四年目 建築 1
四年目。
マードックは、自分の工房を壊していた。
「おとうさん」
セドリックが、崩された壁を見上げる。
「おう」
「こわれたの?」
「壊した」
「なんで?」
「狭いから」
セドリックは少し考えた。
「なおす?」
「広くする」
「なんで?」
「狭いから」
「さっききいた」
「そうだったな」
三歳になったセドリックは、よく喋るようになった。
そして、よく聞く。
何をしているのか。
どうしてそうするのか。
それは何に使うのか。
答えても、また聞く。
「いつできる?」
「まだ分からない」
「なんで?」
「作ったことがないから」
「なんで?」
「普通は作らないから」
「なんで?」
マードックは手を止めた。
「ローレライ」
「なに?」
「助けてくれ」
「自分で答えなさい」
少し離れた場所で、ローレライが笑っている。
その隣ではギルバードが柱を運んでいた。
「これ、どこへ置きます?」
「そっち」
「そっちって?」
「新しい壁の横」
「新しい壁はまだありませんよ」
「じゃあ、その辺」
「その辺に置くと邪魔になります」
「なら邪魔にならないところ」
「どこですか?」
マードックは周囲を見回した。
取り外した板。
切り出した柱。
運び込まれた石材。
錬金窯の交換部品。
滑車。
縄。
台車。
加工場の周囲は、どこを見ても物で埋まっている。
「置くところがないな」
「だから聞いてるんです」
「広くしないと駄目だ」
「広くするために壊してるんですよね?」
「そうだ」
「その材料を置くために、先に広い場所が必要です」
「なるほど」
「今気づいたんですか?」
ギルバードが呆れた顔をする。
マードックは壊しかけの工房を見た。
大きな材料を扱うには、今の加工場では狭い。
だから壁を外し、屋根を延ばそうとした。
だが、そのためには大量の材料が必要になる。
材料を保管するには場所がいる。
加工するにも場所がいる。
完成した柱や梁を並べておく場所もいる。
「工房を広くするための工房が必要だな」
「嫌な言い方ね」
ローレライが言った。
「でも必要だろ」
「必要だとしても、先に相談してほしかったわ」
「相談したぞ」
「昨日の夕食のときに、『明日、壁を外す』って言っただけでしょう」
「反対しなかった」
「冗談だと思ってたのよ」
「俺は本気だった」
「それが問題なの」
ローレライは、壁のなくなった工房を見る。
朝までは、そこに棚があった。
作業台があった。
窓もあった。
今は何もない。
「今夜、雨が降ったらどうするの?」
「降るのか?」
「知らないわよ」
マードックは空を見上げた。
少し曇っている。
「急いだ方がいいな」
「そういう話じゃないわ」
結局、その日は工房を広げるのではなく、外した壁を元へ戻す作業で終わった。
翌朝。
マードックは工房の前に大きな紙を広げた。
「今回は先に考える」
ローレライが紙を見る。
「何を?」
「必要なもの」
紙には、いくつかの四角が描かれていた。
現在の工房。
加工場。
材料置き場。
完成品置き場。
その横に、さらに大きな四角がある。
「これは?」
「新しい加工場」
「大きすぎない?」
「柱や梁を扱うなら、これくらい必要だ」
「こっちは?」
ギルバードが、紙の端に描かれた細長い線を指さした。
「道」
「道?」
「材料を運ぶ」
「今も道はありますよ」
「狭い」
今まで扱ってきた材料は、人が持てる大きさが多かった。
重いものは荷車で運んだ。
それでも家具や道具なら、どうにかなった。
だが、家に使う柱や梁は長い。
一本なら運べる。
何本も運ぶなら話が変わる。
曲がり角が狭ければ通れない。
地面が柔らかければ車輪が沈む。
加工場へ入れるにも、出口が狭ければ詰まる。
「建物だけじゃないのね」
「ああ」
マードックは紙へ線を足した。
「材料が入ってくる」
入口に矢印を描く。
「ここで長さを確認する」
四角を描く。
「切る」
次の四角。
「削る」
その隣。
「錬金窯で処理する」
さらに隣。
「確認する」
最後に大きな四角を描いた。
「保管する」
ローレライが紙を見る。
「ずいぶん長い建物ね」
「材料を戻さなくて済むようにした」
「戻す?」
「今は同じ場所で切って、削って、窯へ運んで、また作業台へ戻してるだろ」
「そうね」
「重い材料で何度もやりたくない」
ギルバードがうなずいた。
「一方向に進めるんですね」
「ああ」
「それなら台車も同じ向きに動かせます」
「床も平らにした方がいいな」
「途中に段差があると危ないですからね」
マードックは紙へ書き加える。
平らな床。
広い入口。
台車が通れる幅。
材料を持ち上げる滑車。
長いものを回せる空間。
雨に濡れない保管場所。
書けば書くほど、建物は大きくなった。
「家を作るための設備ですよね?」
ギルバードが聞いた。
「そうだ」
「家より大きくないですか?」
「何軒も作るからな」
「何軒作るんです?」
マードックは黙った。
まだ一軒も頼まれていない。
そもそも家を作れるのかも分からない。
「まず一軒」
「誰の家です?」
「決めてない」
「注文は?」
「ない」
「勝手に設備を作ってるんですか?」
「試してから注文を取る」
「試す家は誰のです?」
マードックは周囲を見た。
自宅。
工房。
加工場。
どれも今すぐ建て替える必要はない。
少し離れたところに、小さな小屋がある。
道具と薪を置いているだけの古い小屋だった。
「あれにしよう」
「家じゃないですよ」
「小屋が作れれば、家も作れる」
「だいぶ違うと思います」
「大きさが違うだけだ」
「それが一番大きな違いでは?」
ギルバードの言葉を聞き流し、マードックは小屋の寸法を測り始めた。
幅。
奥行き。
高さ。
柱の本数。
梁の長さ。
屋根の傾き。
使われている板の厚さ。
調べてみると、家具とは違うことが多かった。
椅子なら、壊れても座っている人が転ぶ程度で済む。
棚なら、載せたものが落ちる。
だが建物は違う。
柱が折れれば、屋根が落ちる。
壁が外れれば、雨や風が入る。
床が抜ければ、人が怪我をする。
火が出れば、中にいる人が逃げられなくなる。
「思ってたより面倒だな」
「今さらやめてもいいのよ」
ローレライが言った。
「いや」
マードックは古い小屋の柱を叩いた。
「面倒なところが分かったなら、先に考えられる」
腐っている場所。
水が染みた跡。
虫に食われた穴。
継ぎ目の緩み。
建てたときには問題がなくても、使っているうちに傷んでいく。
家具も同じだった。
だが、家は長く使う。
一度作れば、何年も。
場合によっては、作った人間より長く残る。
「窯で形を作れば終わりじゃないな」
「当たり前でしょう」
「材料も選ばないと駄目だ」
「そうね」
「どこに使うかで、処理も変える必要がある」
「そうね」
「交換できるようにした方がいいな」
ローレライが眉をひそめた。
「家を?」
「家じゃない。傷んだところを」
マードックは柱を見る。
すべてを一つにしてしまえば、丈夫にはなるかもしれない。
だが、一か所が傷んだときに困る。
直すために家全体を壊すわけにはいかない。
柱。
梁。
壁。
床。
屋根。
役割ごとに分ける。
必要なところだけ外せるようにする。
同じ寸法で作れば、別の場所で作った部材とも交換できる。
「三年目にやったことと同じですね」
ギルバードが言った。
「そうだな」
「規格」
「ああ」
「家具より数が増えますね」
マードックは紙を見る。
柱だけではない。
梁。
板。
扉。
窓。
留め具。
屋根材。
一軒の小屋でも、多くの部材が必要になる。
家なら、もっと増える。
「全部決めるのは無理だな」
「諦めます?」
「揃えた方が便利なものだけ揃える」
ギルバードが笑った。
「普通ですね」
「普通になるまでが大変なんだよ」
まずは柱と梁。
次に壁板と床板。
屋根は後で考える。
マードックは図を描き直した。
同じ太さの柱。
決められた長さの梁。
組み合わせるための継ぎ目。
錬金窯で一体化させるのではなく、現場で組み立てられる形。
「窯で家を作るんじゃないのね」
ローレライが言った。
「入らないからな」
「大きな窯を作ると思ってたわ」
「考えた」
「考えたの?」
「でも、家が入る窯を作るには、窯を作る建物が必要になる」
「家より大きな?」
「ああ」
「その建物はどうやって作るの?」
「それを考えて、やめた」
ローレライが安心したように息を吐いた。
「少しは成長したのね」
「だから、部品を作る」
「結局作るのね」
マードックは図を持ち上げた。
工房で作る。
台車で運ぶ。
現場で組み立てる。
窯に入らないなら、入る大きさに分ければいい。
問題は、その先だった。
「これ、誰が組み立てるの?」
ローレライが聞いた。
「俺たち」
「家を建てたことがあるの?」
「ない」
「ギルバードは?」
「ないです」
二人の視線がマードックへ集まる。
「なら、知ってる人に聞こう」
その日の午後。
マードックは町の大工組合を訪ねた。
図面を抱えたマードックを見て、受付の男が言った。
「今度は何を作る気だ?」
「小屋」
「帰れ」
「まだ説明してないだろ」
「錬金術師が図面を持って大工組合へ来た時点で、嫌な予感しかしない」
「よく言われる」
「だろうな」
男は図面を受け取った。
しばらく見る。
一枚めくる。
また見る。
やがて、深いため息をついた。
「これは小屋の図面じゃない」
「小屋を作る設備の図面だ」
「もっと悪い」
男は図面を机へ置いた。
「大工を呼べ。腕がよくて、気が長くて、錬金術師が嫌いなやつ」
「最後の条件は必要か?」
「絶対に必要だ」
奥から、低い声が返ってきた。
「そんな大工なら、ここにいる全員だ」
マードックが振り返る。
太い腕をした年配の男が、こちらを睨んでいた。
その視線が、机の上の図面へ落ちる。
「家を、部品にするつもりか」
「駄目か?」
「駄目かどうかを決めるのは、作ってからじゃ遅い」
男は図面を一枚持ち上げた。
「まず、お前に家の作り方を教える」
「助かる」
「勘違いするな」
紙が音を立てた。
「お前が何を壊そうとしているのか、先に理解させるためだ」
マードックは笑った。
「それでいい」
四年目。
マードックは初めて、自分よりも家に詳しい人間と仕事をすることになった。
そして、自分が知らないことの多さを知ることになる。




