四年目 建築 2
翌朝。
年配の大工は、工房へ来るなり新しい加工場の図面を破った。
「何するんだ!」
「家の作り方を教えてほしいと言ったな」
「言った」
「なら、まず忘れろ」
破られた図面が、机の上に落ちる。
隣にいたギルバードが一歩下がった。
ローレライは少し離れた場所で見ている。
マードックは破れた紙を拾った。
「せっかく描いたのに」
「だから破った」
「どういう意味だ?」
「こんなものを見ながら話したら、お前は自分の考えに都合のいいことしか聞かん」
「そんなことはない」
「ある」
大工は即答した。
「大工組合で図面を見たとき、お前は一度も家のことを聞かなかった」
「聞いたぞ」
「どこを同じ寸法にできるか。どの部材を窯で作れるか。何人で組み立てられるか」
「大事だろ」
「家が、どうやって立っているかは聞いたか?」
マードックは黙った。
「立っているだろ」
「それが分かっていないと言ってるんだ」
大工は工房の柱を叩いた。
低い音がした。
「屋根は重い」
「知ってる」
「雨が降れば、もっと重くなる」
「そうだな」
「風は横から押す」
「ああ」
「地面は動く」
マードックは柱の根元を見る。
「動く?」
「乾けば縮む。雨が続けば緩む。寒くなれば凍る場所もある。どこに建てても同じだと思うな」
「地面まで考えるのか」
「家は地面に立つんだ。当たり前だろ」
大工は次に梁を見上げた。
「木も動く」
「木が?」
「乾けば縮む。湿れば膨らむ。曲がる。ねじれる。割れる」
「加工した後でも?」
「木を何だと思ってる」
「材料」
「木だ」
大工は作業台に置かれていた板を手に取った。
表面を見る。
端を見る。
指で撫でる。
「こいつはまだ乾ききってない」
「使えないのか?」
「使い方による」
「窯で乾かせばいい」
「急に乾かせば割れる」
「魔力で均等に乾かす」
「中までか?」
「ああ」
「一本ずつ違う木を、全部同じ力で?」
マードックは板を見た。
太さ。
水分。
木目。
切り出した場所。
確かに一本ずつ違う。
「調整すればいい」
「どうやって調整する?」
「それを今から考える」
大工は鼻を鳴らした。
「ようやく始められるな」
マードックは顔を上げた。
「何を?」
「家作りをだ」
年配の大工は、ガイウスと名乗った。
大工歴は三十五年。
家を建てる。
橋を直す。
荷車の荷台も作る。
冬になれば扉や窓の修理もする。
大工組合では若い職人へ仕事を教えていた。
「親方でいい」
そう言ったので、マードックたちも親方と呼ぶことにした。
親方が最初に始めたのは、小屋を建てることではなかった。
木を積むことだった。
「これでいいか?」
マードックが地面に板を並べる。
「駄目だ」
「どこが?」
「地面に置くな」
「少しくらいならいいだろ」
「下から湿る」
「じゃあ台に載せる」
「重ねるな」
「場所を取るだろ」
「間に細い木を挟め。風が通るようにしろ」
板を置く。
細い木を挟む。
その上に次の板を置く。
同じ作業を繰り返す。
「面倒だな」
「腐った柱で家を建てるよりは楽だ」
「窯に入れれば早い」
「入れる前に、何が起きるか試せ」
そこでマードックは、同じ木から切り出した板を十枚用意した。
一枚はそのまま乾かす。
残りは錬金窯へ入れる。
魔力の量を変える。
乾かす速さを変える。
板の向きも変える。
最初の板は、表面が割れた。
二枚目は反った。
三枚目は端が曲がった。
四枚目は一見きれいに仕上がった。
親方が木槌で叩く。
鈍い音がした。
「中が割れてる」
切ってみる。
中心近くに細い亀裂があった。
「見えないな」
「だから怖い」
親方は切断面を指さした。
「柱に使ってから割れたらどうする?」
「確認する方法を考える」
「全部切る気か?」
「切ったら使えないな」
マードックは腕を組んだ。
出来上がったものを見ただけでは分からない。
表面が同じでも、中まで同じとは限らない。
魔力を流してみる。
返ってくる感覚が、板ごとに少し違った。
だが、割れの違いなのか。
木目の違いなのか。
水分の違いなのか。
それだけでは判断できない。
「面倒だな」
「さっきからそればかりだな」
「楽をするために始めたからな」
「家を作るのに楽をするな」
「楽に作れて、壊れない方がいいだろ」
「先に壊れないものを作れ」
親方の言うことは正しかった。
正しいので腹が立つ。
試験は三日続いた。
板を乾かす。
記録する。
切る。
中を見る。
曲げる。
叩く。
折れるまで力をかける。
同じように処理したはずの板でも、壊れ方が違った。
節の近くから割れるもの。
木目に沿って裂けるもの。
大きく曲がってから折れるもの。
ほとんど曲がらずに折れるもの。
「同じにならないな」
「木だからな」
「同じ寸法にはできる」
「形だけ揃えても、強さは揃わん」
「じゃあ、弱い方に合わせる」
親方の手が止まった。
「何?」
「強さが違うなら、一番弱いものでも壊れない太さにする」
「太くすれば材料が増える」
「家が潰れるよりはいい」
「運ぶのも重くなるぞ」
「そこは別に考える」
親方はしばらくマードックを見た。
「お前、本当に元魔導師か?」
「そうだ」
「魔導師はもっと力任せだと思っていた」
「力任せにやって死にかけたから、冒険者を辞めた」
「なるほどな」
親方は初めて笑った。
木材の処理方法が決まるまで、さらに五日かかった。
乾燥は一度に行わない。
最初に弱い魔力で全体を温める。
少し休ませる。
板の状態を確認する。
向きを変える。
もう一度、弱い魔力を流す。
早くはなった。
だが、マードックが最初に考えていたほど早くはない。
「一度で終わらせたいな」
「割れてもいいなら終わるぞ」
「よくない」
「なら待て」
待つ。
確認する。
また待つ。
錬金窯を使っているのに、すぐには完成しない。
マードックは不満だった。
ローレライは安心していた。
「あなたが待つことを覚えるなんてね」
「待つだけなら誰でもできる」
「あなたはできなかったでしょう」
「必要なら待つ」
「少しは成長したのね」
「最近よく言われるな」
処理した木材を使い、ようやく小屋の柱を作ることになった。
親方は二本の柱を並べる。
片方は、これまで使われてきた形。
もう片方は、マードックが図面に描いた形。
同じ太さ。
同じ長さ。
違うのは、梁を受ける部分だった。
マードックの柱には、四方向すべてに同じ穴が開いている。
どの向きでも梁を差し込めるようにした。
「便利だろ」
「弱くなる」
親方が言った。
「なんで?」
「穴を増やしたからだ」
「使わない穴は塞ぐ」
「塞いでも、一度切った木は元に戻らん」
「錬金術で繋げる」
「最初から切るな」
「向きを考えずに使える方が楽だ」
「家の柱に裏表も向きもないと思うな」
親方は柱を倒した。
木目を指でなぞる。
「力を受ける向きがある」
次に梁を置く。
柱へ差し込む部分を見せる。
「継ぎ目は同じ形ならいいわけじゃない」
「組み合えばいいだろ」
「抜ける」
「留め具を使う」
「緩む」
「錬金術で固定する」
「直せなくなる」
マードックは黙った。
去年、自分で言ったことだった。
傷んだところを交換できるようにする。
すべてを繋げてしまえば、外せなくなる。
「じゃあ、どうする?」
親方は別の継ぎ手を見せた。
梁の端は単純な四角ではない。
柱の穴へ差し込み、上から木の栓を打つ。
引いても抜けない。
だが、栓を外せば分解できる。
「面倒な形だな」
「必要だからこうなった」
「窯なら作れる」
「手でも作れる」
「窯なら同じ形で何本も作れる」
「それは好きにしろ」
親方は二つの継ぎ手を並べた。
「ただし、これを勝手に変えるな」
「もっと簡単にできるかもしれない」
「簡単にしてもいい。弱くならないことを確かめてからだ」
また試験が始まった。
柱と梁を組む。
横から力をかける。
重りを吊るす。
揺らす。
外す。
もう一度組む。
何度も繰り返す。
最初の継ぎ手は抜けた。
次は割れた。
三つ目は外せなくなった。
四つ目は組み立てる途中で木の栓が折れた。
「手で作った方が早くないですか?」
ギルバードが聞いた。
「今はな」
「これ、楽になるんです?」
「同じ失敗をしなくなれば」
「いつです?」
「まだ分からない」
「またですか」
失敗した部材が、加工場の隅へ積まれていく。
その横でセドリックが木片を並べていた。
「なに作ってる?」
マードックが聞く。
「おうち」
「それは壁か?」
「ちがう」
「屋根?」
「おうち」
子供にしか分からない形だった。
それでもセドリックは満足そうだった。
木片を一つ載せる。
崩れる。
もう一度載せる。
また崩れる。
三度目は、下の木片を少し離した。
その上に長い木片を置く。
今度は崩れなかった。
「できた」
「なるほど」
セドリックの家は、柱が二本。
その上に梁が一本。
それだけだった。
だが、立っている。
マードックは試験中の柱を見た。
複雑にしすぎていた。
どの向きでも使える。
誰でも間違えない。
一つの部材を何か所にも使える。
便利にしようとして、穴と継ぎ目を増やしていた。
「親方」
「何だ」
「柱を二種類に分ける」
「なぜだ?」
「角に使う柱と、途中に使う柱で受ける力が違う」
親方がうなずく。
「続けろ」
「全部同じにすると、使わない穴が増える。弱くなる」
「ああ」
「だから役割ごとに分ける」
柱を二種類。
梁を二種類。
継ぎ手も、それぞれに合わせる。
部材の数は増える。
だが、形は単純になる。
必要なところだけ加工できる。
強さも残せる。
親方は新しい図面を見た。
「最初よりはましだ」
「褒めてるのか?」
「最初がひどすぎた」
「厳しいな」
「家だからな」
新しい部材を作った。
組み立てる。
重りを吊るす。
横から引く。
揺らす。
一度外す。
もう一度組む。
壊れない。
抜けない。
外そうと思えば外せる。
親方が木槌を置いた。
「これなら、小屋には使える」
ギルバードが笑った。
「やっとですね」
「ああ」
マードックは並べられた柱と梁を見る。
すべて錬金窯で同じ形に加工されている。
だが、同じものではない。
使う場所に合わせて種類が分かれている。
木の状態も一本ずつ確認した。
形を揃えるだけでは足りない。
強さを揃えようとしても、完全には揃わない。
だから、違いがあっても壊れないようにする。
「じゃあ建てるか」
マードックが言った。
親方は首を横に振った。
「まだだ」
「部材はできたぞ」
「地面ができていない」
「地面?」
「最初に言っただろう」
親方は、小屋を建てる予定の場所を指さした。
昨夜、雨が降った。
そこには小さな水たまりができていた。
「家は地面に立つ」
マードックは水たまりを見る。
泥の中へ足を入れる。
靴が沈んだ。
「……ここに柱を置いたら?」
「沈む」
「石を置けば?」
「傾く」
「大きな石なら?」
「運んでみろ」
少し離れた場所に、土台へ使う予定の石が並べられていた。
一つで、大人二人でも持ち上がらない重さがある。
マードックは石を見る。
次に、完成した柱と梁を見る。
木材は台車で運べた。
だが、石は簡単には動かない。
空へ浮かせる魔法はない。
錬金窯も、向こうから歩いてきてはくれない。
「ギルバード」
「はい」
「滑車を増やすぞ」
「何個です?」
「分からない」
「またですか」
「今から試す」
マードックは笑った。
家を作る前に、まず家を作る場所を作らなければならない。
そして、そのためには。
重い石を運ぶための設備が必要だった。




