草原へ向かう青い風
青き狼のハウリング所属の獣人4人がレックスビーストの周囲に集まり、細かく状態を確認している。
「レックスビーストがここまで来た理由は何でしょうか?」
セルベインがルガルマに聞く。
「原因はまだ分かりません。ただ、数日前にある農場で黒き啓示が現れました。」
ルガルマはまずその事件を思い出す。
「そんなことがあったのですね。それで皆さんは大丈夫ですか?」
セルベインが心配そうに話す。
「セルベイン様もご存じのように、黒き啓示の波動は獣人族には何の影響も与えません。ご心配なく。襲撃した者たちは、途中で逃げた黒き啓示も含めてすべて狩りを終えました。ただ、本日突然このレックスビーストが凶暴化し、草原を離れてここまで来たのです。ギガンティックビーストが指示を外れた例は初めてなので、綿密に調査するつもりです。」
ルガルマはこれまであった出来事を説明する。
「バルエルへ向かっていた商人や冒険者たちの被害状況はどうですか?」
「かなり多くの負傷者が出ました。しかしセルベイン様がレックスビーストをおびき寄せてくださったおかげで時間を稼げました。そうでなければ、さらに大きな被害になっていたでしょう。バルエル国境守備隊が治療と後送を行っており、死亡者はいないと聞いています。」
セルベインの質問に、ルガルマが対応状況を話す。
「それは幸いです。正しい判断です。そしてついでに後ろにいる商人のこともお願いします。正体を隠すために、弟子が睡眠魔法と幻覚魔法を使ったのです。」
セルベインは笑いながら後方の商人を指し示す。
「はい、承知しました。」
そう言うと同時に、ルガルマは隣にいる獣人へ視線を送る。
すぐにその獣人はうなずき、眠っているモントルとモントルの馬たちのもとへ近づき、状態の確認を始めた。
「アイオレン様もお久しぶりです。」
そして顔を向けると、ルガルマが先に声を掛ける。
「ルガルマギルド長。初めまして。ですが、どうして私をご存じなのでしょうか?」
アイオレンはいくら思い出そうとしても、ルガルマを見た記憶がない。
そのため、ルガルマから先に挨拶を受けると戸惑いながらも首をかしげる。
「ずっと以前のエルフの晩餐会で、セルベイン様と共にいらした姿を遠くから拝見しました。直接ご挨拶はしておりませんが、私は一度でも出会った相手は決して忘れません。」
ルガルマは穏やかな微笑みを浮かべる。
「お会いしたことがあるのに覚えていないとは、私の失態です。本当に申し訳ありません。」
アイオレンは恥ずかしそうに深く頭を下げた。
「アイオレンは悪くありません。獣人たちは匂いを記憶する行為を出会いと表現します。ここで言う出会いとはその意味ですので、厳密に言えばアイオレンがルガルマギルド長と会ったことにはなりません。」
セルベインが笑いながら説明する。
「ああ。そういう意味だったのですね。」
そこでようやくアイオレンはうなずき、その意味を理解する。
「ビティア王女もお久しぶりです。」
続けてルガルマは、女性獣人の治療を受けながらこちらへ歩いてくる魔族国の王女にも頭を下げて挨拶した。
「まさか私のことまで覚えていてくださるとは思いませんでした。ありがとうございます。ところで、ベルマウルはどうなのでしょうか?」
ビティアはルガルマと挨拶を交わした後、急いでベルマウルの容態を尋ねる。
別の獣人がすでにベルマウルの傷を確認している最中だった。
ビティアとベルマウルはともに黒き啓示の黒い波動に曝されていたため、獣人たちは体内に残った黒い波動を浄化していた。
「ベルマウル将軍は大丈夫でしょう。それよりもビティア王女ご自身を先に心配なさるべきです。黒い波動に直接曝されたのはビティア王女なのですから。」
そう言いながらルガルマは自然に歩み寄り、ベルマウルのもとへ向かおうとしていたビティアの前に立ちはだかる。
「どういう意味ですか? 道を空けてください。」
ルガルマが行く手を遮ると、ビティアは魔族の王女としての威厳をもってルガルマを睨みつける。
しかし、魔族国全体に号令を下すビティアの存在感を前にしても、ルガルマは動じない。
「差し出がましいようですが、ベルマウル将軍は私にお任せいただきます。この件について私はロデンミル冒険者ギルドのエクスバークギルド長から全権を委任されております。」
ルガルマは一歩も引かない。
するとセルベインが口を挟む。
「ビティア、ルガルマギルド長を信じてみてはどうですか? 出発前にエクスバーク様からもお話があったでしょう。」
セルベインが近づき、軽くビティアの右肩に手を置く。
「ですが師匠。」
「大丈夫です。ルガルマギルド長のおっしゃる通り、黒き啓示によって傷を負ったのはビティアです。ベルマウル将軍は無事なのですから、まずはビティアの傷を治療するのが先だと思います。」
ビティアの言葉にも、セルベインは首を横に振る。
「ですが……」
それでもベルマウルを心配する気持ちが消えるわけではなかったが、セルベインに肩を叩かれるとビティアはためらう。
「ビティア、傷を見せてください。私がもう一度診ましょう。黒き啓示の黒い波動に直接触れた傷は、魔力干渉によって身体に別の問題を残す可能性があります。」
獣人たちが用意した椅子にビティアを座らせると、セルベインは呪文を唱え、再びビティアの身体を検査し始める。
しかし、ビティアの視線は依然としてベルマウルに向けられていた。
ビティアは心配していたが、セルベインとルガルマの言う通り、ベルマウルに大きな傷はなかった。
大怪我をするところだったが、青き狼のハウリングが先に対処していたためである。
黒い波動に侵食されていた腕の治療がちょうど終わる。
拳を握ってみる腕にはまだ痺れるような感覚が残っているが、痛みは完全に消えていた。
少しよろめきながらも、ベルマウルは自力で立ち上がる。
「ベルマウル将軍。私はルガルマギルド長と申します。よろしくお願いいたします。」
ベルマウルが意識を取り戻すと、ルガルマが嬉しそうに笑いながらベルマウルへ近づく。
「はい。こんにちは。ベルマウルです。助けていただきありがとうございます。あっ!」
ベルマウルはルガルマに親しげに挨拶しようと口を開く。
しかし、その言葉が最後まで終わる前に、ルガルマの右拳が飛んできた。
「ドンッ!」
ルガルマが振り抜いた拳を受け、ベルマウルは横へ倒れた。
「あっ!」
ビティアとアイオレンが驚く。
しかしセルベインはじっとしている。
ベルマウルは殴られた顔がひりひりしている。
しかし何よりも、現在の状況が一番理解できなかった。
そんなベルマウルの目に、ルガルマが地面に落ちているベルマウルの剣を拾い上げる姿が映る。
ルガルマは外れてしまった鞘も探し出し、親切に剣を鞘へ納めると、再びベルマウルの前に立つ。
「名剣なのに、持ち主がまったく見分けられていませんね。」
ルガルマは呆れたようにベルマウルを見る。
「カラムブル。」
ルガルマは呪文とともに青き狼へと変身する。
「私の背中にお乗りください。もしベルマウル将軍が私の背から落ちずに獣王国バルエルの王都まで到着されたなら、無礼をお詫びするだけでなく、エクスバーク様がお作りになったこの剣の名を代わりにお教えしましょう。」
「本当ですか!? 後で話を変えてはいけませんよ。」
ベルマウルは殴られた理由を尋ねることも忘れ、勢いよく立ち上がると、頭の中にはルガルマの提案だけが残っていた。
「今のお約束、絶対に忘れないでください。」
ベルマウルはそう言うと軽く跳び上がり、ルガルマの背に乗る。
「私もこれでも魔族国の竜騎士団ドラカン・ナバレスを率いる将軍です。」
ベルマウルは微笑みながら、竜騎士としての自信を見せる。
「それは面白そうですね。」
その瞬間、ベルマウルの耳にはルガルマの言葉が残響のように残り、身体はすでに加速して前方へ飛び出していた。
引っ張られる身体についていけず、魂が後ろへ引きずられ、その後には現実についていけないベルマウルの記憶だけが残る。
「カラムブル。」
青き狼のハウリング部隊所属の一人の獣人が呪文を唱え、ルガルマを追うようにその場から姿を消した。
「まさに青き狼のハウリングですね。風のような方々です。」
アイオレンは余韻として残る青い風の音に感嘆する。
「そうですね。ベルマウル将軍のための準備もすべて整っていたようです。」
ルガルマの心遣いにセルベインは感謝し、嬉しそうに微笑む。
「こちらへどうぞ。獣王国の王都バルエルまでは私たちがお送りいたします。」
青き狼のハウリング部隊所属の獣人の一人が、セルベイン一行の前に儀礼用の馬車を用意する。
「モントルさんの馬車もなかなか良かったのに、残念ですね。」
アイオレンは末っ子馬を見ながら名残惜しそうに言う。
「獣王国の王都バルエルで会えますよ。それに、うまくいけば一緒に旅をすることになるかもしれません。」
セルベインは笑いながらアイオレンをなだめる。
「そうだな。モントルさんに会って、お前のルベリア魔法がちゃんと記憶を書き換えたか確認する必要もあるしな。」
ビティアは最初ベルマウルを心配していたが、その心配がすぐに杞憂だったことを目の前で確認し、ベルマウルへの不安を振り払う。
そしてすぐにアイオレンへ難癖をつけた。
「ふん! いっそのことセレンノアもルベリアも、どちらも失敗したってはっきり言えばいいじゃない。」
アイオレンがビティアを睨みつける。
「あら、全部あなたのためでしょう。どちらも失敗したら、アイテルノスのイメージだけが悪くなるの。」
ビティアは余裕のある態度で応じる。
「何ですって! 言えばそれで済むと思ってるの! 今回はただじゃ済まさないから!」
「そうだな。この際、誰が先輩で誰が後輩なのか決めようじゃないか。」
アイオレンの言葉に、ビティアも積極的に応じた。
「二人ともやめなさい。馬車の中は狭いのです。」
セルベインが止めても、結局爆発したアイオレンとビティアは馬車の中で言い争いを始めた。




