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語り終えたヴィンスは、遠くを見るように漂わせていた目の焦点を聞き手の二人に合わせた。二人の顔は驚きと嫌悪とが入り交じった感情に歪められていた。絶句して語り手のヴィンスを凝視する彼らに、ヴィンスは言った。
「先に言ったろ。おれが見たのは、この町の最悪な記憶だ、って」
ジェムは苦々しげに言った。
「最悪とまでは言ってなかったぞ」
「……そうだっけ? でも、『聞いても、いい気はしないだろう』とは言ったよな?」
ヴィンスの問いかけにリリーは頷いた。
「……ええ。そのように、認識しております」
これほど引き攣った顔も珍しい。
「実際に、そういった歴史はあったのか?」
ジェムは訊ねた。
「歴史としては、ない。だが、記録を漁れば証拠になりそうなものが結構ある。記事にして公開すれば、それこそ国中大騒ぎだろうぜ。まともな市長なら、事実を認めて資料館を作って、先人たちの代わりに謝罪する」
「……負の遺産として、この屋敷を保存することも可能か?」
リリーはジェムの目をまじまじと見つめた。ヴィンスも神妙な面持ちで彼を見つめた。ジェムはそれらの視線が、自らに説明を求めているものだと理解した。
「ぼくが最初に"ブルー"で見た光景を覚えてる?」
「妖精の姿を見たと言ってましたよね」とリリー。
「それも御伽噺に出てくるようなやつだろ、人魚とか巨人とか」とヴィンス。
「イスメネやディガーが言っていた通りなら、"ブルー"で再現される世界は誰かの記憶だ。つまり、ぼくが見たあの光景も、誰かの記憶ということになる。あの妖精たちも――」
「誰かの記憶?」とリリーはジェムの科白を引き取る。
ジェムは頷く。「ヴィンスの見た光景も併せて考えると、あの妖精たちは実際にこの土地にいて、この土地で死んだのかもしれない。それも遺恨の残るような死に方で。……もし、そうなら、この地域には、凄まじい力を持った"妖精の遺物"があるとは考えられないか?」
ああ、という気付きと嘆きからくる感嘆の声。次いで、血の気が引き、青白くなる顔。ぎゅっと首許のロケットペンダントを握り締めながら、リリーは過酷な現実を受け入れようと努めた。
ヴィンスは、リリーの様子から事態を把握しようとしたが、認識の擦り合わせがまだ足りないと判断して、考えを改めた。
「"妖精の遺物"ってのは?」とヴィンスは訊ねた。
「その言葉が内包する意味は単一じゃない。"妖精の遺物"は、妖精一族に世代を超えて受け継がれる遺物でもあれば、妖精犯罪に巻き込まれた人々がその身を変えて遺した物でもある。リリーのロケットペンダントなら前者で、"妖精泥棒スワイリー"が獲物にしていたのが後者だ」とジェムは答えた。
「スワイリーか、その名前を聞くのは久しぶりだな。その遺物が凄まじい力を持っているってのは、どういう意味だ?」
「そのままの意味さ。どういうわけか、本物の妖精が遺した物には力が宿るんだ――それだけは、迷信じゃなかった。リリーのペンダントがその証拠だよ。ぼくは、その力をこの目で見てる」
ヴィンスは黙った。ジェムが可能性を示した問題の中身を理解したのだ。その上で、今回、ハフナー邸周りで起きている事象において、"妖精の遺物"の影響がありそうなものはないかと考えた。そして、それは明らかに――
「"妖精の遺物"が原因で、人間が"常世"へ行き来しているのだ、と。そう言いたいのか?」
三人とは別の声の登場に、ジェムとリリーは正体を確認するために首を回し、ヴィンスはげんなりと肩を落とした。声のした方に視線を遣ると、暗緑色の派手な毛色の犬が広大な池を背にして佇んでいた。
「ディガー!」
「いつからそこにいたんだ?」
リリーとジェムの反応を受けてか、ディガーはゆっくりと彼らの近くに移動する。
「驚かせるつもりはなかった。お前たちの邪魔をしてはいけないと思って、離れたところで会話が終わるのを待つつもりだった。だが、聞こえてくるものに聞こえないふりはできなくてな。犬の相だ」
ディガーはリリーたちの前で上手なおすわりをして、べろり、と自分の鼻を舐めた。
「だったら話は聞いてたろ、きみの意見を聞かせてくれ。"妖精の遺物"なら、それは可能か?」
ジェムはディガーに向かって問いかけた。ディガーは実に機嫌が悪そうな唸り声を響かせた。
「忌々しいことに、可能だと言わざるを得ない。あの光景を見た後ではな。しかし、そんなことができる遺物なぞ、存在自体が危険だ」
「だから言ってるんだよ、この屋敷を管理することはできないのか、って。ウィリアム・ハフナーに任せてもいいっていうなら、このままでもいいんだろうけど、それでも事情は説明するべきだ。遺物の対処の仕方があるなら、それもね」
ぐるるるる、と更に低い唸り声がディガーの喉奥から漏れ出る。後ろ足をもぞもぞと動かして、居心地が悪そうだ。時々、彼は気難しいんじゃなくて、ただの面倒くさがりなのではないかと思うときがある。
「ヴィンセント・コースケ・アボット、」とディガーはヴィンスに呼びかける。「所用ができた。俺はしばらくこの町を離れる」
「はあ? なんで?」
「ご主人に話を通す必要がある。その前に、お前を元いた場所に戻してやるから、支度をしろ」
ヴィンスは溜め息を吐いて、いかにも不本意そうに重い腰を上げた。そこで、はた、と気が付く。
「お前がいなくなったら、どうやってジェムたちと連絡を取れって?」
「方法はある。この家は、外界との接触が限られているが、禁止されてはいない。ただ、猫も人も寄り付かない」
「じゃあ駄目じゃねえか」
ディガーは呆れて溜め息を吐いた。分かりやすくヴィンスから顔を逸らし、ジェムたちに話しかけた。
「庭師を頼れ。奴なら、方法を知ってるはずだ」
「わたしたちの事情を知ってるの?」とリリー。
「いいや、」とディガーは短く否定しつつ、理由を説明する。「奴は他人の事情などというものに頓着しない。だが、愚かでもない。だから信用できる。こういう場合はな」
ちら、とリリーが意見を伺おうと横目でジェムを見上げると、彼も同じ気持ちだったのか視線が合った。ジェムは肩を竦めた。ディガーの意見が正しいかどうかは、行動してみなければ分からない。
「……ありがとう。きっと、そうするわ」
リリーはそう言って、ディガーに頷いて見せた。彼は満足した様子で、長く丸まったしっぽを2、3度軽く揺らした。
代替案がリリーたちに受け入れられたので、ヴィンスはディガーに従うしかなくなった。嫌々ながら、ディガーの後ろで彼の準備が整うまで待機する。ディガーは四足で立ってヴィンスの傍まで寄ると、今度は膝を折って地面に伏せた。ヴィンスはディガーの背に跨るようにしゃがみ込み、それと同時にディガーは体勢を戻してヴィンスを自らの背に乗せた。
「――おっと、そうだ! ジェム、紙とペン、あるか?」
ヴィンスは早口で、左手に右手でものを書く動作を混じえながら、訊ねた。ジェムは土手から腰を上げ、ピスポケットから革表紙の手帳を取り出した。ヴィンスたちとの距離を詰めつつ、手帳から頁をちぎり取り、表紙の上に乗せてヴィンスに手渡した。その後に、チェストポケットからボールペンを引っ張り出して渡した。ヴィンスは紙切れに走り書きしながら言った。
「おれが滞在してるゲストハウスの住所と電話番号、このまま他人に渡してもいいように書いておくよ、念の為」そして、紙切れと手帳とペンをひとつにまとめてジェムに返す。「もし他人を介すのなら、そいつがお前の遣いだって分かるように合言葉を伝えておいてくれ」
分かった、とジェムは返されたものを受け取りながら頷いた。「考えておくよ」
ディガーは前脚で激しく地面を引っ掻いた。固い土の表面から光の粒の集合体が溢れ出して、靄となって辺りを漂い始めた。ジェムは後退った。背後で、リリーが立ち上がる音を聞いた。
「見えるだろう?」前脚の動きを止め、ディガーが言った。「これが入り口だ」
「えっ」「どれが?」と、リリーとヴィンスはディガーの鼻先に視線を注いだ。しかし、そこには乾いた土に小石が少し転がっているだけだった。
ディガーは頭をもたげて、ジェムの表情を観察した。彼は明らかに"なにか"を凝視していた。目を皿のようにして、戸惑いよりも畏れるような眼差しで、ディガーの鼻先どころか、もっともっとその先の方を――。
ジェムの目には、信じられないものが映っていた。ディガーが掘り起こした光る靄が立ち込めるその場所に、とてつもなく深い穴が開いていた。下へ下へどこまでも続くようなトンネルのような穴が。一歩、靄の中へ足を踏み入れようものなら、真っ逆さまに落ちていきそうな崖っぷちのような穴が。
穴の底を探るようなジェムの目を見て、ディガーはやはり、とほくそ笑む。これまで、"常世"を通る恐しさを共有できた者はいなかった。だが、この男なら。ディガーは確信する。
「次に"ブルー"へ誘い込まれることがあったときのために、この入り口を覚えておくといい。記憶があの世界を形作るのだから。――それではな」
別れの挨拶を告げるなり、ディガーは穴へと飛び込んだ。突然の動作にヴィンスが悲鳴を上げていた。ディガーたちを飲み込んだ後、穴はすっかりなくなった。あの光の靄も、いつの間にやら霧散していた。
大型の猟犬とともに人の姿が消えて、リリーは息を飲んでいた。隣でジェムは恐怖に顔を引き攣らせていた。
「……あんなの、通った記憶ないぞ」
ジェムの呟きをリリーは聞き逃さなかった。




