17(1/2).家政婦長の事情 - The Case of the Housekeeper
昼食にはかなり遅い時間だったため、スレマたちが用意したのはサンドイッチとクラッカー、それに数種類のコンフィチュールだった。料理長の作った今朝の食事に比べれば、余った具材をパンに挟んで切っただけの粗末なものである。にも関わらず、テーブルの上に広げられたそれらを見て、探偵たちからわっと歓声が上がった。
「料理長のものと比べれば粗末なものですが、使用している材料は良いので味はそれなりかと」
言いつつ、スレマは歓声に照れたように微笑んだ。
「そうは仰るけど、やはりプロですわ」と、煽てるのはセニヤである。「手際は良いし、仕上がりも綺麗。私じゃ足元にも及ばなくて、手伝うどころかお手を煩わせてたんじゃないかと心配です」
「まさか。お力添え、大変感謝しております」
などと応対するスレマは、初対面時からは一転して、声も表情も和やかである。
それで終われば良かったのだが、不思議なことに、妖精課の人間はなにかしら不和を生じさせないと我慢できないのか余計な行動を取ってしまう傾向があった。今回その負わなくてもいい役目を負ったのはカート・オルブライトだった。彼はサンドイッチを一片手に取ると、「なるほど」とやにわに呟いた。
「これだろ、セニヤが作ったの。すぐに分かったよ」
セニヤの両眼が冷ややかに細められた。
「ほんと、あんたって意地が悪いわね」
そんなふうに悪態をつかれているのに、にこにこと笑顔を崩さないカートの心境は、他人からはまったくもって想像できない。それらの遣り取りを誰よりもうんざりした様子で見ていたのはネルだった。こうして、またもや、ネルがワトソン役を雇う未来は遠のいていったのである(そんな未来なぞ、どこにも存在しないかもしれないが)。
食事をしながら、ジェムはなるたけ自然にスレマとアンディの外見を熟視した。初めて顔を合わせたときは彼らの雇い主がいて、彼の会話なり反応なりに注意を向けていたために、スレマたち従業員の容姿をじっくり観察する余裕はなかったのだ。ましてや、あの非協力的な執事の目がある中で、じろじろとスレマたち従業員を値踏みするような目を向けることなぞ不可能に近い。今が絶好の機会だった。
アンディ、と紹介される前に、ポーターの赤い制服を見たのは2回ほどだった。そのどちらも同じ顔の人物で、応接室での対面時にも彼の他にポーターはいなかった。アンディは荷役労働者にしてはかなり細身な若者だ。ゆえに、ポーターが彼一人だと知ったときは、かなり驚いたものだ。なだらかに下がった肩は女性らしくも見え、変装されれば男女の境い目が曖昧になって、彼が彼だと分からなくなる可能性がある。そんな体型を隠すようにすとんと寸胴な制服のジャケットは、着丈は合っているのに肩幅が合わず袖もやや長いようで、本来なら見えるであろう手袋の下の肌も完全に隠してしまって、とても着こなしているとは言えない外見だった。鍔なしの帽子も少々大きく、後頭部にずり落ちている印象である。
一方でスレマは、絵に書いたような誰もが想像し得るメイドの姿そのものだった。頭に小さなヘッドドレスを載せ、詰襟の裾の長いワンピースの上には汚れを防ぐための前身頃が広めのエプロンを付けている。動作の合間に時折じゃらっと金属の擦れる音がするのは、ポケットに幾つもの鍵を入れているからだろう(あの倉庫の鍵を閉めるのに取り出していたものだ)。首元には黒のリボンタイを締め、手には白い手袋を嵌めているが、それらは他のメイドにはなかったのではないかと記憶している。後できちんと確認しておかなければ、とジェムは心に留めた。――しかし。
……手袋、か。
ジェムは、サンドイッチを掴むスレマの手に、注目した。応接室でペドロが彼女に違和感を覚えた切っ掛けが、彼女の右手を隠した仕草なのを思い出したのだ。こうして近くでスレマが手を使う様子を観察してみると、彼女が右手に隠していた秘密はわざわざ暴くまでもないものだと分かった。
……それでももし、暴く必要があるとしたら――。
ちら、とアンディの姿を一瞥する。ジェムは今し方頭を過ぎった考えを脇に押しやった。彼らの抱える秘密とやらが、無闇に暴いてはいけない真実に思えたからだ。ジェムがそうした判断をした一方で、探偵ならば皆同じ考えとは限らない。同時期にスレマの秘密に勘付いたネルが「ねえ、その手袋」と口を開いた。
「料理をするときには外すのよね?」
そんな明らさまな誘導質問に、ジェムの顔が苦虫を噛み潰したように歪んだことには、誰も責められないだろう。
「無論です」とスレマ。ネルの質問に気分を害した様子はない。「衛生的に良くありませんから」
「彼女の前で?」
ネルは視線でセニヤを指し示した。
「ええ、勿論」
「ネル、なにが言いたいの?」
二人の間を取り持とうとして、セニヤが会話に割って入った。その咎めるような声色に気後れもせず、ネルは答えた。
「確認したかったのよ。その手が、執事が必死になって隠している秘密なのかを。だけど、違ったみたいね。他人の前でこうもあっさりと晒しちゃってたら」
「隠す必要がなくなったのです」
すかさず、スレマはネルの推測を訂正した。彼女は右手の手袋の裾を掴み、少し躊躇して動きを止めたが、思い切って引っ張ってその三本の指を晒した。
「本来はもう一本あったのですが」
言いつつ、スレマはスミスの探偵たちに右手を突き出して見せつけた。探偵たちは目をそらさなかった。好奇な目で見られているというより、目の前にある事実を確認しているような目つきだった。この稀有な状況に落ち着かなくなって、スレマは続く言葉を探した。
「――一体なにをしでかしたら、って思いますでしょう? 実際には、なにもしませんでした。それが問題だったのです。自分は特別なんだと思い上がっていた。一度、"妖精"の烙印を押されてしまったら、それから先の人生、常に身の危険を感じて生きなくてはならなくなると気付いていれば……」
晒した右手を胸許に引き戻しながら、スレマはこの時とばかりに自己開示を始めた。
「私が失った指は、奇形指でした。中指と薬指がくっついて、枝分かれしているような指でした。信心深い家庭で生まれ育った父は、そんな指の私を女神の贈り物だと喜びました。おかげで私は、家の財政状況に見合わないくらいの贅沢をさせてもらいました。そのときまでは母も、この国へ移住した自分の決断を誇りに思っていました。この国にいる限り、奇形児だからと娘が蔑まれる心配はないだろう、と」
スレマの身の上話を聞いていて、ジェムは連鎖的にペドロの秘密を思い出した。ちら、と当該の男の顔を窺い見ると、ジェムの視線に気付いた彼はほろ苦い微笑を浮かべた。スレマに注意を戻すと、ちょうど彼女が話に一呼吸入れた頃合いだった。
「両親は分かっていなかったんです。知り合いや友人に、私たちのような経験をした人はいなかったから。暴走した信仰心がなにをやらかすかなんて、想像すらできなかった。かつて良き隣人だった人々は、狂信者へと変わってしまいました。女神の贈り物を独占するのは良くないと考え、分け合うべきだと言い出し、遂には私の指を"妖精の階段"に献上するようにと提言するまでになりました。これには流石に父も反対して、彼らを説得しようと試みましたが、私たちに味方は現れませんでした。ある日、私たちは父の親戚の家に招待され、食事を振る舞われました。食事には、薬が混ぜられていました。そうとも知らず、親戚を信じて食事を口にした私たちは、その家で意識を失い、女神の恩恵を授かりたかった親戚たちは眠る私の手を取って、そして――」
「やめて!」
どん、とテーブルを叩き、金切り声を上げて、アンディはスレマの話を遮った。
「これ以上はもう、耐えられない」
震える唇で発せられた割には、不思議とよく通る声だった。感情を昂らせる同僚の姿に、スレマは胸を痛めた。話が過ぎたか。自棄になっていたのかもしれない、と反省する。
「話してくれてありがとう」と隣に座るセニヤが言う。「思い出すのも辛いでしょうに」
スレマはおもむろに首を振った。
「20年も前のことです。今の姿の私を見て、あのときの奇形指を持った少女だと気付く人もいないでしょう。辛くはありません。気分が悪くなるだけ」
なんて言ってみせるが、本当は今でも辛かった。失ったはずの指がまだそこにあるかのように引き攣って痛むのだ。
しばしの沈黙が流れた。探偵たちは、新たに聞かされた情報をもとに、これまでに目にしたり耳にしたことを精査するのに何度も何度も頭の中で思い返していた。その時間が余計に雰囲気を張り詰めたものにさせた。膝にかけた毛布が役に立ちそうにないくらい、冷え切っていた。
「ここにいる方たちは全員、同じような経験を?」
重苦しい空気の中、先陣を切ってカートが訊ねた。
「程度の差はあれど、心に抱えた傷は皆、似たり寄ったりです。そういった者共を雇用するのが、ご主人様の意向ですので」
経験の壮絶さは関係ないのだ。
「これは仮定ですが、」スレマの回答を受けて、カートは言う。「皆さんのその傷が数々の心霊現象を呼び起こす原因なのかもしれませんよ」
カートが示した仮説に、ジェムは難色を示した。一体なんの根拠があってそんなことを。そう、口を開きかけたとき、ペドロが言った。
「なかなか興味深い推測だな。何故そう考えられるのか、勿論、説明はできるんだろう?」
穏やかながら、挑むような口調だった。裏付けのない推理は許さない。鋭く細められた目が、暗にそう言っていた。
「依頼人から聞いた話がありまして」至極冷静にカートは答えた。「この屋敷では超常現象が起きる、その事実については皆さんお聞き及びのことと思いますが、それが実際に確認される前から、この屋敷は呪わていると噂されていたらしいんです。それも、前の所有者のときからね。その所有者の家族というのが皆、壮絶な人生を送ったようでして。呪いなんか、と無視するわけにもいかない。妖精課である僕たちは一段とね」
「依頼人が呪いの話を?」とペドロ。
「彼は、呪いの噂と一連の超常現象との間に因果関係があるのではと疑っておられましたよ」
「その話はお二人もご存知なんですか?」と、ジェムはスレマとアンディに視線を向けて訊ねた。それを自分たちへの質問だと正しく受け取ったスレマは、そうですね、と相槌を打った。
「ただ一人の嫡男だったにも関わらず、外見を理由に父親から不義の子と断定され、後継者教育も碌に受けていないのに予期せぬ不幸によって家督を継ぐことになり、一念発起するも最愛の母親の裏切りに合って自決をした青年の話でしたら、はい、知っています」
立て板に水の如く、流れるような説明だった。
「裏切り、ってどんな?」とジェムが尚も訊ねると、スレマは隣に座る同僚の様子を確認した。同僚は落ち着きを取り戻していた。
「"青年"の唯一の友人を、母親が殺してしまったのです」
それはまたなんとも壮絶な、とロロが呟いた。
「この話の重要な部分は、その悲劇的な結末ではないんですよ」
カートはロロやペドロ、ジェムら書斎での話を聞いていなかった連中に視線を走らせながら言った。
「父親から不義の子であると断定された理由です。生まれてきた子どもを見て、自分の子ではない、と結論付けさせた外見とはどんな外見だったか――想像がつかなくもないでしょう?」
「しかしな、オルブライト」とペドロ。その眉間にはまだ縦皺が刻まれている。「この国において、取り替え子がどんな処遇を受けるかは知っているだろう? スレマの話がいい例だ。もしもお前が考えているような外見をその"青年"が持っていたとして、父親に疎まれるかは疑問が残る」
「その点については、特段問題ございません」
スレマは言った。カートに向けられていたペドロの怪訝な表情が、彼女の方へ横滑りする。
「"青年"の父親は婿養子で、"妖精の階段"の信者でもなければ、この国の出身でもなかったのです」
はっ、と嘲りのような笑い声がペドロの口から漏れた。
「なるほど、そりゃ納得だ。海の向こうの人間が取り替え子をどうするかは俺も知っている。最終的に自害したとはいえ、それまでは生き延びたことが奇跡なぐらいだ」
「ならばもう分かるでしょう?」とカートは話題を引き戻す。「この呪いは、"妖精"の特徴を持つ人間が訪れたときに具現化されるんですよ」
カートの説明を受け、ペドロの表情から険しさが薄れた。しかし、それはカートが招きそうになった誤解を解いただけであって、議論が収束されたわけではなかった。むしろ、ここでようやく全員が開始地点に立ったことを意味していた。




