2.ポムラースカ
翌朝リリスとゴドフリーは再びスタレー・ムニェスト広場を訪れた。
朝食はトゥルデルニーク――別名トゥルドゥロを買って食べた。トゥルデルニークとは小麦粉を練った生地を棒状に伸ばしたものを鉄の筒に巻きつけて、シナモンやナッツそして粉砂糖などがはいったトレーの中で転がすようにしてまぶしてからオーブンにのせて焼いたパンだ。生地を巻きつけた筒をゆっくりと回転させながら焼いていくのが特徴で、トッピングは店によっていろいろな種類がある。焼きあがったばかりのアツアツなトゥルデルニークは、外がサクサクで中がふわっふわ。甘くて香ばしい香りと相まってぺろりと完食してしまう。
腹が膨れたところで、昨日話していたとおりにポムラースカを買う。ついでに小さめの籠を二つと、卵形のチョコレートをいくつか購入した。機会があるかどうかわからないが、リリスがお尻を叩かれたときにお礼として渡すためのチョコレートとそれを入れるための籠。そしてゴドフリーが持っているポムラースカで叩くことになった際に、お返しとしてもらったチョコレートを入れるための籠だ。
耳を澄ませるまでもなくすでに様々な年齢の男たちが、歌いながら手にしたポムラースカで女の人のお尻を叩いているのがわかる。ゴドフリーもリリスへと顔を向けて歌いだした。
「ホディ、ホディ、ドップロボディ」
ニヤニヤした顔を向けられたリリスは呆れたような顔をしたものの、すぐにクスリと笑って後ろを向く。ゴドフリーが歌いながらポムラースカでリリスのお尻を叩き始めた。
『お祝いだ、お祝いだ、さあ行こう。色のついた卵をおくれ。それがだめなら白い卵を。色つき卵はほかの雌鳥からもらうから』
歌が終わればお尻叩きも終了だ。リリスは籠の中から卵形のチョコレート一つと、一つだけ買っていた装飾された卵――ヴァイーチュカを取りだしてゴドフリーへと渡した。
「はい、ありがとう」
「どういたしまして」
そんな二人のやりとりを見ていた数人の男性がポムラースカを手に歌いながらリリスに近づいてきた。その後ろには女性も数人いる。
「ホディ、ホディ、ドップロボディ」
「お嬢さん、我々にも卵をいただけるかな?」
「私たちには健康を」
男たちはリリスに請い、女たちはゴドフリーに請う。
リリスとゴドフリーは顔を見合わせると破顔した。
「お願いするわ」
リリスが背中を向けると男たちは歌いながらポムラースカをふるった。同じようにゴドフリーのほうも女性たちに向かって歌いだす。さすがに一人一曲ずつというのは大変なので、まとめて一曲で済ませてもらう。終われば、リリスは卵形のチョコレートを渡し、ゴドフリーは逆に受け取る。あっという間に用意していたチョコレートは品切れとなり、新しく買い求めた。さすがにゴドフリーがもらったチョコレートをそのまま人にあげるわけにはいかなかったからだ。
「まさか追加購入が必要になるなんて」
足りなくなるよりはいいだろと、今度は多めに購入した卵形のチョコレートが山盛りにはいっている籠を目の前に掲げてリリスは苦笑した。
「広場でやってれば観光客も地元の人間も関係なしだろうからな」
ゴドフリーの言葉のとおり、そのあと向かったカレル橋でも同じように次々と声をかけられる羽目になったが、人の多いところでは仕方がないだろう。特に目的があるわけでもなし。しかも午前中だけの騒ぎとわかっているのだから付き合うのも悪くはないと、むしろおおいに楽しんだ二人だった。
尖塔が多いことで知られるプラハは、それゆえ『百塔の街』という別名を持っている。けれど街中であたりまえに市民の生活の中にとけこんでいる建物も、古いものほど彫刻や彫像などの装飾がみごとで、塔だけでなく、ただ通りを歩くだけでもじゅうぶん楽しめる。通りに面した正面玄関側が、顔をこしらえるように特に華やかに装飾されている建物たち。奥行きのある細長い建物が隣同士密接するようにして、通りに沿ってぐるりと連なっている。
ふらりふらりと歩きながら、一般のアパートの扉上部に掲げられた味のある看板を眺めてみたり、ショーウィンドウの向こうに飾られた木製玩具を鑑賞したり。人一人通るのがやっとという狭い路地にも信号機がとりつけられて、こんな道でさえきちんと通りとして認められているのかと感嘆したり。
アパートが密集している地域では特にあちらこちらからホディホディという歌声が聞こえてくる。重なるように響き渡る笑い声は、こちらまでウキウキしてくるほど楽しげな色を多分にはらんでいた。
そんななか、歩いていた道の先、アパートの玄関先に立っていた一人の少年が水をかけられた瞬間を、リリスとゴドフリーは目撃してしまった。復活の月曜日にポムラースカで男性が女性のお尻を叩けるのは午前中のみ。午後になって男性が叩こうとすれば女性から水をかけられる――というのが決まりとなっている。がしかし今はまだじゅうぶん朝と呼べる時間帯だ。どうしたことかとリリスとゴドフリーは視線をかわして同時に首をかしげた。
「どういうことかしら? 午前中に水をかけられるなんて話、今まで聞いたことなかったわよね」
「女性にとっては誰も訪ねてこないことのほうが屈辱だという話だからな。よっぽどのことがない限り追い返すような真似はしないはずだが」
ここで無体な態度を取れば来年以降誰も訪ねてこなくなるのは必至だ。苦手な相手であっても一応は受けると思う、とゴドフリーは続けた。
最近の若い女性のなかには家で待つだけでなく自ら積極的に外に出ていったり、逆に男性のようにチョコレートを欲しがったりするものもいるという話は、何度か屋台や露天で耳にした。最初に聞いたときは二人揃って随分と驚いたものの、それも時代の移り変わりというものなのだろう。
とはいえそれとこれとは別の話だ。そもそも家に来てもらえないほどであれば、外に出かけて行ったところで誰にも相手にされない可能性のほうが高いだろう。だからこそ無難にやり過ごす方法を取るのが一般的な対応だといえる。
「そうよね。私だってそうするわ」
実際二人とも何度かベリコノッツェを体験したことがある。その時々――時代によって多少の変化はあるものの、基本的なことは変わりないはずだ。今年ほど参加したことはこれまでになかったが、外から全体を眺めていたぶん大体の知識くらいはある。リリスは少しだけ考えるとゴドフリーを見上げた。
「あとをつけましょう」
ゴドフリーは片眉を持ち上げた。軽く顎をしゃくって少年を指し示す。
「あいつは昨日のやつだろう?」
少年がポケットから取りだしたハンカチで拭いている髪の色はプラチナブロンド。昨日スタレー・ムニェスト広場でゴールデンブロンドの髪の少年と一緒にいた彼だ。
「ええ、たぶんそうだと思うわ」
髪色も背丈も年恰好も記憶のなかにある彼にぴったり重なるのだから、双子とかでもない限り別人ということはないだろう。ひととおり体を拭き終わった少年は、リリスたちに背を向けて歩き出した。その様子を視界の端で捉えながら、リリスは「だからこそよ」と訴えた。




