13.奪われたものを取り戻せ
「レイ!」
反射的に呼び止めようとしたものの、ときすでに遅し。リリスは闇を渡れない。アルベルトのように補助を受けなければ無理だった。魔である以上闇のなかに入っても問題はないが、自ら出入り口を作るだけの力がないので誰かにあけてもらわなければならないのだ。
闇のトンネルもある意味闇渡りと似ている。ただ最初から出入口がポッカリとあいているうえに、力のない魔だけでなく人や動物も通れるようになっているというだけのこと。
「レイ……」
声が届かないことなど承知のうえで、それでも呼ばずにはいられない。生まれ落ちてこのかた、落ち合う約束もなしにはなれたことなどない、いわば半身のような存在。むしろ半身そのもの。どうしても先ほどまでゴドフリーが立っていた場所から視線を外すことができない。
そんなリリスの意識と視線をそこからはがしたのは、床を滑るように吹き込んできた風だった。風上を追うように風をたどったリリスの瞳に写ったのは、彼女たちがこの洞窟に入ってきた扉だった。扉を開けたのは家に返したはずのペトル。
「あなたどうしてここに……」
問うているようないないような曖昧なつぶやき。リリスのそれが聞こえたのかどうなのか、ペトルは洞窟のなかを見渡してほかに誰もいないことを確認すると、そっと入ってきた。手にはリリスが渡したタガーを持って、どこか居心地が悪そうで落ち着きが無い。視線はそらしたままだった。実際のところ危ないから帰れと言われていたのに、こんな敵地のどまんなかに現れたのだから言い訳しようにもできはしないのだろう。
「どうしてここに?」
今度ははっきりと聞いた。ペトルはぴくりと肩を跳ねさせたが、それ以外ではいつもどおり。動きに合わせてゴールデンブロンドの髪がろうそくの明かりを受けてときおりきらめいていた。
「もしかしたら僕にもなにか手伝えることがあるかもしれないと思って……」
リリスは大きく息を吐きだした。ペトルの体が怯えたように震えてから硬直する。一応悪いことをした自覚はあるようだ。どのみちここまできてしまっては今更だ。それよりもこうなったからにはしっかりとこきつかってやろう。
「もう誰もこないと思うけど、一応周囲を見張っていて」
リリスが投げやり気味にそう命じると、ペトルは真一文字に口を結んでうなずいた。抱きかかえるようにしていたブロルの体を床に座らせるようにして、首筋をあらわにする。それだけでリリスがなにをしようとしていたのかわかったらしい。
「ブロルも操られていたのか?」
「いいえ、それはないはずよ。ただあまりにも目を覚まさないから眠り薬を使われたかどうか確かめるだけ」
そっとブロルの首筋に牙を突き立てたリリスは一口すすると、顔をしかめてすぐに吐きだした。
「うっ、まずいっ」
「じゃあ……」
「眠らされているわね」
吐き捨てるようにそれだけ口にしたリリスはすすっては吐いてを繰り返した。
「こんなところかしら」
未だ眠ったままのブロルの体をいったん抱え上げて血で汚れていない床の上に改めて寝かせると、リリスは天井を仰ぎ見るようにして髪をかきあげた。その体勢で疲れを吐きだすようにふーっと息をつく。目を閉じれば瞼の裏に浮かぶのはやはりゴドフリーの姿。ゆっくりと深呼吸したリリスは目を開けるとペトルへと顔を向けた。
「とりあえずここから出ましょう」
「あ、じゃあ僕がブロルを背負うよ」
リリスがブロルを横抱きにできるだけの力があることは今目の前で実際に見たので知っている。けれどここまで来たのだからなにかできることをと考えた結果だった。このくらいならという意志がその瞳に現れている。
「それじゃあお願いするわ」
実際のところなにかあったときにすぐに対応できるようにリリスが身軽でいることにこしたことはない。断る理由などなかったのですぐに了承した。ペトルは持っていたタガーをリリスに返してブロルを背負った。
「そういえば、よくここがわかったわね」
人であるペトルがこの地下への入口をよく見つけたものだと感心した。けれど自力で見つけたわけではなかったようだ。
「それが僕にもどうなっているのかわからなくて……。屋敷のそばでウロウロしてたら急に目の前に扉が現れて……」
ペトルが視線で指し示したのはこの洞窟へ入るための扉。リリスは顔を伏せて口元に軽く握った拳をあてた。
(あの悪魔のしわざ? でもなんのためにそんなことを……?)
そのまま考えこみそうになったリリスは慌てて頭を小さく横に振った。今はそんなことをしている場合ではない。この屋敷から早く逃げなければ余計な騒ぎに巻き込まれてしまうかもしれない。むしろその可能性が高い。なにせ多数の死体ができあがっているはずなのだ。
そこで檻に入れられたままの子供の存在も思い出した。額に手をあててうめく。
「どうしたんですか?」
「ここにくる途中で、どこかからさらわれて檻に入れられた子供たちがいたのよ」
「助けなきゃ」
「でもこの状況じゃ」
檻のなかには意識を失った子供が七人。こちらはリリスと、眠ったままのブロルと、彼を背負うペトルのみ。
「じゃあ助けを呼びましょう」
「助けって、誰を? 関係ない人間を巻き込むわけにはいかないわ」
「いえ、そうじゃなくて、警察に来てもらうんです」
ペトルがいうには、屋敷のどこかを爆破させるかどうかして外に異変を知らせて人を集めれば当然警察も動くはず。そうすれば家宅捜索がおこなわれてその子供たちも見つけて助けてもらえるだろうということだった。
「地下の隠し部屋への入り口はそう簡単に見つけられるようなものじゃないわよ?」
これまでだって見つからなかったのだ。どれだけ調べたところで無駄だろう。
「だから見つかるような場所を爆破させるんですよ。その地下への扉とか、地下室とかを」
「どうやって?」
「え? リリスさんの力でドカーンってできないんですか?」
「そんな力はないわよ」
「そうなんですかー? それじゃあそうですね、あのろうそくの火でどこか燃やしますか?」
ペトルが指さしたのは、魔法陣の上で今なお燃え続けている無数のろうそくだった。たしかにこの洞窟を見つけてもらうことができたら、悪魔召喚をおこなおうとして失敗した挙句の出火だという言い訳が立つ。
「そうね。それでいきましょう」
ブロルを背負ったペトルに先にスロープを上がっているようにと指示したリリスは、依り代を寝かせていた木製の台と、その向かいに用意していたイスを次々と扉に向けて投げ飛ばした。いかにもなんらかの力によって吹き飛ばされたふうを装って。それから扉周辺に散らばった破片に火をつけていく。実際のところ、台やイスなどが吹き飛ばされるほどの力が暴れておきながらろうそくの火が消えていないのも、吹き飛んだ破片に火がつくのも不自然ではあった。だがその不自然さがかえって真相をわかりにくくしてくれるのではないかと期待した。それこそ『得体のしれない存在』の関与をほのめかすことになってくれれば助かる。ほかに方法はないのだ。見捨ててもかまわないのだが、なぜか幼い子供相手だとつい手を出してしまうのは自分たちの過去と重ねてしまうからだろうか。
なんにせよリリスができるのはこうしたささやかなきっかけづくりだけ。使者の命はアルベルトのもとからブロルとペトルを救出すること。それでもそれを実現する過程においてこの屋敷へと繋がっていたなら、子供たちの救出も多少なりとも関係があるのではないかと思える。しいてはこの屋敷の解体も含まれている可能性すらありえないわけではない。ここで破片に火をつけたところで、炎自体が屋敷に燃え移ることはない。だが煙はのぼっていくだろう。そうして公の手が入れば、子供たちは助けだされ、主が行方不明となったうえに多数の死体が見つかった土地家屋は封鎖されるなりなんなりするのではないだろうか。
あとは隠し扉に細工をして見つけやすくしておけばいい。ヘタに炎を広げてしまっては檻のなかの子供たちやなにも知らない使用人たちを危険な目にあわせるだけ。関わりすぎるとリリスも都合が悪いのでこのあたりが妥当だろう。
炎がゆるやかに育ちながら木の破片を舐めていくその向こう側。未だ多数のろうそくの炎に照らされた魔法陣を見つめる。ぎゅっと寄せられた眉。悔しさと切なさと侘しさ。そして物足りなさ。あってあたりまえのものがなくなるというのはこういうことなのだろうか。リリスは初めて味わうどこかのなにかが欠けた感覚に泣きたくなるほどの胸の痛みを覚えることに戸惑う。それでも僅かな瞑目だけで振り切ると、ペトルたちを追ってスロープを駆け上がっていった。
スロープをあがりきったところで待っていたペトルたちに合流したリリスは、あちこちの扉にススで汚れをつけたり小さなキズをつけたりして見つけやすくしていった。さすがに洋服の切れ端などを扉に挟むようなことをすれば持ち主を特定しようとするなどしてあとあと厄介なことになるかもしれないのでやめておいた。リリスの存在は知られることはない。そもそも人ではないのだから調べたところでなにも出てきはしない。せいぜい宿を利用したことくらいだ。
問題はさらわれたペトルやブロルだが、たとえ被害者だとしてもけどられないほうがいいだろう。まだ少年といえる年齢の二人に警察等の取り調べを受ける事態など、免れることができるものならば避けるにこしたことはないのだ。被害者といえどもそれなりにしつこく問われるのは想像に難くない。特にこうした魔が絡んだ騒動であればなおさらに。正直に言えば言うほど信じてもらえずに更なる追求を受けるだけ。そうした事情をペトルに、そして帰宅途中で目を覚ましたブロルに伝えて、この件に関していっさい知らぬふりを貫くように説明した。なにごともなかったように生活することが一番安全なのだ。今回のことは一生心のなかにしまいこんで、できればきっぱり忘れてしまうくらいのほうがいい。
「それでリリスさんはこれからどうするんですか?」
ブロルが助けられた礼を述べたあとに、そう問いかけてきた。
「もちろんレイを探すわ」
「でも……」
ゴドフリーはブロルの身代わりとなって悪魔の依り代になってしまった。さすがにそのことを口にするのははばかったようでブロルは言葉を濁した。そんなことは承知のうえだとリリスは肩をすくめた。
「レイは私の半身なの。ちゃんと取り戻すわ」
決意の程を語るリリスは、けれど気負いはなくとても自然体だった。そうなることがあたりまえだと思っているからなのだが、ペトルたちには諦めと取られたかもしれない。とたんに二人の表情が沈んだからだ。
「諦めたわけじゃないのよ。そうなることを疑ってないだけ」
言葉を継ぎ足せば、ようやく伝わったようだ。
「あなたたちは今回のことは忘れてあなたたちの人生を生きなさい」
二度と会うことはないだろう。もともとリリスたちは人の世界の合間を縫うような生き方をしている。存在しているけれどそれを主張しない。
「さあ早く家に帰って眠ってしまいなさい。すべて夢だったことにして忘れるの」
それぞれの家まで送り届けたリリスも、いったん宿に戻って残してきた荷物を整理する。もっとも荷物といっても籠とチョコレートとポムラースカくらいしかなかったが。
あとはシャワーを浴びて体の汚れを落とす。宿の窓からそっと出入りしたため、誰かに見られてはいない。しかしススによる汚れや血のにおいは洗い流しておいたほうがいいだろう。洋服も一緒に洗って乾かす。破れたところはいつものように魔力を使って修復しておいた。
フロントが開くと同時に部屋の鍵を返してチェックアウト。リリスはひとり宿をあとにした。
荷物は、宿で用立ててもらった――もちろん代金は支払った――袋に詰めて部屋を出た。部屋に残したままだと不審がられるおそれがあったためであり、単純に迷惑をかけないためだ。そのために持ちだしただけで必要なわけではない。ヘタに荷物を増やすと動きに支障がでてしまうので、適当なところで袋ごとゴミ箱に捨ててきた。
この街での形跡を清算したリリスは周囲をぐるりと見やる。今のところ使者の姿は見あたらない。
「まずはどこへ行こうかしら?」
つぶやいたところで脳裏に浮かんだのは、はるか昔に訪ねたことのある魔女の屋敷。
「なにか手がかりがつかめるかも」
魔女とは『迷える羊』に道を指し示す魔物。
行き先が決まったリリスはさっそく駅へと足を運んだ。闇を渡ることができればすぐにたどり着ける。けれど残念なことに闇渡りのできないリリスは人の交通網を利用するしかない。目的地への長い道のりを慮ってもらした吐息は朝陽の光芒にかき消された。




