12.召喚魔法
外から見た屋敷の大きさからいって、屋敷内に召喚儀式の間があるとは思えない。地下のどこかにだだっ広い部屋を用意しているはず。そう結論づけたリリスとゴドフリーは足音を殺しながら地下道を移動する。
リリスが最初に地下へおりてきた場所は比較的新しいと思える作りだった。全体的にコンクリートで覆われていて、施工のあとが綺麗すぎたのだ。新しく作ったのか、補修に見せかけてなにかを隠したのかまでは定かではないが。さらに階段をおりて地下牢へ至った際に急に石畳に切り替わって違和を感じた。汚れやすい床までは手直しをする必要性を感じなかったのか。ここまで入り込むものはいないという慢心からなのか。だがしかし石畳のままのほうが掃除という観点からして不都合が多いように感じたものだ。だからこその違和感なのだが、ゴドフリーを助けることを優先させたためにそのときはスルーした。
「どちらにしてもロクでもない所業よね」
改めて思い起こしてみればこれだ。顔をしかめるリリスにゴドフリーも同意した。
「俺が無理やり飲まされる前から血のにおいがこびりついていたから相当だろう。それに洗おうという意志もはなから無さそうだったな」
掃除の手間が省けるとうそぶいていたが、どう見ても掃除をおこなった形跡などない。ましてや隙間に汚れのたまりやすい石畳。洗ったとしても汚れは落としきれなかっただろう。あの地下牢は牢というよりは拷問部屋、さらにいえば処刑場に近い場所だったはず。そこでたくさんの血が流されて石畳の床に落ち、石と石の間を伝ってどこかへ消えていく。
「そうか」
流れた血のゆくえを脳内で追っていたゴドフリーはふと閃いた。
「あいつらは俺が飲みきれなかった血が床を流れていってもさして気にしたようすはなかった。だったらその牢のどこかから下に流す場所が用意されていたとしても不思議はないだろう?」
思い返してみれば石の並びは流れ落ちたものを集めるように工夫されていた。鉄格子の中央辺りから隙間の溝が放射線状に広がるように石が配置されていた。そもそも男たちも『用があるのは牙だけ』と言っていたのだ。血に頓着しなかったのは、その仕組があったからかもしれない。悔しそうに顔をしかめたリリス。もっとよく見ておけばよかったと臍を噬む。
「どこかに階段かなにかがあるということよね」
なにかと言いはしたが、階段以外といえばスロープくらいしかないだろう。エレベーターといった大げさなものは設置できたとしても、そんな目立つものは地下では使っていないに違いない。昔ならいざしらず、現在は消防法だなんだといって立ち入り調査くらいは受けているはず。工事業者が頻繁に出入りすれば人の目も引く。そうそう隠しきれるものではない。
「隠し扉になっていると厄介よね」
「それはないだろう。屋敷内ならまだしも、地下はないものとして隠すか、見られても困らないような地下倉庫あたりを囮にしているんじゃないか? ヤバいほうは最初の出入り口だけ隠し扉にしておけば、そこから奥は気にする必要はないはずだ」
リリスは入ってきた場所を思い起こした。使用人用の出入り口から侵入したために見つけやすかったのか。それとも血のにおいを追いかけたからか。わりとすぐに地下への扉は見つかり、降りた先では子供たちが捕らえられた檻が並べられていた。普通であれば隠されていなければならないもの。もしかしたらダミーの扉はもっと別の場所にわかりやすくあったのかもしれない。例えばあの食材保管庫のような部屋のどこかに。
ならばリリスが選んだ道はまちがいではなかったということ。であればこの通路のどこかからさらに地下へといける道があるはず。血のにおいはあの牢が一番強い。だからそこへ戻るのはにおいを辿るだけでじゅうぶんだが、それだからこそまったく違う場所に階段なりスロープなりがあると思えた。見られて困るものは、たとえ不便だったとしてもはなれた場所に用意しそうだ。そうすれば芋づる式にという事態だけは避けられるだろう。経験による勘でしかないが。そしてそれはすぐに証明された。ただし予想に反してこちらも隠し扉だった。
「どれだけ用心深いんだ」
ゴドフリーが呆れながら苦笑いをもらした。
壁の彫刻に紛れた扉を抜けると、長い長いスロープが出現した。大きな球体の側面をなぞるような感じで円を描きながらゆっくりとくだっていく。その先に目的のものが現れたのだった。
「これね」
ひときわ大きな石の扉。いったいどんな人間ならこれを開けることができるのだろうと呆れ果ててしまうほどに大きい。もっともその巨石の扉には施された彫刻による装飾に紛れるようにして小さな、それでいて人が通るにはじゅうぶんなサイズの木製扉が仕込まれていた。
「ここもなのね」
隠し扉が好きなのか。それともこうしたデザインの扉が好みなのか。地下室の扉がすべて隠し扉になっていると、これはもう後者が選択理由なのではないかと思えてくる。一瞬緩んでしまった気持ちをたてなおすと、二人してそっと扉の向こうの気配を探る。
「なにか感じるか?」
「いいえ、なにも。レイは?」
「俺もまったく」
降参とでもいうように肩をすくめてみせたゴドフリー。リリスは乾いた笑いをもらして諦めをあらわした。
「こうなったらイチかバチかでいってみるしかないわね」
二~三度深呼吸した彼女たちは扉に手をかけるとそっと開いた。少しずつ見えてくる地下室のようす。部屋全体から見ればやや薄暗いけれど、床の上には火のついた無数のろうそくが立てられている。一定の法則にしたがって並べられているであろうそれは、いくつかの記号をなぞっているようだった。
ある程度扉を開いたところでするりと身をくぐらせる。最初にリリスが。次いでゴドフリーが部屋のなかへと入っていった。扉のすぐ脇の壁際でしゃがみ込むようにして体をできるだけ小さくしてから部屋全体に視線を巡らせた。思ったとおりに巨大な部屋だ。広さも高さもある。それだけの距離をスロープでおりてきたわけだ。この地下室はいわば自然の洞窟を使用したような形になっているようだ。これまでの部屋と違って、壁も床もただの岩肌がむきだしになっている。
再び中央に目を向けてみれば、そこにはアルベルトとブロルの姿をとらえることができた。アルベルトはろうそくで囲まれた空間の真ん中に立っていた。ブロルに至っては祭壇のような台の上に寝かされていて生死は不明だ。だが依り代にするのであれば眠らされているだけと考えるのが妥当だろう。リリスがアルベルトへと視線を向ければばっちりと視線がかちあった。侵入したことはすでにバレていたらしい。そうなれば隠れている必要もなく、二人の吸血鬼はやおら立ちあがるとアルベルトのもとへと歩を進めた。
アルベルトはまるで典型的な悪役のように両手を掲げるようにして歓迎の意を表した。
「これはこれは。よくここがおわかりになりましたね。迎えにいくつもりだったのですが手間が省けて大変助かりました」
「それはどうも」
答えたのはリリスで、ゴドフリーはいかにも胡散臭いアルベルトを半眼で見返しただけだった。そんな態度にもいっさい反応せずにアルベルトはブロルが寝かされている台の真反対に設置されているイスを手のひらで指し示した。
「こちらに席を用意いたしました。さあどうぞお座りください」
「お座りください……ね。そう言われて素直に座ると思うの?」
「ええ、思っておりますが?」
いかにもそれがどうかしたのかといった表情で首をかしげるしまつ。リリスはつい指を額にあててしまった。これはどうしたものか。いきなり襲いかかってきたあとは、ブロルとペトルを誘拐。それによってリリスたちをおびき寄せて、いっぽうは殺害し、残ったゴドフリーは贄に仕立てようとしておきながらあっけらかんとしたこの態度。たしかに魔とは自分本位な生きものだ。我が道をずかずか進もうとする。だがそれに付き合わされるほうは、たまったものじゃない。正直なところ、いい加減にしてほしい。その一言に尽きる。それにどうも腑に落ちない部分がある。言動が魔というより人に近い感じがするのだ。
そうやってリリスが頭を抱えているあいだに、ゴドフリーはブロルのもとへと向かって口元に手のひらをかざしていた。かすかとはいえ呼気が感じられる。たしかに眠っているだけのようだ。ふと足元に視線を落とすとびっしりと床に魔法陣が描かれていた。視線でなぞるようにその魔法陣をたどっていたゴドフリーはハッとして顔をあげた。目の前に立つのはアルベルト。その口元に浮かぶのは薄い笑み。
「逃げろリリス!」
叫ぶゴドフリー。反射的に飛ぶように数歩後退ってからリリスは足元を見てゴドフリーを見た。
「レイ!」
危険なのはリリスではなくゴドフリーとブロルのほうだった。ブロルの体を持ち上げたゴドフリーが、リリスに向かって投げ渡そうとする。
「遅い!」
割りこむように鋭い声を発したのはアルベルトだった。いつの間にか手にしていた杖を足元に描いた魔法陣の中心を指すようにして突いた。即座に魔法陣から立ち上る闇色の紗幕のような召喚魔法。わずかの差でそこから抜けることができたブロルの体は無事リリスの腕に受け止められた。だがあとに続こうとしたゴドフリーの体は紗幕に弾かれて捕らえられてしまった。
「レイっ」
ゴドフリーのところへ駆け寄ろうと一歩足を踏み出したリリスは、召喚魔法の紗幕がさらに高くなったことで慌ててタガーを三本取り出すと、自分を囲む正三角形を描くように床に突き立てた。
アルベルトは舌打ちをしたもののさして残念そうではない。実際のところ贄と依り代が同じものであったとしても憑依には影響がなかった。条件さえ満たしていればいいのだ。必要なのは魔法陣と贄と依り代。ブロルのようにプラチナブロンドが理想ではあるが、ゴドフリーのアッシュブロンドでもできないわけではない。贄の血はゴドフリーに大量に飲ませている。飲みきれなかったものも床を伝ってこの部屋の床下――ちょうどゴドフリーが捕まっている陣の真下に溜まるようになっている。すでにゴドフリーが飲まされた過剰な血液はリリスが吸い取ったことを知らないアルベルトはそう考えていた。
さらに闇色の紗幕が高くまでのびる。岩の天井まで届きそうになったところで、今度は紗幕で取り囲まれた陣のなかにぼんやりとした影が見え始めた。徐々に存在を示し始めるそれは召喚に応じた悪魔の姿だろう。ゆらりゆらりと影は蠢きながら様々な形にその姿を変える。本来の姿を見とがめられることを忌むように、掴みどころのないままただ影だけが濃くなっていく。やがて伸びたり縮んだりしていた影はようやくゴドフリーを依り代と認識したらしい。まるでゴドフリーが吸い込んでいるのではないかと錯覚しそうな勢いで体のなかに入っていった。
リリスは歯を食いしばってそれを見ていることしかできなかった。ブロルの体は抱きしめたまま。万が一ここで目が覚めてもいいように顔を肩に伏せさせるようにして後頭部を押さえている。人であるブロルにこの光景は耐えられないだろう。見せないための処置だ。
食いしばる口の端から血のしずくが流れる。そのにおいを嗅ぎつけたのか、ゴドフリーが、否、ゴドフリーに憑依した悪魔が一瞥をくれたが、すぐに召喚主であるアルベルトへと移っていった。
「呼び出したのはおまえか?」
ゴドフリーの声で悪魔が言う。
「そうだ」
アルベルトの答えは短い。どこか不満に思っているようにも見える。期待したほどの悪魔ではなかったということか。
「願いはなんだ?」
「私の手足となって魔を滅ぼすことだ」
これはリリスも予想していたこと。やはりそうかと胸中でつぶやいた。だがそれにしても理由はなんだろう。アルベルトひとりでもそこそこの力はあるはず。あえて悪魔を喚び出す真意がつかめない。それは悪魔も同じだったようだ。
「それだけのことか? おまえひとりでもできように」
「できなくはないが時間がかかる」
「ふむ」
悪魔はアルベルトをひたと見据えながら顎に手をやった。やけに人間臭い仕草だ。どこか見覚えがある気がするのはそのためだろう。しょせんこの程度の召喚に応じるような悪魔だ。リリスは最初そんなふうに思った。贄の血の量が少ないことをわかっておきながら、喚び出したことへの咎めすらない。そんなちっぽけな悪魔。けれどよくよく観察してみると、あまりにも贄に対してむとんちゃくすぎる印象がある。むしろ地上に出ることが目的で贄の存在など二の次。これまでも機会さえあれば何度も召喚に応じてきた気配がする。であればやけに人の世に詳しそうなのも納得がいく。だがそれだけにその人間臭さがいっそ不気味で、リリスは軽く身を震わせた。
(この悪魔、タダモノじゃない?)
再び悪魔がリリスに一瞥を投げる。いったいなにを考えたのか。ニヤリと悪魔が嗤う。
「おまえ、闇は渡れるか? 補助が必要なら手を貸すぞ」
「……補助があれば大丈夫だ」
一瞬の間をあけてアルベルトが答えた直後には二人の姿は消えていた。




