ハロー、ポップアップモンスター〈中編/共振〉
必死になって逃げる人々の波を縫うようにして、ドミカリフたち四人は街路を駆け続けた。全速力だ。
部下であるエジーンはともかく、ルブウとトルゴーの二人もきちんとついてきている。彼らが相当に鍛えられているのはどうやら間違いない。
「さて、そろそろ顔を拝めるはずだが……おっと」
ドミカリフが最後まで口にする必要はなかった。
ベイズの都をぐるりと囲う城壁の一部が破壊されており、そこから怪物が侵入しているのを確認できたからだ。すでにいくつもの建物が瓦礫と化した後である。
その瓦礫の跡の先頭に、報告通りの巨大な蜘蛛がいた。
ひとまず怪物と距離をとり、物陰に身を隠しながら四人は状況の把握に努める。戦うにせよ、まずは慎重に相手の情報を集めなければならない。
怪物の動きはそこまで素早くなさそうだ。しかし長い八本の脚はそれぞれ大木ほどの太さがあり、そのせいで胴体の位置はかなり高い。
トルゴーは「うえー」と派手に顔をしかめている。
「なにあれ、本当にバカでかい蜘蛛じゃん」
「実際にこの目で確かめてみると、やはり迫力が違いますね。まあ、どのみち討伐するだけなのですが」
ルブウの方は落ち着いた受け答えだ。
平常心を保っている彼らとは対照的に、エジーンの表情にはわずかだが焦りの色が浮かんでいた。
「まずいですね。すでにかなりの被害が出始めています」
「ここで食い止めるしかないだろうな」
骨が折れそうだ、と口にしてドミカリフは首をこきり、と鳴らす。
眼前にいる巨大蜘蛛の出現はあまりに突然だった。ここベイズにも魔術技連の精鋭は配備されているのだが、出撃までにはある程度の時間を要する。その到着を待っていては都は半壊、あるいは致命的な損害を被るだろう。
ドミカリフ、エジーン、そして助っ人であるルブウとトルゴー。この四人で何とかするしかない。
できるのか、という疑問が一瞬だけ彼の頭をよぎった。
これまでに三度、ドミカリフは辺境の地での怪物討伐を成功させてきた。ただしいずれも百人ほどの魔術部隊で包囲し、休みなく攻め立て続けた結果だ。今回の状況とはあまりにも違いすぎる。
そんな彼の弱気を察したわけでもないだろうが、ルブウとトルゴーが揃って声を掛けてきた。
「ダダイ様が言ってたんですよ。『今のおれなら、一人でも怪物を討てるのだろうか。師匠に少しでも近づけたんだろうか』って」
「そうそう。だからボクらみたいな未熟者が討伐に成功すれば、今のダダイ様は英雄ゴンドにも匹敵するんだって証明になるかもしれないもんね」
二人の言葉に、ダダイという男の人となりを知るドミカリフは驚きを隠せない。
「あの気難しい男が、そこまで慕われるようになるとはな」
彼らがともにワイト王国より離反した今、ラブツーク王国にとってはむしろ歓迎すべき変化だと考えていいだろう。
とはいえまずは目の前の怪物をどうにかするのが先決だ。
エジーンがドミカリフの前に進み出て、軽く頭を下げる。
「ドミカリフ様、わたしに考えがあります」
「聞こう」
「この少ない人数であれば、城壁外へ誘導するしかないと判断いたします。怪物に対して適度に攻撃を仕掛けることにより、我々の方へと注意を引き、街から引き離しつつ時間を稼ぐのです」
さすれば戦力も整いましょう、と彼女は言った。
「我々のみであれとの直接戦闘は避けるべきです。余所者であればいくらでも威勢のいいことも口にできましょうが、あまりに危険すぎます。万が一にもドミカリフ様をこんなところで失うわけにはまいりません」
「甘い見立てだな」
厳しく告げたドミカリフが前方を指差す。
「よく観察しろ。あの怪物は迷わず直線的に進んでいる。しかもベイズの中心部へ向けて、だ。ある程度の知性を有しているのかどうかまではわからんが、おそらくやつは誘導作戦に乗ってこない」
「ですが」
「エジーン、優先順位をはき違えるなよ」
ドミカリフからの叱責に、彼女は唇を噛み締める。
期待しているだけに言葉がきつくなってしまったのはドミカリフも承知しているが、今はそこに言及している余裕はない。
ここで発言したのはルブウだった。
「城壁外への誘導に失敗すれば、この都の被害は甚大なものとなるでしょう。最悪の事態を想定しておいた方がいい」
そんな彼をにらみつけ、エジーンが食って掛かる。
「なら貴様はどうするつもりなのだ」
「どうすんのー」となぜかトルゴーも声を合わせた。
ルブウは涼しい顔で応じる。
「そりゃもちろん、最速であの巨大蜘蛛を倒すんですよ」
この四人でね、と眼鏡の蔓を押し上げながら言ってのけた。
「やると口にしたからには、命を懸ける所存ですのでご心配なく。決して足手まといにはなりませんよ」
「どうせ最初からそのつもりだったしねー」
いかにも気楽な様子の二人だが、目を見れば本気であるのは伝わってくる。
「おまえたち、恩に着るぞ」
小さく頭を下げたドミカリフは、次に部下へと視線を向けた。
「エジーン、おまえの忠節はきちんと理解しているつもりだ。だがこの場は私の命令を聞き入れてもらうぞ。我々であの怪物を倒す。いいな?」
「はっ」
さすがに彼女の返答は早い。いろいろと承服できない点もあっただろうに、それらをすべて押し殺してドミカリフの命に従ったのだ。
そしてエジーンはさっそく剣の柄に手を掛けた。
「ならばわたしがあの蜘蛛に致命傷を与えてまいります。ドミカリフ様、援護をお願いできますか」
「頼む。どんな生物であれ、急所に刃を突き立てられて死なぬ道理はない。おまえにならその役目を託せる」
「今のお言葉だけで報われるというもの。このエジーン、もはや思い残すことなどありません。ドミカリフ様のために必ずや成し遂げてみせましょう」
彼女の瞳は感激で潤んでいた。
もちろんドミカリフにエジーンを死なせるつもりなどない。決死の覚悟で戦い、なおかつ生き延びてもらわなければ困るのだ。
そのためには残る三人で連携し、的確な援護をしていく必要がある。
だがドミカリフの思考はいったんそこで途切れた。
「あっるぇー?」
素っ頓狂な声を上げたのはトルゴーだった。
「エジーンちゃんの任務って、ドミカリフ殿を最後まで守り抜くことなんじゃないのぉ? そーんな簡単に放棄しちゃって大丈夫ぅー?」
「ちゃ、ちゃ、ちゃんだと……? このわたしに対して……?」
ラブツーク王国広しといえど、誰よりも剣の腕が立つエジーンを「ちゃん」と呼べる男はいない。まさに蛮勇と表現したくなる所業だ。
しかしトルゴーの目が突然鋭さを増す。
「いい? あいつの頭上にまで突っ込んで、仕留めてくるのはボクがやる」
「な、なにを……!」
いきなりのトルゴーの豹変に、珍しくエジーンが気圧されている。
すかさず割って入ったのはルブウであった。
「エジーン殿、トルゴーの無礼をお許しいただきたい」
言葉を差し挿む隙を与えず、彼は続けて言う。
「ですがトルゴーより身軽な者を、私はいまだ目にしたことがありません。武具の扱いにも長けておりますしね。彼こそが今回の役目に適任です」
「そういうことー」
再び気安い口調に戻ったトルゴーを見て、ルブウも苦笑いを浮かべた。
けれどもすぐに表情を引き締める。
「私も魔術師の端くれ、全身全霊をもって死地へ向かう友の援護をいたします。それがこのベイズの都を守ることにもなりましょう」
「それは……そうだが」
「どうかあなたにはドミカリフ殿のついでで構いませんので、援護に回る私の身も守っていただければありがたく思います」
ドミカリフにも異論はない。
ルブウの発言に誇張はなく、以前にトルゴーはロズミィとの戦闘において、彼女の背中をとったほどの俊敏さがある。確かに適任だ。
またしても「ふん」と鼻を鳴らしたエジーンだったが、その顔に不満の色はまったく見られなかった。
「言われずとも、貴様の体にだって傷など一つたりともつけさせん。それがわたしの任務である以上はな」




