黒き世界の民
「黒き方舟軍団の第3軍団は、必ずラノク様とともにネクソハイムへ帰還します。」
セフェローサが改めて強調する。
「もしセフェローサ司令官がお探しの方がここエノルにいらして、お望みどおり、ともにネクソハイムへお帰りになるとすれば、魔王アスペルハイムはどうなるのでしょうか?」
セルベインが聞く。
「ネクソハイムとエノルは異なる世界であり、生命の起源も生態系も異なります。ただ、この分野は私の専門ではありません。そのため、私の説明では、光の世界の住民であるセルベイン様にはご理解いただけないかもしれません。」
セフェローサはどう説明すればよいのか分からず、困った表情を浮かべる。
「そうですか。そろそろ現実の世界へ戻る時間ですね。」
セルベインはそう言うと右手を上げ、人差し指を立てて、空中にゆっくりと円を描く。
その手の動きに応じて、アイオレンの夢の結界魔法の呪文、ベルタル・エレンドルが解除された。
「ふう。」
皆の意識が現実に定着するような感覚が生じ、アイオレンは深呼吸をしながら、閉じていた目を開く。
「ネルス・ネクサリム・バルトラ。」
セフェローサは自ら発動した空間遮断魔法、ネクサリム・バルトラを解除したあと、黒き魔力の痕跡が残らないように、すべて体内へ吸収する。
魔法の呪文が解除されると、会議室はまるで何事もなかったかのように元の姿へ戻る。
「黒き魔力は、確かに隠密に特化しているのですね。アイデンのセンチネル級アダクス哨戒艦が黒き波動の艦隊を見失ったのも、無理はありません。」
セルベインが感嘆する。
「立場の違いだと思います。ネクソハイムの住民が光の世界を理解できないように、エノルの住民にも黒き世界を理解するには根本的な限界があります。」
セフェローサは、互いを完全には理解できないのは当然だと考えている。
「そうかもしれませんね。」
しかし、セルベインは肯定も否定もしない。
「アイオレン。夢の中では、穏やかに過ごせましたか?」
セルベインはアイオレンを見て微笑む。
「はい、師匠。夢の中に、ほかの存在は見当たりませんでした。大切なお話は、すべてお済みになりましたか?」
アイオレンがセルベインに尋ねる。
「ええ。あなたのおかげです。ありがとう、アイオレン。これからの会話には、空間遮断魔法を使わなくてもよさそうですね。」
そう言いながら、セルベインはセフェローサに同意を求める。
「はい。問題ありません。セルベイン様のお言葉に従います。」
セフェローサがうなずく。
「ネクソハイムにお住まいの方々について、お話を伺いたいのです。異なる世界の話を聞くのは、実に久しぶりですね。セフェローサ司令官がお話しできる範囲で教えてください。たとえ説明を聞いても理解できない部分があったとしても、それ以上はお尋ねしません。」
セフェローサと話すうちに、セルベインはネクソハイムについて、もう少し知りたいと思うようになる。
「分かりました。その程度でしたら、お話しできます。」
それが単なる好奇心だと察したセフェローサも、抵抗を感じることなく説明を始める。
「エノルの住民は皆、感情を持っているのですよね?」
「はい。もちろんです。エノルの世界に暮らすすべての種族は、喜び、怒り、哀しみ、楽しさ、愛、憎しみ、欲望という7つの感情を持っています。」
セフェローサの言葉に、セルベインが答える。
「では、その感情のうち1つか2つが失われた場合でも、エノルの住民は正常な状態にあると言えるのでしょうか?」
セフェローサが再び尋ねる。
「いいえ。感情が欠けた状態は、正常とは言えません。」
セルベインは否定するように首を横に振る。
「ですが、ネクソハイムでは、感情が1つや2つ失われたからといって、生命として生きていくうえで問題にはなりません。つまり、自らの存在を2つに分けたとしても、ネクソハイムでは十分にあり得ることなのです。」
「なるほど。そのような意味だったのですね。」
セルベインはセフェローサが示した手がかりを聞き、すぐにその意味を悟る。
「ありがとうございます。それだけで十分です。あとで弟子に話しても構いませんか?」
「はい、分かりました。構いません。」
セルベインの問いに、セフェローサは素直にうなずく。
「黒き方舟軍団はエノルへ侵攻し、アイデンの艦隊と交戦しました。」
セルベインが話題を変える。
「存じています。」
セフェローサが素直に認める。
「そのお言葉は、当時、現場にいらしたということですね。」
「はい。ですが、第3軍団はその戦闘には参加していません。」
セルベインの問いに、セフェローサは素直に事実を認める。ただし、自らがその戦闘に直接参加したわけではないという点だけは、明確にした。
「そして、エノルの魔法秩序には、魔王に関連して、アンデッド属性とダークエルフ属性が新たに加わりました。」
セルベインは、自分が知っていることをセフェローサに伝える。
「それでも、黒き方舟軍団に関する情報をお渡しすることはできません。」
セフェローサは否定するように首を振った。
「はい、分かりました。アイオレン。」
セフェローサの断固とした表情を見たセルベインは、納得したようにうなずく。それから視線を移し、アイオレンを呼んだ。
するとアイオレンが近づき、セフェローサの前に1枚の水晶板を置く。
「エノルの世界に関する情報です。」
セルベインが水晶板について説明する。
「情報提供に感謝します。」
セフェローサは懐から黒い水晶石を取り出し、水晶板の上に置く。
すると、水晶板の内容が黒い水晶石へ移っていく。
セフェローサは、万が一、水晶板に位置追跡魔法がかけられている可能性を考慮し、アイオレンが持ってきた水晶板には手を触れなかった。
「それほど警戒なさらなくても大丈夫ですよ。」
セフェローサの慎重さが少し行き過ぎていると感じたのか、セルベインは微笑む。しかし、立場が逆であれば、自分も同じ選択をしただろうということは、よく分かっている。
「これは黒き波動とネクソハイムに関する一般的な情報です。お礼としてお渡しします。お役に立つでしょう。」
セルベインの言葉には答えず、セフェローサは懐からもう1つの黒い水晶石を取り出し、アイオレンの側に置く。
セフェローサが置いた黒い水晶石の中では、黒き波動の魔力が静かに揺らめいている。魔王の魔法回路の中のように激しく暴走することもなく、まるで完全に制御されているかのように、おとなしく収まっている。
「情報をご提供いただき、ありがとうございます。」
セルベインはセフェローサの厚意を、ありがたく受け取った。
「師匠。良い機会をいただきました。」
アイオレンは、黒い水晶石の中におとなしく収まっている黒き波動の魔力を見て喜ぶ。
「ただし、エルフの魔法秩序に、いかなる汚染も干渉も生じてはなりません。したがって、外部との接続はすべて禁止します。」
セルベインはアイオレンに厳重に言い聞かせる。
「はい、師匠。もちろんです。」
当然、セルベインもエルネドに接続できない水晶板に情報を収め、セフェローサに提供していた。
「もう1つだけ教えてください。ここリマルの沖には、サンゴがなぎ払われた痕跡があります。あれは、どちらの軍団によるものですか?」
セルベインが真剣な表情で聞く。
「ご安心ください。あの痕跡は、第3軍団によるものです。」
セルベインの立場を理解しているかのように、セフェローサはむしろ余裕のある笑みを浮かべ、セルベインを安心させる。
「交戦があった海域の、海中のサンゴも同じですか?」
「はい。それも第3軍団によるものです。ご安心ください。交戦した黒き方舟軍団はリマルには来ていないと断言できます。すでにご存じかもしれませんが、あの軍団長はかなり有能です。魔王アスペルハイムが最初にエノルへ呼び寄せるだけの器なのです。偵察は確かに重要ですが、この世には偵察を必要としない軍団長もいるのです。」
「そうなのですか?」
セフェローサの言葉に、セルベインは緊張を少し緩める。しかし、先ほどの軍団長の話が気にかかるのか、表情がすっかり明るくなることはなかった。
「直接お目にかかれて、よかったです。」
セフェローサが席を立つ。
「またお会いできるでしょうか?」
セルベインが穏やかな笑みを浮かべて聞く。
「ですが、できることなら、そうした機会はないほうが、私たち皆にとってよいでしょう。」
セフェローサはそう言って挨拶をすると、会議室をあとにする。
「師匠。このまま帰してしまってもよいのでしょうか?」
アイオレンが尋ねると、セルベインはうなずく。
「ええ。約束は約束です。それに、私たちも有益な情報をたくさん得られました。そうですね。私の予感では、セフェローサ司令官とは、またお会いすることがありそうです。」
セルベインは、すでに姿を消したセフェローサの去った方へ目を向けながら言う。
「アイオレン。ダークエルフについての設定が必要です。」
セルベインはアイオレンを振り返る。
「はい、師匠。どういたしましょうか?」
アイオレンは、エルネドに接続されている別の水晶板を取り出した。
「そうですね。解除できない呪いの魔法を解こうとして、その呪いを代わりに受け、肌が黒くなったという設定にしてはどうでしょうか?そうすれば、ダークエルフの突然の登場も自然に受け入れられるでしょう。」
「承知しました、師匠。エルネドにはそのように記録しておきます。この件を冒険者ギルドにも伝えておきましょうか?」
セルベインの言葉どおり、アイオレンはダークエルフの存在をエルネドに正式に登録する。
「ええ。もちろんです。」
セルベインはこの言葉とともに、ダークエルフという種族についての考えをまとめる。




