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赤い蜜は罪に濁る  作者: 竪川杼緯


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18.やるかやられるか

「おまえはそこにいろ。動くとこの体の主の無事は保証しない」

 とたんにリリスの体が動きを止める。それは考えての行動ではなく反射的なものだった。それだけゴドフリーが大切だということ。

「いい子だ」

 肩越しに振り返った悪魔がクスリと笑む。悪魔は正面にある階段をのぼって、みごとな彫刻が施された一人がけのソファに腰掛けた。あれはソファというより実質玉座なのだろう。この大広間は、謁見の間だと言われればじゅうぶん納得がいくだけの広さと豪奢さがあった。

 玉座に腰掛けた悪魔がゆったりと背もたれに体を預けて目を閉じる。するとゴドフリーの体から黒いモヤのようなものが抜け出てきた。

「レイ!」

 叫ぶ。けれど足は床に張り付いたように動かなかった。悪魔の言葉が鎖となってリリスをその場に縫い止めているのだ。

 黒いモヤのようなものは、見る間に悪魔本来の姿へと変貌する。瞳以外は白だった。てっきり赤い蛇の名のとおりに全身が赤いのだろうという予想に反して、髪も肌も白かった。これではまるで神の使いの白蛇みたいではないか。釈然としない思いを抱えたままリリスはその場でじっと立ち続けた。

 悪魔はこうして依り代のなかから完全に出ていった。けれどもそれは同時にゴドフリーの命を簡単に奪えるようになったということにほかならない。未だ意識のないゴドフリー。そのすぐそばにいる悪魔。リリスは拳を握りしめて、はやる気持ちを抑えた。

 腕を組んで上段から見下ろす悪魔はニィっと口元を笑みの形に歪めた。

「おまえにチャンスをやろう。今から用意するものと戦って倒せ。それができたらおまえにこいつを返してやる」

 こいつのところで玉座で意識を失っているゴドフリーのほうを向いた。言い終わると同時に、玉座の対面にある扉が開いて、ひとりの青年が入ってくる。白髪の青年アルベルトだった。手にはいつかの日に襲いかかってきたときに使っていたタガー。

「まったくはた迷惑な人ね」

 蔑むように見つめながらリリスは正直にぼやいた。

 アルベルトがタガーに魔力を込めて剣に変える。

 わずらわしさからむっとした顔でリリスもタガーを取りだした。チラリと背後の悪魔とゴドフリーに視線を向ける。あの悪魔がこうやって横槍を入れなければ。ゴドフリーに手を出しさえしなければ。使者が現れたりしなければ。かかわったりしなかった。

「ほっんと迷惑」

 もう一度ぼやいて、リリスは白髪の青年と同じようにタガーを闇の剣に変えた。

「殺れ」

 悪魔の声が大広間に響いた。即座に切りかかってきたアルベルトと二度三度切り結ぶ。いったん互いにはなれて、同時に踏み込む。一瞬早くリリスの剣が振り上がりアルベルトを仰け反らせるも、すぐに振り下ろされた剣もまた素早い。身を翻して際どいところで難を逃れる。跳ね上がるようにして今度はアルベルトの剣が下から上へ。リリスはもう一本取りだしたタガーを盾代わりにして剣の軌道をそらせつつ、あいた空間に自身の剣を突きだした。

 残念ながら突き刺すには至らなかったが、脇腹を多少切り裂くことはできたようだ。流れた血がじんわりとアルベルトの洋服に染みこんでいく。

 にらみつけてくるアルベルトに、リリスは肩をすくめてみせた。

「ねえ、どうして魔を滅ぼそうとしてるの?」

 今まではあまり興味がなかったが、こうやって殺し合いをするはめになってしまったからには聞いてみるのもいいかもしれない。

「おまえには関係ない」

 ありきたりな返答だった。

「でも私も魔なんだから、その対象になっているわけでしょう? 関係なくはないんじゃない?」

「おまえはここで死ぬんだから、知る必要はないだろう」

「あら、私が生き残ってあなたが死ぬ未来もあるわよ。せめておバカなことをしでかした理由くらい教えてくれてもいいじゃない」

「バカなこととはなんだ。なにも知らないくせに失礼だぞ」

「魔でありながら、他者の力を借りて魔を滅ぼそうとする。嘲笑のネタにしかならないわね。それになにも知らないって言ったけど、知らないからこそこうやって聞いているのに、それに答えないでいて相手を責めるのはお門違いというものよ。人じゃあるまいし、あまり嗤わせないでちょうだい。それとも嗤わせて攻撃力を削ぐのが目的かしら?」

 こうやって会話しているあいだも二人はいくども切り結んでいる。わずかずつとはいえ傷が増えているのはアルベルトのほうだった。そしてまたリリスの剣がアルベルトの首筋を切りつける。さきほどのセリフのどれに反応したのか。いっきにアルベルトの動きが鈍った。

「なあに? 図星だったの?」

 リリスがクスクスと嗤う。

「うるさいッ!」

 アルベルトは切られて血が流れだした首筋を手で抑えながら叫んだ。

「もったいないわね……」

 流れる血を見ながらリリスが素直な感想をもらす。とはいえすすりたいとは思わない。試さずとも味の予想はつくからだ。

「まあちょっとだけ興味が湧いたけれど、答えないんじゃ聞いてあげることもできないわね。ならもう話す必要もないということで、さっさと終わらせてしまいましょう」

 無情に告げてリリスはアルベルトへと歩を進める。無造作に近づけば、ギリと歯を食いしばる音が聞こえそうなほどの形相でアルベルトが上段の構えから両手で剣の柄を握っておもいっきり振り下ろしてきた。リリスは慌てることなく避けて、同時にタガーを投げつける。アルベルトの首筋をさらにえぐるように。そちらに意識がそれたアルベルトの動きがわずかに止まる。その瞬間を狙ってリリスは彼の両手首を切り落とした。手と剣を失って前のめりになったところで膝裏を蹴って俯せに倒すと透かさず背中を踏みつけた。さらに念を入れるようにタガーを投げつけて両腕と両足を床に貼りつける。溢れでる鮮血が見る間に床に広がっていく。

「チェックメイトよ」

 リリスの顔は無表情だった。勝利の笑みも、敗者に対する嘲りもなにもない。ただ静かで冷たい瞳がアルベルトを映しているだけ。

 闇の剣を後頭部に添える。魔にとっての急所が頭のなかにある核だからだ。もちろん闇の剣で首を刎ねても同様の効果がある。しかしこの体勢から確実に仕留めるならここが一番だ。

「どうしたの?」

 誰もが――アルベルト自身さえこのままトドメを刺すのだと疑わなかった。だがリリスはひとつ不審に思っていたことをたずねた。

「以前会ったときのあなたはもっと力があったはずよ」

 両手を使っての渾身の一撃。にも関わらずリリスはそれを無傷で避けることができた。誘いをかけたのはリリスだが、多少の傷を負う覚悟はしていたのだ。それに答えたのは玉座の前に立っている悪魔だった。

「そいつは魔を食らって自身の力としていたんだよ」

 闇渡りで狭間に入ったときに己を守るために、溜め込んでいた力の大半を使いきってしまったらしい。

「魔を食らう? それじゃ魔を滅ぼして困るのは本人じゃないの?」

 悪魔は肩をすくめた。

「そこまでは俺にもわからないな。わかるのは俺が目撃した事実だけだ」

 だが、と悪魔は続けた。

「それが嫌だったんじゃないのか? なにせ人間臭い言動が多かったからな」

 魔を食わなければならない半魔。精神が人のそれならたしかにきついものがあるかもしれない。不気味な姿の魔を食うのも苦痛なら、人と同じ姿の魔を食うのも苦しかったかもしれない。魔を滅ぼせば、生き続けられない自分に言い訳が立つ。死ぬことができる。そんなところだろうか。

 すでにアルベルトからは生の気配は感じない。けれどリリスはあえて添えていた闇の剣を沈ませた。

 しょせん他人の想像でしかない。本人が語らぬものを探るだけ時間の無駄だ。どちらにしろここは殺し合いの場。リリスはゴドフリーを取り戻すために負けられなかったのだから、それさえ叶えばいいのだ。

「終わったわよ」

 悪魔の要求は満たした。ゴドフリーを返せとリリスは悪魔を急き立てる。

「いいだろう」

 悪魔は冷ややかに笑った。

「こいつは返してやろう。特別サービスで地上へ戻る補助もしてやる。ただし」

 悪魔が指を鳴らすと、リリスの前にゴドフリーの体が瞬時に移動する。それをリリスが抱きとめたところで。

「出口は自分で見つけるんだな」

 問い返す間もなくリリスとゴドフリーは界の狭間に放り込まれた。


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