雷の覚悟
「気功術をどう思う?」
シルブラスとベルマウルは草原の一つのオアシスにいた。
「魔法秩序の一つではあるが、獣人たちだけの固有能力だと知っている。」
「その通りだ。正式名称は気功魔法だが、気を扱う種族は獣人しかいないから、今では気功術と呼ばれている。」
ベルマウルの言葉にシルブラスがうなずく。
ベルマウルはつい先ほどまでシルブラスの背に乗り、バイソンの群れと共に草原を駆けていた。
だが今回は、ベルマウルが乗り物酔いを感じたあの草原の青い風ではなかった。
シルブラスの四本の足は確かに大地を踏みしめ、その地面にはシルブラスの足跡が残っている。
「ドドドド。」
バイソンの群れが地面を揺らしながら力強く走っている。
それに比べてシルブラスの足音は、小動物のもののように小さい。
バイソンの群れを率いる先頭集団は、一時シルブラスを警戒したが、シルブラスが群れへの脅威ではないと判断したのか、一緒に走ることを許した。
「シルブラス。バイソンの群れの後尾が襲われている!」
ベルマウルは後方からの殺気を感じて振り返ったが、シルブラスからは何の反応もなかった。
その間にも、ライオンをはじめとするさまざまな猛獣たちが、群れの後尾で最も弱そうに見えるバイソンから襲い始める。
襲われたバイソンの中には攻撃を振り払って群れへ戻ろうと歩みを速めるものもいたが、そうできなかったバイソンは群れから離脱し、土煙を巻き上げながら地面を転がって倒れた。
すると先頭のバイソンのうち一頭が後ろを振り返ったが、すぐに視線を戻して前を向いた。
「十分助けられたはずなのに、なぜだ?」
ベルマウルは痛ましく思った。
「誰を助けるというんだ?」
シルブラスがベルマウルに尋ねる。
「それは当然、襲われているバイソンだろう!」
ベルマウルは当然だという表情をした。
「では、ライオンは助ける必要がないのか?」
シルブラスが淡々と問う。
「それは……」
ベルマウルは言葉を濁した。
改めて考えてみると、単純に見られる問題ではなかった。
「モォー。」
その時、ベルマウルの耳にバイソンの鳴き声が聞こえた。
直後、先頭から二頭のバイソンが身を翻し、後尾へ向かって駆け出した。
後尾のバイソンたちが別の猛獣に襲われているのを見るや、即座に行動を起こしたのだ。
シルブラスは黙って先頭から離れた二頭のバイソンを追いかける。
「ドンッ!」
バイソンたちは少しもためらうことなく、自らの角で猛獣たちを突き飛ばしながら後尾のバイソンを守る。
だが猛獣の鋭い爪が、やがてバイソンの脇腹の皮を引き裂いた。
バイソンの身体には無数の傷が生まれ、全身のあちこちから大量の血が流れ出る。
それでもバイソンたちは止まらず、猛獣たちの間を駆け回りながら、後尾のバイソンたちが逃げる時間を稼いだ。
傷だらけのバイソンから漂う血の匂いに引き寄せられ、周囲の猛獣たちが集まってくる。
二頭のバイソンは互いの後部を合わせて踏ん張ったが、猛獣たちに完全包囲された状況で生き残る可能性はまったくなかった。
たくましい体躯のバイソンたちの周囲を猛獣たちが巡り、血に飢えた目つきで舌なめずりをする。
その時、シルブラスは二頭のバイソンを残し、再びバイソンの群れを追い始めた。
ベルマウルの目が、包囲されたバイソンの目と合う。
ベルマウルは、まもなく死ぬであろうバイソンへ同情のこもった視線を送った。
だが、その堂々たる眼差しにベルマウルは衝撃を受けた。
「お前はもうすぐ死ぬのだ。」
ベルマウルは悲しげな目でバイソンを見る。
「だから何だというのだ。次の一秒で死ぬとしても、この瞬間にしょげ返るほど草原は甘い場所なのか? お前の命はその程度のものだというのか?」
ベルマウルの瞳の中で、バイソンの目は少しもひるんでいなかった。
そうしてバイソンは、むしろさらに強くベルマウルを叱咤した。
「ベルマウル。今回はなぜ何も言わないんだ?」
バイソンの群れに追いついた後もベルマウルが何も言わないので、シルブラスが尋ねた。
「バイソンの目だよ。あれは死を覚悟した目じゃなかった。」
ベルマウルの瞳には、バイソンの覚悟が焼き付いていた。
「そうか。」
シルブラスはそれ以上言葉を重ねなかった。
次のオアシスへ向かう道中、バイソンの群れは何度も猛獣の襲撃を受け、そのたびに群れの一部が猛獣に狩られた。
「次々とバイソンたちが減っていく。仕方のないことではあるのだろうな。」
ベルマウルは隣で愚直に走るバイソンたちを見ながら言った。
「ベルマウル。仕方がないというのは魔族の考え方なのか? 獣人たちの住むこの草原では、減るという表現は間違っている。ベルマウルの言ったそれは、ここでは分かち合うという意味を持つ。」
シルブラスが自分の考えを語る。
「なるほど。バイソンもまた猛獣と対等な立場で互いに分かち合うという意味か。草原で生きているという意味。それは生命の価値が受け継がれるという意味になるのだな。」
バイソンの瞳が意味するもの、そしてシルブラスの説明によって、ベルマウルにも気づくところがあった。
もちろん、完全に理解したわけではない。
草原を駆けるバイソンたちの瞳に映るベルマウルの目には、依然として何かへの恐れが残っている。
「心の中の恐れのせいで、まだ現実を受け入れる準備ができていないのか。」
ベルマウルはそう悟り、その弱さについて考え込む。
バイソンの群れとともに辿り着いたオアシスで、一頭の子バイソンが水辺へ出ることをためらっていた。
ベルマウルはそんな子バイソンに勇気を与えようと立ち上がる。
すると母バイソンがベルマウルと子バイソンの間に立ちはだかった。
「モォー!」
断固たる響きとともに、母バイソンはベルマウルを睨みつける。
その間に勇気を取り戻した子バイソンは、自ら水辺へ出て水を飲み、戻っていった。
そんな子バイソンの傍らを母バイソンが守り、二頭は再び群れへと合流する。
「一本取られたな。」
シルブラスが笑う。
「そうだな。」
ベルマウルも苦笑した。
「モォォー!」
先頭のバイソンたちの巨大で力強い鳴き声に合わせ、オアシスで体力を回復した群れは再び走り始める。
バイソンの群れは草原を疾走しながら、次第に遠ざかっていく。
「先頭のバイソンたちが発する鳴き声は、平原の雷と呼ばれるほど力強く草原に響き渡る。」
シルブラスはオアシスを去っていくバイソンの群れを目で見送る。
「草原にいる皆が聞こえるように、わざと大きくはっきりと鳴いているのか?」
ベルマウルが問う。
「覚悟がなければ、そうはしないだろう。」
シルブラスの答えだった。
「覚悟? 何の覚悟だ? 敵に食われる覚悟か? わざわざ自分の居場所を知らせて何の得があるというんだ。」
ベルマウルの表情は複雑だった。
「生命を背負う覚悟だ。そのような決意がある時、生命は生の意味となる。生命とは生きることであり、生命のために常に全力を尽くさねばならない。」
シルブラスの身体に気功による闘気が満ち上がり、ベルマウルの目にもはっきり見えるほど白く輝いた。
「ベルマウル。お前の覚悟には不足がある。そして草原は、その欠けた覚悟を望まない。」
シルブラスはベルマウルに向かって構えを取る。
シルブラスの覚悟が伝わると、ベルマウルもシルブラスに向き直って姿勢を正し、同じく魔法の詠唱の準備をする。
「そうではない。お前の言う通り覚悟が多少足りないとしても、覚悟の足りない者にも戦う理由は残されている。」
ベルマウルは叫んだ。
「ならば、お前の言葉が真実なのか、それとも単なる意地なのか見せてくれ。」
まったく動揺することなく、シルブラスはゆっくりとベルマウルへ歩み寄り始めた。




