1-3 椎葉の依頼
ぬいぐるみ姿のオリカは身じろぎ一つせず、状況を見守っている。
かつての旧友とはいえ、セイゲンと椎葉の関係はどうやらそう単純なものではないらしい。ならばオリカとしても秘密を明かしてしまうべきではない。
そのセイゲンがわかりやすく顔をしかめていた。
旧知の仲である椎葉が探偵事務所へ依頼を持ちこんでくるとは、彼の頭の片隅にもなかった状況なのだろう。
「あのな。悪いけど、おれは探偵じゃない」
ようやく絞りだした彼の声はずいぶんとしゃがれていた。
「え? でも看板に──」
椎葉が言いかけたが、それを遮ってセイゲンが続ける。
「単に名前を使ってもらっているだけで、本当の探偵は別にいるんだよ。でも今は席を外しているし、縁がなかったと思ってあきらめてくれ。で、どこか大手の探偵事務所にでも依頼しろ」
よほど早く退去してもらいたいのか、身振りを交えて「ほら帰った帰った」と椎葉へ席を立つよう促していた。
だがどうやら少し遅かったらしい。
先に玄関の扉が開き、外からフブキが戻ってきたのだ。
「ちょっとホシヒコ、あんた何勝手に依頼人を追い返そうとしてんのよ」
こうなってしまえばもはやセイゲンに決定権はない。椎葉へ説明した通り、名称こそ九慈探偵事務所となっているが、その主はフブキだからである。
靴を脱いで椎葉を一瞥したフブキが、にこりと笑みを浮かべた。
「どぉもぉ、当事務所にて探偵を務めております宙宮フブキと申します」
以後お見知りおきを、と挨拶を済ませる。ぎこちなかった彼女の営業スマイルもずいぶん板についてきた。
昔を思えば隔世の感がある。いつだって抜き身のナイフのように尖っていた妹が、着実に大人への階段を上っているのだ。姉冥利に尽きるというものであろう。
「じゃあさっそくお話を伺いましょうか。その前にハル、これを」
そう言ってフブキは買い物袋を弟へと手渡した。
中を覗きこんだハルクが「おはぎか、いいね」と顔を綻ばせている。どうやら少し足を延ばして隣町のおはぎ専門店で購入してきたらしい。
「じゃあお茶も淹れ直すよ」
「よろしくー」
ひらひらと手を振り、そのままフブキは椎葉の向かいに腰を下ろす。先ほどまでセイゲンが座っていた場所だ。
おはぎとお茶が揃う前に、椎葉が表情を変えずに話しだした。
「近頃ずっと、悪夢や幻覚に悩まされているんだ」
そこでいったん言葉を切り、探偵であるフブキの反応をうかがっている。
「続けて」
彼女に促されて再び椎葉は口を開いた。
「そうだね、たとえば悪夢だと、何局も続けて半目負けだったり、しょうもない大ポカをやらかして大事な対局を落としたりする。わかる? 寝覚めは最悪さ」
棋士にとってはよほどのことなのだろう。少し離れた場所で立ったままのセイゲンも、手を口に当てて「……吐きそう」と声に出している。やはり囲碁に人生を懸けた者同士、共感するところがあるらしい。
一方でフブキは冷静だ。
「なるほどね。あと幻覚というのはどのような?」
拙速な論評を避け、医師の問診のようにして話を進めていく。
「幻覚はそこまで大したことなくて。リビングルームへのドアを何度開けてもたどり着けないときがあったり、シャワー中に水がバレーボールくらいの球体になって浴室内を跳ね回ったりしたくらいでさ」
オリカからすればどう考えても非常事態だ。
しかしトップクラスのプロ棋士である椎葉にしてみれば、その程度の事柄など動揺を誘われるほどではないのかもしれない。金属製のメンタルなのだろうか。
ここはさすがにセイゲンが口を挟んだ。
「やっぱりおまえ、疲れているんじゃないのか? 十代でのタイトルホルダーともなれば、その細い肩にかかる重圧だって半端じゃないはずだ。そりゃ変なものを見たり、対局を避けたくなっても仕方ないだろ」
悪夢に幻覚、被害状況としては非常に主観的と言える。何者かによる作為を疑うより、セイゲンは原因を椎葉の心理面に求めたようだ。
ただし当の椎葉は、この見解に対して不満げな表情を浮かべた。
「見くびらないでよ、九慈くん。対局ならいつでもどこでも大歓迎だし、それを重荷に感じたことなんてない」
「そりゃすごい。おれなんて、プロ試験の間は毎日胃が痛かったよ」
嫌味なのか自虐なのかはオリカにもよくわからないが、胃のあたりを押さえて苦しんでいるセイゲンの様子は容易に想像できてしまう。
そしてここまでは聞き役に徹していたフブキが容赦なく斬って捨てた。
「トッププロと、プロになれなかった男の違いじゃない?」
妹らしい身もふたもない言い方だ。
それでもセイゲンは反論しようとはせず、寂しそうな笑みをかすかに浮かべただけだった。彼のそんな表情を見ると、オリカの胸の奥もきゅっと締まってしまう。
姉の恋人に対して辛辣なフブキだが、彼女は彼女で浮かない顔をしている。
「ただねえ、椎葉さん。力になれるかどうかは自信ないよ。だってこれ、探偵事務所向けの案件じゃないでしょ」
気乗りしていない様子のフブキに対し、椎葉も食い下がっていく。
「頼れるところはここしかないんだ。そもそも他の探偵事務所はほとんど門前払いだったからね。ここなら友人の九慈くんがいるだけで心強いし、オカルト案件にも対応できるって人づてに教えてもらったんだ」
これを聞いたセイゲンとフブキ、双方が顔をしかめていた。
感情が顔に出やすいところといい、この二人は意外に似た者同士じゃなかろうかと密かにオリカはにらんでいる。
「オカルト案件に強いって噂、出どころはどこだよ。ロジカルな探偵にオカルトは似合わないってのに。あーもう、仕方ないなあ」
ソファーの背もたれに体を預けたフブキが小さく息を吐いた。
「わかった、受ける。椎葉さんの今の話だと、悪夢や幻覚の原因を探れってことでいいんだよね? 心因性ではなく外部要因の線で」
「ありがとう!」
言質をとった、とばかりに椎葉が前のめりになる。
「お礼はいいよ、仕事だし。ただし調査の結果、原因不明で終わる可能性だってあり得るから、その心積もりはしておいて」
念を押すフブキだったが、椎葉の耳に届いているかどうかは心許ない。
「よかったあ。これでやっと食事が喉を通るよ」
うって変わって満面の笑みを浮かべた彼はキッチンへと視線を向けた。
「話がまとまったら、何だか小腹が空いてきたねえ。そろそろ先ほどのおはぎをいただけるかい?」
「すぐにでも」
ハルクもすでに準備万端である。依頼についてのトークが途切れるのを見計らっていたようで、声が掛かるや否や動きだす。
小ぶりなおはぎと新しいお茶を出され、ご機嫌な様子の椎葉の口調は滑らかだ。
「気になっていたんだけど九慈くん、まさかとは思うけど十五歳未満の子を働かせているわけじゃないよね? それだと立派な法令違反だよ?」
「余計なお世話だ。探偵を務めているユキさんは高校生だし、ここにいるのはみんなおれの家族で、住居をそのまま事務所として使っているだけさ」
あまりにも自然にセイゲンは言い切った。彼が心底そう思ってくれているのがオリカにはとてもうれしいし、眩しくもある。
しかし椎葉としても今のは単なる軽口のつもりだったらしい。
「家族か、なるほどね。君たちとってもいい雰囲気だもんね。ついでといったらおかしいけれど、しばらく僕もこちらでご厄介にならせてもらうよ」
「は?」
声を上げたのはセイゲンだけだったが、それ以外の全員が一斉に椎葉へ視線を向けた。もちろんオリカもだ。
お茶をすすってから再び椎葉が口を開く。
「自宅のマンションには調査が済むまで帰りたくないし、実家や師匠の家でお世話になるのも心苦しくてさ。だって何か起こったら迷惑が掛かるでしょ」
「何だその理屈。うちだって充分迷惑なんだが」
「うーん。九慈くんがいればどうにかなるって気がするんだよね」
先ほどから気になっていたが、セイゲンと椎葉とでは相手へ向ける感情に随分と差がある。邪険と表現してもいいくらいぞんざいに扱うセイゲンに対し、椎葉の方はやたらと慕っている素振りを見せてくるのだ。
男の子の間の友情はよくわかんないな、とオリカは半ば理解をあきらめ、先ほどまでと同様に成り行きを見守ることにした。
椎葉が立ち上がり、直立不動の姿勢から深々と頭を下げる。
「お願い。僕を助けると思って、ほらこの通り」
「おまえやめろ、おれ相手に頭を下げてどうする」
慌てふためくセイゲンとは対照的に、エプロンを付けたままのハルクは柔らかな口調で「受ければいいじゃないっすか」と椎葉への助け舟を出した。
「セイさん、おれらのことを気にしているのであればお構いなく」
「乗り掛かった舟というか、毒食わば皿までっていうか。いいじゃんいいじゃん」
キョウスケが兄の言葉に賛同を示せば、末っ子のミコも「楽しそうだし、ミコもいいよー」とにこにこしている。
残るは一人、フブキの回答を待つだけだった。
「そこも含めての依頼ってことみたいね。ま、仕方ないか」
手放しで受け入れたわけではないようだが、彼女にも異論はないようだ。
オリカとしてもこの展開は都合がよかった。椎葉が抱えている事情は別にして、彼については気になる点がある。
『セイ、ねえセイ』
さっそく椎葉は宙宮家のきょうだいたちに引っ張られ、リビング部分以外のスペースへと案内されていた。この機を逃すわけにはいかない。
「どうしたの、オリカ」
ぬいぐるみ姿のオリカに近づいてきたセイゲンが小声で訊ねてくる。
『覚えてる? さっきこの付近で濃厚な魔力を感じとったのを』
「そういやそうだった。椎葉のせいですっかり頭から飛んでたよ」
面目ない、と彼は頭を掻いた。
「でもうちの家には関係なさそうだね。このビルのどこかに、魔力の持ち主が潜んでいるってことなのかな。だとするとすぐに捜索しなきゃいけないか」
『あれ、椎葉くんだよ』
セイゲンからの返事はない。髪の毛に手をやったまま、目を大きく開いて固まってしまっていた。
驚くのも無理はないが、オリカも自身の嗅覚には絶対の自信がある。念を押すようにもう一度事実を告げた。
『椎葉くんなんだよ。彼、現代の人間としては破格の魔力を有しているみたい。本人はまったく自覚はできていないみたいだけど』
そう口にしながら、奥の部屋から出てきた椎葉たち五人を、オリカはぬいぐるみならではのプラスチックの瞳で見つめている。




