2-3 みんな甘いお菓子が好き
轟音寺を後にし、自宅へ帰り着いたセイゲンたちを修羅場が待っていた。目を吊り上げたフブキが玄関で仁王立ちだったのだ。
「え……と、ユキさん、ちょっと怒ってる?」
おそるおそるセイゲンが訊ねると、返ってきたのは「ちょっとどころじゃないけどね」という厳しい言葉だった。
腕組みをしてフブキは続ける。
「轟音寺へ行ったんだって? ねえ、何で自分たちだけで勝手に動いたの? お姉ちゃんもホシヒコもさ。あたしってそんなに頼りにならない?」
『待ってフブキ。どうしてそのことを知ってるのかな』
まだ椎葉が帰宅していないのを確認してから、鞄の中からオリカが顔を出す。
たしかに彼女の疑問はもっともだ。セイゲンとオリカは話し合い、ひとまず自分たちだけで轟音寺を訪問しようと決めたのである。きょうだいたちの誰にもまだ伝えてはいなかった。
フブキは悪びれた様子もなく言い放つ。
「盗聴してたから。ホシヒコ、あんた無防備すぎ」
「ええ……?」
理不尽な叱責に、玄関先に立ったままのセイゲンとしても困惑するしかない。
「そもそもユキさん、盗聴器なんていったいどこで手に入れたのさ……」
「戦利品よ、戦利品」
聞けばとあるストーカー事件の依頼を解決した際、犯人が所持していた盗聴器をすべて押収したのだそうだ。
だからといって自分が実際に使用するのはいかがなものか、と感じたのはセイゲンだけではなかったらしい。
『ユキちゃん、そんなものを使うなんて。お姉ちゃんは怒ってるよ』
ぷんぷん、と擬音語をつけたくなるくらい全然怖くない怒り方なのだが、なぜかフブキはたじろいでいる。宙宮家の力関係が垣間見えた瞬間だった。
「だって、だって」
『だってじゃありません。ちゃんと反省して、セイゲンに謝って』
オリカは昔からこうやって母の代わりを務めてきたのだろうな、と想像できてしまう光景だ。
探偵事務所の応接間を兼ねている居間のテーブルを拭き上げていたハルクが、ここで初めて口を挟んできた。
「だいたいユキ姉はさ、今日は別の依頼人と約束があったんだから。どのみちついていくのは無理だっただろ」
「人の好さそうなおっちゃんだったよな」
キョウスケもうんうんと頷いている。どうやら本日の依頼人はすでに相談を終えて帰っていったようだ。
けれども相手が弟たちとなればフブキの勢いは復活した。
「今はそんな話していない!」
「じゃあ何の話だよ」
あきれた様子のハルクががっちりとした肩を竦めている。
保護者役を自任するセイゲンとしても、さすがにきょうだい間の諍いへ発展させてしまうわけにはいかない。
「一応、オリカと二人で出掛けたのには理由があるんだよ」
フブキの視線がこちらへ向けられたのを確認し、先を続けた。
「蓮川結さんが轟音寺でお世話になっていると聞いていたから、わだかまりのないぼくだけが訪ねた方がいいかと思ってね」
建前ではなく本心である。ただ、本質からは少し遠い。
何となくだが、セイゲンにはフブキが心の底に抱えている焦りのような感情が理解できる気がしていた。
大好きかつ尊敬している姉が、自分よりも恋人の方を頼りにしているんじゃないかという漠然とした不安。もしかしたらそこには蜃気楼のような劣等感さえ芽生えているかもしれない。
実際にかつてのセイゲンは劣等感の塊だった。囲碁の世界における自身の才能のなさに絶望し、それでも引き返せないでいた、あの頃。
院生時代に同期であった椎葉の背中はあっという間に見えなくなった。己だけが同じ場所でずっと足踏みし続けている焦燥感など、もう二度と御免だ。もちろん家族であるフブキにだって味わわせたくはない。
「ユキさんだけじゃなく他のみんなも、ついでに言えば蓮川結さんも、互いにどう接していいかわからない状況だと考えたんだ。でもその配慮が逆に傷つけてしまったのであれば謝る」
そう言ってセイゲンは深く頭を下げる。穏便に事を収めるための最適解だと信じて、ひたすら長く。
根比べに負けたような形でフブキの方が口を開いた。
「──いい加減に頭、上げなよ」
別にちょっと拗ねてみただけだし、とそっぽを向く。
どうやらフブキはいったん振り上げた拳を下ろしてくれたらしい。
セイゲンも安堵し、「ありがとうね」と告げてから足元へ手を遣った。ようやく靴を脱げるなと思ったからだ。
だがそのタイミングで玄関の扉が開く。と同時に素っ頓狂な声が上がった。
「わ、びっくり」
「椎葉か」
体を起こして振り返ってみれば、そこには椎葉が帰ってきている。気の早いことにダッフルコートを着込んでおり、すでに真冬同然の格好だ。
首を傾げながら彼が言う。
「玄関で何やってんの、九慈くん。ただでさえ背が高いんだから、こんなところに突っ立っていたら邪魔だよ」
「そうだよな。すまん」
慌てて靴を脱ぎ、セイゲンは椎葉のためにスペースを空けた。そして気づく。いつの間にか椎葉をこの家の一員だと受け入れてしまっていることに。
途端に苦々しい気持ちになりながらも、なるべく表情に出さないよう努める。
今日は囲碁関連のイベントに出席していたという椎葉は、手提げのブリーフケースを下ろしながら周囲を見回した。
「あれ、お取込み中?」
勢揃いしている宙宮家の面々を前にしてそう訊ねてきた彼に、すぐさま「もう片付いたよん」とキョウスケが応じる。
「あと今日はケーキをもらってるんだけど、椎葉くんもいけるでしょ?」
「もちろん。やっぱり疲れたときには甘いお菓子だよ。中でもケーキは格別さ」
気がつけば場の空気は随分と軽やかに変わっていた。
認めたくはないが、椎葉という部外者の存在は大きい。特にコミュニケーション能力に秀でているわけでもないのに、彼は自然とこの家に馴染んだ。
そんなことを考えているセイゲンの視線の先で、コートを脱いだ椎葉がハルクに声を掛けていた。
「ちなみにどこのお店なのかな」
「あの有名なパティスリー・シノンすよ。今日事務所に来られた依頼人の方が、わざわざ手土産として買ってきてくれたみたいで」
「地味な服装の、本当に普通のおっちゃんでさ」
お店で浮いてたんじゃないかな、とキョウスケが失礼なことを口にしている。ただ当人もそれは承知の上で手土産として選んだのだろう。
一方ですっかり落ち着いたフブキは、さっそく冷蔵庫の中へ手を伸ばしていた。
「ま、ケーキなんてあろうがなかろうが、依頼を受けた以上は誠実に応えるのが探偵ってものだから」
「なら数が足りなけりゃフブキ姉の分はなしで」
「はあ? そんな不公平が許されると思ってんの?」
じゃんけんよじゃんけん、と釘を刺しながら彼女が箱を開く。
続いてキョウスケとミコも中を覗き込む。
「あ、ラッキー。ジャスト六個ある」
「みんなの分だね」
無邪気に喜んでいる二人だったが、セイゲンは違和感を覚えた。
「六個って、それは少し変だね」
「ホシヒコもそう思う?」
同様に感じたらしいフブキが口元に手を遣り、何かを思案している。
対外的に長姉オリカは死んだとされている以上、宙宮家はフブキ、ハルク、キョウスケ、ミコの四人。そして九慈探偵事務所の名目上の責任者であるセイゲン。
事前に人数を調べて持参するのであれば五個が正解だ。居候である椎葉をカウントするはずがない。
だとすれば、一見普通そうだった依頼人が実は椎葉の存在を認識している線が浮上する。つまりこのケーキは彼を狙っての罠だ。
もちろん適当に見繕って購入しただけという可能性もある。セイゲンは椎葉に悟られないよう、流し目でショルダーバッグの中のぬいぐるみを見た。
ほんのわずかな動きでオリカは首を傾げる。どうやらはっきりとした魔力の痕跡が残されているわけではなく、彼女にも判断が難しいようだ。
だがフブキはすぐに決断を下した。
「ケーキを食べるのは中止。考えすぎかもしれないけど、不安が拭えない以上はうかつに行動するべきじゃない」
「えー!」
両手を広げた大きなアクションとともに、キョウスケが抗議の声を上げる。
「考えすぎだよユキ姉さん、それにセイくんも」
「本当にそう。パティスリー・シノンのプチガトーなんて、そうそうありつけるお菓子じゃないんだから」
真っ先に援護射撃をしたのは椎葉だ。
彼もケーキの入った箱へと近づき、中からモンブランを取りだした。
「見てよ、この美しさ。円錐型の整然としたクリームに、頂上に飾られた立派な一粒栗。どこにも隙が見当たらない芸術だよ」
熱弁を振るい、モンブランを顔の高さまで掲げる。
しかしその瞬間、天辺の栗から猛烈な勢いで白い霧が噴き出ていく。
あっという間に室内は自分の足元さえ見えなくなるほどの霧に覆われ、またしてもセイゲンたちは日常の生活から引き剥がされてしまった。




