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オリカ・イズ・デッド、それから  作者: 遊佐東吾
第1章

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32/40

8-3:ショルダーバッグ、キューバサンド、十四番目

 セイゲンが昔から愛用していた鞄はナイロン素材のブリーフケースだ。

「おまえのセンスには若さがない」と院生時代に何度も笑われたが、とにかく彼にとっては使い勝手が第一であり、お洒落かどうかを気にしたことはなかった。

 今回、新たに買い替えたのは大きめのショルダーバッグである。

 もちろん実用面からの判断だった。イレギュラーな出費は痛くとも、どうしても必要な理由ができたのだ。


「夏休みの大学なんて、いってみればゴーストタウンみたいなもんだよ」


 ショルダーバッグを肩に掛け、大学構内を一人で歩いているセイゲンが呟く。

 傍から見ればただの独り言だ。けれども彼の目線は、鞄の中からちらりと顔を覗かせている柴犬のぬいぐるみへと向けられていた。


「食堂もカフェテラスも休みだし、校舎の中も入れないしなあ」


『いいの。大学を一緒に散歩してみたかったんだもん』


 ぬいぐるみから小さな声がする。

 それもそのはず、これはただのクレーンゲームの景品などではない。オリカの魂を宿らせたぬいぐるみなのだから。


「じゃあいつものお散歩デートってことで」


『うん。でもまさか、自分が犬の側に回るとは思ってもみなかったよ』


 半ばぼやき気味にオリカが言った。そもそもそんな奇妙な人生を予測できる人間など、この世にはいない。

 とはいえ誕生の経緯からしてオリカは特別である。

 異世界で妊娠していた母が、受肉したこちらの世界で生んだ娘だ。長らく父親が誰かわからなかったのも当然だろう。


『こう見えてわたし、異世界では結構強くて頼りにされていたんだからね?』


「魔術を使いこなすオリカかあ。見てみたかったような、ちょっとおっかないような。どうしても君たちのお母さんを連想してしまいそうで」


 宙宮アリスと名乗った、オリカの実の母親。

 彼女は異世界で英雄の娘として生まれ、父の死を契機としてこちらの世界へとやってきた。だがオリカを含めた五人の子供を産む一方で、二十に迫る人数の命を奪ってもいる。ただ己の都合のためだけに。

 こちらの世界でも思うままに魔術を振るい、気の向くままに他者の命を刈り取っていく。そんな女性と丁々発止のやり取りをしたセイゲンがいまだに無事なのは、ひとえにオリカの恋人であるからだ。


『アマリリスさんかあ。お母さん、とは呼びたくないなあ』


 実感のこもった発言だ。セイゲンとしても共感しかない。


『わたしにとっては、偽者だったとしても蓮川結さんが母親なんだよ』


「そっか」


 二人の間にしばらく沈黙が訪れた。

 大学内で最も古い時期に建てられた校舎へと差し掛かり、中央部にそびえ立つ巨大な時計塔も見えてくる。動くたびに音が聞こえてきそうな針の大きさだ。

 何とはなしに時計を見上げながら歩く。


『それにしても、またアマリリスさんが凶行に及ぼうとするなら止めないと』


 彼女の言葉に、セイゲンも力強く頷いた。


「ぼくたち二人でやらなきゃいけないね」


 フブキ以下、四人のきょうだいたちはいずれも実の親に関する記憶だけを忘却させられている。もちろんアリスの仕業だ。

「私を親とは思わないでほしいからね」という、恐ろしく身勝手な理由によって。

 だが結果として、悪くはないのではないかとセイゲンは考えていた。あのような歩く災い同然の母親を覚えていたところで、きっとフブキたちを苦しめるだけだ。であればこのまま忘れて生きた方がいい。

 きょうだいたちが揃う家では、なかなかこういった会話をしづらい面もある。

 なのでやはりお散歩デートは二人にとって欠かせないのだ。


『こっちに戻ってきたわたしはこんなちっちゃな体で、十メートル動くだけでも必死にならないといけないしね。何か役に立てることが一つでもあるのかどうか、まったく自信がないな』


 オリカが不安を吐露するのも無理はない。

 あの無法なアリスとは違い、彼女は他者の肉体を乗っ取ることを良しとはしなかった。そのためこちらの世界で魔術を行使することは叶わないのだ。

 だとしても、セイゲンの気持ちは決まっていた。


「ぼくはずっと君とともに生きるよ。それだけは約束する」


『あ、また同じ台詞だ』


 照れちゃうなあもう、と柴犬のぬいぐるみがバッグの中で身をよじらせている。

 だがセイゲンにはその意味がつかめない。


「同じって……何と?」


『嘘でしょ? 今のはマイナス百点です』


 憮然とした返事がセイゲンの耳に刺さった。


『あのとき言ってくれたじゃない。ほら、わたしが死んだ朝、川の土手を散歩していたときにさあ』


 もちろん彼だって会話の流れは覚えている。

 口にした記憶がないのであれば、当てはまるタイミングは一つだけだ。


「そう答えたのか、ぼくは」


 ずっと思い出せずにいた。オリカに手を握り締められて「いつか結婚して家族になろう」と告げられた際、自分がどのように返答したのかを。

 納得の表情を浮かべたセイゲンだったが、オリカはその逆の反応を見せた。


『はあ? まさか今の今まで忘れてたってこと? わたしがとんでもなく勇気を振り絞ったってのに?』


 怒ると怖いところなどは、非常にフブキとよく似ている。やはり姉妹だ。


『がるる……』


 噛みつくぞ、といわんばかりの唸り声が鞄の中から聞こえてくるが、それをかき消すほどの大声で「九慈くん!」と呼ぶ者があった。


「やっと大学に顔を出してくれた! でももう夏休みなんだけど!」


 慌てて駆け寄ってきたのは先輩の川添莉生である。

 口元にはべったりとケチャップがついているが、どうやら手に持ったホットサンドを食べていた最中だったらしい。

 相手が誰かを確認したセイゲンは、すぐさま頭を下げた。


「ご心配をおかけしました、川添先輩」


 いくつか家庭の事情が重なったことを伝え、「夏休み明けからはまたよろしくお願いいたします」と申し添えておく。


「それでですね、その、とても言いにくいんですけど、川添先輩」


「ん、なに? 相談ごとなら何でも乗るからね」


「いえ、先輩の口元にケチャップが」


 さすがに彼女をこのまま往来へ行かせてしまうわけにはいかない。

 小学生男子でもなかなかないほどの豪快さだ。


「うそ。やだ、九慈くんに恥ずかしいところを見られちゃったなあ」


 急いで後ろを向き、ポケットティッシュかハンカチかで口元を拭っている。

 このまま立ち去ってもいいものかどうか、セイゲンが決めかねている間に、再び川添先輩はこちらへと向き直った。


「近くに不定期でやってくるフードトラックがあるんだけど、そこのキューバサンドが本当に美味しくて。九慈くんも今度一緒に買いに行こうよ」


「や、ぼくはそもそもキューバサンドってのが何かよく知らないですし」


 嘘である。

 一度きりだが、院生時代に食べた経験があった。そのときも確か椎葉に誘われて渋々ついていったような記憶が残っている。

 ただしがおう庵の蕎麦のときと同様、キューバサンドも美味しかった。ソフトバゲットにたっぷりのバターを塗り、ローストポークやハム、チーズにマスタードを挟んで焼き上げたものをキューバサンドと呼ぶらしい。

 だがこの程度の嘘で川添先輩は引き下がらなかった。


「いっぺん食べたらわかるから。ね、行こうよ。今度はいつ来るのかもフードトラックのお兄さんに教えてもらってきたし」


 ぐいぐい迫ってこられると、セイゲンとしてはどのように断っていいのかわからなくなってしまう。


『ぐるるるるる……』


 先ほどとはまったく違う、地を這うような低い唸り声が響いてきた。

 さらに次の瞬間、明らかな咆哮へと変わる。


『ばうばう、ばうッ』


「え、この辺に野犬がいるの?」


 結構近いよね、と川添先輩が少し怯えた様子を見せていたが、セイゲンにはここでオリカからのアシストを活かすしか打つ手がない。


「すいません先輩、ぼくは犬が大の苦手なんで!」


 失礼します、と勢いよくお辞儀をしてその場から走り去った。

 鞄の中のぬいぐるみはまだ吠え続けている。

 機嫌を直してもらうには、随分と骨が折れそうだ。


     ◇


「本当にバカね」


 時計塔の天辺から大学構内を見下ろし、明るい髪の色をした少女が嘲笑した。


「人間とぬいぐるみの恋なんて、どう考えたって成就するはずがないじゃない」


 ブレザー型の制服を着崩しており、いかにも今どきの女子高生といった容貌に見える。しかしその中身は異世界よりやってきた魔術師、宙宮アリスであった。

 古びてしまった十三番目の器は先日使い捨てたばかりだ。

 もう佐原桐子に似せる必要もなく、適当に拾った肉体をそのまま使用している。余計な整形手術をしないでいいのはとても楽だった。

 眼下のセイゲンとオリカから目線を外し、アリスは大きく伸びをした。


「さぁて、次は何で遊ぼうかな」


 まだしばらくはこの世界に留まるつもりだ。

 あちらの世界へ戻るべき理由が見つかる、そのときまでは。

第1章はここまで。

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