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赤い蜜は罪に濁る  作者: 竪川杼緯


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9.案内はここまで

 ペトルの案内でブロルの家の前までやってきたリリスは、周囲を見渡して闇の気配を探す。だがとうに消えてしまったようだ。ゴドフリーの気配すらないということは、彼らも闇のトンネルで別の場所へ連れ去られてしまったということだろう。

「いったいどこへ……」

 なんの手がかりもない状態に焦るリリスは悔しさのあまり唇を噛み締めた。

「あの……、リリスさん」

「なに?」

「僕、一度だけアルベルトさんの屋敷へ行ったことがあるんですけど……」

「アルベルト?」

 一体誰のことだろうか。それでもこの場で言い出すということは今回の件に無関係とは思えない。ちゃんと話を聞こうとリリスはペトルに向き直った。

「あの白い髪の男の人です。僕にポムラースカのことでアドバイスをくれた……」

 声をかけてきたのは帰り道でのことだったが、話をしたのは白髪の青年の屋敷だった。そのほうが気兼ねなく話ができるだろうと言われて是非にと勧められ、ついでに愚痴も聞いてもらってきたのだった。

 自分の汚点について触れるのはまだ抵抗があるようだが、言いづらそうにしながらも逃げようとしないところは好感がもてた。

「その屋敷に案内できる?」

「はい。こっちです」

 言うなり走り始めたペトルのあとを、リリスもすぐに追いかけた。その屋敷は市街地をはなれた町のはずれに建っていた。近づくにつれて独特なにおいが鼻につき始める。

「これは……」

 ペトルがそばにいるために言葉を濁したリリスだったが、これは血のにおいだった。それもそうとうの血が流れているはず。

「ペトル、待って」

 呼びかけてからリリスが足を止めると、ペトルも立ち止まる。ただ急いでいるはずなのに屋敷を目前にして足を止める意味が理解できないのだろう。困惑の表情を浮かべて、はやる気持ちのまま足踏みは続けられていた。

「どうしたんですか? あの屋敷ですよ。早く行かないと」

「案内はここまででいいわ。ペトルは帰ってちょうだい」

「どうしてですか!? ブロルたちを迎えにきたのでしょう?」

「ええそうよ。でもペトル、その意味をわかっているの?」

「意味って……」

「迎えに、と今あなたは言ったけれど、レイやブロルはここに遊びに来ているんじゃないのよ」

「わかっています。僕と同じように連れ去られたんですよね」

「そう。その意味をわかってる?」

「だから迎えに……」

 リリスは首を横に振ってペトルの言葉を遮った。

「人間にはまだわからないと思うけど、ここまで血のにおいが漂っているの。それがどういうことかわかる?」

「いいえ」

「それはね、あの屋敷でたくさんの人が殺されてるって言うことよ」

 ペトルは目を瞠って体を震わせた。

「あなたは人を殺したことがある?」

「そんなことッ! あるわけないじゃないですか!」

 突然のリリスの言葉にペトルは憤る。拳を握りしめて彼女をにらみつけた。

「失礼なこと言わないでください。いくらなんでもそこまでするわけがないでしょう」

「そうよね。だからこそここからさきは連れていけないわ」

「なぜ!?」

「人を殺せないから」

「え……」

「大量の血が流れているということは、それだけ人の生き死にが平然と混在しているということよ。そんなところへ人を殺せないものが混じると標的にされてしまう。ペトルはなぶり殺しにされたい?」

「まさか」

「でしょう。悪いけどあなたをかばう余裕はないの。自分で自分の身を守れないあなたは足手まといでしかないの。あなたのせいで助けられたはずの命を失わないために、ここでおとなしく帰ってちょうだい。いいわね」

 操られてリリスに怪我を負わせてしまったペトルは、そのことを思い出してうなだれた。悔しさがあふれて表情が複雑に歪む。

 リリスはタガーを一本取り出して指先に傷をつける。にじみ出てきた血を使ってそのタガーの刀身の両面に二種類の文章を書き込んだ。もっとも一般的な文字ではないのでどちらもただの落書きにしか見えない。

「これを持って行きなさい。闇の獣程度なら近づけないように細工をしただけの護符でしかないけど」

 もともとペトルは誰もいない倉庫へ闇の獣たちがさらっていっただけ。ただリリスとゴドフリーを引き離すための餌にされただけ。状況から鑑みてそういうことでまちがいはないだろう。だから必要はないはずだが、夜道をひとりで帰るのは心細いだろうからお守り代わりとして用意したのだ。そう伝えるとペトルはさらに複雑な顔をした。

「僕はそんなに頼りなく見えるんですか?」

 質問するというよりはただの愚痴に近いつぶやき。

「人が闇を恐れるのは自然なことよ。闇を恐れるから眠りにつくの。それが闇から逃れる一番の方法だって本能でわかっているから」

 精神が正常な証拠だといってリリスはペトルの肩を叩いた。

「さあ寄り道しないでまっすぐに帰るのよ。――もしあなたが余計なことをして私たちを危険にさらすようなことになったら……」

 少年の耳元に口を寄せて静かに囁いた。

「そのときはあなたを殺すから」

 体を離してもう一度ポンと軽く肩を叩いて帰宅をうながした。

「さあ帰りなさい」

 ペトルはうつむいて目を瞑る。ややあって小さくうなずくと、ゆっくり目を開けて顔を上げた。

「帰ります」

 そのあとに続けようとした言葉が出てこず、口だけが無駄に開閉された。

「わかっているから。確約はできないけれどできるだけのことはするから」

 微笑みながら告げたリリスの言葉にようやくホッとしたように肩の力を抜いてペトルは一礼した。

「よろしくお願いします」

 頼みたかったのはブロルのこと。けれどペトルにもこれまでの話から安易に「助けて」とは言えなかった。もう一度無言で頭を下げてから彼は踵を返した。リリスから渡されたタガーをしっかりと両手で握って。

 ペトルの姿が見えなくなってから、リリスも屋敷へと向き直る。深呼吸をして。いっきに走りだす。もうペトルに合わせる必要がなくなった彼女は、いっきにアルベルトの屋敷へと駆けていった。


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