泥棒が狙うこと(シーズン01-END)
「エルネド様。そんなにお気遣いなさらなくても大丈夫です。」
セルベインがエルフの弓使いを振り返りながら笑う。
しかしエルネドは、矢が消えた方向をずっと見据えたまま、構えを解くつもりはない。
少しでも変化があれば即座に矢を放とうという思いだけである。
「エルテレオン騎士団の名誉ある参戦に感謝いたします。」
セルベインが12人の騎士たちへ感謝を示す。
「敵殲滅確認。セルネア防御魔力正常稼働中。エルテレオン騎士団待機モードへ移行。」
マルベラの言葉の通り、エルテレオン騎士団は眩い光となり、その場から消えていく。
ただし、エルフの弓使いエルネドだけは最後まで矢が消えた方向を見つめる姿勢のままだった。
「師匠。」
アイオレンが泣きそうな顔をする。
「アイオレン。どこか怪我はしていませんね?」
セルベインは大丈夫だという表情でアイオレンの頭を撫でる。
「はい。でもレクイエム・コアを奪われてしまいました。」
アイオレンはそう言いながら、とても心配そうにする。
「そうですね。しかしセルネアでやるべきことはもうありません。セルネアの防御魔力も回復しましたし、ファイアウォールが復旧したことも確認しましたので、戻ることにしましょう。」
セルベインが皆を見渡す。
そしてしばしの沈黙の後、セルベインが再び顔を上げた。
「皆さん、お疲れ様でした。どうやら説明が必要なようですね。それは戻ってからにしましょう。」
セルベインは静かに言葉を続けた。
獣王国バルエルの首都へ戻った後、セルベインの指示を受けたマルベラは箒に乗ってドワーフ王国へ向かう。
ギガンティックビーストから取り出した、黒い波動を発生させる黒い魔法回路をドワーフ王国へ届けるためである。
そしてグラウムバルで追加製作された、黒い波動を吸収する水晶石を受け取り、再び戻ってくる予定だ。
魔王が同じ手口でギガンティックビーストを苦しめないよう、獣王国バルエルを支援するためだった。
受け取る立場によっては重くも軽くも感じられる話だった。
だからこそ、むしろ格式張らない気楽な食事の席で話すほうが良いかもしれないとセルベインは判断した。
セルネアから戻った時間がちょうど夕方だったため、皆はルガルマが用意したゲルに集まり夕食を取っている。
他の獣人たちと一緒に食事をする一般食堂は賑やかで雰囲気も良いが、今回はルガルマが専用食堂を準備し、獣人の気功結界術によって話がゲルの外へ漏れないよう徹底した措置を取った。
そのうえ、青き狼のハウリング部隊所属の最精鋭部下たちが総動員され、ゲルの周囲を鉄壁のように取り囲み、周辺を警戒している。
「これだけしておけば、いくら魔王でも盗み聞きはできないでしょう。ありがとうございます、ルガルマギルド長。」
セルベインはルガルマの用意周到さに感謝する。
そしてその内側にビティアが魔族魔法で結界を張り、さらにその内側にアイオレンがエルフ魔法で結界をもう一重張った。
種族ごとに魔法秩序の原理が少しずつ異なることを利用したのである。
たとえ魔王がどれほど速く解析したとしても、重なり合った異なる魔法秩序3つを誰にも気付かれず解除することは不可能だ。
ゲルには最高水準の魔法セキュリティが三重に施され、さらに外部では気功術で武装した青き狼のハウリング最精鋭部隊が物理的障壁を形成していた。
普通のゲルにしては過剰なほど強固な結界だった。
「エルテレオン騎士団は、自らがメモリーとなってエノルの世界を守る存在です。騎士団は過去と現在、そして未来のすべてを守護しています。」
セルベインはまずエルテレオン騎士団について皆に紹介する。
「メモリーとおっしゃるのは?」
聞き慣れない言葉にベルマウルが尋ねる。
「そうですね。皆さんには『記憶』という言葉のほうがふさわしいかもしれません。エルテレオン騎士団はエノル世界を守護する記憶なのです。」
セルベインは言葉を言い換える。
「ご先祖様方の記憶なのですね。」
ルガルマが頷く。
「その通りではありますが、すでにミルハレンへ旅立った方々の魂が再び戻ってきたという意味ではありません。魔法秩序に明記されているように、すべての生命から離れた魂は必ずミルハレンへ戻らなければなりません。」
セルベインの説明である。
「どのような違いがあるのでしょうか?」
まだ年若いベルマウルは理解できず尋ねる。
「先祖の記憶とは、魔法秩序に残した強い意志と言えるでしょう。世界を守ろうとする先祖たちの固い意志は、先祖本人に劣らぬほど揺るぎない誓いなのです。」
「揺るぎない誓いですか。」
ベルマウルは信頼に満ちた表情で頷く。
セルベインの言葉をすべて理解できたわけではなかったが、ベルマウルは将軍として、誓いという言葉の価値をよく知っていた。
「さて、レクイエム・コアについて説明する番ですね。」
セルベインは皆が気になっている話を始める。
「これから一つお話をしましょう。たとえこの話が私の記憶であったとしても、皆さんの記憶ではないのです。」
セルベインはまず目の前に置かれたパンを手に取る。
「100%の小麦は、100%完全なままパンになることができるでしょうか?」
セルベインは微笑みながら皆に問いかけた。
しかし、あえて答えを求めているわけではない。
簡単な問いであり、皆すでに答えを知っているからだ。
「皆さんもご存じのように、当然ながら小麦がパンになる過程では自然に消費されて失われる部分が生じます。しかし厳密に言えば、ここでいう消費とは、小麦をパンという価値へ変えるために反対側で生み出される価値を意味します。つまり消費とは消えることではなく、価値を与えて何かを生み出す際に同時に生成される、利用できない状態を意味するのです。私たちが暮らしているエノルの世界でも、このようなことが繰り返されています。魔法を使う時、気功術を使う時、また箒に乗る時、あるいは生きているという事実だけでも、私たちは自然と消費という意味の低い価値を生み出しているのです。」
セルベインは手に持っていたパンを食卓へ置く。
「パンを作った後、周囲に散った小麦粉はどうするでしょうか? ビティアはどう思いますか?」
セルベインがビティアに聞く。
「当然、次にパンを作るためには小麦粉を掃除して捨てなければなりません。そのままにしておけば辺り一面が小麦粉だらけになってしまいます。」
ビティアが当然だという表情をする。
「そうですね。では、捨てた小麦粉はどうなるのでしょうか?」
セルベインが再び聞く。
「捨てた小麦粉ですか?!」
思いがけない質問にビティアは戸惑う。
「ビティア。捨てるというのは、あくまでもパンを作る空間を基準として別の場所へ移動したことを意味するだけ。つまり厳密に言えば、小麦粉は依然としてその場所に存在している。」
アイオレンがビティアにヒントをあげる。
「毎日繰り返しパンを作り、その小麦粉を捨てるのだとしたら、捨てられた小麦粉は増え続けるしかありませんね。」
ビティアはアイオレンから与えられたヒントを参考にしながら、もう少し柔軟に考えてみる。
このあたりでルガルマはすでに理解したような眼差しを見せ、静かに思索にふける。
ベルマウルは目を閉じて考え込んではいるが、まだ要領をつかめていない。
「その通りです。そしていつかは小麦粉が多くなりすぎて、とても処理できない状態になります。パンを例にするなら、パンを作る空間が私たちの住む世界エノルであり、小麦粉は自然に増加する低い価値を持つ状態なのです。」
セルベインがパンと小麦粉の比喩を説明する。
「つまりレクイエム・コアは、エノル世界で自然に発生する循環の沈積物を保管する器なのです。低い価値を持つ状態と説明しましたが、正確な表現は循環の沈積物です。そして循環の沈積物もまた、間違いなく私たちが住む世界の一部なのです。」
セルベインは再び話の本質へ戻る。
「ではここで別の質問をしてみましょう。循環の沈積物を私たちの世界で保管するのが良いでしょうか。それとも別の世界へ捨てるのが良いでしょうか。アイオレンはどう思いますか?」
セルベインがアイオレンを振り返る。
「師匠。循環の沈積物を別の世界へ送ったら、その世界が汚染されるのではありませんか?」
アイオレンが慎重に尋ねる。
「はい。その通りです。循環の沈積物は、どのような方法を使っても再生不可能な低価値状態ですので、別の世界でも価値がないことに変わりありません。」
セルベインが淡々と語る。
「私の考えでは、私たちの世界で作られたものなのですから、私たちの世界で保管するのが正しいと思います。実際にも循環の沈積物をレクイエム・コアに保管しており、別の世界へ捨てるようなことはしていません。私たちの世界の問題で他の世界に被害を与えるべきではないと思います。」
アイオレンが力強く頷く。
「しかしレクイエム・コアは根本的な対策にはなり得ず、いつかは確実にその限界が訪れます。」
セルベインは、レクイエム・コアだけでは根本的な解決策にならないことをはっきりさせる。
「ビティアはどうですか?」
セルベインがビティアを振り返る。
「もし誰も住んでいない世界があるなら、そこへ循環の沈積物を捨てることは可能なのではないでしょうか?」
ビティアは他の世界へ捨てる方法のほうが良いと考える。
「もちろんです。誰も住んでいない世界へ循環の沈積物を捨てれば、誰にも被害を与えません。実際にその方法を使ったこともありました。」
セルベインが頷く。
「使ったことがあったのですか?」
ルガルマがセルベインの最後の言葉に緊張する。
「ええ。遠い昔にはそれが最も良い方法であり、またその方法が当然だと考えていました。」
セルベインがルガルマの言葉を肯定する。
しかしセルベインの表情は暗い。
「何かあったのですか?」
ベルマウルが慎重に尋ねる。
「はい。魔王アスペルハイムは、私たちが循環の沈積物を捨てていたその世界から来たのです。」
セルベインは自然な微笑みとともに答えた。
爆弾発言をするときに笑顔を見せると、聞く側は状況の深刻さを少し理解しにくくなる傾向がある。
そのような緩衝的な配慮が皆に必要だとセルベインは考えている。
「なに!それは本当ですか?!」
そして衝撃と驚きに包まれたベルマウルの連続動作が発動する。
食卓を両手で強く叩き、両腕の力で反動をつけて上半身を持ち上げながら腰を真っ直ぐに伸ばし、敏捷に太腿と脚の筋肉を使って座った姿勢から完璧に立ち上がると、ベルマウルは大声を上げた。
ゲルに張られた魔法の防音によって外には響かなかったが、ゲルの中にいたセルベイン一行はベルマウルの雄叫びに顔をしかめた。
「すぐに座れ。」
するとビティアは、まだ分別のない息子ベルマウルの脇腹を右拳で殴り、たちまちその巨体を崩した。
「うわっ! 痛いです、母上。」
ベルマウルはビティアの脇腹攻撃によってそのまま姿勢を崩し、力なく再び椅子へ座り込む。
「それなら、なぜ魔王アスペルハイムは今になってレクイエム・コアを狙うのでしょうか? 私たちはもうあちらの世界へ循環の沈積物を捨てず、私たちのエノル世界に保管しているのですから、魔王がこちらの世界を狙う理由はないのではありませんか?」
ベルマウルはビティアに殴られた箇所が痛むため手でさすりながらセルベインに尋ねる。
「残念ながら、今でも私たちは魔王の意図を正確に知ることはできません。ただし、循環の沈積物でできることが一つあります。」
セルベインが目を閉じる。
「もしかして、魔王アスペルハイムがこの世界へ来たこととも関係があるのですか?」
ビティアが尋ねる。
「可能性はあります。レクイエム・コアに蓄えられた循環の沈積物と、魔王の世界の循環の沈積物を互いに同調させれば、私たちの世界と魔王の世界を繋ぐ次元の門をしばらくの間開くことができるでしょう。魔王の世界に蓄積された循環の沈積物の量によって異なりますが、循環の沈積物には互いを引き寄せる力があると考えれば、レクイエム・コアに蓄えられた循環の沈積物が魔王の世界へ引き寄せられることで次元門が形成されると考えられます。たとえ次元の門がそれほど大きくなく、大規模な兵力の移動は無理だとしても、魔王があらかじめ準備していた軍勢があるなら、ある程度は私たちの世界へ移動させることも可能でしょう。」
閉じていた目を開き、セルベインはビティアの問いに答える。
「それを避けることはできそうにありませんね。では次元の門はどこに作られるのでしょうか?」
ルガルマが鋭い眼差しで再び尋ねる。
「残念ですが、今のところ魔王が次元門をどこに作るのか、その正確な位置までは分かりません。」
セルベインは首を横に振る。
「そして、もしかするとすでに手遅れなのかもしれません。」
セルベインの言葉に、皆が不安そうな眼差しを向ける。
「勇気を出してください。ここからが始まりです。たとえ次元門が開き、魔王の軍団がエノルへ侵入するとしても、魔王が封印されているという事実は依然として変わりません。私たちにはまだ機会があります。私は皆さんと共に、十分にこの世界を守り抜けると信じています。」
セルベインが皆を励ます。
「師匠のお言葉の通りです。まだ諦めるには早すぎます。それでは、これから私たちは何をすればよいのでしょうか?」
ビティアが尋ねる。
「そうですね。」
ビティアの問いに対し、しばらく考えを整理した後、セルベインは今後の計画を皆に説明し始めた。




