丸木の漁船で羽経に上陸し、長閑な農民の集会所へ
それには全員が驚いた。マイヤが目を見開いて船長に問い質す。
「海の上で止めたら、陸にどうして上がる。まさかこの寒い中、陸まで泳げと申すのではあるまいな。たとえ皆が泳げるとしても、ずぶ濡れの鼠になって震え、息も絶え絶えになるは必然だ。」
コウスが聞くと、泳げる者は桑菜の弓士三人と、笹台の伝助ツキノだけだった。纏向や高尾など内陸に住む全員が、泳ぎを知らない。
「いえいえ滅相も御座いません。羽経の漁船が皆様をお迎えに参り、津にご案内を致します。漁船は小さいので五隻が参りまして、三人ずつ御乗り頂きます。船は汚く、魚の臭いもしますが、少しの間ご辛抱願います。」
そう言うことなら、何の不服があろうか。コウスは漁村の民や生活を肌で感じる、またとない経験になると、心の内で喜んだ。
「そうか、吾は漁船にも乗りたかったのだ。楽しみだ。」
七
船長は面倒なお願いのため、不満を漏らされても仕方がないと思っていた。
ところが凱旋隊の大将コウスが、漁船に乗りたいと言ったので安堵した。だがこれは、期せずして不便を強いる者への、温かい気遣いだと恐れ入り、有難かった。
羽経の二丁沖に着き、己実の交易船が止まった。錘を下ろし船が安定したところで、船から半鐘が鳴り響く。
小さな漁船が五隻、近付いて来る。どれも太くて長い丸木を刳り抜き、間隔を空けて横に並べた二双船だ。
「船の高さが違いますので、この梯子で下りて頂きます。おひとりずつ、ゆっくりお下りください。」
船長が手振り、足振りで下り方を伝授し、太い二本の綱に足場の丸木を渡した梯子が下ろされた。
横付けした漁船員二人が綱の端を持ち、ひとりが手と声で合図する。波で大きく揺れる梯子に足を掛け、それを伝って慎重に漁船へ乗り込む。
三人が乗り込んだ漁船は、櫓を漕いで津の桟橋に向かう。また一隻が横付けし、梯子が下ろされ、これを繰り返す。
「大丈夫ですか、よく揺れて、恐かったでしょう。」
「あぁ、足場が見えにくかったのと、ひどく揺れるので海に落ちない事だけ考えて、一歩一歩下りましたよ。正直、恐かった。」
漁船に下りた三人は顔を見合わせて、無事の乗船を喜び合い一双の方に座った。
全員が桟橋に下り立つと、船長の先導で津の奥に建つ、獲った魚の仕分舎へ歩く。
丸木を並べた桟橋は幅が一丈近くあって広いが、海面から一尺半ほどしか高さがなく、時おり波が足元へ挑むように覆い掛かる。
船の漕手七十人と、調理人や世話の船員は船中泊と聞いた。
迎えてくれた五隻の漁船は、桟橋に係留するのではなく、入江になっている浜へ引き上げている。
他にも四隻が引き上げられていた。丸木船のため翌日に備えて、戻ると浜で天日干しと手入れをするらしい。
羽経は九隻で朝早くに操業し、周隣の集落や村へ運んでいる。豊魚の場合は、遠く倭台市まで運ぶこともあると言う。
仕分舎は水洗いを終えて人影はなく、魚の臭いだけが鼻を突く。
ここで濡れた足を水洗いし、暖炉で足袋や草履を乾かしていると、太った初老の男が女人を連れて挨拶に来た。
「小さな漁村、羽経へようこそ。手前はクロマと申し、漁師三十人の頭領をやっとります。この女人は集会所の女将です。気になることは、ご遠慮なさらずお申し付け下さい。」
頭領は気立ての良さそうな人物だ。続いて白髪が混じった中年の女将が前に出た。
「お御足が乾きましたら、宿舎へご案内致します。この村の取り柄は静かなことです。御ゆるりとお休み頂けると存じます。」
仕分舎を出て、女将が指差す高い山に向かって歩く凱旋隊一行と船長。
その山の麓から半丁ほど上がった所に、まるで木々に隠されたかのように建つ、この地に似合わない大きな建物が見える。
「あれがお泊り頂く宿舎です。朝方は鳥の囀りで、心地よく目覚められますよ。皆様はお昼が、まだでしたね。お部屋で簡単な食事ですが、お召し上がり下さい。」
日は天頂を過ぎたばかりの、昼過ぎだ。夕刻まで二時あるので、何処か見所はないかとコウスが女将に尋ねる。
「この小さな漁村は、船が横付けする桟橋や宿舎がないので、旅の船も交易船も通り過ぎる村です。そのため、見所は何も御座いません。折角お立ち寄り頂いたのに、すみません。」
話を聞いていたニコルが、不思議そうな顔をして女将に聞いた。
「御方は今、宿舎がないと仰いましたが、私たちがご案内頂いているのは、宿舎ではないのですか。」
「はい。普段は農民の集会所です。ただ一ヶ所からですが、農具や漁具や武具などを積んだ交易船が立ち寄られ、私共の収穫した米と引き換えする交易所にもなります。今日は十三名様が、御ゆるりとお泊り頂ける宿舎になり、支度をしてお待ちしております。」
農民の集会所を我々一行の宿舎にしたのは、おそらく船長の周到な手配だろうと、コウスは気付いた。
交易船が通り過ぎる漁村に停泊したのは、何か意味あっての事に違いない。後方を歩いている船長を待って、何故こんな面倒なことをしたのか。




