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影

 夜の腹のなかは暗い。

 そこに赤やピンクといったきつい色のネオンが、廃墟のような建物の隙間から射し込んでいる。

 うんざりするほど見慣れた場所。

 だけどずいぶん久しぶりだと感じる。

 歩くたび土が鳴り、建物から剥がれ落ちた外壁を避けていくこの感じが懐かしい。

 ルカは私を手の引きながら、一歩前を歩いていた。

 彼も夜目がきくのか、スラムの夜道を器用に歩いていく。

 空にいちばん近い場所は、どこでも人の姿があって、話し声が聞こえてくる。案外、賑やかだ。

 だけどスラムはその真逆。

 人の気配すらない。

 ようやく人を見つけたと思えば、それは生きているのか死んでいるのかさえ分からない。

 ただ道端に寝転んでいたり、座り込んでいたり。

 眼球はかすかに動いているのに、体をカラスにつつかれていても、声さえ発しない人もいた。

 やっぱりここは地獄だ。

 なんともいえない気持ちになりながら周囲を見渡していると。

 不意にルカが足を止めた。

 ちょうど店からも遠くない。一本向こう側の路地に入れば、いつも私が使っていた裏路地がある。

 今にも落ちてきそうな看板が並ぶ場所。

 ほとんど電気はついてない。

 一つや二つは点灯しているが、でもそれだって今にも消えそうにチカチカと点滅している。

 路地に入る手前だ。

 そこでルカが手を離し、振り返った。


「マリアはここにいて」

「……分かった」


 素直に答えると、ルカはふっと微笑する。

 そしてゆっくりとした足取りで、狭い路地へと入っていった。

 その闇のなかを見つめた。

 息を潜め、じっと目を凝らす。

 すると、ルカの前を──────三メートルほど前をふらふらと歩く影があった。

 距離は詰めずにその後を追う小柄な体を見て、また前を歩く人を凝視した。

 そのときだった。

 どこからともなく上から降ってきた影が、ふらふらと動く人を地面に押さえつけたのだ。


「ぐっ……!なんだぁ? てめぇ!」


 苦しげな声で抵抗をするその人は男で、聞き覚えがある。店に通っていた客の一人だ。

 ルカが地面を蹴ったのが分かった。

 信じられないことに、彼が地面を蹴ったと同時。

 飛ぶように距離を詰めたルカがその勢いのまま回し蹴りを叩き込む。

 目で追うのがやっとというほど素早いその動きを、けれど影はひょいと避けて、男から離れた。


「なんだぁ、てめぇらは」


 男がその場で立ち上がり、ルカのほうへ詰め寄ろうとしている。

 けれど、「おっさん」ルカの冷えた音が、その足を止めさせた。


「死にたくないなら今すぐ消えろ」

「ああん?」


 きっと、ルカが自分よりも小柄だから。

 酒の力もあって気が大きくなっているんだろう。


「このチビ、上等じゃねぇか。決めたぞ。そのキレイな面をぐちゃぐちゃに泣かせてやるよ!」


 辺りに響き渡るくらいの大声で叫んだ瞬間、ルカが素早く取りだした銃を空に向かって一発、撃った。

 空気が切り裂かれ、耳鳴りがする。

 でもその後は、しんとした静寂が何ごともなかったかのうにやってくる。


「うるせぇよ。さっさと消えろ」


 ルカの不機嫌な声音だけが、空気を冷やしていく。


「なっ、なんなんだよ……っ!」


 地面に一度、尻もちをついた男が這うように立ち上がり、ひっくり返った声を残して、一目散に奥へと走っていった。

 私は暗闇のなかをぐっと凝視する。

 まったく動かず、ただルカを見ているだけの影に目を凝らして。

 やっぱり。

 確信する。

 ぼんやりだけど、あの顔。

 私を拉致した男だ。

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