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オリカ・イズ・デッド、それから  作者: 遊佐東吾
幕間

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35/40

クソガキ時代

「あー、英雄ゴンドをぶっ倒してえ」


 独り言として片付けるには声が大きすぎた。

 ワイト王国の歴史ある魔術訓練所で、授業の真っ最中にここまで大胆な発言をできる人間はほぼ皆無といっていい。

 発言主のダダイからすれば腰抜けの集まりでしかないのだが。

 もちろん教官は咎めるような視線を向けてきたものの、すぐに黙殺する方針へ切り替えたようだ。

 そりゃそうだ、とダダイは内心で嘲笑う。


 まだ十六歳と年若く、訓練所の生徒の身でありながら、魔術の実力は並みいる教官連中を凌ぐ。もはや彼は誰の指導も必要としていない。

 一般的には、魔術の才能は家系で受け継がれていくものとされている。そんな中で貧民窟から突然生まれてきた才能がダダイであった。

 王侯貴族からすれば無視したい存在だっただろう。しかし英雄ゴンドが常日頃から「重視すべきは身分より才能だ」と明言している以上、ダダイが魔術訓練所入りを望めばそれを阻むことは叶わなかった。

 この世に敵なし、とまで称されている英雄ゴンド。毀誉褒貶の激しい男でもあり、恐れて遠ざけるか、畏れて敬うかは人によるだろう。

 ただダダイはどちらでもなかった。


「おれならゴンドに勝てるね」


 対等の条件で戦えれば負けるはずがない、とまで広言していたのだ。

 不遜極まりない態度の彼を快く思っていない者は多い。というよりもダダイの味方など魔術訓練所内にはいなかった。

 そこへ先の独り言とくれば、周囲の不満が暴発するきっかけとなってしまうのもやむなしであろう。


「いい加減に気づけ。由緒正しきこの訓練所に、おまえの存在はふさわしくない」


 終業直後、丈の長い乳白色の制服をきっちりと着用した同級の生徒たちが、大挙してダダイを取り囲む。

 十を超える人数に鼓舞されたか、口々に彼への悪口雑言が飛びだしてきた。

 その中の一人が激高した様子でダダイへと詰め寄る。


「先ほどの英雄ゴンドへの暴言、とてもじゃないが看過できない。撤回して我々全員へ謝罪したまえ」


 もちろん素直に聞き入れるダダイではない。


「はあー? 何でおれがおまえらみたいなボンクラに謝らにゃいかんのだ」


 寝言は寝て言えや、と肩を竦めて煽る始末だ。


「貴様……!」


 とうとう相手はダダイの顔を殴りつけてしまう。


「よーしよし、そっちから先に手を出したな」


 拳を喰らった胸骨のあたりをさすりつつ、ダダイがにやりと笑った。

 彼はこれを待っていたのだ。自分が喧嘩を仕掛けられた側であれば、どれだけ暴れても大義名分が成立する。


「おらあっ!」


 すぐさま殴ってきた相手の髪をつかみ、そのまま机の上へ叩きつけた。

 訓練所内での私的な魔術使用には、複数の教官による許可が必要だ。なので必然的に揉めごとの際には肉体での勝負となる。

 毎日が生きるか死ぬかの貧民窟で鍛えられてきたダダイが、喧嘩で上流階級の坊ちゃん嬢ちゃんに負けるはずもない。

 瞬く間に一人倒れ、二人倒れと相手側の数が減っていく。

 暴れまわるダダイを抑えられないと悟ったか、この場を離脱して助けを呼びに行く者もあった。賢明な判断である。

 何せダダイは男女の別なく、向かってきた者に対しては容赦なく殴ったからだ。そのせいで顔を腫らして泣き叫んでいる女子生徒もいる。


「次はどいつだ、ああん?」


 混沌の渦の真ん中に立ち、周囲を威嚇した。

 だがもはや誰もダダイに近づいてこない。「自分たちの手には負えない」とようやく理解したのだろう、と彼が拳を下ろそうとしたそのときだ。


「随分と騒がしいな」


 廊下から声を掛けてくる者があった。

 ワイト王国魔術訓練所におけるもう一人の天才、モンドーアである。

 薄茶色の髪をさらりとなびかせた彼に、涼しげな目で見つめられればたちまち誰でも虜になると噂されている優男だ。


「慌てた様子で呼ばれたから戻ってきたものの……はて、ここは場末の酒場だったか?」


 視線はきっちりダダイへと合わせながら皮肉を口にする。

 彼が口を開いただけで、周りのざわめきもぴたりと収まっていた。

 ただ一人、ダダイを除いて。


「おーおー、これはこれは」


 床に突っ伏していて邪魔な生徒を蹴り上げ、道を作りながらダダイは言った。


「王国期待の星、モンドーアさんじゃないですかぁ」


 そのまま至近距離まで歩み寄り、ぎりぎりまで顔を近づける。


「お坊ちゃんの中のお坊ちゃんが何の用だ?」


「別に。頭の足りない獣が暴れたところで、いずれは駆除される。そんな想像をしていただけだよ」


「何だ、付き合ってくれねえのか? これだからひ弱な優等生はよぉ」


 そしていきなり教室内を振り返り、ダダイは叫ぶ。


「お坊ちゃまはおまえらの(きたね)えケツなんざ拭いてくれねえってよ! とんだ臆病者じゃねえか、なあ! 見込み違いだったみたいだぜぇ?」


 煽って煽って煽りまくってモンドーアを引きずり出し、生徒たちの精神的支柱である彼を徹底的に打ちのめしてやろう。それがダダイの狙いだった。

 だが彼からの反応は変わらず淡々としている。


「下卑た挑発だ。およそ知性というものが感じられない」


「ああん?」


 再びダダイはモンドーアへと向き直った。


「おれよりしょぼい魔術しか使えないやつらの方が知性があるってか」


「無学な愚か者にも、身の程をわきまえていない無力な連中にも興味はないよ」


 涼しげなのを通り越して、冷ややかな眼差しだ。

 そのままモンドーアは踵を返した。

 何もせず廊下を戻っていく彼の背中へ、追いかけながら思いつくかぎりの罵詈雑言を投げつけるダダイだったが、足を止める気配はない。

 迷いのない足取りでモンドーアがやってきたのは中庭だった。

 中庭の円形広場は磨き上げられた石が敷き詰められており、中央部には昔の戦勝を記念する当時の王のレリーフが施されている。


「ここがいいな」


 レリーフの傍に立ち、いきなりモンドーアが風の魔術を発動させた。

 平行に走る二本の線をレリーフ上に刻みつけたのだ。

 これにはダダイも呆気に取られてしまった。どういう意図によるものかは不明だが、およそ優等生としての行動ではない。

 さらにモンドーアは手招きをし、「来いよ」と告げた。


「この二本の線の内側で殴り合いだ。もちろん魔術はなしでな。どうだ、そっちの望み通りだろう?」


 もちろんダダイとしては願ったり叶ったりの提案である。受けない理由などどこにもなかった。


「へえ。おれ相手にいい度胸してるぜ、お坊ちゃんよ」


「その虚勢がいつまで続くか見ものだな」


「抜かせ」


 そう吐き捨てたダダイが、モンドーアとは逆側の線の前に陣取る。

 魔術訓練所における二人の類い稀な俊才が、これから正面切って素手で殴り合うのだ。王国の権威に小便を引っかけるような蛮行ではないか。

 高揚とともにダダイは言った。


「いつでもいいぜ。先手は譲ってやるよ」


「そうか。なら遠慮なくいこう」


 応じるなり、モンドーアの拳がダダイの腹部目掛けて飛んでくる。

 余裕で受け切れるはず、そう高を括っていたダダイだったが、勝手が違った。

 相手の拳は異様なまでの硬度と重さだったのだ。


「ぐふっ」


 思わずダダイも体を前のめりに折り曲げてしまう。あまりに強烈な一撃だったせいであばら骨が数本折れ、口からは少量だが鮮血も飛び散った。

 どうにか両足で踏ん張りながら、ダダイは必死に頭を回転させる。モンドーアの拳は明らかにいかさまだ。何かしらの仕込みがあると考えて間違いない。


「おやおや、随分と効いているようじゃないか」


 嘲りを含んだモンドーアの声だ。


「調子に乗るなよ……!」


 すぐさまダダイも殴り返す。

 形の整った鼻ごと撃ち抜いて、顔を陥没させてやる。

 モンドーアが拳にどんな細工をしていようと、この一撃で決めてしまえば何も問題はないはずだ。

 けれども彼の目論見はまたしても外れてしまった。


「────!」


 声にも出せないほどの激痛が走る。ダダイの拳に残ったのは、人を殴った手応えではない。金属を殴りつけてしまって自身の骨が折れた感触だ。

 たった二発の攻防で、とんでもなく不利な状況に陥ってしまったのは認めるしかない。だがダダイもようやく理解した。モンドーアは拳のやり取りで接触が生まれるほんの一瞬だけ、魔術を行使しているのだ。

 肉体を含む物質すべてを黒く硬化させる魔術。双方がめまぐるしく動く戦闘で効果的に使うには、非常に難度が高いとされていた。巷の噂では、ラブツーク王国のロズミィが群を抜く使い手だと聞く。

 澄ました顔とは裏腹に、モンドーアの狡猾さは際立っていた。

 周囲には気取られぬようにして事前の取り決めを破りつつ、それでもダダイへ力量の差を見せつけようという腹なのだろう。実に模範的な生徒だ。

 口中に溜まった血を吐きだし、ダダイが言った。


「はは、ハンデはこんなもんでいいか?」


「減らず口を叩く気力は残っているようだな」


 すでに勝利を確信しているのか、モンドーアの口元にはうっすらと笑みが浮かんでいた。

 わかっちゃいねえなあ、とダダイは思う。勝負が面白くなるのはここからだ。

 次に放たれたモンドーアの拳を紙一重で避け、その勢いのままに彼の顔面へ左拳を叩き込もうとする。

 もちろんモンドーアが再び硬化で防ぐであろうことは予測済みだ。

 なので左手は囮として使った。本命は折れている右の拳。

 今度はダダイも拳を硬化させており、先ほどの仕返しとばかりに遠慮なくモンドーアの素の腹部を抉りこむ。しかも相手が息を吸ったタイミングで。


「うぼえっ」


 胃の中のものを吐きだしながら、それでもモンドーアは膝をつくことなくその場に踏みとどまった。

 ひとしきり呻きながらも、彼の目はまだ死んでいない。

 へえ、と内心でダダイは感心する。喧嘩慣れしていない上流階級の子息など、強烈なこの一発で音を上げるに違いないと踏んでいたからだ。


「おまえが出来ることなんて、おれにだって出来るに決まってんだろ?」


 振り出しに戻ったぜ、とモンドーアだけに聞こえるようにささやいた。

 異様にぎらついている彼の目がダダイを射抜く。


「──殺してやる」


「いいぜ。おまえが死ぬまで付き合ってやらあ」


 ここからはもう、高度な読み合いも技術の応酬も何もない、ただの殴り合いだ。

 ただしお互いが拳と予測被弾箇所を硬化しているため、一撃ごとに双方どちらかの命が削られていく。しかし誇りを削られるよりはマシである。

 もしこの闘いを止めようとする者がいれば、ダダイはそいつもまとめて殴り飛ばすつもりでいた。行き着くところまで行き着かなければ納得できないし、おそらくその点に関してのみモンドーアも同様の考えだろう。

 すでに視界の四分の三ほどが閉ざされている。もはやダダイも経験と勘に頼って拳を振るっているだけだ。全身の痛みはすでに限界を超え、思考する力もない。

 ダダイかモンドーアか、あるいは二人ともか。

 命の終わりが近づいてきたのを実感しはじめたとき、いきなりダダイの体が後方へと突き飛ばされてしまう。

 だが線の外側に出てしまったのは彼だけではない。モンドーアも同時にだ。


「もう気が済んだだろ。そのへんにしとけ、おまえら」


 二人を突き飛ばしたのは、きっとこの声の主なのだろう。男の声だ。

 顔を見てえ、とダダイが唇を噛み締める。今は無理でも、いずれ横槍を入れたことへの償いをさせてやらなければ気が済まない。

 それでもダダイには上半身を起こす体力も気力も残っていなかった。

 力という力をすべて使い切り、さながら抜け殻のようだった。

 唯一耳だけが、指示を飛ばす男の声を拾ってくれている。


「ったく周りのやつらも、ズタボロになるまでぼーっと見てんじゃないよ。ほら、さっさとこの二人に医療魔術を受けさせてやれ」


「は、はい」


「一応念を押しておく。いいか、二人の治療には絶対に差をつけるなよ」


 この意味がわかるよな、とさらに釘を刺しているようだ。

 やけに偉そうにしている男の顔を見てみたかったが、今のダダイには無理な相談だった。体中のどこを探しても動かせる部位がないのだから。

 なのにどういうわけか、口元だけは自然と形が変わった。

 そんなダダイのわずかな変化に、偉そうな男は目ざとく気づいたらしい。


「なーんで二人とも笑ってんだか。瀕死の状態なんだぞ、おまえら。その神経、おれにはよくわからん」


 あきれ混じりの声で彼が言う。

 ぼんやりとした頭でも、さすがに「二人とも」の意味くらいは理解できた。

 自身の目で確かめることはできない。しかし今、きっとモンドーアも倒れたままで小さく笑っている。

 ダダイは自分でも驚くほどに晴れ晴れとした気持ちだった。

 相容れない相手だからこそ、心情がわかることもある。

 別に決着を急ぐ必要はないのだ。お互いが生きているかぎり、今日のような衝突は避けられない。

 いずれ必ず、すべてを懸けてやり合う日が訪れるだろう。

 そのときこそ完膚なきまでに叩きのめし、地面に跪かせ、許しを請う言葉を吐かせてやればいい。命を奪うのはその後だ。

 楽しみが一つできちまったな、とダダイは薄れゆく意識の中で喜ぶ。

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