恋
部屋のなかはしんと静かだった。
ラジオも鳴っていないし、斜めになったテーブルの上にはもう、お星さまがなかった。
しばらく固まっていたルカを、私は特等席からいつまでも眺めていて。
不意に、のろのろと右手で口元を覆い、視線を落とした彼を、やっぱり眺めている。
「なんで」
私に問いかけているわけじゃない。
ただ、疑問を溢す。
大切なことは、きっと言葉にしなければ伝わらない。
そのために言葉があるんだとしたら、私は伝えようと思う。
「好きだからよ」
ルカが弾かれたように、視線をあげた。
また、信じられないとでもいうような。
いや、幽霊でも見たような顔をしてる。
「ルカ。私、あんたのことが好きみたい」
「…………」
ぱたっと、口元を覆っていた手が落ちた。
「……あんた、ほんとにあのマリア? 頭でも打ったんじゃないか」
芯の抜けた言葉がぽつりぽつりと溢れている。
それを一つずつ掬いあげ、私は吹きだす。
「そうね。そうかも。気分はそんな感じだし。私も自分でびっくりしてる。あんなに大嫌いだったのにね」
そこでようやく瞬きをする空色を、目に焼きつける。
「劇場は捨ててきたの」
「え……?」
「誤解しないで。歌は捨ててない。私はマリアと違って強欲だから、大事なものは全部選びとりたい。歌も、あんたも」
そこまで言い切って、だけど不安になる。
「といっても、あんたに振られたら、私には歌しか残らないけどね」
ずっと早鐘を打ち続けている心臓が。必ず訪れる、ほんの先にある未来を想像して、怖くて泣いてるみたいに震えている。
ルカが深く、ゆっくりと息を吐きだした。
華奢な両肩が上下する。
それから俯き、「ほんと、敵わないな」と、小さく洩らす。
そして意を決したように上がった顔は、真剣そのもので。
立ち上がったルカが歩を進め、私の目の前までやってきた。
それではじめて目線が揃う。
空色が真っ直ぐ、私を射抜いた。
「先に言うとか、やめてくれよ」
拗ねたように不満を洩らす音に、微笑を贈る。
でも心のなかは頼りなさげに揺れ続けているんだ。
はじめて、こんなふうに怖いと思った。
誰かの言葉を聞くのが怖い。
答えを知るのが怖くてたまらない、と。
空いたもう片方の手で、ドレスのスカートを握りしめる。その指先が震えてしまう。
それに目ざとく気づいたのか。
空色の瞳が落ちた。
でもそれは数秒のできごと。
すぐに戻ってきたそれは、「聞いて」私に刻み込むよう、ゆっくりと言葉にした。
そして、続ける。
「こっちはもう、とっくに惚れてるよ」
「…………」
え。
と、言葉にしたつもりが形にはならなかった。
「初めて会った夜、マリアの歌を聞いたときからずっと、マリアのことが好きだった」
言葉は視線と同じで真っ直ぐだった。
いつもの生意気な態度も、余裕ぶった姿もない。
瞳はなんだか必死に、私を見つめている。
「ていうか、結構分かりやすかったと思うけど?
僕の態度は」
「え」
今度は形になった。
分かりやすかった。そう言われて色々と思いだそうとするけれど、特にどれが分かりやすかったのか、それが分からず黙り込んでしまう。
「好きでもない人に、服を贈ったりなんかしないよ」
「でも、私以外を抱き枕にしてたんでしょう?」
口から滑ってしまった言葉を聞き、ルカが露骨に動揺を見せた。
痛いところをつかれてしまった。とでもいうみたいに。
「そういう所だけ覚えてるのはズルいだろ」
そう吐き捨てて。
まだ震えている私の左手を、そっと掬うみたいにして、指先を軽く握ってきた。
ルカの冷たい手が、上がった体温には心地がいい。
「正直に言う。確かにマリアと出会う前は、色んな人を抱き枕にして眠ってたよ。そうしないと眠れないから。でも、マリアと会った夜からもうやめたんだ。お陰で毎晩寝不足だよ」
「…………」
「あんたがあまりにも抱き心地がいいからさ。他の人じゃ満足できない体になったんだよね」
「……ふざけてるの?」
ルカがふふっと笑う。
それから握った手を持ち上げ、指先に軽いキスを落とした。
その場所を見つめて誓うよう、優しい音が溢れ落ちてくる。
「大切にする。絶対に、大切にするよ。僕のこれからの人生を、全部マリアにあげる」
「全部?」
ルカの視線がふと私を捉える。
「今、重いって思った?」
「そんなこと……」
「でも残念だね」
指先を掴んでいた手に、ルカは指を絡めて。
それを自分の頬にあてて言った。
「もう逃がしてあげられないよ」
生意気に笑う。
だから私はその手を引き寄せる。
最初は微動だにしなかったけれど、きっとルカが察して力を抜いてくれたのだと思う。
私の体に覆い被さるよう、倒れてきた彼を両手でめいっぱい抱きしめた。
「私も、逃がしてあげられないけど。いいの?」
右肩の辺りにある頭がもぞもぞと動き、私の顎の下に唇をよせて言う。
「上等じゃん」
それは、愛を囁くみたいな音だった。




