エルセリオンの光
イレルダン峡谷が崩れていく。
峡谷の中は黒い波動で満たされ、その黒い波動の気配によって大地さえ押し潰されていた。
空を切り裂きながら落ちてくる魔王の剣ネビラク。
その巨大で圧倒的な質量は、もはや剣というより災難に近い。
セルベインの前へネビラクが大股で迫ってくる。
「油断しましたね。」
しかしセルベインの言葉は、峡谷を満たす黒い波動に遮られ、誰にも届かなかった。
セルベインとアイオレンは、エルフのエルネド魔法秩序によって黒い波動を防ぐ防護壁を作ることができる。
あるいは瞬間移動魔法で、いつでも安全な場所へ移動することも可能だ。
しかし黒い波動に対する防護壁の魔法呪文は、精霊エルフだけが使用できる固有の魔法呪文である。
そのためセルベインは、ビティアとベルマウルを安全な場所へ瞬間移動させようと準備する。
だがなぜかベルマウルは、今もなおその場に立っている。
そして自らの剣を抜く。
「ベルマウル将軍。魔王アスペルハイムが誰なのか分からないのですか! 魔王の剣ネビラクが何なのか分からないのですか! あまりにも無謀です。この馬鹿。」
セルベインはベルマウルへ向かって叫ぶ。
やはりセルベインの声はベルマウルには届かない。
黒い波動を放ちながら、巨大な迫力を込めて振り下ろされる魔王の剣ネビラクの前では、ベルマウルの剣は本当に取るに足らないほど小さくみすぼらしい。
単に剣の大きさを比較するだけなら、ベルマウルの剣はただの光る破片に近い。
それはネビラクの勢いの前で、ベルマウルまるごと飲み込まれ、すぐにでも消してしまいそうに見える。
それほど光は限りなく小さい。
だが毅然と耐え、消え去らない。
湧き上がる黒い波動がベルマウルを包み込み飲み込もうとする最中にも、その剣は高貴に漂う光の筋をさらに増していく。
光は決して薄れもせず、揺らぎもしなかった。
セルベインは唇を噛む。
「いったい何が……」
セルベインは頭の中で、これから起こる出来事を何度も繰り返し思い描く。
しかしどのような場合を考えても、ベルマウルに有利な結果は見えなかった。
「早く逃げてください!」
セルベインは無意識に再び叫ぶ。
そしてその瞬間、ベルマウルは魔法呪文を唱えた。
「エルセリオン。」
セルベインの耳にも聞こえたその魔法呪文は、世界へ広がりながら空気を震わせた。
そしてエルセリオンの魔法呪文は、エノルの魔法秩序の最上位に設定される。
「エルセリオン。」
セルベインはその呪文の名を復唱する。
確かなのは、今誕生した魔法呪文エルセリオンは、これまで存在しなかった新しい魔法秩序だということだ。
しかしエノルの魔法秩序は、セルベインとオルディナだけが作ることができる。
セルベインの目の前で、セルベインも知らない魔法呪文が発動する。
ベルマウルの剣から光が弾ける。
最初は剣先から小さく火花のように咲き、続いて吹き荒れる光の竜巻となって周囲へ広がっていく。
やがて光の渦は巨大な力へと成長し、押し潰すように迫るネビラクの黒い波動へ真正面から対抗する。
「パン!」
光の波動と黒い波動が激しく衝突し、澄み切った音を響かせる。
そして空を裂きながら圧倒的な力で降り注いでいたネビラクの黒い波動が、光の波動にはじかれて後方へ押し戻される。
しかし間を置くことなく、後退するネビラクをベルマウルのエルセリオンがすぐさま追い詰める。
「ジャーン!」
隙を与えず再び衝突した二つの波動。
そして金属が裂ける音が響く。
黒い波動を二つに切り裂く光の閃光の中で、魔王の剣ネビラクは真っ二つになる。
次第に強まる光の波動によって、イレルダン峡谷を満たしていた黒い波動はそのまま押し流され、光の中へ溶けて消えていく。
ベルマウルが左から右へ薙ぎ払うように振るったエルセリオンによって、ダルガンの手の呪い魔法陣さえも一瞬で光に焼かれ消え去った。
「どうしてこんなことが……」
黒い波動の中で魔王アスペルハイムが驚いて立ち上がった。
「この野郎。」
しかし魔王アスペルハイムは素直に退かなかった。
真っ二つになったネビラクの柄側の向きを変え、ベルマウルを狙う。
「やあっ!」
だがベルマウルは即座にエルセリオンの方向を変え、自分に向かって振り下ろされたネビラクを打ち返す。
「パン!」
完全なる光の竜巻が、勢いの弱まった黒い波動を柄ごと飲み込んだ。
消えゆく黒い波動が悲鳴を上げる。
そして入れ替わるように、黒い波動の代わりに光の波動がイレルダン峡谷を満たしていく。
また純粋な光の波動によって、ダルガンの手の呪い魔法も峡谷からすべて一掃されて吹き飛ばされる。
まるで黒い波動が最初からイレルダン峡谷に存在しなかったかのように、エルセリオンはすべてをきれいに片付ける。
こうして対抗する黒い波動がすべて消え、力を失うと、ついに光の波動も徐々に光量を落としながらベルマウルの手元で元の姿へ戻っていった。
「パパパッ」
やがてベルマウルの剣は、その間に蓄積された疲労によって粉々に砕ける。
すべてを受け止めるには、ベルマウルの剣はあまりにも普通の剣だった。
ベルマウルは柄だけになった自分の剣を見つめている。
「終わったのでしょうか。」
アイオレンは、急変した状況に体を強張らせ、かろうじて周囲を見回しながら安堵の息をつく。
セルベインたちが見渡すイレルダン峡谷では、空が近く見える。
光が差し込めなかった濃い闇の峡谷に、今は光が降り注ぎ地面へ届いている。
そうしてイレルダン峡谷の上空は、いつもより近くなっていた。
「イレルダン峡谷が変わった!」
ついに状況に気づいたアイオレンが驚いて辺りを見回す。
アイオレンの言葉どおり、本当に峡谷の形が変わっていた。
イレルダン峡谷の高さの半分が吹き飛び、峡谷そのものは空間が拡張され、川のように広くなっていた。
セルベインでさえ、しばらく何も言えなかった。
ただ確かなことは、今セルベインの前にベルマウルが立っているということだった。
「これは……こうなると、もうイレルダン峡谷と呼ぶのは難しいな……名前を変えるべきかな……」
ビティアが困ったように、生き生きとした自分の髪をいじる。
「この子ったら」
ビティアはそう言いながらベルマウルへ一歩近づく。
「コツ」
そしてベルマウルの額を軽く叩く。
静かな悪戯だったが、その中には言葉では言い尽くせない感情が込められていた。
それでもビティアの目には、ベルマウルを心配する気持ちが残っている。
「まずは手加減を覚えなさい。」
言葉ではそう言っているものの、ビティアはベルマウルのことが実に嬉しい。
ビティアの言葉にベルマウルは照れくさそうに笑い、手に持っていた剣を習慣のように鞘へ収めた。
「トッ」
しかし刃を失ったベルマウルの柄は鞘に入らず、力なく地面へ落ちる。
「しっかりしなさい!」
ビティアはそんな息子の剣を代わりに拾い上げ、再び渡す。
「ありがとうございます。」
ベルマウルは照れくさそうに笑いながら、ビティアから渡された剣を再び受け取り手に握った。
闇が消えたイレルダン峡谷の中へ、セルベイン一行を探してやって来た魔族の兵士たちが、不思議そうに周囲を見回していた。




