対峙
昼間でも暗いスラムの夜は、独特な空気が漂う。
暗闇のなかに何が潜んでいるのか分からない、一言で表すなら薄気味悪い雰囲気。
そのなかで、沈黙が居座っていた。
どこからともなく女のような悲鳴が聞こえ、辺りに反響したあとも、沈黙はいた。
銃を片手に持ったままのルカが、わずかにちらりとこちらを向く。
私が頷くとすぐに正面を向き直る。
そして、警戒を孕んだ声音をもって、静寂を払い除けた。
「今のがお前の対象か? 普通の酔っ払いに見えたけど」
相手は夜のなかでただじっとしていた。
だけど不意に、はじめて息を吐く。
なにがおかしいのか、吹きだすように笑ったのだ。
「ああ、そっか。近頃、不審な動きをしてる奴がいるっていうのは、君のことか。カエラム」
その声は澄んでいて、高い。不思議な響きだ。
とても親しみをもった音で話しかけていた。
「質問に答えろ」
ルカがぴしゃりと言い放つ。
彼が終始、警戒を見せていると、男はやれやれと芝居がかった動きで、両手の手の平を天へ向ける。
「そうだよ。今のが俺の対象。と、いうか。スラムにいる連中はみんなそう」
「…………」
まるで世間話でもするみたいに。
軽い調子で、けれどあっさりと認めてしまうその態度には、底知れない不気味さを感じてしまう。
「もう君は知ってるんだよね? 教会が何をしていて、俺が何をやっているのか。だったら分かるはずだ。さっきの酔っ払いみたいな価値のない奴らを、教会はただ救ってやってるだけ」
「救い? 実験がか」
ルカが吐き捨てる。
「そうだよ」
相手はまたしても簡単に、肯定した。
「なんの価値もない連中なんだ。それが最後には人のために死ねるんだよ? これが救いじゃないなら何が救いなんだ」
「それが救いかは、お前や教会が決めることじゃない。神様にでもなったつもりか」
「まさか。でも、神だって失敗はする。それがスラムの連中さ。ほら、俺たちの役目はいつだって、失敗作を始末することだろう?」
「……カルロス、お前」
呆れ。怒り。それからかすかに混ざる憐れみ。
複雑な音が落ちて、胸がぎゅっと苦しくなる。
カルロスと呼ばれた男が、「でも、そうだな」不意にぽつりと一人言を溢す。
「対象といえば、今、俺の目の前にいる君もそうなるかも」
淡々とした口調だった。
使徒に仲間意識はないと、ルカが言っていた言葉を思いだす。
それでも、それにしたってだ。
感情が欠落しているのかと思うほど……
いや、実際そうなのかもしれない。
そうでなければあんな言葉を口にできるもんか。
「残念だよ、カエラム。俺は君の顔が大好きだったのに。邪魔な奴は消してもいいって言われてるし。ねぇ、カエラム。君のことも俺が救ってあげる。だって君、使徒としての役目に疑問を持ってるんだよね?」
ルカは何も答えなかった。
でもカルロスは、それを肯定だと受けとったみたい。
「安心して」
言葉を続けていく。
「君を救ったあとで、君をそんな風に壊したあの女のことも、俺が救ってあげるから」
「黙れよ」
怒りを滲ませた音が吐き捨てられた。
相手がふっと笑う気配がする。
「お前なんかが彼女について触れるな。指一本、触れさせるわけないだろ。そのよく回る口はそろそろ閉じとけ。うっかり殺しそうになる」
「…………」
「救いだって?」
はっ。と、ルカが鼻を鳴らす。
「本当に救いが必要なのはお前のほうだろ。もう手遅れかもしれないけど、安心しろ。僕がお前を救ってやる」
「……へぇ。そう」
途端、ぴんと張った糸が今にも切れそうだった。
ぴりぴりした空気が頬を刺してくる。
私はただ、息を殺して見守ることしかできない。




