第4話 夫婦なら当然でしょう?
王女殿下の黒紋は、朝までにまた二本増えた。
消しても戻る。
削っても、別の場所から浮かぶ。
まるで身体の外から呪われているのではなく、内側から染み出してくるようだった。
「これはおかしい」
私は寝台脇の記録板へ、発作の時刻を書き込んだ。
アルノーが横から覗き込む。
「何が?」
「呪いなら、もっと偏りが出るはずです」
「術者の癖か」
「ええ。侵入口も、核も、術式の継ぎ目も見えない」
黒紋が出る場所も毎回違う。
それなのに、発作前には必ず王女の魔力が一度だけ大きく跳ねる。
呪われて暴れているというより。
自分で何かを動かしている。
「殿下自身の魔力が原因だと?」
「まだ分かりません」
私は記録板を閉じた。
「でも、暗殺者探しだけしていたら間に合わない気がします」
アルノーは頷いた。
以前なら、私がこう言えばすぐ「分かった」と答えた人だった。
仕事では。
家では、どうして同じようにできなかったのだろう。
考えかけて、やめる。
今は患者が先。
そう思ったところで、廊下から言い争う声が聞こえた。
「嫌です!」
若い女の声だった。
「どうして結婚までしなくてはいけないんですか!」
私はアルノーと顔を見合わせ、廊下へ出た。
診察室の前で、見習い治癒師のミレーナが泣きそうな顔をしていた。
その向かいにはマルガレータ先生。
さらに、見覚えのない青年が一人。
「何があったんです?」
私が聞くと、ミレーナがこちらを向いた。
「エリサ先生……!」
助けを求める顔だった。
先生はため息をつく。
「患者の呪毒が深いの。ミレーナ一人では受けきれない。でも、この子には婚約者がいるでしょう」
青年が困ったように頭を下げた。
なるほど。
嫌な予感がした。
「婚姻紋を結べば共有治癒が使える。そういう話ですか」
「そうよ」
先生はあっさり言った。
「二人は来春に結婚予定だもの。少し早まるだけでしょう?」
ミレーナの顔が強張る。
「少しって……」
「人の命がかかっているのよ」
先生の声は厳しかった。
「治癒師として、できることをしない理由がある?」
その言い方。
胸の奥で、何かが冷たくなる。
「あります」
私が言った。
先生がこちらを見る。
「エリサ?」
「結婚するかどうかは、治療法ではありません」
「でも二人は愛し合っているのよ?」
「だから何ですか」
言った瞬間、廊下が静かになった。
私も少し言いすぎたと思った。
でも止めなかった。
「愛し合っていたら、今日ここで結婚しても構わないんですか」
「命が助かるのなら」
「では、患者が十人いれば十組結婚させますか?」
先生の眉が寄る。
「極論でしょう」
「同じです」
私はミレーナを見る。
「あなた、今日結婚したい?」
「……嫌です」
小さな声。
それでも、はっきりしていた。
「彼のことは好きです。でも、こんなふうに決めたくない」
青年も頷いた。
「僕もです」
先生が深く息を吐いた。
「若い人は理屈が多いわね」
「理屈ではありません」
私は自分の左手首を見た。
銀色の婚姻紋。
確認期間が終われば消える予定のもの。
「本人の意思です」
先生は何か言おうとした。
その時、アルノーが口を開いた。
「代替案を探します」
先生が鋭く見る。
「あなたまで?」
「この患者は外から入った呪毒です。婚姻紋ほど深く繋がなくても、治癒師を数人介して少しずつ外へ逃がせるはずです」
「効率が悪すぎるわ」
「それでも、結婚を治療条件にするよりはましです」
アルノーが私を見る。
「簡易分担でいけると思うか」
以前なら。
たぶん彼は「これでいく」と先に決めていた。
それを思うと、少しだけ可笑しかった。
「外来性の呪毒なら可能です。ただし王女殿下のように、身体の内側から負荷が湧く症例には使えません。それに切断が遅れると全員に呪毒が回ります」
「なら、切断条件を先に決めよう」
「一人当たり二十パーセント以下」
「分かった」
マルガレータ先生が呆れたように額を押さえた。
「あなたたち、本当に離婚するの?」
「します」
私とアルノーの声が重なった。
ミレーナが、こんな時なのに吹き出した。
私も少しだけ笑った。
◇
午後。
王女殿下の検査記録を最初から洗い直した。
出生時の魔力値。
母体から切り離された時刻。
祝福儀式。
沐浴。
授乳。
発作。
一つずつ並べる。
アルノーは向かいで呪傷記録を読んでいた。
「エリサ」
「はい」
「これ」
紙を寄越される。
王女が生まれた直後の祝福記録だった。
王族の新生児には、出生当日に母子祝福が施される。
健康と魔力安定を願う、ありふれた儀式。
「祝福の直後に、一度だけ魔力が急上昇してる」
「……本当だ」
その時点では黒紋は出ていない。
最初の黒紋は三日後。
私は別の綴じ冊子を引っ張り出した。
王立産院では毎月、各地から届く原因不明の新生児症例を回覧している。過去半年分の報告を机に並べた。
「これも」
「同じ跳ね方だな」
「でも、この子たちは呪われていない」
「祝福は受けてる?」
「全員」
背筋が冷えた。
偶然にしては揃いすぎている。
「先生!」
マルガレータ先生を呼ぶ。
記録を見せる。
先生の顔から表情が消えた。
「何です、これ」
返事がない。
「先生?」
「……古い術式よ」
やっと言った。
「何の?」
「母子祝福の基礎術式」
先生は記録を閉じようとした。
私はその手を押さえた。
「どうして黒紋と同じ魔力波形が出ているんです?」
「まだ同じと決まったわけではないでしょう」
「ほぼ一致しています」
アルノーが言う。
先生は黙った。
私は王女の黒紋を思い出す。
侵入口がない。
術者の癖もない。
外から何かを入れられた痕跡がない。
なら。
「王女殿下は」
口にするのが怖かった。
「誰かに呪われたんじゃない」
アルノーが続ける。
「祝福そのものが、何かをしている」
処置室の方角から、赤子の泣き声が聞こえた。
元気な声だった。
だからこそ、ぞっとした。
祝福。
生まれた子供を守るための魔法。
誰も疑わない。
誰も止めない。
もし、それが王女を苦しめているのだとしたら。
敵は暗殺者より厄介だ。
人なら捕まえればいい。
けれど。
国中が善いものだと信じている仕組みは、どうやって止めればいいのだろう。




