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オリカ・イズ・デッド、それから  作者: 遊佐東吾
幕間

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33/40

報われなくても恋は恋

 痛みには誰よりも強いつもりでいた。というより「痛みなど感じないくらい鈍くなければ生きていけねえよ」と常日頃から嘯いている人間だった。

 そんなレドが今、大きな疑問を抱えている。

 なぜこんなにも胸が耐えがたいほどに痛むのだろうか、と。

 あらかじめわかっていたことだ。オリカは元の世界へ帰るために旅をしており、どれほど難しくとも彼女ならばきっと成し遂げることを。


 英雄ゴンドの墓所で、オリカは消失した。

 ただしこれは元の世界への帰還を意味する現象なのだから、本来であれば苦楽を共にした仲間として喜んであげなくてはならない。

 だが彼女の不在がレドの心に大きな穴を開け、打ちのめしてしまった。

 膝から崩れ落ちてしまわないよう、どうにか足に力を入れて踏ん張りながら、つい先ほどまでオリカがいた場所をずっと見つめている。


     ◇


 ワイト王国の宮廷において、今や女王と並ぶ最高権力者といっても過言ではない魔術師モンドーア。

 彼から下される指令はいつも唐突で、難易度も高い。作戦行動中に命の危機に瀕したことも一度や二度ではなかった。それでも地位の低いレドたちは唯々諾々として受けるしかないのが現状だ。

 レド、ルブウ、トルゴーの三人は今回の命令への対応策を話し合うため、白雲亭という馴染みの酒場に集まっている。


「むしろ今回、危険度としては低い方なんじゃなーい?」


 大きな錫製の酒器をほとんど逆さまにして、最後の一滴まで飲み干そうとしながら金髪のトルゴーが言った。

 青髪のルブウも「確かに」と同意する。


「新しい英雄の実力が本物であれば、私たちとしてもかなり楽でしょうね」


「おまえら、正気かよ」


 二人に対し、赤髪のレドだけは不満の声を上げた。


「問題はそこじゃねえだろ。モンドーア様はいつも無茶な命令をしてくるが、今回なんて最悪もいいところじゃねえか」


「え、どこが?」


 本気でわかっていないらしく、トルゴーはきょとんとした表情を浮かべている。そこに酔いの兆候は一切表れていない。幼い顔立ちながら彼は酒豪なのだ。

 片やルブウも、一定のペースで淡々と飲み続けつつ「尻込みするなんて君らしくありませんね」と首をひねる。


「いったい今回の指令の何が問題なんですか?」


「そりゃおまえ、あれよ。なあ?」


 曖昧すぎるレドの返事に、ルブウは「はっきりしてください」と要求してきた。


「だからあれだよ。ほら、新しい英雄って若い女なんだろ? それをどうにかこうにかしてこっちの言うことを聞かせろって──」


「あー、はいはい。相手を惚れさせて従順にさせろってやつ?」


 トルゴーが大袈裟に手を打った。

 慌てたレドは「声がでけえよ」とたしなめる。


「あと、あけすけに言うんじゃねえ、あけすけに」


「は? まさか、君が引っ掛かっていたのってそこなんですか?」


「何か文句でもあんのか、コラ」


 心底驚いたような顔のルブウへ、ばつの悪さを隠すように凄んでみせる。

 レドからすればあり得ない話だ。重要な戦力になるからという理由だけで、心も込めずに女を口説き落とし、いいように扱おうだなんて。

 もちろん眼前の二人に頼めば、レドをその役目から外してはくれるだろう。だからといって結果には何の変わりもない。自分の手さえ汚れなければそれでいい、という考え方は彼が最も嫌うものだ。

 そんな三人の卓へ、酒場の看板娘であるカチュアが新しい飲み物を運んできた。


「はーい、これがルブウとトルゴーの分ね。で、こっちはレドの分」


 どん、と勢いよく置かれた錫製の酒器だが、一つだけ中身が異なる。レドの飲み物は特別製であり、水の中に酒を数滴垂らしただけの代物だ。

 酒に弱く、女性が苦手。それが腕っぷしで鳴らすレドの別の顔であった。


「ねーねー、カチュアちゃん」


「何、もう追加注文?」


 別の卓へ向かおうとしていたカチュアだったが、トルゴーの呼びかけで足を止めた。赤茶けた髪にそばかすが愛らしい女性であり、白雲亭の常連客からの誘いもひっきりなしだと耳にしている。


「もしもの話だけどさー、カチュアちゃんならレドからどう口説かれたい?」


「うえ? 難しいこと訊ねてくるねー」


 もちろんレドとしては二人のやり取りを即座に止めさせたかったが、ルブウから「黙っていてくださいよ」ときつく目で制されてしまう。

 難しい、と口にしつつもカチュアはほとんど迷わずに答えてくれた。


「うーん。そうだねえ。レドが相手だったら、やっぱり強引に来てほしいかな。『おまえ、おれの女になれよ』くらいにね」


 そう言うなり、レドに向けて片目を瞑ってみせる。


「たとえばさ、こっちがちょっと焦らしにかかっても『ぐだぐだうるせえんだよ。そんな唇は今すぐ塞いじまうぞ?』みたいな感じで、有無を言わせず顔を近づけて接吻を迫ってくる、てところかな?」


 随分と具体的な状況まで想定したようだ。

「なるほど」とルブウが唸れば、トルゴーも「カチュアちゃんはさすがに百戦錬磨だね」と褒めそやす。


「いえいえ。ご清聴ありがとー」


 手をひらひらと振って去っていく看板娘へ、トルゴーとルブウも口々にお礼の言葉を述べながら手を振り返していた。

 だがレドだけは顔を覆ってしまって黙りこんでいる。

 もはや拷問も同然であり、あまりの気恥ずかしさに耐えられない。


「いいかげん腹くくりなよ、レド」


 先ほどまでとは態度を一変させ、トルゴーが乾いた声音で突き放してきた。

 もちろんレドとしても頭では理解している。これは作戦行動の一環であり、気に病む必要などどこにもないのだと。

 それでもまだ決心はつかなかった。

 ここで助け舟を出してくれたのはルブウだ。


「だったらレド、君も相手に対して恋に落ちればいいんです。これでお互いに条件は対等でしょう?」


「そういうものなのか……?」


 自分が本気でさえあれば、相手の女に対して何ら後ろめたい感情を抱く必要などない。理屈としては確かに正しい。ただし詭弁の類であることも認めなければならないだろう。

 逡巡から抜け出せないレドにはもう構ってこず、トルゴーは届いたばかりの新しい酒器を高々と掲げた。


「おー、今夜のルブウは冴えてるぅ」


「いつもですよ、い・つ・も」


「んん、記憶にないんだけどなあ」


「飲みすぎで脳がやられてきましたか? まだ若いというのに、トルゴーの物忘れもひどくなってきたようですね」


「お酒が美味しければそれでいーの」


 そう言い合って何度目かの乾杯をしている二人を横目に、レドはため息をついてほとんどが水である飲み物をちろりと舐める。


「恋に落ちる、か」


 誰がそう表現したのか、まるで恋愛が落とし穴かのような言い草だ。

 レドたちは日々、命を賭け金代わりにして生きている。こんな暮らしがどこまで続くかなんて彼らにはわからない。命の灯が尽きるのは十年後か、二十年後か、それとも明日か。

 刹那の人生において、恋に落ちている余裕があるなどとはとても思えなかった。


     ◇


 新しい英雄、オリカ。

 第一印象はお互いにとって最悪だった。レドもそこは認めるしかない。

 渋々ではあったが、カチュアの提案通りに彼女へ迫ってみたのは大失敗である。何せ返ってきたのは容赦のない金的攻撃だからだ。


「こんな恐ろしい女と旅をしなきゃならんのか……」


 モンドーアの指令を受けた後とはまた別の意味で、レドは先行きを憂いていた。もはや恋に落ちる云々の話ではない、とも思った。

 けれどもその印象はほんの数日で引っくり返される。異世界にたった一人で放り出された緊張感が次第にほぐれてきたらしく、笑顔を浮かべたオリカを目にする機会も増えてきたからだ。

 旅を続けるうちにレドは、裏表がなく真っ直ぐな彼女の人柄に惹かれつつある自分に気づきはじめていた。


 新しい英雄だと散々持ち上げられても、オリカに偉ぶった様子など微塵もない。

 もちろんその実力は本物だ。ラブツーク王国のドミカリフと一戦交えた際も、彼女は圧倒的な実力差を示して相手を降伏させた。なのに一切鼻にかけることなく、役に立たなかったレドたちを責めたりもしなかった。

 料理の腕も抜群である。彼女が素晴らしいのはその技量だけでなく、まったくの未経験である獣の解体まで挑戦する姿勢もだ。血と肉の生々しい感触に文句の一つも口にせず、黙々とオリカはやり遂げた。レドの周りにそのような女性はいない。

 父の顔を知らず、母も出奔したという境遇には共感を覚えた。レドたち三人も両親とは幼少期に別れている。四人の弟妹を大切にしているだけでなく、幼い頃からの仲である恋人もいるのだそうだ。

 いつぞやの夜に話してくれた信号機とやらの話もめっぽう面白く、ルブウやトルゴーとの会話でも頻繁に登場するようになる。

 青や黄にあたる彼らに対し、レドは赤色。「おれはすべてを止めてみせる男だぜ」などと強がってはみたが、内心では自身の言葉をまったく信じていなかった。


 レド/ルブウ/トルゴー、三人の出会いは少年期の慈善院にまで遡る。

 彼らが生きたのは英雄不在の時代だった。かつての英雄ゴンドも怪物との戦いで命を落とし、国力に差のなくなったワイト王国とラブツーク王国の間で、国境線は断続的な変更を余儀なくされていた。

 争いは孤児を生む。いわば時代の犠牲者ともいえる三人だったが、それでもたくましすぎるほどに生きていく。

 意気投合した彼らは、希望を失いかけている慈善院の子供たちを束ね、一枚岩の集団へと変えた。さらには近隣の同世代の集団も次々と傘下に収め、少年少女だけで構成された大規模な組織を出現させる。


 そんな彼らに大人たちが目を付けるのは、いわば当然の成り行きだ。

 使い勝手のいい駒として様々な依頼を引き受けていったが、どれも表には出せない汚れ仕事ばかりである。そして報酬の支払いも渋られることが多い。

 こうなってしまえば組織の瓦解はもはや時間の問題であった。綱渡りの日々が続いた末に、結局レドたち三人は仲間に売られてしまう。

 捕縛され、投獄された彼らにもはや未来はないかと思われた。

 しかしそこで登場したのがモンドーアである。


「君らは少々自分と他人を信じすぎたようだな」


 宮廷魔術師の大物がやってくるには場違いすぎる薄暗い牢獄の前で、彼はのっけから痛いところを突いてきた。


「部下など君らには不要だ。使いこなせるだけの器はない。依頼主はきちんと選べ。下調べと嗅覚とがものを言う世界だ。任務遂行に情などいらぬ。心を殺せ」


「はっ。その前におれらが殺されるだろうさ」


 投げやりにレドが言い放つ。

 罪状からすれば処刑でもおかしくはないし、街へ放免されたところできっと命を狙われてしまうだろう。いろいろと知りすぎた彼らは、多くの人間にとって都合が悪い存在なのだから。


「おやおや、今の言葉で理解できなかったか? やはり無学は罪だな。このモンドーアが、君たちを誰よりも上手く使ってやると言っているのだよ」


 格下のガキどもに断られるなどとはほんのわずかにも想像していない、そんな自信を感じさせる表情だった。

 もちろんレドたちに選択の余地などなかった。生き延びるためには、目の前にいる不遜な魔術師から差し出された手をとるより他になかったのである。

 そう、レドは何も止められていないのだ。ただただ流されるままに生きてきただけの人間でしかない。


 だから彼は、オリカの意思に反してロズミィの命を狙った。

 ラブツーク王国の魔術技連を統括する彼女を討つことは、モンドーアにとっては半ば悲願のようなものだったのだろう。みすみす好機を逃したとあってはどれほど怒りを買うことか。

 ルブウとトルゴーに迷いはなかった。しかしレドだけは違う。

 勇ましいのは口だけだ。長剣を構えての突進をロズミィにあっさりと退けられた際には、安堵の気持ちとともに意識を失った。

 情けないレドとは対照的に、オリカはどんどん道を切り拓いていく。彼女の目はひたすら前だけを見つめている。

 この頃にはもうとっくに自覚していた。後はそれを認めるだけだ。

 自分がオリカに対し、どうしようもないほど恋に落ちていることを。


     ◇


 後ろを振り返ることなく、彼女は元の世界へ帰っていった。

 喪失感に今にも呑み込まれてしまいそうなレドだったが、そんな彼の肩が同時に両側から叩かれる。

 ルブウとトルゴーだ。

 口を開けて文句を言おうとしたレドだったが、やめた。

 二人の視線はこちらへと向いていない。だからこそ雄弁に伝わるものもある。


「──知っていたのかよ」


 誰にも聞こえないくらいのかすかな声で、レドが呟く。

 彼らはとっくにレドの恋心に気づいていたのだ。

 本来であれば積極的に背中を押してきそうな二人だが、きっと彼らにもわかっていたのだろう。決して実らない恋なのだと。

 もしもレドが、その胸の裡をオリカへ打ち明けていたらどうだったか。

 答えは明らかだ。何も変わらない。

 仮にオリカが四人の弟妹や仲のいい恋人の元へ戻ることをあきらめ、レドに気持ちに応えてくれたとしよう。だがそんなのはもはやオリカではない。

 どんなに苦しい状況であっても顔を上げ、決然として困難へと立ち向かう。それこそがレドのよく知るオリカなのだ。

 彼女が彼女のままでいてくれたからこそ、レドはどうしようもなく恋に落ちてしまったのだから。

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