。
誰にも分かっていなかった。




