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オリカ・イズ・デッド、それから  作者: 遊佐東吾
幕間

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34/40

放課後タイトルマッチ

オリカが死ぬ少し前のお話です。

 昼休みの日課のようなものだった。

 校舎の三階、廊下の窓から宙宮(ちゅうぐう)晴駆(はるく)は学校の裏庭を見下ろしている。庭と名付けられてはいるが、手入れの行き届いていない小さな花壇があるばかりで、他には何もないスペースだ。

 日陰と呼ぶにふさわしいそんな場所にもかかわらず、一日も欠かさず踊りに明け暮れている生徒がいた。一年生の宙宮京佑(きょうすけ)、ハルクの弟である。


「今日はまあまあってとこかな」


 おかげでハルクの目もすっかり肥えてしまった。

 キョウスケが持つ、舞踊への意欲は並大抵のものではない。バレエやフラメンコにブレイクダンス、日本舞踊や中国古典舞踊、アフリカ民族舞踊、インドのバラタナティヤムなどを独学で学び、身体に覚え込ませているのだ。

 衣替えになったばかりとはいえ、外気温はすでに夏の訪れを感じさせる。白いシャツの肩口でこめかみ付近の汗を拭ったハルクは、ふと独り言を漏らす。


「あいつには夢があるんだよな」


 だがその先、「自分にはない」と続けて口にすることはなかった。

 廊下の向こうからずんずん、と大股で歩み寄ってきている男子生徒の姿が視界に入ったためだ。背丈に比して随分と幅のある体つきである。

 残り三メートルほどの距離となって男子生徒は足を止め、真正面から大音声で「頼もう!」と呼びかけてきた。


「えらく時代がかってんなあ」


 苦笑いするハルクに、男子生徒が軽く首を横に振る。


「こっちは挑む側だからよう。他に言い方を思いつかん」


 柔道部主将の三年生、峯岸海斗。ただし「元」の肩書がつく。清林中学柔道部は惜しくも全国大会への出場権を逃し、峯岸も引退となったためだ。


「惜しかったな、総体。いいところまで進んだんだろ?」


 ハルクからの労いの言葉に、峯岸も「いやあ、力負けよう」と謙虚に応じる。


「そういうわけでだ、宙宮。おれには別の心残りがあってな。部を引退した今になるまで、おまえと戦う決意ができなかった」


 そしていきなり、自身のへそを覗き込むような勢いで峯岸が頭を下げた。


「頼む。どうかおれの挑戦を受けてくれい!」


「参ったな……」


 窓にもたれかかり、ハルクは軽く顔をしかめる。

 峯岸が申し込んできたのは腕相撲による勝負だ。

 ここ清林中学に限っては、男子生徒が戯れに興じているただの腕相撲と侮ってはならない。代々受け継がれてきた揉めごとの際の決着方法である。

 中でもハルクの扱いは別格だった。なぜならこれまでのすべての対戦で勝利し、うち二人の腕をへし折ってもいる。彼の剛力は学校の枠を超えて近隣にも轟く。

 いわば絶対王者としてのハルクへ、元柔道部主将が腹をくくって挑む形なのだ。

 だが返答するよりも先に、耳をそばだてていた周囲の方が盛り上がってしまった。


「久しぶりに来たぞ! 王への挑戦者が!」


「待ちに待ったハルク×カイトの黄金カードだな……! こりゃやべえ!」


「おら、誰かオッズ出せオッズ」


 こうなってしまえば、もう当事者であるハルクにも止められない。


「わかった。じゃあ峯岸、放課後にそっちのクラスへ行くわ」


「恩に着る。言っておくが、手加減はいらんぞう」


 そう念を押し、峯岸は再び一礼してその場を去った。

 六限目の後、場所は峯岸海斗のクラスである三年二組の教室にて。

 噂が駆け巡るのは早いもので、放課後になるや否や、廊下には人だかりができていた。三年四組の所属であるハルクが困惑しながら教室を出ると、事前に示し合わせていたかのように花道が作られる。


「もっとひっそり、人目につかないようにやりたかったんだけどな」


 そんな愚痴をこぼしたところでもはやどうしようもない。

 割れた人の波の間を進み、決戦会場へとやってきた。

 大半の机と椅子が壁際へと押しやられ、教室の中心にあるのは二卓の机のみ。さながら舞台のようだ。


「おおう、来たか」


 緊張しているのか、主役である峯岸がぎこちない笑顔を浮かべている。

 ハルクも軽く手を上げて応じた。


「待たせてすまん。だが、これは……」


「ああ。えらい騒ぎになってしもうた」


 そう答えつつ、早くも峯岸は準備された舞台の片側に陣取った。

 彼の覚悟を汲んだハルクも逆側へ向かう。もはや言葉はいらない。

 机の天板に右肘をつけ、先に峯岸が構えた。

 一目でわかる。よく鍛えられた、太い腕だ。

 ハルクも静かに腰を落とし、台の高さに体勢を合わせる。

 そして峯岸の右手をがっちり握って合図を待つ。どちらかの手の甲がつけられるであろう位置には、衝撃を抑えるために雑巾が三枚重ねられていた。


 審判役を買って出てくれたのは、公平を期して両者と違うクラスの男子生徒であった。野球部でクリーンナップを張っていただけあってなかなかの体つきだが、それでも峯岸と比べれば厚みに差がある。

 ハルクと峯岸、両者の肩が机の縁と平行であることを審判が確認し、組み合った手に触れて高らかに掛け声を叫ぶ。


「レディ、ゴウッ」


 その瞬間、峯岸は顔を真っ赤にして全身の力を込めてきた。

 彼の全力を、不動の壁同然となったハルクが受ける。ほんのわずかにもハルクの右手は倒れていない。

 周囲で口々にヒートアップしている声も耳に入ってくるが、ハルクの中に今あるのは対戦相手である峯岸への敬意のみだ。

 なので彼のすべてを受け切り、その上で勝たねばならない。

 峯岸は全力を出し続けていた。けれども永遠に攻められるはずはなく、どこかで陰りを見せるタイミングがやってくる。


 ほんのわずかな緩みだった。

 しかしその隙を逃さず、ハルクは峯岸の手を秒針と同じ速さで傾けていく。

 まるで大横綱の寄り切りさながらに、最後まで丁寧に詰めた。決して峯岸の手を痛めてしまうことのないよう、細心の注意を払って三枚重ねの雑巾へと押し込んだのだ。

 王者防衛。過去最強の、そしておそらくは最後の挑戦者を退け、ハルクはいまだ清林中学の王として君臨する。本人が望もうと望むまいと。

 完敗した峯岸が天を仰いだ。


「いやあ、強いっ!」


 勝負直前であったつい先ほどとは異なり、プレッシャーから解き放たれた自然な笑みで彼は王者を称える。額には大粒の汗がいくつも光っていた。

 そんな挑戦者の潔い態度を受け、両者への拍手が嵐のように降り注ぐ。もちろん大歓声とともにだ。

 握手を求めてきた峯岸が言った。


「なあ宙宮、高校からは柔道を始めてみんか? おまえだったら五輪で金メダルも夢じゃない気がする」


「そりゃさすがに買いかぶりすぎだ」


 一笑に付したハルクだったが、峯岸はなおも「もしそのつもりなら相談に乗るからな」と食い下がってくる。

 さらに外野からも「相撲だ」「いや総合格闘技だ」「重量挙げで」「砲丸投げとかどうだ」「ラグビーやってくれ」などと好き勝手な声が上がりだした。

 ハルクには特に夢などない。

 自身の筋力が並外れていることは認識しているものの、だからといって大それた未来を想像したりはしなかった。

 家族が揃って食事できていれば、ただそれだけでいい。


「ああ、そうだな。そのうちな」


 まったく答えになっていない言葉は誰に向けたものだったか。

 今しがた王座の防衛に成功したはずなのに、むしろその座を追われたかのようにハルクは足早に決戦の場を去っていく。


     ◇


「で、勝ったのかよ」


 下駄箱付近で待ち合わせていたキョウスケが、開口一番に訊ねてきた。

 どうやら一年生のクラスにまでタイトルマッチの噂が流れていたらしい。

「まあな」とハルクは短く答える。


「おおー、さすが兄ちゃん。でもその割に表情が暗いんだよなー」


「ん、そうか?」


「そうだよ。まるで負けたみたいな顔だぜ?」


 揃って歩きだしながら、キョウスケがわずかに眉を寄せた。彼なりに兄を心配しているのだろう。

 だがハルクもまた弟の身を案じている。一緒に下校しているのもそのためだ。

 まだ二か月も経っていないが、入学直後にキョウスケはあわや人質にされかけていた。どうにかしてハルクを清林中学の王の座から引きずり下ろしたい連中の仕業である。

 弟に手を出されて平気でいられるハルクではない。

 怒れる彼はグループのボス以外を適度にぶちのめし、最後にボスとの一騎打ちを申し出た。もちろん腕相撲でだ。

 結果、警告の意味も込めて相手の腕を綺麗に折った。

 ただし後々骨がくっつきやすいよう配慮しているあたり、随分とハルクも成長している。その二年前には対戦相手の手の骨を粉々にしたのだから。


 昨年までの清林中学で、誰からも恐れられる存在だったのは彼ではなく姉のフブキだった。なので入学早々、弟のハルクが目を付けられてしまう。

 この頃はまだ、ハルクも力加減ができなかった。力自慢で通っていたらしい先輩の手を粉砕してしまい、面倒ごとになったわけだ。ただしフブキが暗躍したことで治療費の要求もされず、事なきを得た。


「あそこは親も含めて、叩けば埃の出る体だったからね」


 楽だったわあ、と涼しげな顔で姉が口にしていたのを思い出す。

 フブキとハルク、もはや清林中学で宙宮姉弟の名を知らぬ者はないだろうが、どちらかといえば悪名の類だ。キョウスケの夢の邪魔になってほしくはない。

 そんな兄の胸中など知る由もなく、弟は明るく笑っている。


「やっぱり兄ちゃんはすごいな」


 髪を伸ばし、サイドテールでまとめているキョウスケはまず外見で目立つ。

 加えて小学生の頃からずっと、休み時間には踊りの練習を続けていた。

 もちろんそんな彼を目障りに思って嫌がらせをしてきた連中もいたらしい。けれどもキョウスケが屈することはなく、己の意志を貫き通してきたのだ。

 だから自然にハルクの口をついて出てきた。


「いや。すごいのはおまえだよ」


「はあ? 何でおれの話?」


 当の弟はきょとんとして首を傾げている。


「別に伝わらなくてもいいさ」


「今日の兄ちゃん、わけわからんぞ」


 キョウスケが髪を掻きむしりだした。どうやら本気で悩みだしたらしい。

 ハルクはそんな彼の肩に分厚い手を置く。


「そんなことより晩メシの話だ。おまえ、何食べたい?」


 一切の迷いを見せず、弟は即答した。


「贅沢だけど、できれば肉」


「善処しよう」


 遠くの夢より、まずは今夜の献立を考える。

 それが今のハルクにとっての精いっぱいだ。

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