エノルの海
エノルの南の海で次元門が開き、ネクソハイム世界の黒き方舟軍団第一軍団がエノルの世界にその姿を現した。
ナイトヘヴンが魚に似た船の形をしているため、魔王はわざと海上に次元門を設定した。
海上に現れた黒い艦船群は、指揮艦を中心に左右へ大きく展開し、そのままゆっくりと前進を開始する。
第一軍団の最後尾で次元門が閉じ、消滅した。
「エノルの魔法秩序は反発していません。黒き方舟軍団第一軍団、エノルの魔法秩序への登録を無事完了しました。」
第一軍団軍団長グレイハルスに、部下が現在の状況を報告する。
「エノルへ到着した兵力の規模は?」
「計画通り、第一軍団の半数規模です。他軍団のナイトヘヴンは確認されていません。次元門を越えようとした他軍団の試みを、第一軍団の後衛部隊が遮断することに成功したものと思われます。」
グレイハルスの問いに副官が答えた。
「予想通りだな。見事だ。皆よくやってくれた。我らのためにネクソハイムに残った第一軍団には、後で私が直々に褒賞を与えよう。エノルの魔法秩序では我々をどのような存在として見ている?」
ネクソハイムにいる第一軍団を称賛した後、グレイハルスが再び聞く。
「はい。エノルの魔法秩序では、第一軍団はアンデッド軍団として認識されています。軍団長は死令君主として登録されました。」
副官は自分の前に浮かび上がった情報を確認する。
「さらに、魔王様の眷属として登録されており、魔王様がすでに作り上げた黒き波動と黒き啓示の魔法秩序も付与されました。黒き波動を持つアンデッド魔法秩序が、第一軍団全員に共通して適用されます。」
「この魔力は、それを意味しているのだな。」
グレイハルスは身体を包み込む死のオーラを味わうように楽しんでいた。
グレイハルスの脳裏に、黒き波動を持つアンデッドの魔法秩序と魔法呪文が浮かび始める。
続いて、第一軍団の全ての軍団兵が、その能力に応じた魔法秩序を獲得した。
黒き波動の魔力は、魔王アスペルハイムがエノル世界に持続的に干渉したことで生まれた新たな魔法秩序である。
そのため、魔王の系譜を継ぐ存在は、黒き波動の魔法秩序を基準として設定された。
エノルの魔法秩序は、公正かつ公平にエノル世界を動かす基本原理である。
したがって、魔法秩序に登録する資格さえあれば、善悪を区別せず誰でも登録が可能であった。
善と悪を区別するのは命あるもののやり方であり、エノル世界の魔法秩序そのものの問題ではなかった。
しかし、次元門が開くや否や、オルディナはすぐにその事実をセルベインへ知らせる。
たとえ便法であっても、一度エノルの魔法秩序に登録された存在を拒否することはできなかったが、オルディナにもセルベインにも、魔王とその配下がエノル世界へ入り込むのを阻止する理由があった。
「前方に敵出現。」
グレイハルスの部下が広域探知の結果を報告する。
それはオルディナから次元門の位置を伝達され、セルベインが即座に用意した艦隊だった。
「第一軍団。一列前進。」
グレイハルスの命令により、黒き方舟軍団第一軍団は左右に大きく展開したまま敵へ向かって進撃する。
「射撃開始。」
「まだ主砲の射程外です。」
副官が攻撃範囲に入っていないことを確認のため報告する。
「構わん。撃て。」
しかしグレイハルスはまったく気にしていない様子だった。
「黒き波動砲。一斉発射。」
副官はそれ以上尋ねず、全艦隊へ命令を伝達する。
「ドォン! ドォン! シュウウッ!」
黒き方舟軍団第一軍団の主砲から黒い雷光が発射され、黒い閃光が一斉に海上を横切った。
エノルの海で黒き魔力の暴走現象を最初に感知したのは、人魚獣人族の国アイデンであった。
セルベインから緊急連絡を受けたアイデンは、ただちに周辺海域を航行中の全艦船へ総動員令を発令する。
水を通じて響き渡る音の波動は、空気を通じて伝わるよりも十倍以上速く、超音速で海中を駆け抜けた。
アイデンは、海上に現れた次元門から黒き魔力を放つ軍団の出現を遠距離から確認し、急速に距離を縮めながら初動対応に乗り出した。
アイデンの人魚獣人族は、水王国バルエルの獣人たちと共通した特徴を持っている。
水王国バルエルの獣人がカラムブルの呪文によって獣の姿と獣人の姿の間で変身できるように、海洋種族アイデンの人魚獣人たちはルバリンという呪文によって、海では人魚として、陸では魚人として生活することが可能である。
そのため、人魚獣人族の国アイデンには二つの首都が存在する。
海底首都ネリサエルは、深海の青き峡谷、その海流が交差する静かな深淵に位置している。
陸上首都リマルは港湾都市であり、人魚獣人たちが魚人の姿でいる時に利用する都市であった。
陸上首都リマルには他種族も居住しており、そのため他種族との外交も担当している。
海底首都ネリサエルから出撃した、アダクスと呼ばれるアイデンの攻撃戦艦群が水面へその姿を現す。
アダクスはカジキに似た外観を持ち、海中と海上を自由に行き来することができた。また前面には衝角用の兜を装備しており、高速で体当たりすることで海中でも海上でも敵艦に穴を開け、撃沈できる脅威的な近接戦闘兵器を備えていた。
「敵、主砲発射します。」
水面へ浮上したアダクスに向かって、黒き方舟軍団第一軍団が放った主砲弾が飛来している。
「ペクトラル・フィンズ展開。」
アイデン艦隊の司令官が即座に命令する。
するとトビウオの翼鰭のような輝く翼鰭がアダクスの両側面から前方へ展開し、盾のように立ち上がって防御態勢を取った。
さらに、すでに水面に浮上していたアダクスだけでなく、浮上中のアダクスもペクトラル・フィンズを展開しながら上昇を開始した。
「パン! ピシュン!」
黒き波動砲の閃光が四十五度以上に立てられたペクトラル・フィンズに命中し、屈折して空へ反射される。
ただし、黒き方舟軍団第一軍団は精密射撃を行っていなかったため、アイデンのアダクス艦隊に被害は発生しなかった。
「司令官殿。バルカエル将軍が攻撃可能距離に到達しました。」
水中から受信した通信を聞き、アイデン艦隊の旗艦カリマルの心臓部で副官が司令官へ報告する。
「バルカエル将軍へ攻撃命令を送信せよ。」
司令官はためらうことなく攻撃命令を下した。
「アダクス艦隊。カジキ魚雷遊泳前進。最大戦速。」
司令官の攻撃命令が伝達されると、バルカエル率いるアダクス艦隊は水中で衝角用の兜を前方へ突き出し、左右の鰭を身体にぴったりと付けたまま、尾鰭の力だけで力強く目標へ向かって最大速度まで加速した。
「敵艦、水中から接近中。」
黒き方舟軍団第一軍団がアイデンの水中艦隊を探知し、その事実をグレイハルスへ報告する。
「ナイトヘヴン。潜水モードへ変更。敵を迎撃せよ。」
グレイハルスの命令により、黒き方舟軍団第一軍団の一部戦艦が背鰭を閉じ、ただちに潜航した。
やがて、カジキに似たアイデンの攻撃潜水艦と、黒いクジラに似た黒き方舟軍団第一軍団の攻撃潜水艦が水中で激突した。
水中ではアダクスとナイトヘヴンの激しい肉弾戦が繰り広げられる。
「ドォン!」
至る所で両陣営の攻撃潜水艦同士が衝突し、激しい衝突音が響き渡る。
そして奇しくも、両陣営とも突撃攻撃には一日の長があった。
そのため、衝突によって進行方向が逸れても、すぐに艦首を制御して姿勢を立て直し、再び相手へぴたりと食らいついた。
「魔王様のお言葉通りですね。」
グレイハルスの副官が深海での作戦状況を報告する。
「エノルはすでに我らが来ることを想定していると仰っていた。この程度に歓迎してくれなければ、無理をして来た甲斐がないだろう。」
グレイハルスが笑う。
「そろそろ移動しますか。」
副官が再び尋ねる。
「そうだな。久しぶりに相手をする価値のある敵に出会えたのに残念だ。魔王様のご指示さえなければ、もっと戦うこともできただろうに。本当に惜しい。」
グレイハルスが冷たく笑った。
「ウィービング・ファイアを準備せよ。」
「はっ。」
副官はグレイハルスの言葉に従い、黒き方舟軍団第一軍団のフォーメーションを変形させる。
「黒き方舟軍団第一軍団。戦術機動速度で前進。」
グレイハルスの命令に従い、黒き方舟軍団第一軍団が移動を開始する。
第一軍団は直ちにナイトヘヴンのフォーメーションを変更し、巨大な蛇のような形態となった。
続いて前方へ向けて一斉射撃を繰り返した。
艦隊全体が蛇のように動きながら、第一軍団は前方に扇状の広域火力網を展開する。
黒き方舟軍団第一軍団は、このような艦隊運用によって敵の攻撃を回避しつつ、敵に対する広範囲攻撃を同時に実施し、機動力と火力の双方を最大化した。
「アルベルロン司令官。どのように対応なさいますか?」
副官が旗艦カリマルの心臓部にて、アイデン艦隊司令官アルベルロンへ尋ねる。
「敵将は艦隊戦において相当な才能を持っているようだ。」
黒き方舟軍団第一軍の柔軟な戦術運用に、アルベルロンは感嘆した。
「パパン! パパン! パパン!」
アイデンの全攻撃艦がペクトラル・フィンズを展開し、第一軍団の砲撃を弾き返す。
アルベルロンはしばらく考えた後、やがて諦めたように首を横に振った。
「これ以上は無意味な消耗戦に過ぎない。敵との交戦を避けよ。艦隊は防御速度で敵の射程圏外へ離脱する。センチネル級アダクスで敵の後方を追跡せよ。」
アルベルロンは交戦を避けつつ、接近してくる黒き方舟軍団第一軍の移動に合わせて距離を広げ、射程圏外へ離脱する。
「実に惜しい。魔王様のご指示さえなければ決着をつけるところだったのだが。仕方あるまい。機会はいずれまた訪れる。指定座標への移動を開始せよ。」
グレイハルスもまた遠ざかる相手を見ながら名残惜しそうに唇を鳴らした。
グレイハルスの言葉により、第一軍団の全ナイトヘヴンが潜水モードへ変更され、海中へ潜っていく。
「第三級巡航速度で前進。黒き波動による隠密モードを最大出力で展開。」
グレイハルスの指示により、第一軍団のナイトヘヴンは、その後を追跡していたアイデンのセンチネル級アダクス哨戒艦の目の前で、静かに、そして自然にその姿を消した。




