四年目 建築 4
小屋が完成した。
壁がある。
床がある。
屋根がある。
扉も窓もついている。
「できたな」
マードックが言った。
「小屋がな」
親方が答える。
「次は家だ」
「誰の家を建てる?」
「注文を取る」
「その前に雨を待て」
完成した小屋を前にして、マードックは空を見上げた。
よく晴れている。
「雨が降らなかったら?」
「降るまで待て」
「水をかければいい」
「屋根だけ濡らしてどうする」
「雨と同じようにかける」
「風は?」
「魔法で起こす」
「一晩中か?」
「……待つか」
三日後。
雨が降った。
マードックたちは小屋の中にいた。
屋根を叩く音がする。
壁にも雨が当たっている。
「漏れてないな」
ギルバードが天井を見上げた。
「まだ分からん」
親方が答える。
「もう雨は降ってますよ」
「水が入ってくる場所と、落ちる場所が同じとは限らん」
しばらく待つ。
天井は濡れない。
壁も濡れない。
窓の周囲も問題ない。
「成功だな」
マードックが扉へ向かった。
「待て」
親方が止める。
「まだ何かあるのか?」
「床を見ろ」
隅の方に、小さな水たまりができていた。
天井から落ちた水ではない。
扉の下から入ってきている。
外へ出る。
小屋の前に水が溜まっていた。
地面を流れてきた雨水が、扉の下へ集まっている。
「地面か」
マードックが言った。
「家は地面に立つ」
親方が言った。
「またそれか」
「お前が忘れるからだ」
小屋の周囲に溝を掘った。
水が建物から離れる方向へ流れるようにする。
入口には小さな段差をつけた。
次の雨では、水は入らなかった。
「今度こそ完成だな」
「ああ」
ようやく親方が認めた。
完成した小屋は、道具置き場として使われることになった。
棚を入れる。
台車を置く。
縄と滑車を壁へ掛ける。
どこに何を置くかは、ローレライが決めた。
「縄はこっち」
「巻き上げ機の部品は?」
「隣」
「木材は?」
「外の保管場所」
「遠くないか?」
「ここに入れたら台車が通れないでしょう」
「少しくらいなら」
「駄目」
床には、物を置いてよい場所が描かれた。
台車が通る場所。
人が歩く場所。
材料を一時的に置く場所。
「線まで引くのか?」
親方が聞いた。
「置く場所を決めないと、マードックがその辺に置くから」
ローレライが答える。
「なるほど」
「納得するな」
道具小屋ができると、加工場が少し広くなった。
広くなったはずだった。
数日後には、また狭くなった。
「なんでだ?」
マードックが言った。
「作るものが増えたからですよ」
ギルバードが答える。
家に使う柱と梁。
壁板。
床板。
扉。
窓枠。
屋根の下地。
種類ごとに分けて置く。
処理前の木材。
乾燥中の木材。
加工済みの部材。
確認を終えた部材。
同じ木材でも、状態が違う。
「どれが終わってる?」
マードックが聞いた。
「分かりません」
「作ったやつは?」
「昨日の分までです」
「昨日作ったのはどれだ?」
ギルバードが周囲を見る。
似たような柱が並んでいる。
印はついている。
だが、誰がつけた印か分からない。
「これじゃないですか?」
「本当か?」
「多分」
親方が木槌を置いた。
「多分で家を建てるな」
結局、一本ずつ確認し直すことになった。
寸法を測る。
表面を見る。
魔力処理の記録を調べる。
継ぎ手の形を確認する。
二日かかった。
「二度手間だな」
「最初から分けておけば一度で済んだのよ」
ローレライが言った。
次の日。
加工場に札が増えた。
処理前。
乾燥中。
加工待ち。
確認待ち。
完成。
不合格。
材料は、決められた場所へ置く。
次の作業へ進むときは、札と一緒に移動する。
誰が作ったか。
いつ作ったか。
どの窯を使ったか。
確認したのは誰か。
紙にも残す。
「また書類が増えた」
マードックが言った。
「間違えるよりはいいでしょう」
「覚えておけばいい」
「全員が?」
「……無理だな」
加工場で働く者は、すでに十人を超えていた。
全員の仕事を、マードック一人が見ることはできない。
木材を選ぶ者。
乾燥させる者。
寸法を測る者。
窯を操作する者。
継ぎ手を確認する者。
部材を運ぶ者。
得意な仕事も違う。
経験も違う。
「なら、仕事を分ける」
マードックが言った。
「今も分かれてますよ」
ギルバードが答える。
「もっとはっきり分ける」
窯を操作してよい者。
完成品を確認してよい者。
巻き上げ機を動かしてよい者。
吊り上げ作業の合図をしてよい者。
仕事ごとに必要なことを教える。
できることを確認する。
確認できた者だけが、その仕事をする。
「面倒だな」
「でも、誰が何をできるか分かります」
「俺は全部できるぞ」
「本当に?」
ローレライが聞いた。
「できる」
「片づけは?」
「それは仕事じゃない」
「不合格ね」
「なんでだよ」
錬金術協会へ相談すると、ブラウンは黙って書類を読んだ。
読んでいる間に、カールが口を挟む。
「窯を操作するだけなら、錬金術師でなくてもできますよね」
「手順を覚えればな」
マードックが答える。
「なら、職人に任せられます」
「魔力量の調整は必要だ」
「調整方法を目盛りにすればいい」
「材料によって変わる」
「材料ごとの表を作る」
話を聞いていたルドウィックが、顔をしかめた。
「錬金術を誰にでも使わせるつもりか」
「窯を使うだけだ」
「それが錬金術だろう」
「違う」
マードックは答えた。
「錬金術師が自分の技量で作るのと、決められた手順で窯を動かすのは別だ」
「何が違う?」
「できる範囲を決める」
「範囲?」
「この材料を、この形にする。決められた魔力量を超えない。異常があったら止める。勝手に条件を変えない」
「それで錬金術師と同じものが作れると?」
「同じものを作るためにやるんだ」
ルドウィックは黙った。
ブラウンが書類を机へ置く。
「操作する者には、何を教える?」
「窯の使い方」
「それだけか?」
「材料の違い。魔力量。止め方」
「事故が起きた場合は?」
「近づかない。魔力を切る。責任者を呼ぶ」
「責任者とは誰だ?」
マードックは考えた。
今までは自分だった。
だが、加工場が増えれば、自分一人では足りない。
「窯ごとに決める」
「誰でもよいのか?」
「経験が必要だな」
「誰が経験を確認する?」
「……協会?」
ブラウンがため息をついた。
「仕事を増やしに来たのか」
「相談に来た」
「同じことだ」
協会と大工組合で、何度も話し合いが行われた。
窯を扱うための教育。
建築部材を作るための手順。
完成品の確認方法。
吊り上げ設備の使い方。
現場での合図。
異常があった場合の停止。
守れなかった場合は、作業させない。
知識だけでなく、実際にできることを確認する。
一度できれば終わりではない。
定期的に、もう一度確認する。
「そこまで必要か?」
マードックが聞いた。
「必要だ」
親方が答えた。
「昨日できたことが、今日もできるとは限らん」
「忘れるからか?」
「慣れるからだ」
「慣れた方が上手くなるだろ」
「上手くもなる。雑にもなる」
その言葉に、マードックは反論できなかった。
慣れれば早くなる。
考えなくても手が動く。
だからこそ、確認を飛ばす。
少しくらい大丈夫だと思う。
縄の傷を見落とす。
合図を待たずに動かす。
「技術が足りない者より、慣れた者の方が危ないこともある」
親方が言った。
「面倒だな」
「それでいい」
「何が?」
「面倒だと思うくらいでちょうどいい」
やがて、一軒目の家を建てることになった。
町の外れに住む若い夫婦の家だった。
大きな家ではない。
部屋は二つ。
台所。
小さな物置。
それでも、小屋とは違う。
中で人が暮らす。
工房では、部材が順番に作られた。
材料を選ぶ。
乾燥させる。
加工する。
確認する。
札と記録が、部材と一緒に移動する。
完成したものは台車へ載せる。
決められた順番で現場へ運ぶ。
地面を整える。
土台の石を据える。
柱を立てる。
梁を上げる。
合図が飛ぶ。
「上げろ!」
巻き上げ機が動く。
「止めろ!」
梁が止まる。
誰も吊られた部材の下には入らない。
縄を見る者がいる。
柱を見る者がいる。
合図を出す者がいる。
マードックは全体を見る。
以前なら、自分で窯を動かした。
自分で材料を運んだ。
自分で組み立てようとした。
今は違う。
多くの人間が、それぞれの仕事をしている。
「お前、何もしてないな」
親方が言った。
「見てる」
「楽になったか?」
「忙しい」
「何もしてないのに?」
「何か起きないか見てると、手を動かすより疲れる」
親方が笑った。
数週間後。
家が完成した。
若い夫婦が扉を開ける。
床を歩く。
窓を開ける。
壁へ触れる。
妻の方が、小さく笑った。
「暖かい」
壁の間には、細かく砕いた植物繊維を詰めていた。
燃え広がりにくいよう、錬金窯で処理してある。
かまどの周囲には、木材ではなく石と焼いた板を使った。
屋根裏には空気が通る隙間を作った。
雨。
風。
寒さ。
火。
人が暮らす間に起こることを考えた。
完璧ではない。
だが、今までより安全で、直しやすい家になった。
「これ、本当に錬金術で作ったんですか?」
夫が聞いた。
「一部は」
マードックが答える。
「残りは?」
「大工が作った。職人が運んだ。みんなで組み立てた」
「では、誰の家なんでしょう?」
マードックは完成した家を見る。
「あなたたちの家だ」
夫婦が顔を見合わせた。
そして、もう一度笑った。
帰り道。
セドリックはギルバードに肩車されていた。
「おうちできたね」
「ああ」
「おとうさんが作ったの?」
「みんなで作った」
「おとうさん、なにしたの?」
マードックは答えようとした。
窯を作った。
図面を描いた。
失敗した。
仕組みを考えた。
人を集めた。
仕事を分けた。
記録を作った。
どれも家の一部ではある。
だが、完成した家のどこを見ても、マードックの名前は書かれていない。
「楽をする方法を考えた」
「らくできた?」
セドリックが聞く。
マードックは少し考えた。
「前より忙しくなった」
セドリックが笑う。
ローレライも笑った。
四年目。
錬金窯は、物を作る道具ではなくなり始めていた。
材料が入り。
いくつもの工程を通り。
多くの人間が働き。
同じ品質の部材が作られる。
人が増えれば、役割が生まれた。
設備が増えれば、点検が生まれた。
危険が増えれば、決まりが生まれた。
技術が広がれば、教える者が必要になった。
それはもう、一人の錬金術師の工房ではなかった。
町の人々は、その場所を。
工場と呼ぶようになった。




