6.休むまもなく
宿に戻るなりリリスはシャワーを浴びて体の汚れを落とした。ついでに衣服も洗う。本格的な補修と乾燥は後回しにしてとりあえずハンガーにかけて吊るしたところでバスローブを羽織ると、ゴドフリーにシャワールームを明け渡した。
ゴドフリーも体と衣服を洗ったあとはバスローブを羽織ってリリスを呼ぶ。
二人揃ってシャワールームに入ると、ゴドフリーはバスローブをはだけさせて首筋をさらした。
「ほら飲めよ」
前かがみになりながらリリスの腰を抱き寄せるゴドフリーの手に素直に従う。同時に腕を首に回すようにして自らも距離を詰めると、目の前にさらされた首筋に牙を立てて血をすすりはじめた。シャワールームであれば万が一血がこぼれ落ちたとしても洗い流せばそれですむ。また人目にもつきにくいため、結界を張る手間も省けて都合がよかった。
ゴドフリーから与えられた血がリリスの体を巡るにつれ、体の傷も止血メインの表面的なものではなく真実癒されていく。同時に失った体力も徐々に回復していった。
「ありがとう。もういいわ」
「そうか」
そう言いながらも腕を解かないゴドフリー。リリスは軽く首をかしげるもなにも言わずにもう一度体を寄せてゴドフリーの肩に額をくっつけた。そんなリリスを抱きしめたゴドフリーはひとつ息をつく。
「……悪かった」
「傷のこと? もう治ったから大丈夫よ」
「ん。でもそれとこれは別」
「許せない?」
「そうだな」
「どっちが?」
「俺自身とあいつ。どっちも」
「そう」
「ん」
リリスは腕を持ち上げてゴドフリーの頭をそっとなでた。なだめるように、愛おしむように。
「私もごめんなさい」
「……」
「防ぎきれなくて、怪我してごめんなさい」
実際のところリリスは自分が傷を負ってしまったことについてはあまり頓着していない。こんなふうにすぐに治るものだ。ただ自分が負傷したことでゴドフリーの心に負担をかけてしまったことは申し訳ないと思う。あの時はゴドフリーとペトルのところにタガーがいかないようにするだけで精一杯だったのだ。
あの場には白髪の青年しかいなかったはずだが、それにしては投げ込まれたタガーの数の多さは尋常ではなかった。人でないことは確かだろう。なにせリリスの結界を壊すことができるほどの力を持っているのだから。腕力にせよ、魔力にせよ。力を使えることもそうだが、結界の存在に気づいたこと自体がすでに人間業ではない。リリスたちと同じ種族なのかもしれない。
そんなことを考えているあいだに、ゴドフリーの頭をなでていた手が止まっていた。ふと思いつきでリリスはバスローブの襟に指を引っ掛けるようにしてはだけさせた。ゴドフリーの目の前に首筋をさらす。
「飲む?」
返事の代わりにすぐそばにあった少年の喉がゴクリと鳴った。リリスに覆いかぶさるようにしてゴドフリーが唇を寄せる。傷の気配すら欠片も残っていないなめらかな肌。愛おしむように一度首筋に軽いリップ音を立ててから、そっと牙を沈める。味わいながらほんの数口すすっただけで口をはなしたゴドフリーは、傷跡を舐めて治すと、再び華奢な体を抱きしめた。そうやって腕の中の少女の存在を確認する彼に応えるように、リリスも広い背中に腕をまわして抱き返した。ちゃんとここにいるのだとしっかりと伝えて安心させるために。
無言で抱き合っていると、しばらくして気持ちが落ち着いたのか、ゴドフリーがようよう伏せていた顔をあげた。
「うまかった。サンキュー」
「もういいの?」
「ああ、じゅうぶんだ」
軽く唇同士を触れ合わせるだけのくちづけをひとつ落として、リリスを開放した。見上げた先に見慣れた表情を捉えたリリスは安堵して穏やかな笑みを浮かべる。
「夕食はどうする? これから食べに行く?」
「いや今夜はもうこのまま休もう。お互いまだ完全にはもとの状態に戻ったわけじゃないからな。いざというときのためにここで回復させていたほうがいいだろう」
「それもそうね。しょせん人の世界に紛れ込むためのパフォーマンスでしかないんだから無理することもないわね」
「そういうこと。今の俺達に必要なのは睡眠だけ」
ダブルベッドに横になった二人は、指を絡ませるように手をつないで目を閉じた。時を同じくして生を受け。幾年ものあいだ共に過ごしてきた。常に共にあることが互いにあたりまえとなっているだけに、そうした行為もほとんど無意識におこなわれる。
夢など見ない吸血鬼は、眠りはただの体力の回復という意味でしかない。であれば別々の寝台で休んだほうが効率が良さそうではあるのだが、この二人は一緒にいることがあたりまえすぎてそうした考えに及ばない。自然体で共にあれる。だからこその関係ではあった。
このまま朝まで休息をとるはずだった。しかし突然の訪問者によって妨げられてしまった。
リリスの指がぴくりとふるえる。そのかすかな振動はゴドフリーにも伝わり、二人は同時に目を開けた。数度またたいたのちに現れたリリスの瞳がスイと流れて空中を飛ぶコウモリ――使者の姿を捉えて閃く。使者はリリスが自身を認識したことがわかったのか、器用に翼を操ってホバリングに近い状態で一定の範囲に留まる動きをみせた。伝令を受け取ったリリスがうなずくと、コウモリは窓をすり抜けるようにして外へ飛び去っていった。
「なんだって?」
体を起こしたゴドフリーが、使者の伝言を確認する。リリスは顔にかかった髪をかきあげた。
「どうやらブロルとペトルのところに白髪の青年とその手下が現れたそうよ」
「手下?」
「なんでも闇の獣らしいわ」
「へえ。なるほどな」
闇の獣を従えることができるということは、吸血鬼かそれに違い力を持つ魔物だといえる。
「白髪の青年はブロルのところで、闇の獣がペトルのところってことだから、必然的にレイがブロルのところになるわね」
ペトルは二人で送り届けたためにリリスも家を知っているが、ブロルの家はゴドフリーしか知らないのだ。二手に分かれるとなれば当然そういうことになる。
「気をつけろよ」
「レイもね」
素早く着替えた二人はそっと宿を抜けだしたのだった。




