8.褒美
ブロルの家に到着したゴドフリーも、リリスと同じように闇のトンネルに飛び込んだ。リリスの時と違ったのは、闇のトンネルの出口には白髪の青年が差し向けたであろう刺客が武器を持って待機していたことだ。こういった状況に慣れているのか。出口は窓がひとつもない薄暗い部屋の壁際。闇のトンネルから吐きだされたゴドフリーがその勢いから逃れ得たときには、ちょうど部屋の真ん中で刺客たちに囲まれた状態になっていた。
「日頃のおこないが窺えますねー」
闇の獣とは違って、刺客はゴドフリーが吐きだされた勢いのままに転がっているあいだはいっさい動かなかった。ゴドフリーも自由がききにくい状態ではあるが、攻撃側にもリスクがともなう。だからこそあえて動きが読み取りやすい状態になってから攻撃を仕掛ける算段だということだろう。獲物をいたぶることに手馴れていると証明している。それによって獲物の心が砕かれる、もしくは乱れることを楽しんでいるようにも思われる。実に不愉快なことだ。
ぐるりとまわりを見渡すと、扉は、闇のトンネルの出口があった壁面と向かい合った側の壁の隅に一つだけ。改めてその扉に目を向けると、ちょうど白髪の青年がブロルの腕を引いて部屋から出ようとしているところだった。声をかける間もなく扉が閉まる。同時に刺客たちがいっせいに襲いかかってきた。
ゴドフリーはダウンコートをはねのけるようにして背中側に右手を回すとベルトに挿していた棒を抜き取った。滑り止めの革が巻いてあるほうを手に持って一振りすると、棒の先から一本の綱状の闇が伸びて鞭へとその姿を変える。その闇の鞭を振って彼は刺客たちの攻撃を避け、またこちらから攻撃を仕掛ける。だが多勢に無勢。徐々に傷を増やされ、逃げ場を塗りつぶされるようにして追い詰められていった。
「……ッ」
両手両足に剣を突き刺されて、俯せ状態で床にはりつけられたゴドフリーは、いよいよチェックメイトとなった。捕らえられる形になったゴドフリーと違って刺客はまだ五人も残っているのだから。首筋にあてられた剣先がゴドフリーが荒く息を吸うたびに冷たい感触を伝えてくる。思った以上に厄介な相手だったようだ。
リリスは大丈夫だろうか。ゴドフリーは霞む頭を叱咤しながら思考を巡らせる。白髪の青年がこちらにいたということは本命はブロルだという可能性が高い。そうであればペトルまで襲ったのは単純にゴドフリーとリリスを別行動させることが目的だっただけのことと考えられる。
(だったら)
きっとリリスは無事だろう。そう結論が出たゴドフリーの胸に残った一本の剣が突き刺さった。吸血鬼の口から悲鳴のように鮮血がほとばしった。
どのくらいの時が流れたのか。意識を取り戻したゴドフリーは目隠しをされた状態で手枷足枷をはめられていた。膝立ちの状態で手首足首に鉄の錠をかけられ、錠からのびる鎖は壁へと固定されている。鎖の長さは両腕を斜めに持ち上げたところでいっぱいいっぱい。せめて立った状態にしてくれていればとゴドフリーは心のなかで悪態をついた。この姿勢は膝や腰にかかる負担が大きい。だからこその拷問なのだとしても。たとえゴドフリーが人間ではなく吸血鬼だったとしても苦痛であることには変わりない。体にこもる不快さを外に出すように大きく息を吐きだせば、ちょうどゴドフリーを訪ねてきた存在に気づかれたようだ。もっとも気配を感じ取ったうえでの行動なので、訪問者から声がかかってもいっかな驚きは見せなかった。
やってきたのは白髪の青年だった。
「ようやくお目覚めですか。純血種のわりには時間がかかりましたね」
「純血種? なんのことだ?」
無視することも考えたが、どうせ暇なのだ。ひとりになればまた沈黙の時間がおとずれるのだから、話し相手がいるうちは答えてやってもいい気になっていた。退屈な時間は忌避したい。もちろん不快さを味わうこともできることなら避けたいが、この相手がそれを受け入れるとは思えない。ならば少しの妥協と労力で済ませられる方法を取り入れるべきというのがゴドフリーの考え方だった。とはいえ質問の意図は本気でわからなかった。相手はそうは思わなかったようだが。
「吸血鬼でありながら、十字架にも陽の光にも脅かされることのない強靭な体を持つ化け物。純粋な吸血鬼の血統。知らないとは言わせない」
「悪いけど本当に知らない。それよりあんたはなんでそんなこと知ってるんだ?」
心底不思議に思って聞いたのだが、青年は耳を貸そうとはしなかった。勝手に誤解してそのまま話を進めようとする。
「まあシラを切るならそれでもいい。今必要なのは吸血鬼で、純血種かどうかなど関係ないからな」
カチャカチャと金属が重なりあう音がゴドフリーの耳に届く。どうやら鍵を開けているらしい。次いで聞こえたのはキィという金属がこすれるような音。鉄格子の扉を開いた音だ。それらが指し示すとおりここは牢だった。むしろ拷問部屋と呼んだほうが用途にあっている。目隠しをされていてはさすがにそんな細かいところまではわからない。ただ拘束具の存在で後者と判断できたにすぎない。もっともどちらだったとしても結果は変わらないだろうが。
青年はそこに控えていた部下に命じた。
「やれ」
たったそれだけの命。青年がこの場に足を運ぶ必要などどこにあったというのか。ゴドフリーは牢から立ち去ろうとしていた白髪の青年に声だけをかけた。顔は向けない。どうせ目隠しをされていて見えないというのもあったが、そうするに値しないほどのわいしょうな存在だと暗に揶揄していたのだ。
「なあ、名前くらい教えてくれよ」
「聞いてどうする」
「あんたがここの責任者なんだろう? なにかあったときのために名前がわかったほうが話がすんなり通るじゃないか」
鼻で笑ったことはゴドフリーにもはっきりわかった。
「アルベルト」
ただ一言それだけ答えたアルベルトはもういっさいかかわる気はないといったように口をつぐんで牢から出て行った。代わりに残った男たちが鉄格子の扉をくぐってぞろぞろなかへと入ってくる。全部で四人。うち一人は目隠しをしたうえに猿轡もかませている。さらに言えば上半身が裸で後ろ手に縛られていた。その男を両脇から支えるようにしながら引きずって運ぶ男が二人。最後のひとりは一番最初に牢のなかに入ってきた男でゴドフリーのすぐ横に立っている。
「これは我々からの褒美です」
「褒美だと?」
「ええ」
突然の言葉にゴドフリーは眉をしかめる。どう見てもこれから拷問されようとしているとしか思えない状況において、なにをもって褒美というのか。男はゴドフリーの髪を掴むとぐいっと後ろに引っ張って顎をあげさせた。
「どっ、いうことだっ」
「ですから褒美ですよ。吸血鬼であるあなたへの」
残りの三人の男たちがゴドフリーの正面に立つ。そして真ん中の男の首筋を、無理やり吸血鬼の牙に押しつけたのだった。ゴドフリーの意志にかかわらず、牙が突き立ったところから血があふれてそのまま口腔に、そして喉へと流れ込む。吸血鬼が自ら牙を使うときは血の出過ぎない場所を選ぶのだが、彼らは逆だった。もっとも出血が多い血管のある場所を押しつけてきた。まずさと量の多さでむせるゴドフリー。けれど男たちの手が緩むことはない。褒美と言いながら、これはれっきとした拷問なのだ。そして何者かの処刑でもある。
最初は暴れていたどこかの誰かも徐々に力が弱まり、やがて出血多量で息を引き取れば、ようやくその男は牙から開放されてどこかへ運ばれていく。そしてすぐさま次の処刑が始まる。やはり上半身が裸の男が二人の男に抱えられるようにして運ばれてくると、無理やりゴドフリーの牙にむかってその首筋を突き立てられる。たいてい最初は暴れるのだが、それでも二~三人の男たちで押さえつけられる程度のものでしかない。それはつまり薬が使われているということ。それが血の味をさらにまずくしていた。体は反射的に吐きだそうとするのだが、頭を押さえつけられて、手足は鎖に繋がれて、そのうえ次々と流しこまれては再び飲み込むことの繰り返し。いったい幾人の血を飲まされたのか。大多数は成人男性だったが、なかには女性もいた。
もともとゴドフリーはあまり量が飲めない。彼はいわゆる濾過器付きのポンプの役目を担っており、貯蓄担当はリリスのほう。それゆえ体の作り自体が大量の血を飲めるようにはできていないのだ。それなのに急激に血を流しこまれたせいで、やがて行き場をなくしたものが塞がりかけた傷口をこじ開けて溢れ出てきた。それを見た男のひとりがフンと鼻を鳴らした。
「純血種といってもたいしたことないな。小食すぎて使えない。これじゃ褒美の意味がないじゃないか。せっかく掃除の手間も省けて、しかも化け物の仕業に見せかけられて楽ができると思ったのによー」
「いやいやそういうお坊ちゃんなところが純血種なんだろうよ」
別の男が嗤う。
「そうかもな。なんにせよ用があるのは牙だけだからなー。飲み込もうが吐きだそうがどうでもいいけどな」
「違いない」
そうしてひとしきり嗤ったあとで最初の男がどうでもいいことのようにポツリとこぼした。
「どうせ残りは子供ばかりだからたいした量じゃないさ」
ゴドフリーの虚ろな瞳がゆらりと揺れたが、ただそれだけだった。




