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オリカ・イズ・デッド、それから  作者: 遊佐東吾
第1章

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7-4:一対一、自己犠牲、器

 セイゲンだけではない。懐かしいオリカの声を全員が耳にした。

「オリカちゃんだ!」とミコが叫んだかと思えば、ハルクやキョウスケも必死に姉の名を呼びだす。

 呆然としているフブキだけは、小さな声で「──お姉ちゃん、生きていてくれたんだ」と呟いている。

 突如として現れた球体状の穴の向こう、そこには間違いなくオリカがいるのだ。

 なのになぜ、一向に彼女はこちらの呼びかけに応じてくれないのか。

 その答えは非常にシンプルだった。


「んー、オリカへいくら話しかけても無駄だよ。だってあなたたちの声はすべて遮断していたから」


 だって会話に参加されても面倒だったし、とアリスが身勝手な理由を語る。


「ついでに言っておくと、今は向こうからの声も聞こえなくしているよ」


 確かにアリスであればその程度の魔術、造作もないことなのだろう。今の肉体に残っている生命力を消費しさえすれば、だが。


「あーもう。ダダイのアンポンタンが長々と喋っていたせいで、コーヒーがぬるくなっちゃったじゃない」


 当のアリスに倫理観など求める方が間違っているらしい。


「ねえハルク、熱いのに淹れ直してよ」


「オリカ姉の話が先だ」


 腕組みをしているハルクがきっぱりと拒絶した。

 融通の利かない子だなあ、とぼやきながらも、アリスはぬるいコーヒーを一息に喉へ流し込む。


「じゃ、お望み通りオリカの今後について話し合いましょうか。ただし条件をつけさせてもらいます」


「あんたの言う条件って、何」


 警戒心を剥き出しにしてフブキが問う。

 対照的にアリスは軽快な口調だ。


「なーに、簡単簡単。要は代表者を一人決めてもらい、その人とのみ私が話して、こちら側としての結論を出すってだけだから」


「は? どうしてそんな条件をつける必要があるのよ」


「だって全員参加だとまとまりっこないんだもの。たぶん、あっちの世界と話せる状況はそこまで長く続かないはずだしね」


「それは……!」


 時間制限について言及されるとさすがに反論は難しい。

 唇を噛みしめるフブキだったが、それでも気持ちの立て直しは早かった。


「なら、その役目はあたしが引き受ける。お姉ちゃんを必ず助けて──」


「それはダメだ。絶対にダメだよ」


 フブキに最後まで言わせることなく、セイゲンが割って入る。

 誰であれ、オリカのきょうだいたちを代表者とするわけにはいかないのだ。

 これからアリスと話して決めなければならないのは、オリカがこちらの世界へ戻ってくるために必要不可欠な体について。それしかあり得ない。

 先ほどダダイという男は「器」と口にしていた。オリカの魂のための容れ物探しであることを考えれば、言い得て妙だと思う。

 だがそれは生贄選びとイコールでもある。


「ホシヒコ、あんたに何の権利があってそんな勝手なことを」


 フブキが怒りを露わにするのも無理はない。

 けれどもセイゲンは心に決めていた。この役目を担うのは自分だと。

 強い意志を込め、真っ直ぐにアリスの目を見据える。


「いいよ。セイゲンくんにするね。ちゃんと覚悟があるようだし」


 あっさりと下された決定に、もちろんフブキは反発した。


「ふざけないでよあんたたち! いいから早く──────」


 途中から彼女の声がまったく聞こえなくなり、その姿さえも靄がかかったように見えなくなっていく。フブキだけでなく他のきょうだいたちも同様だった。

 聴覚的にも視覚的にもセイゲンは隔絶されたわけだ。

 ごめんユキさん、と心の中で詫びた。

 きっとフブキも気づいている。姉の恋人だったセイゲンに、生涯縛られ続ける咎を背負わせたくはなかったのだろう。


「これで煩わしくなくなったでしょ」


 アリスの言葉にどこまでも情はない。

 とはいえ、セイゲンとしても集中しやすくなったのは事実だ。

 カウンターのアリスと隣り合った椅子に腰を下ろし、数秒間目を瞑った。

 相手が格上であるときの対局と同様、まずは三度呼吸を繰り返して心身ともに落ち着かせ、自身とオリカの人生を懸けてこの場に臨む。


「始めてください、アリス」


 彼女も小さく頷いた。


「私の場合と状況は一緒。あの子がこちらの世界へ戻ってきて、なおかつ生き延びるためには、その『器』となる肉体がいるのよ」


 情報を整理しつつ、身を乗りだしてくる。


「ね、どうしようか。どうすればいいかな」


 近くに彼女の顔が迫ってくると、最初にカラオケボックスで出会ったときよりも唇が紅く映って見えた。

 そんなセイゲンの目の前で、アリスはにっこりと微笑む。


「答えは簡単、そうだよね。年恰好の似た、可愛らしい女を適当にさらってきて、そのままオリカにしちゃえばいいんだよ」


 予測していた通りの展開だった。

 アリスにしてみれば、この話し合いも単なる遊びの域を出ないのだろう。

 姉のために、あるいは恋人のために、他の誰かを犠牲にしてしまう決断を要求することこそが目的なのだ。

 仮に罪の意識に耐えかねて、オリカの帰還をあきらめ見殺しにするのであれば、それはそれで嘲笑の対象とするに違いない。


「あ、もしかして役立たずな人間の方が気も咎めなかったりするわけ? だったら蓮川結なんか適任じゃない? 君にしてみれば無関係な人間なんだし」


 努めて表情を消しているセイゲンに対し、アリスは圧力の掛け方を変えてくる。

 どのみち呑むことのできない提案だ。

 対話によって妥協点を模索するには、タイムオーバーが怖い上に相手からの歩み寄りもあまり期待できそうにない。

 なのでセイゲンの初手はすでに決めていた。


「オリカの身代わりとなる『器』は用意できません」


 アリスの反応を待たず、続けざまに二の矢を放つ。


「ただし、ぼくの体以外には、です」


 自己犠牲ともいえる選択をオリカが望まないのはわかっている。

 おまけに用意するのは、性別も異なるセイゲンの肉体だ。ひょろっとしていて頼りがいも体力もなく、エネルギッシュな彼女からすればきっと物足りないに違いないだろう。

 いや、それ以前に気持ち悪いと思われてしまうかもしれない。

 しかし無関係の犠牲者を出さず、オリカにこちらの世界へ帰ってきてもらうにはこの方法しかなかった。

 やはり好みの返答ではなかったのか、アリスの表情が微妙に陰りを帯びる。


「ちゃんと意味を理解して言っているのか、怪しいものだね。君の魂は存在を消滅させられ、二度とあの子との再会は叶わないのよ」


 そんなの意味がないじゃない、と彼女は指でカウンターを叩いた。


「性別だって違うんだし、恋人の体に宿るのをあの子が本当に願うとでも? 一方通行の、押しつけがましい愛でしかないのよ」


「それでも、オリカが帰ってきてくれるなら」


 セイゲンの決心に揺るぎはない。

 この役目を引き受けられるのは他の誰でもない、自分だけだ。宙宮家のきょうだいたちを一人たりとも欠けさせるつもりはなかった。

 だがこのとき、喫茶オアシスの店内に凄まじい突風が吹き荒れた。

 あっという間にセイゲンとアリス以外を覆っていた靄も消し飛ばされ、先ほどまでのどこにでもある喫茶店の光景が戻ってくる。ただしフブキたちの姿は確認できても、口だけが忙しなく動いていて、一切の音はまだ遮断されたままだ。

 なのにアリス以外の声がセイゲンの耳に届いた。


「ダメだよ!」


 声の主を間違えるはずもない。

 黒い球体の向こうにいる、オリカの強烈な叫びだった。

 遮断の魔術を解いたのか、と慌ててセイゲンはアリスを見る。

 ところがアリスも驚愕の表情を浮かべており、明らかに彼女の自発的な行為でないことが伝わってきた。


「解いたの……? あの子が自力で?」


 独り言でしかない彼女の疑問に、さっそく答えてくれたのは向こうのダダイだ。


「はっはっは、さすがおれとアマリリスの娘よ。凄まじいまでの魔力のほとばしりを見せてくれたぞ」


「どうやら侮っていたみたいね、私の娘の力を」


 微妙な齟齬はあるものの、二人の魔術師の見解はほぼ一致していた。


「あーあ、失敗したなあ。聞かれていないはずの話し合いが、実はこっそり筒抜けになっていたら面白いだろうって思ったのに」


 暴風で盤面を引っくり返されちゃった、とアリスが舌を出す。

 一方でセイゲンは呆けたように恋人の名を口にした。


「オリカ……」


「ちょっと考えればわかるはずだったのにね。『器』という言葉の意味するところを。わたしは何てバカなんだろうって自分に失望した」


 そのオリカから返ってきたのは、憤りを隠し切れていない鋭い声だ。


「でもね、本気でさっきみたいな提案をしているんだとしたら、セイだって大バカも大バカ、ウルトラデラックス大バカ野郎だ! そんな選択、誰も幸せになれないのよ。もちろんわたしだって望まない。セイや他の誰かを犠牲にして成り立つ幸せなんて、結局どこにもあるはずがないんだよ」


「それでも、ぼくは」


 どうにかこれだけを絞りだすのが精いっぱいだった。

 そんなセイゲンの肩を、アリスが力なく叩いてくる。


「いいよ、もう。今回は私の負けってことみたいだからね」


 彼女は幼い子供のようにくるりと椅子の向きを変え、黒い球体へと声を掛けた。


「じゃあオリカ、物に宿れるんだったらどうする? 戻る気、ある?」


 そしてセイゲンへ片目を瞑ってみせる。


「何かおかしい? 物ではダメ、とは一度も言ってないからね」


「「性格が悪すぎる……」」


 期せずしてオリカとセイゲンの声が重なった。

 だが一部には別の見方もあるらしい。


「アマリリスはそこがいいんだ、そこが」


 ダダイなる男は心底アリスに惚れ込んでいるようだが、鋼鉄をも凌駕するメンタルの持ち主なのだろうか。

 少しの沈黙の後で、オリカが言った。


「可愛らしい動物のぬいぐるみとか、そういうのがいい」


「面白味のない答えだねー」


 アリスは不満げに口を尖らせていたが、拒否するつもりはなさそうだ。

 ぱちん、と彼女が指を鳴らすと、ようやくフブキたちの声も回復する。もっともきょうだいたち全員が同時に喋っているので、それぞれ何を言っているのかまではわからない。

 そんな四人の中から、アリスははっきりとミコを指差した。


「セイゲンくんからもらったんでしょ、そのぬいぐるみ」


「うん」


 いつものようにミコは柴犬のぬいぐるみを胸の前で抱えている。

 アリスが「引き合う縁ってのはバカにできないね」と呟き、空のコーヒーカップの縁を爪先で弾いた。


「こうなる運命だったってことなのかな。私好みではないけれど」


 その言葉を受けて、母へと歩み寄ったミコがぬいぐるみを差し出す。


「オリカちゃん、帰ってきてくれるよね」


「心配しないでも大丈夫だよ、ミコ。向こうにいるオリカのパパが、必ずこっちへ魂を帰してくれるはずだから」


 本心なのかどうなのか、意外にもしおらしい台詞を口にしたアリスだったが、すぐに口調を変えて黒い球体の向こうにいるオリカの父へと迫る。


「そうよね、ダダイ。失敗は許さないから」


「もちろんだとも。娘のため、アマリリスのため。うおおお、今のおれなら何でもできるぞ! 二つの世界を丸ごと繋げることだってきっとやれる!」


 随分と頼もしく、そして傍迷惑な意気込みだった。

 フブキにハルク、キョウスケがミコへくっつくように集まる。


「早く」


 ごく短い一言と目線だけで、セイゲンはフブキに促された。

 宙宮家のきょうだいたちの輪に迎え入れられ、最愛のオリカが帰ってくるその瞬間を、今か今かと待ちわびる。

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