出会い
同じ朝とは思えない。
まったく光は届かず、舗装されていない剥きだしの土の上を歩きながらまた溜め息を吐く。
空にいちばん近いあの場所では歩きやすかった靴も、ここではヒールがいちいち刺さって歩きにくい。それに何よりこの格好だ。
知り合いに出会せばいい笑い者だろうし、私が上から来た人間だと勘違いした連中に絡まれるのはもっと面倒。
現にゲートを抜けるとき、いつもは私たちのことをうっとうしい虫でも見るような目で睨みつけてくる衛兵に、「おひとりですか?」「何かあれば大きな声で叫んでください」私をどこぞのお嬢様だと勘違いしたんだろう。やけに身の上を心配されたくらいだ。
人目は避けよう。
あばら家から洩れる微かな明かりだけを頼りに、狭い裏道を選んで、剥がれた壁や瓦礫を避けていく。
天国から地獄。まさにそんな気分だ。
あの場所を知ってしまったから余計にそう思う。
「おい、こんなところで何してやがる」
小石程度の瓦礫を爪先で蹴飛ばした。それはカツンと軽い音をたてて、絡まった糸のような、重さでたるんだ電線を支える柱に当たった。
声は、暗闇に覆われた前方から聞こえてきた。その声には心当たりがあったし、すでに呂律がほとんど回っていない。
真っ暗闇のなか目を凝らす。しばらく目が慣れるまで待っている間も、その声は1人で話し続けている。
「邪魔だ」とか、「通行料」だとか。
ようやく目が慣れてきた。
うっすらと、人のシルエットが一つ、二つ。一方的に言いがかりをつけていることは分かった。ちっ。面倒臭いところに居合わせてしまったな。内心で舌打ちをする。
「おいガキ! 聞いてんのか!」
耳障りな怒号が辺りに鳴り渡る。
ただ、引き返すのも面倒だっただけ。歩を進めるたび、滲んだシルエットがはっきりと視界に映る。
「何やってるの」
心底呆れた声がでた。
男は店の常連で、ギロリとした目で私を睨みつけたあと、頭の天辺から爪先まで舐め回すような、いつもの不快な視線を寄越してくる。
死んだ街でまともな酒は出回らない。
電気でさえ上から盗んでいるような状況だ。
何が入っているのか考えたくもないけれど、あんな物で酔える奴はよっぽど酒に弱いか、それ以外でおかしくなっているか。
「お前、…………マリアか?」
一瞬、素に戻った男が「何だよその格好は。らしくねぇな」そう笑いながら近付いてきて、一度大きくふらついた体が私の体にぶつかり、当たり前のように肩を抱いてくる。
私の視界の先では、ここらじゃ珍しいスーツ姿の青年が。すらりと長い足を見せつけてくるかのような、ズボンのポケットに両手を突っ込み、涼しい顔で立っている。
綺麗にセットされた髪。間違いなく上の人間だ。
空にいちばん近い場所で暮らす人間サマは、みんな整った顔をしているんだろうか。
天は二物を与えないと、どこかで聞いたことがあるけれど、やっぱりそれも嘘だと思う。
ふと、金色の髪をしたヤツの顔が浮かぶ。
それを掻き消すように、肩を撫でてくる手を思い切り払う。
「こんな所で騒ぎを起こしたこと、マスターに言ったら出禁になるよ」
「なぁに言ってんだよ。俺たちの仲だろ?」
「いいの? 唯一の娯楽はあの店くらいでしょう」
「……分かったよ。そう怒るなって。マスターには内緒にしててくれ」
男はバツが悪そうな顔をして、ふらふらとでかい図体を左右に揺らしながら暗闇のなかへ消えていった。
「あんたも。そんな格好で一人なんて馬鹿なの?」
自分でも分かっている。これはただの八つ当たりだって。
どういう訳かこの身綺麗な青年を見ていると、奴が頭を過ぎってしかたがない。
それから、純粋な嫌悪だ。
上の人間は金を持て余しているからか、ときどきスラムにやって来ては女や男を買っていく。
なかには興味本位で私たちを見にきて、勝手に憐れんで蔑んで帰っていく物好きもいる。
目の前にいる青年だって、その整った顔立ちの下にどんな本性を隠しているのか分かったものではない。




