すれ違う気持ち
文化祭が終わってから、少しだけ時間が経った。
教室には、文化祭前の慌ただしさとは違う、いつもの空気が戻っていた。
昼休み。
晴、蓮、美咲、遥の四人は、いつものように机を寄せて昼食を食べていた。
「いやー、なんか文化祭終わると暇だなー」
蓮が机に突っ伏す。
「蓮、文化祭のときあんなに走り回ってたじゃん」
美咲が笑う。
「だから疲れたんだよ。しばらく休ませてくれ」
「体育祭のときも同じこと言ってたよな」
晴が呆れたように言う。
「晴は元気すぎなんだよ」
蓮が顔だけ向けて言う。
「そうか?」
「そうだよ」
遥が二人のやり取りを見ながら笑った。
「ふふっ。二人とも、仲良いね」
「まあな。何年の付き合いだと思ってんだよ」
蓮が晴の肩を軽く叩く。
「な?」
「まあ……腐れ縁だけどな」
「おい」
四人の笑い声が教室に響いた。
そんな何気ない日常が、ずっと続く。誰もが、そう思っていた。
放課後。
体育館では、バスケットボール部の練習が行われていた。新人戦が近づき、練習にもいつも以上に熱が入っている。
晴はボールを受けると、すぐに周囲を見渡した。
「蓮!」
蓮にパスを出す。
しかし、ボールは逸れ、ラインの外へ転がった。
蓮の動きと、ほんの少しだけタイミングがずれた。
「……悪い!」
蓮がボールを追う。
次のプレー。
今度は蓮が先に走り出した。
晴がパスを出そうとした瞬間、蓮は別の方向へ動いていた。
「っ……!」
ボールがそのままラインの外へ転がる。
「止め!」
監督の声が響く。
「晴、今のパス早すぎ」
蓮が息を切らしながら言った。
「いや、蓮が…」
晴が言いかける。
「俺?」
蓮が振り返った。
「俺の動きに合わせろよ」
晴の表情が変わった。
「……なんで俺だけなんだよ」
「は?」
「蓮だって最近、勝手に動いてるだろ」
「じゃあ、お前はどうなんだよ?」
「分かんねぇよ」
晴も言い返す。
「俺だって、お前が何考えてるか分かんねぇんだよ」
体育館の空気が、一瞬で重くなった。
蓮は少し黙ってから、
「……じゃあ、分かろうとしろよ」
「そっちこそ、分かろうとしてねぇだろ!」
「二人とも!」
監督が間に入った。
「大会前に何やってんだ!続きは後にしろ」
晴も蓮も、それ以上は何も言わなかった。
ただ、相手に合わせるだけのプレーをした。
いつもなら、何も言わなくても分かり合えていた。
なのに今は…
なぜか、噛み合わなかった。
練習が終わると、晴は一人で体育館を出た。
「晴、待って!」
後ろから美咲の声がした。
「……美咲」
「晴、大丈夫?」
「大丈夫だって」
「またそれ言う」
美咲は少し困ったように笑った。
「晴の『大丈夫』、今日何回目?」
「……」
晴は答えなかった。
美咲はそんな晴の隣を歩く。
「蓮と、ケンカしたんだよね」
「……ちょっと言い合いになっただけ」
「そっか」
しばらく沈黙が続いた。
そして晴が小さく呟く。
「俺だって……どうしたらいいか分かんないんだよ」
美咲は晴を見る。
「……うん。そうだね…」
それ以上は急かさなかった。
ただ、隣を歩き続けた。
「ねえ、晴」
美咲は晴の顔を見つめた。
「晴が一人で抱え込むなら、私は隣にいるよ」
晴が顔を上げる。
「……美咲?」
美咲は少し照れながら、それでも真っ直ぐ晴を見る。
「幼なじみだからじゃなくて……晴のこと、大切だから」
そして、もう一度。
「大丈夫じゃなくてもいいんだよ。晴が辛いときくらい、私にも頼ってよ」
晴は何も言えなかった。
でも、その言葉は確かに胸に残った。
次の日の昼休み。
いつものように、四人は机を寄せて昼食を食べていた。
「今日の購買、めっちゃ混んでたわ」
蓮がパンの袋を開けながら言う。
「蓮、またパンだけ?」
美咲が呆れたように笑う。
「いいだろ。うまいんだから」
「晴は?」
「俺は弁当」
晴が弁当箱を開く。
いつもと変わらない昼休み。……のはずだった。
「晴」
蓮が声をかける。
「ん?」
「昨日の――」
「……」
晴の手が、一瞬止まる。
「……何?」
「いや……なんでもない」
「……そう」
短い会話。
そのまま二人とも黙ってしまった。
美咲が二人をちらっと見る。
遥も、静かに箸を動かしながら二人の様子を見ていた。
いつもなら、くだらないことで言い合ったり、蓮が晴にちょっかいを出したりする。
なのに今日は、妙に静かだった。
遥は少しだけ首を傾げる。
「……ねえ」
三人が遥を見る。
「晴と蓮くん、何かあった?」
「……」
「……」
二人とも答えない。
遥は二人の顔を見比べる。
「やっぱり……何かあったんだ」
「まあ……ちょっとな」
晴が小さく答える。
「そっか……」
遥はそれ以上聞かなかった。ただ、少し心配そうに二人を見る。
美咲もそんな遥を見て、静かに頷いた。
四人でいることには変わりない。
それなのに、今日は、ほんの少しだけ。
いつもと違う昼休みだった。
この雰囲気のまま、三日が過ぎた。
練習後、蓮は一人で体育館に残っていた。
シュートを打つ。
外れる。
もう一度。
外れる。
「……くそっ」
そのとき、引退した三年生の先輩が声をかけた。
「蓮。ちょっと後輩たちから聞いたんだが、晴と何かあったのか?」
「……ちょっと、言い合いになっただけっす」
「そうか…」
先輩はそれ以上聞かなかった。
「大会前だ。ちゃんと話しとけよ」
「……はい」
「それと、応援してるぞ」
「……ありがとうございます」
練習を終えた蓮は、スマホを取り出した。
晴とのトーク画面を開く。
しばらく迷ったあと、文字を打った。
『晴、明日の練習後ちょっと話せるか?』
送信。
少しして、
『いいよ』
と返ってきた。
翌日の練習後。
夕方、二人が向かったのは、以前一緒に練習した小さな公園のバスケットコートだった。
「……ここ、久しぶりだな」
晴がボールを手に取る。
「だな」
蓮が笑う。
「話す前にさ、ワンオンワン…やるか?」
晴は蓮の顔を見た。
「いいぜ」
蓮も晴の顔を見た。
二人はコートに立った。
最初は、ただボールを奪い合った。
何度もぶつかる。何度も抜こうとする。
まるでどこか不満や苛立ちをぶつけるように。
やがて二人とも息が上がり、二人はベンチに座った。
蓮が空を見上げた。
「俺さ……お前に負けたくないんだよ」
晴は黙って聞いていた。
「中学の頃からずっと、お前のこと追いかけてきた」
蓮は少し笑う。
「俺の方が身体能力はあるのに、試合になるとお前の方が上手くてさ」
「……そんなこと」
「あるんだよ」
蓮は笑った。
「でも、だからこそ、お前の隣でプレーしたかった」
蓮は少しだけ間を置いて、
「俺、お前と離れたくないんだよ」
晴は蓮を見る。
蓮の目から、涙が落ちた。
「……なんだよ、俺」
蓮は笑いながら涙を拭う。
「こんなことで泣くつもりなかったのに」
晴は少し笑った。
「俺だって同じだよ」
「……晴」
「蓮がいたから、俺はもっと頑張れた」
二人はしばらく黙っていた。
やがて晴が立ち上がる。
「もう一回やるか?」
蓮も立ち上がった。
「もちろん!」
二人は再びコートに入った。
今度は――
不思議なくらい、動きが噛み合った。
数日後。
休日、四人は秋の紅葉を見に出かけていた。
「おー! やっぱ秋は食べ歩きだろ!」
蓮が屋台を見つける。
「紅葉を見に来たんじゃなかったっけ?」
美咲が笑う。
「紅葉も見る! 食べ物も食う!」
「欲張りだなぁ」
晴が笑う。
遥はカメラを持ちながら、ゆっくり歩いていた。
赤や黄色に染まった木々。
風に揺れる葉。
その景色を、一枚ずつ写真に収めていく。
晴が遥の隣に並ぶ。
「今日、いい写真いっぱい撮れそうだな」
「うん!」
遥はカメラを見ながら答えた。
「こういう景色って、そのときしか見られないから」
「だから残しておきたい?」
「……うん」
遥は少し笑った。
そして、
「晴、ちょっとそこに立って」
「俺?」
「うん」
晴が木の下に立つ。
遥はカメラを構えた。
「……はい、撮るよ」
シャッター音。
晴が近づく。
「見せて見せて」
「……だめ」
「な、なんで?」
「まだ秘密」
「なんだそれ」
晴が笑う。
遥も笑った。
少し離れたところから、それを見ていた美咲が口を開く。
「遥、晴の写真好きだね」
「……そ、そうかな?」
「うん。なんか、晴を撮るときだけちょっと嬉しそうにしてるから」
遥は少し考える。
「……そうかな?」
「うん。なんとなく」
その後、遥は四人にカメラを向けた。
「みんな、並んで」
「また俺ら?」
蓮が笑う。
「せっかくだから」
四人で並ぶ。
シャッターが切られる。
遥は撮った写真を確認した。
晴、蓮、美咲。
そして自分。
「……いい写真」
晴が覗き込もうとする。
「見せてよ」
「だめ」
「また?」
「これは……私が持っておく」
「なんで?」
遥は写真を見つめる。
「……大事な写真だから」
晴は不思議そうにしながらも、
「そっか」
と笑った。
少しして、晴と蓮が先に歩いていった。
美咲と遥が二人きりになる。
「ねえ、遥」
「うん?」
「晴のこと、心配してた?」
遥は少し驚いた。
「……うん。ちょっと」
「そっか、心配するよね」
美咲は優しく笑う。
「私も、晴が元気ないと気になるから」
遥は美咲を見る。
「……美咲も?」
「うん。ずっと一緒だったから」
二人は少しだけ笑った。
同じ人を見つめている。
けれど、まだ二人とも、その意味を完全には理解していなかった。
紅葉を見た帰り道。
四人は並んで歩いていた。
しばらくして、晴が遥に声をかける。
「そういえば遥」
「ん?」
「今度、俺らの新人戦あるんだけどさ」
「新人戦?」
「そう。バスケの大会」
遥の足が、ほんの少し止まりそうになった。
「……そうなんだ」
「うん。よかったらさ、見に来ない?」
晴は少し間を置いて、
「ほら、美咲も来るしさ!」
遥は晴を見た。
「……私が行ってもいいの?」
「もちろん!」
晴は自然に笑った。
「応援してくれたら嬉しいし」
「……晴が?」
「え?」
「……ううん。なんでもない」
遥は小さく笑う。
「じゃあ……行く」
「ほんと? じゃあ頑張らないとな」
「うん。頑張って」
遥は少しだけ俯いた。
「……晴、絶対勝ってね」
「おう」
その返事を聞きながら、遥はそっと目を閉じた。
いつかの記憶が、一瞬だけ胸をよぎる。
大好きだった人。
何度も見た笑顔。
もう二度と見られないと思っていた時間。
それが今、目の前にある。
「……今度は」
遥は小さく呟いた。
「今度は、ちゃんと見ていたい」
新人戦当日。
晴たちは初戦から順調に勝ち上がり、決勝戦まで勝ち上がった。
今日は、決勝ということもあり、会場には多くの観客が集まっていた。
晴と蓮はコートに立っていた。
観客席には、美咲と遥。
「晴、頑張って!」
美咲が声を上げる。
晴は二人を見て、少し笑った。
「蓮も!」
「任せろ!」
蓮が手を上げる。
遥も静かに二人を見つめていた。
試合開始。
相手は地区でも有名な強豪校だ。
序盤から相手に押される。
それでも晴と蓮を中心に相手に必死に食らいつく。
試合開始直後から、相手は晴と蓮を徹底的にマークしてきた。
「晴!」
蓮へパス。
だが、相手先回りされ、パスをカットされた。
「くっ……!」
蓮が止められる。
今度は晴がドライブする。
しかし、二人がかりで囲まれた。
「晴!」
後ろへボールを戻す。
蓮も動く。
けれど、また読まれる。
「……まずい」
ベンチから監督の声が飛ぶ。
「相手、完全に二人を潰しに来てるぞ!」
前半終了。
スコアは34対26で負けている。
試合が後半に入ると、さらに点差が少しずつ開いていった。
晴は息を切らしながら蓮を見る。
「……どうする?」
「分かんねぇ」
一瞬、二人の動きが止まる。
そのとき――
「晴!」
観客席から声が響いた。
晴が振り向く。
遥が立っていた。
「晴なら大丈夫!」
遥の声が、体育館に響く。
「蓮くんと一緒なら、絶対できるよ!」
晴は目を見開いた。
そして、隣にいる蓮を見る。
蓮も笑っていた。
「……聞いたか?晴」
「ああ、聞いた」
晴がボールを受け取る。
「蓮」
「ん?」
「もう一回、やろうぜ」
蓮が笑った。
「……おう!」
「いくぞ!」
そこから二人の動きが変わった。
晴が相手の動きを読む。
蓮が空いたスペースへ走る。
パス。
ドライブ。
スクリーン。
そして、もう一度パス。
今まで何度も繰り返してきた動き。
二人だけにしか分からないタイミング。
最強のコンビが、戻ってきた。
「行け、晴!」
「蓮!」
最後まで点差は縮まった。
残り時間はわずか数秒。
晴がボールを持つ。
蓮が走る。
晴は一瞬だけ相手を引きつけ――
蓮へパス。
シュート。
しかし――
ボールはリングに弾かれた。
体育館に終了のブザーが響く。
試合が終わった。
敗北だった。
わずか2点、届かなかった。
晴は悔しそうに拳を握った。
蓮も俯く。
それでも二人は、すぐに顔を上げた。
試合後。
夕方の体育館の外。
四人は並んで歩いていた。
蓮が空を見上げる。
「……あと少しだったな」
「…ああ」
晴も悔しそうに笑う。
「でも、最後はちゃんと噛み合ったな。俺ら」
「……ああ」
蓮は晴を見る。
晴も蓮を見る。
そして晴が言った。
「蓮」
「ん?」
晴は真っ直ぐ前を見ながら、
「……来年は優勝な」
蓮は一瞬目を丸くした。
「……当たり前だろ!」
二人が拳を軽くぶつける。
美咲がその様子を見ながら笑った。
「ふふっ。二人とも、もう次の話しちゃってる」
「だって、悔しいだろ」
晴が笑う。
「来年は絶対勝つぞ」
「おう」
四人は並んで歩き出した。
夕暮れの道を。
いつもの四人で。
晴と蓮は、もう一度並ぶことができた。 美咲と遥も、少しずつ互いの気持ちに近づいていた。
遥は少し後ろから、晴の背中を見つめていた。
――来年。
その言葉を、遥は心の中でもう一度繰り返す。
たった一言なのに、少しだけ胸が苦しくなった。
「……来年も、こうしていられたらいいな」
遥は小さく呟く。
晴が振り返る。
「遥、何か言った?」
「ううん。なんでもない」
遥は笑った。
「……帰ろう、晴」
「おう」
再び四人で歩き出す。
その背中を見ながら、遥は胸の奥に生まれた小さな不安を、そっとしまい込んだ。
今はまだ。
この時間を、大切にしていたかった。




