海辺の人魚獣人族
アイデンの陸上首都リマールの海辺に、人魚獣人たちが集まっている。
都市機能を維持するために残っている人魚獣人たちを除けば、リマルに住むほぼすべての人魚獣人族が海辺に集まっていた。
やむを得ず持ち場を守らなければならない人魚獣人たちの顔には、残念そうな色がありありと浮かんでいた。
「あとで一つ残らず話してくれよ。」
海辺へ駆けていく魚人に、持ち場を守る魚人が切実に頼み込む。
セルベイン一行が海の調査に出る前に、必ずやらなければならないことが一つあった。
そのため、セルベイン一行はリマルの海辺に集まっている。
そして久しぶりに、全員が水着姿だ。
皮肉なことに、エノルの世界で水着が最も発達しているのは、ほかならぬ人魚獣人族の国アイデンだった。
実のところ、人魚獣人族にとって水着は必要のない品だ。しかし、むしろその不要さが、水着を一つのファッションへと発展させるきっかけになった。
溺れて命を落とす心配がまったくない人魚獣人族は、水着の機能性よりも芸術的価値を重視するようになり、その職人精神が長い歳月をかけて蓄積された結果、人魚獣人族の国アイデンは今日、エノル随一の水着生産国として確固たる地位を築いた。
そのおかげでセルベインとアイオレン、そしてビティアとマルベラは水着店でずいぶん長い時間を楽しく過ごし、その結果、ベルマウルとシルブラスは店の前で長々と待たされた末、山のような水着の箱を抱えることになった。
途中でベルマウルとシルブラスの水着も一着ずつ購入したが、買い物にかかった時間はまさに一瞬だった。ベルマウルが三度まばたきする間もなく、すべての会計が終わっていたほどだ。
しかも、水着店に入ったのはビティアだけだ。ビティアは店に入る前、ベルマウルとシルブラスの寸法をさっと目測してから中へ入った。そしてほどなく戻ってくると、二人が抱えている山のような包装箱の上に、水着の箱を一つずつぽんと置いた。
ただし、人魚獣人族ではない他種族が水着を着て海辺にいるのは、珍しいことではある。
エルフ族の美女は細身で優雅なシルエットがいっそう際立ち、森の緑を思わせる自然の気品をたたえたもう一人のエルフも印象的だ。
魔族国の女性は健康的で引き締まった体つきに、魔族特有の魅力をあふれさせている。
魔女の国から来た女性は特徴的な大きな帽子をかぶっているが、それがかえって身につけている水着によく似合っている。
このように、異なる種族を代表する三人の美女が、人魚獣人族の陸上首都リマルの海辺に立っていた。
しかし、普段はめったに見られない光景とはいえ、陸上首都リマルの人魚獣人族が総出で押しかけるほど大騒ぎすることではなかった。
アイデンの陸上首都リマルにいる人魚獣人族が総出でやって来た理由は、実は別のところにある。
この機会を逃せば永遠に見ることのできない、非常に珍しい光景を見るためである。
セルベイン一行が立つ海辺を中心に、海側には人魚たちが、陸側には魚人たちが円を描くように取り囲んでいた。
「腕と脚をしっかり伸ばして、自信を持って、いち、に。いち、に。」
ビティアがベルマウルの手を握り、浅瀬で泳ぎを教えていた。
「は、母上! 手を、手を離しては、いけません!」
ベルマウルは水が怖くて幼い子どものような泣き顔になり、ビティアに手を握られたまま、ばた足の練習をしている。
「シルブラス様。種族を問わず、海では必ず体が浮くものです。毛が濡れるから海に入れないという言い訳は通りません。それに今は獣人の姿に変身していて、濡れる毛もないではありませんか。」
すぐ隣では、アイオレンがシルブラスをぴしゃりとたしなめている。
実際、その通りだ。
人魚獣人族が何もかも放り出して海辺に集まった理由は、この珍しい光景を見るためだった。
人魚獣人族にとって、美女たちの水着姿は実のところ、それほど重要な見物ではなかった。
魅力だけを比べるなら、今この場所には無数の人魚たちが海面に姿を現している。
人魚たちも皆そろって息をのむほど美しく、全員が水着姿であるため、他種族の水着姿を人魚獣人族が頻繁に目にするわけではないとはいえ、人魚獣人族が総出で集まるほど大したことでもなかった。
それよりも、人魚獣人族にとって本当に久しぶりに見る、泳げない種族だったのだ。
だから皆、いわゆる水に浮かない彼らの姿を見るため、すべての仕事を放り出して今こうして海辺に集まっている。
「わあ! 本当に浮かないね。」
「見て見て。手を離した途端、すぐ沈むよ。」
「まあ、不思議。もしかして呪いの魔法にかかっているんじゃないかしら。」
「水に浮けないなんて、まじかよ。」
「うわーん! お母さん。少しの間だけでいいから、私も水に浮けなくなりたいよ。」
あちこちで人魚獣人族の会話が飛び交う。
その合間を縫うように、飲み物を売る魚人や軽食の屋台、露店商たちが店を広げ始めた。
「さあさあ! 今日を逃せば、次はいつ見られるかわかりません。すぐには終わりませんから、味も腕も一級品の当店のお弁当をお買い求めいただき、どうぞごゆっくりご覧ください。」
ついには弁当を売る魚人まで現れ、ゆったり見物するための便利な品々も並び始めた。
「本日限定の記念品です。泳げないベルマウルと泳げないシルブラスの立体模型を、数量限定で販売しております。」
そのうえ、急ごしらえの記念品まで大人気を博していた。
「母上。どうにも恥ずかしいです。」
ベルマウルは、ある人魚の女性が渡してくれた水に浮くクラゲを両手でつかみ、ばた足をしている。
好奇心から近づいてきた人魚の女性は、ベルマウルが人魚をまともに見られず恥ずかしがると、その初々しさが気に入ったのか、かえってベルマウルのそばにぴったり寄り添い、一緒に水泳の授業に参加している。
「ベルマウル。恥ずかしがるのではなく、泳げない自分を恥じなさい。人魚たちは泳げないあなたに興味を持っているのだから、視線が気になるなら早く水に浮いて泳ぎなさい。」
ビティアがベルマウルを急かす。
「ベルマウル君、自信を持ちたまえ。君はすでに大勢の人魚に囲まれている。少なくとも、君が溺れて死ぬことはあり得ないと考えていい。」
マルベラは自分のほうきに乗り、水面より少し高い位置からベルマウルを見下ろしている。
「はい。マルベラ様のおっしゃる通りです。周りには人魚と魚人しかいないのですから、それでも溺れ死んだら、そのほうが不思議ですよ。」
水を蹴っていたベルマウルは、改めて自分の情けない境遇を思い知り、長いため息をつく。
しかし、シルブラスもベルマウルと大して変わらない立場だった。
「腕と脚の姿勢が重要です。指一本、つま先一つたりとも乱さないようにしてください。」
アイオレンに捕まったシルブラスは、指先からつま先まで、すべての位置を矯正されている最中だ。
口数の少ないシルブラスは積極的に意思を示さなかったが、アイオレンはそれを、何をしても構わないという意味に受け取った。しかも周囲の魚人や人魚たちまで、シルブラスを助けようと意欲を燃やしたため、当のシルブラスの周りにはベルマウルよりも多くの人魚と魚人が集まっている。
それもそのはず、人魚獣人たちは同じ獣人であるという意識から、より積極的にシルブラスの力になろうとしていた。
こうして浜辺にいる皆を喜ばせるベルマウルとシルブラスの水泳練習は、半日もの間続いた。
そしてセルベイン一行は、バルカエルが用意したアダクス戦艦に乗り、黒い波動の艦隊と初めて遭遇した場所へ向かった。
「あの時の戦いで、黒い波動の艦隊はここにいました。」
アダクス戦艦が停止すると、バルカエルがセルベインに説明する。
「そうですか。ありがとうございます、バルカエル将軍様。」
そう言うと、セルベインは海中へ潜る準備を始める。
「我々が護衛いたします。」
バルカエルが指示を出すと、魚人の兵士たちが海へ飛び込む。
「ルバリン。」
海中へ入りながら魚人たちが呪文を唱えると、その姿はたちまち人魚へと変わる。
「ご一緒してくださるとは、心強いです。」
セルベインは人魚に変わったアイデンの兵士たちにうなずき、感謝を示す。
「それでも、王子様方には無理そうですね。」
セルベインは笑いながらベルマウルとシルブラスを振り返る。
ベルマウルもシルブラスも、どうにか海で泳げるようにはなったが、予想外の問題が起きていた。
「師匠、申し訳ありません。これほどひ弱だとは思いませんでした。」
ビティアは気まずそうにセルベインへ謝る。
「シルブラス様も、思った以上に陸棲型の獣人なのですね。」
アイオレンも手厳しく一言告げた。
ビティアとアイオレンにそれぞれ叱られたベルマウルとシルブラスが、並んで座っている。
二人とも船酔いならぬ海酔いをしていた。
厳しい訓練によってベルマウルとシルブラスは半日で海を泳げるようになったが、アダクスが高速で海面を滑るように進むと、波の揺れに耐えきれず、結局は海酔いしてしまった。
「仕方ありません。王子様方は休んだほうがよさそうですね。では、行きましょうか。」
セルベインはそう言うと、海のほうへ向き直る。
「エアシェル。」
セルベインが魔法の呪文を唱えると、その体に透明な膜が形成される。
形成された膜の内側は空気で満たされており、海中でも自由に呼吸することができた。
さらに、エアシェルの魔法は内部の空気を絶えず浄化するため、長時間海中にいても窒息する心配はなかった。
「はい、師匠。」
アイオレンとビティアも同じ魔法の呪文を唱えた後、セルベインに続いて海中へ入っていく。
「セルベイン様、マルベラもご一緒いたします。」
セルベインに続き、マルベラも魔法の呪文を唱えながら、ためらうことなく海へ飛び込んだ。
「ご安心ください。ベルマウル将軍とシルブラス様は、私がしっかりお世話いたします。」
背後からバルカエルが大声でセルベイン一行を安心させる。
セルベインとアイオレン、ビティアとマルベラは海中を泳ぎ、海底まで降りていく。
エアシェルの魔法で体を包む空気の層が、海水の水圧から体を守っている。
人魚獣人族ほど速く海中を泳ぐことはできなかったが、泳ぎ慣れているセルベイン一行は、まるで平地を歩くかのように悠々と海中を進んでいく。
アイデンの人魚兵たちは、セルベイン一行の周囲で警戒に当たっている。
大小さまざまな海洋生物が好奇心からセルベイン一行に近づこうとするたびに、人魚の兵士たちは一行の邪魔にならないよう威圧的な視線を送り、遠くへ追い払う。
そして、それほど遠くない場所には、潜航中のアダクス戦艦がいつでも出動できるよう待機している。
「師匠。こちらをご覧ください。この辺りの海底の珊瑚にも、擦れた跡があります。」
アイオレンが珊瑚の状態を調べる。
エアシェルの魔法で体を薄い空気の層に包むと、空気が振動し、口から発した声が水中をより速く、より明瞭に伝わるようになる。
そのため、陸上で話すのと同じように互いに会話することができる。
ただし、エアシェルの魔法を通じて水中へ伝わる声には秘匿性がまったくないため、周囲にいる人魚獣人族にもその会話の内容が聞こえていた。
副次的な効果として、体を包む空気の層のおかげで海中に出入りしても水着がまったく濡れないという利点があった。そのおかげで、いつでも快適な着心地を保つことができた。
「セルベイン様。こちらの珊瑚にも同じ跡があります。」
マルベラが遠く離れた場所で、別の珊瑚を見ている。
「この方向へまっすぐ進むと、どこに出ますか?」
セルベインは右手を上げ、海底の珊瑚に残る擦り傷が続く方向を指しながら、人魚の兵士に聞く。
「はい、セルベイン様。アイデンの陸上首都リマルの方角です。」
すると、人魚の兵士はセルベインが示した方向を注意深く見ながら答えた。
「ひとまず、推測どおり黒い波動の艦隊がリマルの近くまで来ていたことは間違いなさそうですね。」
セルベインはそう言いながら周囲を見回す。
「ビティアのほうはどうですか?」
セルベインはビティアを振り返る。
ビティアはカレンディア魔法で、黒い波動の魔力が残した反応を確認している。
「はい、師匠。確認したところ、黒い波動の魔力値は正常です。」
ビティアは測定結果を確認する。
「そうですか。アイオレンのほうはどうですか?」
セルベインはアイオレンを振り返る。
「黒い波動魔法探知水晶板で測定した結果を、エルネドを通じてエノルの魔法秩序と照合したところ、二つの種族を確認しました。黒い波動の大半はアンデッド族のものですが、海底の珊瑚に残る擦り傷はダークエルフ族のものです。おそらく、この場所で二つの種族が別れたものと思われます。ただし、ダークエルフ族の黒い波動はごくわずかな水準です。測定量を艦船数に換算すると、ダークエルフ側の艦船は五十隻以下だと思います。」
アイオレンはわずかに残った黒い波動の残留魔力を水晶板で増幅し、エノルの魔法秩序に登録されている魔王の起源種族と照合する。
「やはりそうでしたか。直接ここまで来てみて正解だったようです。それでは今度は、黒い波動の艦隊が消えた地点へ移動しましょう。」
セルベインはそう言うと、水面へ向かう。




