10.においをたどった先では
できるだけ気配を殺して周囲を窺う。一番血のにおいが濃い場所を探すと、どうやら地下かららしい。昔から処刑や拷問というものは地下室でおこなわれることが多い。流れ落ちる血を隠すにはやはり地中がいいということか。
動物はなにかを隠すとき地面に埋めたがる。それは人も同じだった。ただし動物が隠すのは主に保存食料。対して人が隠すのは主に罪。犯罪の証拠であったり、隠し財産であったり。様々な罪を地中に隠そうとする。哀れなことだと思い、けれどすぐに頭を振る。どんな事情があったにせよ本人がそれを選んだのだから、哀れではあっても同情するに値しないと思い至る。
結局リリスにとって大切なのはゴドフリーだけ。使者がこなければ今回の件もブロルたちがどうなろうと放置しただろう。世の中にはそんなことはありふれている。最初に少し手を出したからといって、その後の人生すべてを負う必要はどこにもない。自分の身は自分で守るのが常識。守りきれなければ狩られるだけ。
使者が現れるのはそれが人の世界の範囲でおさまらない場合のみ。ふと、この騒動の本命であるブロルの容姿を思い出す。みごとなプラチナブロンドをもつ少年。その符号に合致するのは。
(悪魔召喚の贄?)
とはいえどこかしっくりこない。贄というよりは、召喚した悪魔を閉じ込めておくための器か檻といったところだろうか。つまりは依り代ということだ。その答えはなるほどと思えるほどしっくりとリリスのなかに落ち着いた。そうであればやはり地下だろう。相当広い空間が必要なはずだが、この屋敷を見ればじゅうぶん可能だろう。建物は言うに及ばず敷地に至ってはさらに広大だ。地下室ならば建物の大きさよりも広く作ることも可能だ。室内競技場ほどの高さや広さをもつ部屋だってじゅうぶん作ることができるだろう。それだけの敷地はあった。
ゴドフリーの気配は未だつかめないままであったが、とにかくこの異常なほどの血のにおいからして、ブロルはここに捕らえられているに違いない。外からではこれ以上のことはわかりそうもないので、リリスは意を決して屋敷に近づいていった。慎重に気配を窺いながら侵入口を探す。明かりが漏れている部屋などはどこにもなく、一見あたりまえに就寝している民家のひとつにしか見えない。今の時代、夜中に明かりが灯されていたとしても昔ほど悪評が立つこともないだろうが、悪巧みをするなら目立たないにこしたことはない。だからこそ捕まえた人間を閉じ込めておくとしたら、地下か、奥まった――明かりをつけても外に漏れない部屋だろうとあたりをつける。
起きている人間はどのくらいいるのだろうか。使用人のすべてが、主がなにをしているのか、またなにをしようとしているのか知っているのであれば当然手を貸しているだろう。だがどちらかと言えば屋敷の使用人は通常の使用人としての役割しか果たしていないような気がした。悪事をおこなうにはそれ相応の胆力が必要となる。別途そういう人材を雇ったほうがスムーズにことは運ぶだろう。
ならばと、リリスは裏にまわって使用人専用の出入り口へとやってきた。そっと扉に手をかける。鍵はかかっていないようだ。不用心にも思え、罠にも思える。耳を澄ませてみても息遣いの音さえ聞こえてこないので、そっと扉を開けてなかへとその身を滑りこませた。そこは荷物置き場も兼ねていたようだ。業者が持ち込んだ食材などを置いておくための場。その横の扉が厨房へと続いていた。もう一方の扉を開けると、その先に長い通路がまっすぐのびていた。使用人の部屋なのか、短い間隔で廊下の左右に扉がいくつも並んでいる。部屋のなかからかすかにいびきが聞こえる扉もあった。
足音を殺してさらに先へと進む。血のにおいをたどりながらリリスは屋敷のなかを進んで行き、ようやく地下への階段にたどり着いた。できるだけ姿勢を低くして数段降りる。地下のようすが見れるところでいったん立ち止まってそっと覗きこむ。そこにはいくつかの檻があった。目隠しをされて猿轡をかまされた子供が数人倒れている。駆け寄ろうとしたところで奥の扉の向こうから足跡が聞こえてきた。リリスは息を殺して物陰に身を潜める。鉄の扉を開けて入ってきたのはいずれもガタイのいい二人の男だった。
「あと何人だ?」
「あーっと、ひい、ふう、みい……の七人だな」
「けっこう時間かかったな」
「ああ、あの吸血鬼が意外と使えなかったからなー」
「たしかに。あれならドラム缶にでも溜めていったほうが早かっただろうな」
「もう一人のほうも捕まえてりゃよかったんだよな」
「まったくだ。あの人の考えてることは俺たちにはよくわからんわ。引き離すより、捕まえたほうがよっぽど楽だっただろうに」
「俺たちが、だろう」
「あたりまえだろう。他になにがある。俺たちが楽になるために他の奴らが苦労すればいいんだよ」
下卑た笑い声をもらしながら檻へと近づく二人の男。リリスはその二人の背後にまわって、すでに用意していた闇の剣を振る。とたんに笑い声は掻き消え、立て続けに重いものが倒れた音のあとに静寂が訪れた。
リリスは男たちの懐をあさって檻の鍵を取りだした。それを部屋の隅にそっと隠す。
子供たちは意識を失っているだけのようなのでそのままにしておいた。下手に起こすと騒がれる危険性があるし、檻の鍵を開けても混乱状態のまま逃げ出して、見つかると同時に始末されてしまう未来しか予想できなかったからだ。この子たちを檻から出すのはすべてが片付いてからでも遅くない。
優先順位はゴドフリーを助け出すこと。男たちのセリフからすると、この鉄の扉の向こうにとらわれていることになる。しかもそうとう危険な状態で。リリスは急いで扉をくぐった。蝶番が軋む音までは殺しきれなかったが、できるだけ音を立てないようにして扉を開閉すると、その先にあった階段を駆け降りた。そこは牢だった。拷問部屋も兼ねているのだろう。いろいろな道具が散乱している。一番血のにおいが濃厚な牢。突き当りの牢檻は鉄扉が開いた状態だった。そっとなかを覗くとさらに鉄格子で仕切られたその先には、壁に拘束具が取り付けられた部屋が。そこでまさしく拷問がおこなわれていた。
壁に固定された四本の鎖でもって、膝立ちの状態で手足を拘束されたゴドフリー。その横にいる男が、アッシュブロンドの髪を後ろに引っ張るようにして頭を固定している。前には三人の男たち。真ん中の男は上半身が裸で、首筋を吸血鬼の牙に無理やり押しつけられるようにして血を吸われている。その両脇にいる男が、処刑者の腕と肩をつかんで逃げられないようにしていた。ゴドフリーはすでに許容量を超えているらしく、破れた衣服の隙間から覗くたくさんの傷口からは絶えず血が流れ出ていた。
剣の柄をぎゅっと握り締めたリリスは一足飛びに駆け込むと、血を吸われている男を押さえつけていた二人の首を一息で刎ねた。ついでにゴドフリーの横にいた男も片付けるつもりだったのだが、さすがに一度に三人は無理だったようだ。リリスの登場に一瞬隙ができたもののすぐさまゴドフリーの頭から手をはなして、剣筋から逃れて距離を取れるくらいには荒事に慣れているような男ではなおさらに。
リリスはその男を追うことをやめて、常に正面で向き合うように目を合わせたままでじわりじわりとゴドフリーのところへと移動していった。男は反対に出入り口に向かって移動する。鉄格子の扉のところまでたどり着いた男は、ニヤリと嗤うとすぐさま身を翻して外に走っていった。逃げたものに用はない。
「レイ!」
リリスは闇の剣でゴドフリーを拘束している鎖を断ち切った。目隠しも外して顔を覗き込む。
「レイ? しっかりして」
虚ろな瞳で虚空を見つめたままのゴドフリーの頬を叩きながらリリスはなんとか反応を得ようとする。しかしかすかに瞳は揺れるものの焦点は合っていないようだ。改めてゴドフリーの全身に目を走らせる。
「血を抜くほうが先ね」
剣で上着を切り裂いて左肩をあらわにすると、牙を立てて血を吸い始めた。しばらくすると複数人の足音が響いてきた。先ほど逃げた男が仲間を連れて戻ってきたのだろう。
相手をしなければ。
やむを得ずいったん中断することにして顔をあげようとしたリリスは、ぐいっと頭を押さえられてしまった。ゴドフリーが意識を取り戻したのだ。
「そのまま、続けて」
かすれた声で一言告げたゴドフリーは、リリスの体に両腕をまわして半ば抱え上げるようにしながら壁の角へ連れていくと、自身の体を盾にするようにして押し込んだ。さすがにちょっと待ちなさいと抗議するために、彼の手をのけながらいったん口をはなす。
「レイ、どうするつもりよ」
「いいからリリスは血を吸って。でないと俺もまともに動けないし。それまではなんとか盾になっているから。――頼む」
再びゴドフリーの左手がリリスの頭を引き寄せるようにして吸血をうながした。
「盾だなんて、そんなことさせられないわ」
「じゃあタガーだけ貸して」
闇の剣はリリスにしか使えない。あの闇は彼女の力だからだ。ゴドフリーの鞭の柄は捕らえられたときに手放したまま。右手を数回握ったり開いたりして握力を確認したゴドフリーは、リリスの腰に右手をまわすとタガーを一本取りだした。握りしめてブンと音を立てて一振りする。しっかり握れることを確認して、今度は力を込めてみた。タガーにぼんやりとした闇が絡みつく。剣を作り出すことも、タガーを完全に闇で覆うこともまだできなかったが、ないよりはマシであろう。それでもいくらかは血を吸い取ってもらえたためにここまでできるようになったのだ。吸血により早く適正量に戻ればそれだけ戦力になりうる。
「リリス、早くっ」
命じると言うよりは、こいねがうかすれ声にリリスは泣きそうになる。顔をしかめ、けれどゴドフリーがいうことももっともだとわかっているから、なすべきことを見失うなと自分を戒めて吸血を再開してすぐに、男たちが雪崩れ込むようにして鉄格子のすぐそばまで駆け込んできた。
さして広くもない牢のなか。しかも鉄格子で仕切られているだけなのでざっと見ただけでゴドフリーたちの姿をとらえることができる。愉悦に満ちた笑みが男の口元に浮かぶ。
「逃げたかと思えば、そんな隅っこでなにをしているんだ? イチャコラしている余裕があるとはさすが化け物ってか? 喜べ。そんな化け物にふさわしい獲物を用意してやったぜ」
その言葉を合図に男たちが手に持っていた拳銃を吸血鬼たちへ向けて照準を合わせた。
「銃弾はすべて銀がはいっている特別製だ。じわじわと体のなかから腐っていく恐怖を味わいな!」
叫ぶように宣言した男が最初に引金を引くと、残りの男たちも次々と追従していった。銃弾のほとんどはゴドフリーの体へと命中した。幾らかはタガーを使って弾くことができたものもあったが、部屋の角で立ち止まっている状態の的を狙うことなどたやすいことで、外れた弾はほとんどなかった。ゴドフリーの口からゴフっと血が吐きだされた。食道か胃あたりの出血が原因の吐血だ。リリスが目を瞠って顔をあげようとするも、やはりゴドフリーにガッシと頭を押さえつけられていてできない。
「いいから」
ゴドフリーの囁きがリリスの耳にかすかに届く。
「いいから、続けて」
「ん」
小さく鼻を鳴らすように返事をしながらリリスは今度こそこらえきれずに涙を浮かべた。ひとつだって銃弾は彼女のところにまで届いていない。ゴドフリーがタガーで弾いたのは、基本的にリリスに当たる可能性があるものだけだった。こうなったらできるだけ早く余剰分を吸血することだ。今できることはそのことに集中する。ただそれだけだった。
いっぽう男たちは全弾撃ち尽くすと、さらに拳銃に銃弾を装填して再び吸血鬼に向けて発砲した。今度もリリスにあたりそうな弾のみ弾いただけで、ゴドフリーは言葉どおりその身を盾にして防いでみせた。
リリスはあいた手でゴドフリーの上着をつかむとギュッと握りしめた。そうしないとどこかへ行ってしまいそうな気持ちに襲われたのだ。気づいたゴドフリーがリリスの頭にのせている手をかすかに動かしてなでる仕草をする。小さくうなずいてそれに応えた。
(あとすこし)
焦る気持ちを抑えて、リリスはとにかく吸血を続けた。今のゴドフリーは摂取過多で、人でいうところの食あたりをおこしているような状態だ。適正量にまで抜きさえすればじゅうぶん戦力になりうる。傷を治す力もフルに使えるようになり、短時間でいっきに治癒することさえ可能だ。逆に血抜きが遅れれば遅れるほど苦しむことになる。だから今は吸血を優先させるのだとリリスは自身に言い聞かせながらこらえた。




