20(2/2).
回廊のアーチの影に立ち、この晩餐のホストであるウィリアム・ハフナーは先客のペドロと言葉を交わしていた。ジェムたちの到着に気付くと、ウィリアムは会話を切り上げ、彼らを出迎えに来た。
「ミス・ベルトラン! ようこそ、パティオ・リャナンへ! そして察するに、あなたがミスター・カヴァナーですね? お元気そうでなによりです」
「ああ、ええと――お陰様で」
ジェムは横目で相棒の表情を確認しながら応えた。相棒は慎ましく微笑んでいるだけで介入するつもりはなさそうだったので、無難な返答しかできなかったのだが、ウィリアムの反応を見るに問題はなさそうだ。ウィリアムはリリーのカフタンドレスに目を向けて、ぱっと目を輝かせた。
「いやはや、実に見事な意匠ですね、ミス・ベルトラン! こういう品はクラダでも滅多にお目にかかれない。……差し支えなければ、どなたが手掛けたものか、伺っても?」
「残念ですが、わたしの祖母から引き継いだ品としか分かっておりませんの」
「そうでしたか。なかなか興味深い。交易商をしていた頃の血が騒ぎます」
「今は、交易の仕事はなされてないんですか?」とジェムが訊ねる。
「繋がりはありますがね、」とウィリアム。その顔は些か哀愁が漂っている。「今はもう、時々港に顔を出す程度です」
ジェムが相槌を打っていると、ふとウィリアムの目線が動き、またもや瞳を輝かせた。
「おや、あれは――失礼、客人を迎え入れなくては」
そう言ってウィリアムは軽く頭を垂れ、パティオへ訪れた客人へ挨拶に向かった。「ミス・マイ! ようこそ、パティオ・リャナンへ! その美しいお着物は、アオザイですね? 素晴らしい! 実際に目にしたのは初めてです――」
そんな彼の姿を遠目で観察しながらジェムは身体を傾け、まるで内緒話をするようにリリーに言った。
「なかなか面白い人だね。あのままファッション事業に進出しそうな勢いだ」
「そうですね」とリリーは上の空で返す。「……マイ、ちょっと困ってるみたい」
言われて初めてジェムはその観察眼をマイに向けた。彼女は見て明らかな程にまごついていた。賛辞に困惑し、応対に迷い、決断できずに適当な相槌を打つばかりだ。手を貸すべきか状況を見極めていると、隣で痺れを切らしたリリーが動き出した。するりと腕から手を外し、小さな歩幅ながらもマイの許へ駆けつける。あっという間の出来事で、ジェムはついつい感心した。
マイへの救援はリリーにすっかり任せ、ジェムは周りに目を向けた。先客として会場に居たのはペドロだけだった。ジェムは、アーケードの柱間に体重を預けているペドロの許へ話しかけに行った。
「セニョール・ガルシア」
「やあ、カヴァナー」
「なにか収穫はありました?」
ペドロは快活な笑い声を上げた。
「君がいると、気が抜けないな。俺との違いなんて、たったの数分だろう?」
「その数分が勝敗を分けるのでしょう?」
「雑談程度の情報ならあるよ、期待に応えられず悪いが」
「十分じゃないですか、聞きますよ」
「つい先程、オーナーから聞いた話だ」ペドロはそう前置きした。「この中庭は元から『パティオ・リャナン』という名前が付いてたらしくてな、由来は"妖精の恋人"リャナンシーだそうな。このリャナンシーというのは、人間に愛を求める妖精で、リャナンシーの愛を受け入れた者には芸術の才が与えられると言われている。……まあ、これを見れば分かるだろうが、この庭を造ったやつはリャナンシーの恩恵を受けたって話さ」
「その恩恵を受けた庭師ってのは、」とジェムは、庭を指して語るペドロに訊ねる。「……ちゃんと人生を全うできたんですか?」
「概ね、君の予想通りだ。リャナンシーは才能を授けるが、引き換えに精力を奪う。天才芸術家は短命となる運命も与えられたわけだ」
「その話、今回の件に関係してると思いますか?」
「さあ、どうかな。今のところ、芸術家らしき人間には出会えてないし、リャナンシーらしき姿も目にしてはいない。"妖精の恋人"の仕業と考えられる状況がなにひとつないのでは、これと依頼人の頭を悩ませている問題とを関連付けることはできないな。――君はどうだ?」
ジェムは二の足を踏んだ。こちらの質問に丁寧に答えてくれたのだから、誤魔化さずに返すのが筋なのだが、なかなか言葉が口をついて出なかった。そんな彼の答えを、ペドロは黙って待っていた。やがて、ジェムは意を決して口を開いた。
「……ぼくには、リャナンシーの求める"愛"っていうのが、分からない」
ペドロは妙に畏まった顔で何度も頷いた。
「それは、なかなか良い着眼点かもしれない」
ジェムは隣に立つペドロをおずおずと見上げた。自分の吐いた科白に対し、心理療法士や自称博愛主義者がするような憐憫の目を向けられるのではないかと恐れていた。しかしペドロはそうせずに、ジェムの言葉をそのまま受け取った。ジェムが抱える問題としてではなく、多角的な思考を提案する意見として、ペドロには随分興味深く聞こえたようだった。彼はしばらくの間沈黙し、そしてこう言いかけた。「実はな、」
「皆様、お揃いのようですね」
パティオの中央に立ち、よく通る声でウィリアムが言った。いつの間にやら、探偵社の仲間たち全員がパティオに到着していたのだ。
「晩餐の用意が整いましたので、お席へご案内いたしましょう。どうぞ、こちらへ――」
そう言って、ウィリアムはスミスの探偵たちを回廊の方へ誘導した。ジェムはペドロと別れ、人助けのために離れ離れになった相棒を迎えに、パティオを横断した。
「――あら、ジェム」
すれ違いざまにサーモンピンクのスレンダードレスを着た女性――ネルが声を上げたので、ジェムは立ち止まった。
「最近は男もヘアピンを使うのね」
当初、ジェムはネルの示唆しているものが分からなかった。よくよく考えて、その数秒の間にリリーが自分の髪をヘアピンで留めたことを思い出し、それからは一瞬にしてネルの狙いを察した。
「時代錯誤なことを仰いますね」
にやりと口角を上げつつ、ジェムは言った。
「うーん、これも駄目か。結局、外見についてケチつけるのが、手っ取り早くあんたを揺さぶれるんじゃないかと思ったんだけど」
「流石に悪趣味ですよ。そこまでして、ぼくからなにを引き出したいんです?」
そんな遣り取りをしていたら、リリーの方からジェムの傍にやってきて、呼びかけひとつでネルから彼の気を逸らした。 ジェムの視線がリリーへ向いた時、ネルは先の質問に答えた。
「本音よ」
二人は同時にネルを凝視した。ネルは満面の笑みを浮かべた。
「さあ、席に着きましょ? ここからが正念場なんだから」
ネルがそう言うので、ジェムとリリーの二人も晩餐の席へ向かうことにした。道すがら、リリーはジェムに訊ねた。
「なんの話をしていたの?」
「なんにも」
さて、晩餐の席にホストと招待客の探偵社員たちが全員揃い、回廊の長テーブルに集まった。奥にウィリアム・ハフナーが座り、対面には主賓として妖精課課長のロロが、彼の両隣には議論を引っ張る役のカートとネルが座った。カートの隣にはマイが、ネルの隣にはジェムとリリーのコンビが座り、ホスト側にはセニヤが左隣を、右隣には一席空けてペドロが座った。顔がそっくりの双子らしきメイドたちが各席のグラスに食前酒を注ぐなか、ウィリアムが発言する。
「この場を皆様とご一緒できること、大変嬉しく思います。今宵は、当ホテル自慢のシェフが腕に縒りをかけた料理をご用意しました。どうぞごゆっくり、お楽しみください」
ロロはウィリアムの右隣の席を一瞥し、訊ねた。
「奥方のお加減は如何ですか?」
「お気遣いありがとうございます。まだ体調が芳しくないようで……、食事を終える前には顔を出せるかと」
含みのある言い方だった。更には確認するような視線をカートに送っていた。一方のカートは微笑むばかりで、ロロに説明することもない。しかし、妖精課の課長を務めるような男には、そんな遣り取りで十分だった。
「形式的にお訊ねしただけですから、お気になさらず」
ウィリアムは安堵した様子だった。一連の彼の反応の理由を、ジェムは推測から導き出したが、念には念をと、身体を僅かにリリーの方へ傾けた。聡い相棒はジェムが訊ねるより先に小さな声で「予定通りです、問題ありません」と話した。ジェムは直ぐに元の体勢に直り、その些か子どもじみた彼の挙動にリリーは笑みを零した。
やがて、全員のテーブルに小皿料理が配膳された。中皿に深めのスプーンがひとつ、柑橘系の匂いのするソースに浸った赤身の魚と白っぽい野菜を細かく刻んだものに、オレンジ色の滑らかなムースが載っている。赤い粒状の飾りはピンクペッパーだろう。
「マグロのタルタル、柑橘ヴィネグレットソース掛けです」メイド長のスレマが、ウィリアムの席に配膳しつつ、説明した。「上に南瓜のムースを載せています」
「今朝、港から仕入れたマグロです」商人っぽい熱の入った言い方でウィリアムが補足する。「南瓜はうちの畑で育てたものでしてね、これがなかなか――」
そこでウィリアムの言葉が尻すぼみになった。遠くの一点を食い入るように見つめ、その目は驚愕に大きく見開いている。彼の唇が小さく動いた。「……カリスタ」
探偵たちがウィリアムの視線の先を確認すると、そこには昨日の昼間、ジェムたちと顔を合わせたあの細身の女性が立っていた。グレタに奥様、と呼ばれていた彼女は、今、まるで喪服のように真っ黒なドレスに身を包み、晩餐テーブルからの視線を一身に受けながらパティオの中心で佇んでいる。
「これは予定通り?」
ジェムは小さな声でリリーに訊ねた。
「いいえ」
リリーは答えた。
「カリスタ、」ウィリアムは妻を迎えに席を立った。「もう身体は平気なのかい?」
「今日はすこぶる気分がいいの」カリスタは出迎えに来たウィリアムの手を取り、彼の誘導に従いながら、続けて囁いた。「このときを待ちわびていたんだもの」
探偵たちには、妻のひそひそ話に顔の筋肉を強ばらせるウィリアムの姿がはっきりと見えた。いよいよ訪れたのだ。長く秘匿されてきたこの不可解な依頼の全貌が明らかになる、そのときが。静かに、華やかに。晩餐とともに。
本作をお読みくださっている皆様、いつもありがとうございます。
お知らせがあります。
この頃、実生活にてトラブルが度重なり、物語内容に好ましくない影響が出始めたため、誠に勝手ながら、しばらく休止することにいたしました。
連載期間が想定以上に長引いているため、自分自身も相当悩みましたが、この物語世界を今後も大切に育てていきたいので、苦渋の決断を下しました。
何卒、ご理解の程よろしくお願いいたします。




