五年目 医学 1
五年目。
事故は、工場が動き始めて十二日目に起きた。
大きな音がした。
木材が床へ落ちる音。
続いて、誰かの叫び声。
マードックが駆けつけると、若い職人が床に倒れていた。
「何があった!」
「台車です!」
ギルバードが答える。
材料を載せた台車が、通路の途中で止まっている。
その横に、折れた車輪止めが落ちていた。
職人は右腕を押さえていた。
顔が青い。
「動かすな」
親方が言った。
「腕を見せろ」
「痛い……」
「分かってる。ゆっくりだ」
袖を切る。
腕が、不自然な方向へ曲がっていた。
「折れてるな」
マードックが言った。
「見れば分かる」
親方が睨む。
「治療院へ運ぶぞ」
担架を持ってくる。
職人を載せる。
揺らさないように、何人かで運ぶ。
マードックも一緒に行こうとした。
「お前は残れ」
親方が言った。
「なんでだ?」
「次の事故を止めろ」
マードックは台車を見る。
作業は止まっている。
周囲には多くの職人が集まっていた。
「全員、持ち場に戻れ」
「作業を続けるんですか?」
「続けない」
マードックは工場を見回した。
「今日は全部止める」
窯の火を落とす。
巻き上げ機を止める。
材料を置く。
加工途中の部材には札をつける。
誰も作業を再開しないよう、入口にも札を出した。
それから、事故が起きた場所を調べた。
台車。
車輪。
床。
落ちた材料。
折れた車輪止め。
「誰が置いた?」
マードックが聞いた。
一人の職人が手を上げた。
「俺です」
「きちんと入れたか?」
「入れました」
「本当に?」
「入れました!」
職人の顔が強張る。
ギルバードが車輪止めを拾った。
「これ、薄くないですか?」
並べて使っている別のものを持ってくる。
比べる。
折れた車輪止めは、少し薄い。
「誰が作った?」
記録を調べる。
名前がない。
作った日も分からない。
「工場のものじゃないな」
親方が言った。
「足りなかったので、倉庫にあったものを使いました」
職人が答える。
「似たような形だったから」
「確認は?」
「車輪が止まったので……」
最初は止まった。
だから使えると思った。
材料を載せた。
台車を押した。
途中で床がわずかに傾いていた。
台車が戻った。
車輪止めへ重さがかかった。
そして、折れた。
「似ているものを使った」
マードックが言った。
「大丈夫だと思いました」
「俺もそう思ったかもしれない」
職人が顔を上げる。
「責めてるんじゃない」
マードックは折れた車輪止めを見る。
「見分けられないものを置いたのが悪い」
使ってよい道具。
使ってはいけない道具。
形が似ていれば、間違える。
忙しければ、近くにあるものを使う。
「工場で使うものには、全部同じ印をつける」
マードックが言った。
「壊れたものは?」
ギルバードが聞く。
「すぐに分ける。直すものと捨てるものも」
「点検は?」
「台車を使う前に、車輪と止め具を見る」
紙へ書く。
事故が起きた時間。
場所。
作業していた者。
使っていた道具。
起きたこと。
考えられる原因。
次に同じことを起こさないための方法。
書き終えても、職人の腕は治らない。
「治療院へ行ってくる」
マードックが言った。
町の治療院は、工房から歩いて十五分ほどの場所にあった。
中へ入ると、薬草の匂いがした。
怪我をした職人は寝台に横たわっている。
腕には二本の板が添えられ、布で固定されていた。
「どうだ?」
マードックが聞いた。
「しばらく仕事は無理だ」
治療師が答えた。
白髪の混じった、小柄な女だった。
「骨は戻した。だが、くっつくまでは動かせない」
「治癒魔法は?」
「使った」
「なら、すぐ治るんじゃないのか?」
治療師はマードックの左肩を見る。
冒険者だった頃についた古い傷が残っている。
「お前の傷は、すぐに治ったか?」
「いや」
「治癒魔法は傷を消す魔法じゃない。血を止め、痛みを和らげ、身体が治ろうとするのを助ける」
「骨は?」
「本人の身体が繋ぐ」
「どのくらいかかる?」
「一月で済めば早い方だ」
マードックは固定された腕を見る。
板の形が、腕に合っていない。
肘の近くに隙間がある。
手首のところでは、布が強く食い込んでいた。
「その板、合ってないな」
「人の腕は一本ずつ違う」
治療師が答える。
「使える板の中から近いものを選んだ」
「作ればいい」
「怪我をするたびにか?」
「すぐ作れる」
マードックは腕の長さを測った。
太さを測る。
曲がっている部分へ触れないよう、紙に形を写す。
工場へ戻り、薄い木材を選んだ。
内側を削る。
腕の形に合わせて曲げる。
肌に触れる場所には、柔らかい布を張る。
重くならないよう、必要のない部分を抜く。
錬金窯を使えば、同じ厚さに整えられる。
だが、形は一つにしなかった。
怪我をした職人の腕に合わせた。
治療院へ持っていく。
治療師が古い板を外し、新しい固定具を当てた。
「痛むか?」
「さっきより楽です」
「指は動く?」
職人が指を動かす。
色を見る。
冷たくなっていないか確認する。
布の締め方を変える。
「これなら使える」
治療師が言った。
「もっと作るか?」
「同じものはいらん」
「なんでだ?」
「次の患者には合わない」
「大きさを何種類か用意する」
「太さは?」
「それも分ける」
「折れる場所は?」
「……それも」
「右腕と左腕は?」
マードックは黙った。
治療師が笑った。
「椅子の脚とは違うぞ」
「分かってる」
「本当か?」
「今分かった」
人間の身体は、一人ずつ違う。
同じ人間でも、右と左で違う。
大人と子供で違う。
男と女で違う。
同じ場所を怪我しても、折れ方が違う。
腫れ方も違う。
痛みも違う。
「じゃあ、作り方を決める」
マードックが言った。
「形じゃなくて?」
「ああ」
腕を測る。
怪我の場所を確認する。
紙へ形を写す。
必要な長さに切る。
身体へ合うように曲げる。
肌に触れる場所を柔らかくする。
固定した後も、指の色と動きを見る。
「これなら、別の腕にも使える」
治療師は固定具を見た。
「作る者が、怪我を理解していればな」
「教えてくれ」
「何を?」
「骨折した腕に、何をしていいか。何をしたら駄目か」
治療師の目が細くなる。
「お前が治療するつもりか?」
「固定具を作る」
「同じことだ」
「違う」
「患者に触れるなら、同じだ」
マードックは反論しようとした。
だが、言葉が出なかった。
柱なら、失敗しても建てる前に壊せる。
梁なら、重りを載せて試験できる。
車輪なら、壊れるまで回すこともできる。
人間にはできない。
少し試す。
駄目なら作り直す。
それでは遅いことがある。
「治療師が指示する」
マードックは言った。
「俺たちは、その指示に合わせて作る」
「勝手に変えないか?」
「変えない」
「便利だからと、余計な穴を開けないか?」
親方に言われたことを思い出す。
マードックは固定具を見た。
「必要なら変える」
「誰が必要だと決める?」
「治療師だ」
白髪の治療師は、しばらくマードックを見ていた。
「なら、次も頼むかもしれない」
「骨折か?」
「それだけじゃない」
治療師は棚から、古い木箱を下ろした。
中には、形の違う板や布が入っている。
指を固定する細い板。
脚を支える長い板。
首を動かさないための厚い布。
歩けない者が使う杖。
欠けた歯の代わりに入れる小さな金属。
「治すのは身体だ」
治療師が言った。
「だが、治るまで支える道具はたくさんいる」
マードックは箱の中を見る。
どれも小さい。
家の柱より小さい。
家具よりも小さい。
最初に作っていた錬金術の品と比べても、珍しいものではない。
それでも。
一つ間違えれば、人の身体を傷つける。
「面倒だな」
マードックが言った。
「やめるか?」
「いや」
固定具をつけた職人が、寝台で眠っている。
事故が起きる前と同じ腕には戻せないかもしれない。
それでも、できることはある。
「面倒だから、やる」
マードックは木箱を持ち上げた。
五年目。
マードック錬金工房は初めて、人間の身体に使うものを作り始めた。
ただし。
何を作るかを決めたのは、錬金術師ではなかった。




