4.卵の代わり
ブロルとイヴェタに声をかけたのは、リリスとゴドフリーだった。こっそりあとをつけて話を聞いていたのだ。名乗りをあげたのは、今度こそブロルが安心してポムラースカを使えるようにと考えてのことだ。自ら首を突っ込んだのだからこの程度の手間が増えるくらいなんということもない。ゴドフリーと一緒に叩けば恥ずかしさも緊張も軽減して楽しめるはず。ましてやベリコノッツェに浮かれている観光客を装っていれば、声をかけたタイミングの不自然さなど気づかれはしないだろう。案の定ブロルとイヴェタは小さく苦笑をもらしながらも二つ返事で受けいれてくれた。
『お祝いだ、お祝いだ、さあ行こう。色のついた卵をおくれ。それがだめなら白い卵を。色つき卵はほかの雌鳥からもらうから』
最初にイヴェタのお尻をブロルとゴドフリーが叩き、次いでリリスのお尻を叩く。リリスからのお返しはもちろん卵形のチョコレート。けれどイヴェタはそこで「あ」と声をあげると、口を両手でおおった。
「私、卵を持ってきていなかったわ」
話を聞くだけのつもりだったイヴェタは手ぶらで外出していたのだ。わざわざもう一度家まで来てもらうのは気がひけると、両頬に手をあてて悩むイヴェタ。ブロルは慌てて自分の顔の前で、広げた両手を交差させるような感じで何度も振った。
「そんなに悩まなくていいから。僕は卵が欲しかったんじゃなくてベリコノッツェを楽しみたかっただけなんだから。ホント気にしないで」
「でも……」
それでは悪いからと言いかけたイヴェタは、なにかを思い出したようにいったん口をつぐむと、ジーンズの右前ポケットに手をいれて赤いヘアリボンを取りだした。それを確認して小さくうなずくと、ブロルを見上げてニッコリと笑う。
「ねえブロル、ちょっとだけポムラースカを貸してちょうだい?」
「それって……」
「うん、このリボンをポムラースカの先に結ぶのよ」
「いいの? 誤解されちゃうかもしれないよ?」
赤いリボンの意味は「好き」だ。
「誤解じゃないから」
イヴェタの小さな声はそれでもきちんとブロルへと届いた。
「私、ブロルのことが好き。だからこのリボンを結ばせて?」
顔を真っ赤に染めたイヴェタは恥ずかしそうにちらりとブロルの顔を窺う。それはブロルから見れば上目でねだられているように見えた。赤みが伝染したかのように、瞬時にブロルの顔も赤く染まる。唸りながらせわしなく目線をあちこちに飛ばしていたブロルは、やがて覚悟を決めたようにポムラースカを持ちあげてイヴェタに向けた。
「お願いします」
リリスとゴドフリーは、イヴェタがリボンを取りだした時点でそっと離れて二人を見守っていた。嬉しそうにリボンを結ぶイヴェタを見て、これ以上は手をだす必要はないと感じたリリスたちはそのまま立ち去ろうとした。ブロルが腰をかがめてイヴェタへと顔を近づけていくところで視線を外して完全に背を向ける。
そんなリリスたちの足を止めて再び振り向かせたのは、ブロルのくしゃみだった。
「あら。風邪をひいたのかしら?」
リリスがつぶやけば、イヴェタは口元に両手をあてて顔を青ざめさせた。
「私が水をかけたから……」
そんなイヴェタにブロルは笑顔を見せながら首を横に振った。
「僕がちゃんと乾かさなかったからだよ」
更にくしゃみを追加したブロルを見かねて、リリスが提案をする。
「私がイヴェタさんを家まで送るから、レイはブロルさんを送ってきてちょうだい。そうすれば二人とも安心して家に帰れるでしょう? 私たちは用事もないし、仲間にいれてもらえたお礼をさせて?」
リリスは軽く握った手でポムラースカを持って叩くふりをした。ゴドフリーがリリスの後押しをするように続ける。
「そのついでといってはなんだが、このあたりで旨いものが食べられる店を教えてもらえると助かる。ブロルさんは早く着替えて休んだほうがいいし、俺たちの昼食のためにもここはうなずいてくれないかな?」
地元ならではの店で食事を楽しんでみたいと思うのは観光客にはよくあること。
「頼むよ」
ゴドフリーがそっとお腹をなでながら重ねれば、ブロルとイヴェタはようやく了承した。
ちょうど二人の家に向かう途中にあった店を紹介してもらい、リリスとゴドフリーはこの店の前で待ち合わせることにして、まずはブロルとイヴェタを自宅へと送り届けた。ありがたいことにイヴェタを家の玄関まで送った際に、ゴドフリー宛のチョコレートと一緒に夕食に最適な店まで教えてもらえることができた。リリスは嬉々として合流地点へ戻ったのだった。待ち合わせの店に到着してあたりを見回すと、ちょうどすぐ近くの角からゴドフリーが姿を見せた。
「ちょうどよかったみたいね」
ゴドフリーもすぐに彼女に気づいて手を上げて合図してきた。笑みを浮かべたリリスは返事をするように軽く手を振る。
「彼の様子はどうだったの?」
ブロルの風邪の具合を尋ねる。あのあとも何度かくしゃみを繰り返して、家に着く頃には熱も出始めたようだった。さすがにこの時期にコップ三杯分の水を浴びればいくら若いといっても風邪くらいは引いて当然だろう。
「こじらせないうちに早めに休むようにいってきたし、風邪薬を飲んでしばらく寝ていればすぐに治るだろう」
「それもそうね」
医者でもないリリスたちにはこれ以上のことはできなかったし、するつもりもない。ただ気に食わないともいえる引っ掛かりもあってすぐには忘れることまではできそうになかったが。
とはいえまずは昼食をとるために教わった店へと入っていく。そこで元凶と遭遇したのだった。
奥にあるテーブルで騒いでいたのは、昨日スタレー・ムニェスト広場で見かけたゴールデンブロンドの少年だった。ブロルに嘘のポムラースカの使い方を教えた張本人、ペトルだ。漏れ聞こえる話から推測するに、どうやら物陰に隠れてブロルのことを見ていたようだ。水をかけられていた様子を、同じテーブルを囲っている少年たちへ面白おかしく話してきかせている。
「胸糞が悪いやつだな」
横目で一瞥したゴドフリーが吐き捨てるようにつぶやいた。全面的に同意だ。小さくうなずいたリリスはグリーンの瞳を眇めてペトルを流し目で見ると、一瞬だけその瞳を閃かせた。ただしそれをとらえることができたのはゴドフリーただ一人だけだったが。次の瞬間ゴドフリーは片方の口角を持ち上げた。
「きたか」
どうしたことか声音も一気に楽しげなものへと変わっていた。そのあからさまな態度にリリスは呆れた表情を浮かべはしたものの、彼女自身も気持ちは同じだ。ふっと息を吐きだすようにして口元を緩めると軽く肩をすくめた。
「ええ、きたわ」
それだけでゴドフリーには通じる。
「だったらここでの食事も控えたほうがいいかな」
「なに言ってるのよ。そんなことしても無意味だってことわかっているくせに」
「もちろん言ってみただけさ。せっかくの食事を味合わないなんてそんなもったいないことするわけがない」
「そうそう。せっかくのおすすめ店なんだから。ああ。そういえばついでに夕食のほうも教えてもらえたわ。おすすめのお店」
「へえ、そりゃ楽しみだ」
ゴドフリーはニヤリと笑った。
奥のテーブルでは相変わらずペトルたちが騒いでいたが、どんな発言が飛び出してもそれに対して反応することなく、ただ加害者側の自白という情報として扱った。




