7-3 小さな門、血脈、遮断
感極まった様子のダダイを目にして、話している相手が噂のアマリリスなのだとオリカにもわかった。
彼は本当に繋げてしまったのだ。こちらの世界とあちらの世界とを。
『やだやだ、湿っぽい男はこれだから』
黒い球体の向こうの声はひどくドライな対応だが、だからといって会話を打ち切ったりはしなかった。
むしろ成功した魔術の方に興味を惹かれたらしい。
『それにしてもやるじゃない、ダダイ。この魔術、あの〈門〉の仕組みを簡易にして発動させているんでしょ?』
彼女の言う通り、ダダイは見事に小さな〈門〉を現出させてみせたのだ。
オリカも発動の一部始終をその目で見た。
英雄ゴンドを畏れるあまりに封印の意味合いもあったのだろう。棺の蓋ごと貫いていた剣を抜き、開けば約二十年ぶりにその遺骸が大気に触れる。
驚くべきことに腐敗はしておらず、ゴンドの死後間もなく急激に乾燥が進んだようだった。つまりミイラだ。
躊躇うことなくダダイが師匠の右腕を斬り落とし、棺の上で触媒として捧げる。
後はもうドミカリフのときと同じ流れだ。ただし黒い球体の規模は今回の方がずっと大きい。異なる世界同士を繋げたからなのか、それとも英雄ゴンドの遺骸にはまだそれだけの力が残っていたのか。
召喚されて〈迎えの門〉を通った際の記憶がまったくないオリカとしては、どちらかに断定するのは難しかった。
いずれであろうと魔術的な通信システムの枠を超え、〈送りの門〉と同様の働きをしてくれるのであれば、それ以上に望むことはなかった。
「その通りだ。即座に看破するとは、さすがアマリリス」
慣れ親しんだ呼び名を変えるつもりはないらしく、ダダイはかつての名前を口にする。その響きにうれしさを隠し切れていない。
「ラブツーク王国のロズミィを筆頭に、多くの凄腕魔術師が実現化に向けて動いていた魔術だ。けれども異なる世界同士を繋ぐとなれば難易度も桁違いになる。間違いなくおれが初めてだろうさ」
『私に褒めてほしいわけ? はいはい、よくできました。でも触媒だって相当に強力なものが必要でしょうに』
「それなら問題ない。師匠の遺骸を使ったからな」
これ以上のものはないだろう、とダダイが胸を張っている。
そんな彼を冷や冷やしながらオリカは見守っていた。父親の遺体を無許可で使われて、怒らない娘がいるとは到底考えられないからだ。
案の定、黒い球体の向こうにいるアマリリスの声に剣呑さが増した。
『へえ……パパの骸をね。弟子の分際で、随分と勝手な真似をしてくれたわけね、ダダイ。つまらない用件だったらこっちから出向いて殺してやるから』
しかし今のダダイは気分が高揚しすぎているらしい。
彼女からの脅しなど逆効果でしかなかった。
「それは本当か? ぜひそう願いたい。君にもう一度会えるなら」
さらにとんでもない要求まで突きつける。
「ただできればその前に、おれと結婚してほしいんだが」
『はあ? 今になってそういうことを言いだすの? まあいいよ、どこかの国の王様にでもなったら検討くらいはしてあげる』
「いいんだな? 言質は取ったぞ」
本来であれば、オリカだってダダイによる中年の恋の行方を応援してあげたい。
でも今はまったくそういう状況ではないし、温かく見守る余裕などないのだ。
向こうのアマリリスからも、声にならないくらいの深いため息が聞こえてくる。
『どうでもいいから、さっさと本題に入ってくれる? まさかそんな戯言のためだけにパパの骸まで使ったわけじゃないんでしょ』
ありがとうアマリリスさん、とオリカは心の中で感謝した。
「そうだったな」とようやくダダイも居住まいを正す。
「用件というのは他でもない。そちらの世界からこちらの世界へ召喚されてしまった若い娘をだな、どうにかして帰してやりたいと思っているんだ」
『ふうん、パパと同じ境遇ってわけね』
「そうなんだよ。師匠と同じ道をたどらせるのもやはり忍びなくてな、何とかしてそちら側の協力者を見つけだしたかったというわけだ」
先ほどまでとはうって変わって、ダダイは真剣そのものの口調で語る。
「お願いだ、アマリリス。どうかこの娘のために、そちらの世界での『器』を用意してやってくれないか」
そして彼に許可の合図を出され、ここで初めてオリカも対話に加わった。
「あの、わたし、オリカといいます。アマリリスさん、みんなが待っているそちらの世界へ戻れるよう、お力添えをどうかお願いいたします」
だがアマリリスからの返事がない。
やきもきしながらしばらく待っていると、ようやく彼女の声が聞こえてきた。
『なるほどねえ』
アマリリスは何かに納得しているらしい。
『やっぱり召喚されたのってオリカだったのか』
「え」
これまでの会話の中で、オリカの名前は一度も出てこなかった。なのにアマリリスはどういうわけか彼女のことを知っているらしい。
その理由は間を置かずして明かされる。
『はァい、オリカ。私がママよ』
「ママって……? え? お母さんってこと? 実の母ってこと?」
一瞬にしてオリカは混乱の只中に放り込まれていた。
彼女の母親は宙宮カレンと名乗る人物である。あくまで対外的には、だが。
もちろんカレンが本当の母親でないことくらいは、ある程度の年齢になった段階でオリカも気づいていた。
だからといって唐突な実の母との出会いが喜ばしいかと問われれば、それは否である。今はそのようなサプライズを求めてはいない。
『あの忌々しい召喚システムってやつも、無作為に見えて英雄ゴンドの孫を選んだってことになるわけね』
血に反応しているのかな、とアマリリスは考察を一人呟いていた。
けれどもオリカの思考は事実に追いついていない。ロズミィやダダイから伝承のごとく聞かされた英雄ゴンドのエピソードたち、それらが祖父の話として一気に身近に迫ってくるなどとは、あまりにもタチの悪い冗談でしかないだろう。
だがこの場にもう一人、状況を受け入れられない者がいた。
「待て……待て、待て、待て待て待て! じゃあこの娘の父親は誰なんだ! そっちの世界で家庭を築いたとでもいうのか? アマリリス、君ほどの悪女が?」
身も世もなく狼狽しているダダイは喚き散らす。
「おれは家庭に収まる君など見たくはなかったんだ! お願いだ、嘘でもいいから嘘だと言ってくれ!」
『父親が誰かなんて、相変わらずどうでもいいことを気にするね。まあ、オリカだけはそっちで身籠っていた子だから、種の出どころとして考えられるのはあなただけだよ、ダダイ』
「その話……嘘じゃないだろうな」
矛盾の塊と化したダダイとは対照的に、オリカはやっと地に足がついてきた。
自分より錯乱している人物を見ていると、落ち着きを取り戻せるというのはどうやら本当だったらしい。
「あれ?」
それでもまだ冷静にはなり切れていなかったようだ。
彼女が重要な事実を見落としていたことを、ここまで沈黙を求められていたはずの信号機トリオが先に指摘してきた。
「ダダイ殿がお父上ってか、おい!」
「かつての英雄の娘と弟子が、新しい英雄のご両親でしたとは」
「オリカちゃんも親が傍にいなくて、これまで苦労してきたんだろうねえ」
トルゴーに至ってはしきりに涙を拭っている。
ただオリカとしては、彼らのように諸手を挙げて喜ぶ気にはなれなかった。というより単純に気恥ずかしかったのだ。
それはそうだろう。これまで他人の間柄だった者同士が、急に実の親子だと告げられたからといって、すぐその関係になれるわけではないのだから。
彼女はちらりとダダイの顔を盗み見る。
実の父だという童顔の中年男性も、やはり困惑の表情を浮かべていた。ただし「やっぱり同じ血だからなのか」などとはまったく思わない。誰だって戸惑うに決まっているではないか。
しかし黒い穴の向こうからはあからさまに不機嫌な声がした。
『何をそんなに騒いでいるのか知らないけど、こっちだって暇じゃないの。さっさと「器」についての話を進めてさせてくれる?』
「はい。アマリリスさん、お願いします」
もうダダイを差し置いてオリカが応対する。
『他人行儀ねえ。ママって呼んでくれても構わないのよ?』
「いえ、それは、その。ちゃんとお会いしてからでないと心構えが」
オリカのしどろもどろな返答を、アマリリスは『うふふ、可愛い』と笑った。
『他の子たちはミコ以外、みーんな反抗期みたいでさ。さっきからずっと噛みつかれまくってもう大変』
ひゅっ、と喉の奥で音が鳴った。
断片的なエピソードを聞かされただけでも恐ろしいと感じた女性、アマリリス。
その彼女が、まさかきょうだいたちとすでに顔を合わせていたなんて。
かすかな声の震えを隠し切れず、オリカは訊ねる。
「他の子たちって、ユキちゃんにハルくん、キョウくん、ミコちゃんですか」
『ここにいるよ、全員ね。ついでにセイゲンくんも』
その割には向こうから誰の声も聞こえてこない。
話しているのはアマリリス一人だけだ。
彼女の言葉が真実なのかどうか、判断できるだけの材料を今のオリカは持ち合わせていなかった。
『とりあえず一つだけはっきりさせておくよ。オリカ、あなたの肉体は火葬されてもう残っていない』
アマリリスがそう明言する。
オリカの返事を気にかけもせず、さらに彼女は続けた。
『こちらで決めなければならないことがあるの。その話し合いをするから、黙ってそこで結論を楽しみにしていて』
有無を言わせぬ口調での通告だ。
「ちょっと待ってください、アマリリスさん! まだ伺っておきたいことがあるんです。アマリリスさん? アマリリスさん!」
何度呼び掛けてみても、向こうからの返事はなかった。
まるでこちらの声など届いていないかのように。




