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ブラック・スミス2 〜探偵と幽霊もどきと妖精の丘〜  作者: 雅楠 A子
《本編》

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39/40

20(1/2).晩餐の始まり - Before the Feast

 『赤の部屋』にて、晩餐に向けてタキシードに着替えていたジェムは、衣装箪笥の内側に取り付けられたささやかな鏡と向かい合いながら、蝶ネクタイを付けようとしていた。まるでスパイ映画だな、と鏡に映る自分を見て思う。こんな状況で着飾るなんて滑稽だ、とも。


 ディガーたちと別れた後、ジェムとリリーは来た道を戻ることにした。そろそろ、ガゼボにいる仲間たちに合流しなければならなかったし、20時からの晩餐に間に合うように支度をしなければならなかった。ディガーの提案通りに庭師を尋ねる時間はなかったのだ。

 部屋に戻るなり、どちらが先に浴室を使うかで軽い小競り合いになって、負けた方のジェムは急いでシャワーを浴びなければならず、一方で勝った方のカートは既にグレーのタキシードに身を包んで、今は窓際に立って階下に見える庭をそれとなく眺めている。手に水の入ったグラスを持って。そういえば、二度目に"ブルー"へ訪れたときは、あの窓から出てすぐのところに広大な丘があったのだっけ――と、ジェムが上着を着ながら考えていると、振り向きもせずにカートが話し始めた。


「君が行方を(くら)ますとき、こちらではポルターガイストが起きるようだ」


 身なりを正しながら、ジェムは言葉を繰り返す。「ポルターガイスト?」


「一度目はプレイルームで、二度目はこの部屋で、三度目はあの廊下で」


「待ってください、」カートの話に聞き覚えのない事象が含まれていたので、ジェムは話を遮った。「プレイルームですって?」


「チーフがヴィッラに着いて間もなくのことだ、プレイルームの前に集まる従業員たちを目にしていたんだ。気になって彼らの背後からそっと部屋を覗いてみれば、室内は酷い有様だった。ポーカーテーブルの椅子は倒れ、カードは散乱、ビリヤードの玉はあちこちに転がり、幾つもの酒瓶は割れて床も絨毯も濡らしていた。チーフの視線に気付いた従業員たちは、慌てた様子で部屋の戸を閉め、掃除に取り掛かるからと人払いしたらしい」


 ……だから昨日、ロロはカートをビリヤードに誘ったのか。


 ジェムは前頭部を右手で軽く揉みながら、考える。昨晩の『赤の部屋』で起きたポルターガイストのことは、カートの口から既に聞かされていたし、その被害は実際に自分の目で見ていた。就寝前に大片付けをしなくてはならなくて気が滅入ったものだ。廊下でのポルターガイスト現象といえば、考えるまでもなく、今日の昼頃に起こったあの窓のことだろう。視界を遮られて、知らず知らずのうちに"ブルー"に引き込まれたことは記憶に新しい。

 だけど、プレイルームか、とジェムは顔を顰める。自分がいたところからはかなり離れている。まさか自分は、プレイルームにいた"誰か"が"ブルー"に移動した現象に巻き込まれただけだったのだろうか。そんなことが起こり得るんだろうか。


「……なぜ、話してくれなかったんです?」


 ジェムの問いにカートは眉をひそめ、腰を捻って背後を振り返った。


「君に言えたことか?」


 言葉もなかった。カートの指摘は尤もだった。その科白からは静かな怒りが感じられた。幾度なく訊ねられていることに対して、軽くあしらうようにはぐらかしてきたのだから、そんな自分が彼を批難する資格なぞどこにあろう。ジェムは言葉を飲み込んだ。


「君にも事情があるのは分かってる」グラスを書き物机に置き、ジェムの方へ歩み寄りながらカートは言う。「だからって、"ブルー"の危険性を僕に話さなかったことを許すわけじゃない。君は知らないかもしれないけど、僕は真実のために犠牲を払うなんてやり方は好きじゃないんだ。それは別にしても、あんな隠し事をしておいて今の発言は、流石に身勝手が過ぎると思うね」


 ジェムは間近に立つ背の高いカートを見上げ、その表情をじっと観察した。ふと、自分が彼の発言の裏の真意を探っていることに気付き、なんたる悪癖かと思って視線を外した。ひと呼吸置き、気持ちを新たに、もう一度カートに視線を合わせる。


「……すみません、自分本位でした」


 しかし、ジェムが誠心誠意に謝罪したにも関わらず、カートは半ば諦めの混じったような歪んだ微笑を浮かべた。


「これでもまだ話すつもりはないか」


 居心地が悪くて、ジェムは唇を噛んだ。本当に誠意を見せるつもりがあるのなら、彼の求めているものを話すべきなのだ。だが、話せない。それでも、ジェムは話す決心ができない。

 黙り込むジェムを見て、カートは攻勢の態度を弛めた。


「なあ、ジェームズ」不安や気恥ずかしさに、ついつい腕を組んで手の平を隠しながら、カートは話しかけ続ける。「僕だってスミスの探偵なんだ、君にまだ隠し事があるのは分かってるさ。それがなんにせよ、言っておくが――僕は君を信頼している。妖精課のみんなを信頼している。人の秘密を暴くような仕事をしておいて、まさかこんなふうに考えるときがくるとは思っていなかったが、僕は君たちとなら助け合えると感じているんだ。でも、だからこそ線引きは必要だ。君が不快に思うなら、これ以上首は突っ込まない。そうすべきじゃないと思う。だがもし、君ひとりでは抱えきれないと思ったら、僕にも話してほしい。……いいね?」


 ジェムは、カートの気迫のある目をしかと受け止め、頷いた。


「――それ、本当に相手を口説き落としたいんなら腕は組まない方がいいですよ。信用度が薄れるんで」

「おい、ジェームズ!」


 ジェムはくすくすと笑った。思わず腕を解いたカートも、つられて笑った。それから、まるで仕方ないとでも言うように、ジェムの肩をぽんぽんと叩いた。そして、先に着替え終えていたカートは、そのまま部屋を出ようとジェムの脇を通り過ぎていった。ドアを開ける直前、カートは振り向いて「なあ、」と再び話し掛けた。


「僕は本気だぞ」


 答えに困って、ジェムは肩を竦めた。その結果、「依怙地め」と罵られてしまった。


 捨て台詞を残して部屋を出ると、カートは、ドアから少し離れたところで壁に寄りかかるリリーの姿を見つけた。すぐに目が合ったので、「やあ、リリアーヌ・()()()()」と彼は揶揄い気味に声をかけた。部屋の中の人物にも聞こえるくらい、大声で言ったのはわざとだ。案の定、今し方出てきたばかりの部屋から、なかなか賑やかな物音が聞こえてきた。カートは我慢できずにほくそ笑む。そんな彼を、リリーは不審そうに見上げている。


「揶揄ってます?」

「悪気はないよ」


 ますますリリーの眉間に眉が寄る。しかし、カートはそれきり歩き去ってしまって、真意を伝える気もない様子だ。揶揄われた側としては、首を捻るしかない状況である。そこへ、がちゃがちゃ、と手荒にドアノブを捻ってジェムが部屋から現れた。


「リリー、」ジェムは僅かに息を弾ませながら言った。「ごめん! まさか待たせてるなんて」


 リリーは微笑を浮かべた。


「女性は支度に時間がかかるといいますしね」

「そういう意味じゃ――」

「事実ですもの。実はね、セニヤに手伝ってもらったんです。お陰で、随分早くに準備ができちゃった」


 そう言う彼女が着ていたのは、サテン生地で孔雀緑のカフタンドレスだった。前立てにはゴールドの生地を使い、繊細なかぎ針刺繍が生地の端という端を額縁のように飾っている。そこにベルベット生地のガウンを羽織り、上からメダルを模したようなパーツ付きの布ベルトを巻いて、彼女のウエストの細さを際立たせている。前身頃の中央に入ったスリットから彼女の脚が顕になるのを、クリーム色のスリップインナーが防いでいた。


「そのドレス、」と急激に話題を変えたことを半ば後悔しつつも、ジェムは続けた。「よく似合ってる」


 おや、とリリーはジェムの違和感に気が付いた。この程度の褒め言葉、普段なら気楽に口にできるような彼が、いつになく緊張した様子なのだ。


「そう?」と腕を組み、リリーはわざとらしく高慢な返答をしてみせた。狙い通り、それはジェムの意表を突いたらしく、彼の眉がくいっと上がった。気を良くして、リリーはいっそう彼を揶揄う。


「あなたは――服に着られてるみたい」


 ジェムの頬が緩んだ。


「まあ、着慣れてないしね」

「誰が選んだんです?」

「アルフォンス・ギファード」


 リリーの顔から笑みが消えた。片眉が上がり、目を細めてジェムを責めるような視線を向けてくる。ジェムはリリーの真似をするように片眉を上げて、歪に口角を上げた。ジェムがリリーではなく、オルトンを頼ることに彼女が複雑な感情を抱くことを知っていたので、この反応を彼は予想していたのだ。軽い意趣返しである。リリーが苛立った様子で軽く息を吐いた。


 それから、「動かないで」とジェムに命じた。ジェムは存外素直に従った。リリーは自分の髪からヘアピンを抜き取り、左手に持ったままジェムとの距離を詰めた。彼の目尻にかかっているひと房の前髪を摘み上げ、「ちょっと屈んで」と追加の指示をして、それを耳の後ろへ流してピンで留めた。半歩引いて品定めするようにジェムを見た後、リリーは満足そうに微笑んだ。


「……少しはマシになった?」


 ジェムは彼女の行動に呆れながらも、そう訊ねた。


「大いに結構」


 リリーは答えた。その答え方が普段の彼女からは想像できないほど高飛車だったので、不意を打たれたジェムは相好を崩した。


 ……すっかりリリーのペースだ。自分よりもずっと、このような華やかな場に慣れているのだろう。


「――早く行きましょう? どんな些細な違和感も見逃したくないのなら」

「そうだね。髪の乱れすら見逃したくない」


 今度のジェムの軽口には、リリーは取り合ってくれなかった。まるで聞き分けのない子どもを相手するように、首を振ってさっさと先へ行ってしまう。流石にお巫山戯が過ぎたか、とジェムは反省してリリーの後を追った。


 ティールームと娯楽室(プレイルーム)の間には、客室フロアから出られるベランダがあった。以前、セニヤとマイと共に、ジェムが訪れたあのベランダである。昼間の館内ツアーにおけるグレタの案内では、晩餐会場はここから向かえとのことだった。リリーは初めて通る道に不安を覚えながらも、その指示に従った。前日に場所を確認済みのジェムは、リリーに追いついた後は半歩先に歩いて、彼女のために戸を開けた。ちら、と上目遣いにリリーはジェムを見上げた。


「時々、考えるんです」

「なにを?」


 開けてもらったドアを通り抜けながら、リリーはジェムに話しかける。


「あなたの()()が、作法(マナー)としての行動なのか、それともただのご機嫌取りか」


 後ろ手にドアを閉めながら、ジェムはにやりと笑う。


「ご機嫌取りだとしたら、実際に効果はあるのかな?」

「腹立たしいことに」

「なら、身に付けておいて損はなかった」


 そう言って、ジェムは右腕を彼女に差し出した。リリーはふふん、と彼の諧謔(かいぎゃく)を軽くあしらい、慣れた手つきでジェムの腕に左手を軽く乗せた。


 ベランダの欄干には赤いゼラニウムや白のペチュニアが植わった鉢植えが掛けられていた。その華やかさに誘われるように手摺に近付くと、晩餐用に飾り付けされたパティオを全体的に見渡せるようになっていた。ゼラニウムの花弁を浮かべたバードバス、壁際に所狭しと置かれたリンドウやスカビオサ等の鉢植え、ガーランド風の吊り下げ電球がそれらの花々を照らし、金木犀の低木が生成色の壁に柔らかい影を落としている。


「素敵」


 感嘆するリリーの横顔をちらと窺い見れば、彼女の緑の瞳に電球の明かりが反射してきらきらと輝いていた。その光景を見て、確かに昨晩とは違うようだ、とジェムは評価した。


「素敵なドレスだね、ミス・ベルトラン」


 馴染みのある声に二人が振り向くと、そこには予想通りペドロが立っていた。


「ありがとうございます、セニョール」とリリー。「素敵なカマーバンドですね」

「ああ、最近腹回りが気になってきてな、選ばざるを得なかった」

「お似合いですよ」とジェム。

「はは、褒め言葉として受け取っておこう。君もなかなか、きまっているよ」


 にこやかな態度のまま、ペドロはジェムの隣に佇んで、先程までの二人と同じように中庭を見下ろした。


「斯様に美しい場所で、果たしてなにが起きるというんだろうね?」とペドロ。

「加えて、ドレスコードまで」とジェム。

「依頼人の方から指定してきたのですから、きっと意味があるのでしょう」とリリー。

「もしくは高級ホテルとしての矜恃か」


 ペドロは穏やかに、しかし笑みを引っ込めて言った。それも一瞬のことで、ジェムたちと視線を合わせたときには和やかさをすっかり取り戻し、「邪魔したね」と一言告げて、ベランダ突き当たりにある階段へと向かって行った。


「わたしたちも行きましょう」とリリーはジェムを促した。ジェムは動かずにリリーを引き止めた。 「うん、でも、もうちょっと待って。セニョール・ガルシアが自由に動ける時間を少しだけ作ってあげたいんだ」


 そうして暫しの間、ベランダからの景色を眺めることになった。晩餐の準備のため、とパティオはずっと閉鎖されていたので、間近でその構造を見るのは初めてだった。ほんの僅かな間でジェムは満足したらしく、それから直ぐに二人は階段へ移動した。階下へ来てみて初めて、ベランダの下が回廊になっていることを知った。回廊には長テーブルがセッティングされていて、白いテーブルクロスの上には人数分のカトラリーと飾り皿に乗った布ナプキン、シャンパングラスが整然と置かれていた。

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