沈黙の中の名前
セルベインとアイオレン、そしてビティアの支援を受けた魔族部隊は、モルジェルとの戦闘で勝利する。
モルジェルは戦況が不利になると、峡谷の入口を放棄し、谷のさらに深い奥へと入ってしまった。
モルジェルが退くと、ベルマウルは直ちに魔族部隊を前進させ、大きな被害もなくモルジェルが築いた低い城壁陣地を占領する。
ただし魔族部隊は城壁を占領した後、それ以上前進せず、まずモルジェルが築いた低い城壁陣地を完全に取り壊した。
もともと狭い峡谷の入口に城壁が置かれていた。
そのため部隊が戦術隊形で移動することが難しかったからである。
低い城壁を除去し、魔族部隊はモルジェルの攻撃に備えた防衛線を構築した後、その後方に野営地を作る。
そうしてイレルダン峡谷での戦闘はひとまず一段落し、その頃、峡谷には闇が静かに降り積もる。
城壁除去作業にそれほど多くの時間を使ったわけではなかったが、イレルダン峡谷周辺は光が入りにくいため、夜の訪れが早い。
ただでさえ昼でも暗い峡谷へ夜に入るのは愚かなことである。
モルジェルは魔王の力である黒い波動の魔力によって、夜でも闇の中を昼のように素早く動くことができる。
しかし魔族は魔法呪文で視力を強化しても、目で見るという機能的限界のため、闇の中ではモルジェルより反応速度が遅い。
このような現実的な理由によって、モルジェルの追撃は明日の朝に始めることになった。
そしてセルベイン、アイオレン、ビティア、ベルマウルが魔族部隊の野営地の一つで夕食を共にしている。
「負傷者もおらず、大きな被害もないようで幸いです。」
セルベインが穏やかな表情で言う。
ベルマウルに今すぐ聞きたいことは多かったが、長い経験を持つ者らしく自制心を発揮し、表情に余裕を装う。
「ほほほ! すべてベルマウル将軍のおかげでしょう。戦場での活躍。部下を思う心。なにひとつ捨てるところがないです。」
ビティアは意気揚々としている。
アイオレンは魂のこもっていないうなずきで相槌を打ちながら、ベルマウルの横顔を板に穴を開けるような勢いでじっと見つめていた。
もちろん挨拶もすでに飛ばしていた。
アイオレンはエルフの中でも特に変わっているほど好奇心が強く、疑問を我慢できない。
少なくともこの二つは人族の表現で言えばオタク級であり、そのため時々社交的手続きを省略するという失敗を犯した。
「ベルマウル将軍はどうやってシルペンダーの呪文を使ったのですか? その呪文はエルフ魔法です。いやいや、それどころかエルネドとも繋がっておられないではありませんか?」
ベルマウルも今日初めて見る背の低いエルフ女性に突然問い詰められ、戸惑っている。
「ええと……そうですね。一緒に来られたのを見ると、お二人は貴い方々なのでしょう?」
とりあえず問い詰めるエルフに対し、ベルマウルはビティアへ助言を求める様子だ。
ベルマウルはこれまで数多くのエルフを見てきたが、目の前にいる小柄なエルフはなぜかエルフらしくなく、頼りなく感じられた。
「ベルマウル将軍は質問に先に答えるべきでしょう。お二人はアルカリオンの師たちです。ローブを見れば、その名誉がお分かりでしょう。」
しかしビティアは状況が面白いのか、とんちんかんなことを言う。
もちろんベルマウルもローブの色が何を意味するのかよく知っている。
だからこそ、さらに疑いが生まれる。
しかしビティアの指示に、自分の肩を一度すくめると、大したことでもないように答えた。
「特に誰かに学んだわけではありません。ただ頭の中に浮かんだのです。それだけです。特別なことはありません。」
「本当にそれだけですか?」
今度はセルベインが尋ねる。
セルベインの右手が空中を軽く触れると、その場所に水晶板が現れ、さまざまな魔法文章が浮かび上がる。
「はい。私は頭の中に浮かんだ魔法コードをただ使うだけです。」
しかしベルマウルの返答には、無視できない単語が混じっていた。
セルベインは「コード」という単語に、一瞬手を止めた。
「本当にコードだったのですか? 記憶違いではないでしょうか?」
セルベインが確認のため再び尋ねる。
「はい。コードで間違いありません。実はコードという単語が何なのかも分からず、またどういう意味なのかも分からないので、むしろはっきりと覚えています。」
ベルマウルがうなずく。
セルベインは言葉と共に水晶板を確認する。
「そのコードの名前は何でしたか?」
セルベインが再び尋ねる。
「オルディナのコードです。」
ベルマウルはしばらく考えた後、ためらいなく言った。
「オルディナ? それは何ですか?」
アイオレンが初めて聞く言葉にベルマウルへ聞き返す。
「分かりません。」
しかしベルマウルは言葉と共に首を横に振った。
その瞬間、セルベインだけが息を止めた。
セルベインの視線がゆっくりとベルマウルへ固定される。
アイオレンが周囲に意見を求めながら首をかしげる姿が、ゆっくりとセルベインの目の前を過ぎていく。
まるでセルベインだけ時間が停止したかのように、その場でベルマウルを見ている。
「師匠?」
アイオレンが呼ぶ声に、セルベインは右手を上げ、静かに水晶板を閉じる。
「ベルマウル将軍。その状況をもう少し詳しく説明してください。」
するとビティアはアイオレンに目配せし、セルベインの思索の時間を妨げない。
セルベインはベルマウルの「オルディナのコード」という言葉に衝撃を受ける。
オルディナという単語は、意図的にエノルの世界で一度も使われず、隠されていた。
それはこの世界でただセルベインとオルディナ本人だけが知っている名前である。
ところがその名前を今、ベルマウルが何でもないことのように口にした。
はっきり聞いたが、とても信じられないことだった。
オルディナという名前は、魔王アスペルハイムですら知らない。
「オルディナという名前以外に、覚えていることを全部教えてください。」
アイオレンがベルマウルを再び問い詰める。
すると話すことを話し終えたベルマウルが困り始める。
ビティアが静かにアイオレンの肩を引き寄せた。
「そんなに追い詰めないで。その子は嘘をつかないから。」
「いや、嘘というよりは、とても信じがたい問題が発生して……」
アイオレンはビティアに問い返されると苦しい言い訳を試みる。
その時、ビティアが今言った単語の一つを思い出す。
「えっ!? その子?」
アイオレンが不思議に思って再び尋ねる。
「うん。私の子。ぷははは!」
アイオレンが衝撃を受けた顔をすると、ビティアはその表情がおかしくて腹を抱えて笑い始める。
「母上。劇的効果を狙われたのでしたら、もう十分です。おやめください。」
見かねたベルマウルがぎこちなく笑いながらビティアを止める。
「お・か・あ・さ・ん……ですってぇぇぇっ!?」
アイオレンが悲鳴を上げた。
「アイオレン。エルフのことわざに、最初の鶏が鳴く前に三回驚けば寿命が千年縮むという言葉があるよ〜」
ビティアが半分心配、半分からかうように言う。
「たかが千年。くれてやるわ。エルフ族よ、なんてこと! これは一体どういうことなの!」
アイオレンがビティアを問い詰める。
今やアイオレンの関心事はベルマウルの出生編へ移った。
もちろん口数は少ないが、セルベインも同じく聞きたい。
「魔族領の西側境界で偶然会ったの。」
ビティアは静かに立ち上がり、目を閉じて懐かしい記憶を思い浮かべる。
そうして、昔初めてベルマウルに会った瞬間を思い出す。
「単純な哨戒任務で魔族領西側境界の哨所を訪れて帰る途中、野原で赤ん坊の血の匂いを嗅いだの。それも魔族領で、魔族でもない人族の赤ん坊をね。」
ビティアがベルマウルの頭を撫でる。
「そして、人族の赤ん坊が魔族領で生き延びることは不可能なの。」
ビティアが淡々と言う。
「では今のベルマウル将軍の姿は?」
アイオレンがベルマウルから人の気配を全く感じないため、再び尋ねる。
「それは私の心臓血のせいよ。」
ビティアの言葉に、セルベインが非常に真剣な顔でビティアを見る。
アイオレンもセルベインが真顔になると驚いて口を閉ざす。
ビティアは自分の胸を軽く撫でた。
服に隠れて見えないが、心臓血を抜く時に入れた短剣の傷跡が、今もそこに黒赤い紋様として残っていた。
「私の心臓血を抜いて、直接作った血石でこの子を守ったのです。」
「ビティア、そのような重要なことはまず私に相談すべきではありませんでしたか。」
ビティアの言葉にセルベインが少し震える声でビティアを叱る。
「申し訳ありません、師匠。少し緊急な状況でしたので。」
ビティアがセルベインに謝る。
しかしその姿には、自分の行動への堂々とした誇りがにじんでいた。
「アイオレンは知らないでしょうが、心臓血というのは、自ら短剣を握り、自分自身で自分の心臓に短剣を突き刺さなければ得られないものです。心臓血石を作って子どもの首に掛けるのも直接やらなければなりません。誰かが手伝えることでもなく、何より純粋な心でなければ魔族の血は子どもへの加護になれないのです。」
セルベインの言葉に、アイオレンの口が衝撃で再び開く。
「あなた結婚もしてないし、子どももいないでしょう。それなのに人族の赤ん坊にどうしてそこまで……」
アイオレンの問いにビティアは笑う。
「私も分からない。ただ、この子が死ぬと思ったら、それ以上考える必要なんてなかったの。」
「それを……魔族王様が許したの?」
アイオレンの問いに、ビティアはうなずきながら苦く笑う。
「父はあの日、私のために体面も忘れて長いこと泣いたわ。私を止めようとしたけれど、結局は許してくれたの。」
ビティアがその日の出来事を静かに語る。
「魔族にとって心臓血を抜くことは、死よりもひどい苦痛です。その犠牲を払えることもまた、母となった者の愛なのでしょう。」
セルベインはビティアの行動をたしなめはしたが、最後は称賛の言葉で締めくくった。
アイオレンは何も言うことができなかった。
アイオレンは再びビティアをじっと見つめる。
同年代の友人だと思う気持ちは変わらなかったが、今のビティアの眼差しと表情、そしてその重みは、アイオレンもよく知る本当の母親の姿だった。
イレルダンの谷の夜が深まっていく。
今日、一つの戦いは終わったが、明日には新しい戦いが待っている。
黒い啓示の痕跡、オルディナという名前、そして心臓で結ばれた縁。
セルベインはベルマウルの正体を心から知りたくなった。
「あなたは誰なのですか?」
しかし水晶板による検査では、オルディナとの関連性を知ることはできなかった。
さらにベルマウルはエルネドの秩序にも属していなかった。
せめて幸いだったのは、ベルマウルが魔王アスペルハイムとも関係がなかったことだ。
ベルマウルの身体には黒い波動の気配がまったく存在していなかった。
「あなたは本当に、誰なのですか?」
一筋の風がセルベインをかすめて通り過ぎる。
その風はまるでオルディナの手のように、セルベインの手を取ってくれた。




