第十五話 美姫は真実をたずさえる
意を決してふたたび石段をのぼる。
店内を覗いたラルクは、しばし固まった。
しずかな道理だ。誰もいない。もぬけの殻だった。
「え……?」
チリン、と音が鳴り、後ろでドアが閉まる。焦って視線を走らせた。
天井、壁、床――何か見落としはないか。
店内は狭い。外観と同じ赤みを帯びたレンガ壁のそこかしこに麻紐が張られ、逆さになった乾燥ハーブが束ねられている。
左右を埋める陳列棚には色とりどりのガラス瓶やポプリ、飾り蝋燭。アクセサリーなどが並んでいた。精緻なドールハウスもある。カウンターは真正面。
少なくとも、ここには四人以上の人間が居なくてはいけないのに。
(べつの出入り口があるのか?)
ラルクは大股で店内を横切り、カウンターの内側へと入った。布で区切っただけの空間に事務室らしき部屋はあったものの、やはり無人。応接セットはあるが、埃よけの白いクロスを被せたティーポットやカップは手つかずのまま。湯を沸かした形跡はなく、裏口もない。ますます首をひねる。
「どういうことだ…………。ん?」
立ち去ろうとして、ふと目にとまった。
事務室の壁には複雑な模様を織り上げたみごとなタペストリーが掛かっている。
クリーム色の地に渋い紅茶色。ある箇所は異国語を図案化したような。また、ある箇所は幾何学的にいくつもの図形を組み合わせて。
ラルクは知っていた。
正確には、これと似た紋様を最近見た。
そうと認識する前に意識を失ったわけだが。
「! そうか。ここはヘデラ侯爵家の出資店か!? なら、これに仕掛けがある…………はず、だ」
近寄り、触れそうになって一旦躊躇する。侯爵の寝室でひどい目に遭った経験がそうさせた。
――が、あの絨毯とは色も模様も違う気がする。
ままよ、と息を止めて手を触れた。すると。
バチン!
「ぅアッッちぃ!!?」
《そこまでだ》
《我らは門番の精。そちは、通せぬ》
「はあ??? なんだ、お前ら!!」
ラルクは、タペストリーに触れたとたんに不思議の力で弾かれた指先を掴んだ。じんじんと火傷のように痛む。
目の前には、ラルクの腰ほどの背丈の子どもがふたり。肩で切り揃えた黒髪も大きな黒瞳もそっくりだ。
愛らしい顔立ちではあるが、表情はつっけんどん。
彼らは左右対称の動きで片手を前に突き出し、ラルクを物理的に遠ざけた。
《我は右扉》
《我は左扉》
《《契約のあるじの認めた相手でなければ通せぬ。去ね》》
「ははーん? なるほど? 初めて見たが、精霊の眷属ってやつか」
《《如何にも》》
「なら、話は早い。――――シェイド! 聞こえてるだろ! 来い!!!」
「何〜、マスター」
《!! ぴえっ!?》
《!!!! や、闇……!? 最上位の、行方知れずだった常闇の君!??? 嘘っ????》
門番の精たちは幼い容貌をそっくりの驚愕に染めて、突然空中から現れたシェイドを凝視した。
真の精霊体。つまり、物質に関与しない精神体のシェイドは立派な大人の形だ。上背はラルクよりも高く、腰まで流れる真っ直ぐな黒髪は月のない夜そのもの。瞳は憂いを含む鬱金色で、完璧な造作そのものは変わらない。
…………いや、凄みは増しているかもしれない。
伯父に引き取られた夜から、ちょいちょい馴染みのある姿はラルクには親しみのあるものだったが、目の前の眷属たちにはいささか刺激が強すぎるようだった。ぶるぶると震えて互いに抱きつき、涙目で床にへたり込んでいる。
まるで、こちらが悪党のようだなとラルクは苦笑した。
「そっちの契約主は、アイビー・ヘデラ侯爵令嬢か」
《《!!! ひ、ひゃい!》》
仲良く同時に答える門番の精たちに、端麗な青年と化したシェイドが、ずい、と迫る。それは後ろから見るだけでもじゅうぶん圧を感じる態度だった。
おそらくシェイドは、彼らにとって長らく不在だった王のようなものだろう。
(“黒”だもんな。精霊の系譜は、外見の色にあらわれるらしいから)
――……色彩。
何かがちかりと脳裏を掠めたが、ラルクは頭を振った。今やるべきことを優先させなければ。
門番というからには、彼らはこのタペストリーを媒介に「どこか」へと令嬢たちを運んだのだ。アイビー嬢の命を受けて。
ラルクは尊大に腕を組み、脈々と受け継がれたティリエルの守護精霊に命じた。
「シェイド。こいつらの契約主ごと、向こうの空間から彼女たちを連れ戻せ。今、すぐに」
「了解、今代の我が主」
《!?!?》
《わっ、え、あ……??》
ぐにゃりと視界が歪む。
正しくは、タペストリーが。
渦を巻くようにぐるぐると廻り始めた紋様は回転しながら昏い光を放ち、奇跡の力で「あちら」と「こちら」を結ぶ。やがて――
「きゃあ!!」
「何? 今度はなんなの、右扉! 左扉!!」
「あ……、?? 戻った?」
「〜〜、ラルク様!!!」
「え?? ろ、ローザリッテ嬢? どういうことだ。これは……っ、とと。危ない!」
渦巻く景色の向こうから順にポイ、ポイと飛び出てきた令嬢がたのあとで、最優先に救出すべき少女がまろびでる。
ローザリッテは、あまく光を宿す銀の髪を弾ませながら綺麗に着地。
かと思いきや、華奢な靴でバランスを崩したのか、ふわりとラルクの胸に倒れ込んだ。そのまま抱きとめる。
(!)
どき、と、ラルクの鼓動も跳ねたが、そこは顔に出さぬよう、つとめて冷静に徹した。
おそるおそる、腕のなかの、妖精の名を持つ少女に尋ねる。
「失礼。ローザリッテ嬢。なぜ、彼女たちは縛られているんだろう。あれは……蔓草か?」
「はい。わたくし、縄は用意しておりませんでしたので。あちらに観葉植物がございましたから、代わりに」
「ローザリッテ嬢。俺が聞きたいのはそこじゃない」
「え、と」
戯れをスッパリ真顔で切り落としたつもりだったが、至近距離で見つめ合い、頬を赤らめた少女は大いに照れて視線を逸らした。
銀のまつ毛にけぶる紅水晶の瞳は夢みるようにうつくしく、恥じらいに揺れている。
不覚にも見惚れていると、それから、ぼそぼそと呟きだした。
「わたくし、申し上げましたわ。必ずラルク様の力になります、と」
「…………うん?」
ラルクは、ぱち、と目を瞬く。
ローザリッテは、深いまなざしで顔をあげた。
「『粛清の騎士』を騙ったのは、あの二名。アイビー様と、ミラ様です。ヘデラ侯爵の死には、不幸な偶然がいくつも重なったようですが……」