確信
乱れた呼吸と同じ。
短い間隔で真っ白なドアを叩いた。
肩で息をする、私の呼吸音だけが、しんとした廊下を荒らしていて。
もう一秒さえ惜しいというように、ドアを叩き続けた。
こうして待っている間がもどかしいと思うほど。
カチャリ。と、静かにそれは開いた。
そうして現れた金糸が、わずかに一瞬、驚いた顔をしたけれど、すぐに小さくふっと笑う。
「どうしたの、そんなに慌てて」
次いで、「ああ」と。声を洩らす。
もしかして、と言うふうに。
ルカが小首を傾げる仕草をみせた。
「そんなに早く、僕に会いたかった?」
挑発するような。
その生意気な声音は、いつもみたく人をからかっているんだろう。
だけどそれは、癪に障るというよりも、限界まで膨れあがった感情のほうを刺激してくる。
ずっと正体の分からない感情を。
私は怒るみたいにして声を張りあげた。
「そうよ! なんであんたの顔ばっかり浮かんでくるか全然、理解できない! なんで……っ!」
取り乱す私を、ルカはただ黙って見ていた。
なんで! と、言い放ったところで次の言葉を探し、視線を彷徨わせている間も、彼は何も言わなかった。
結局、言葉は見つけられず。
途方に暮れて正面へ戻せば、空色はじっと私を見つめたあと、ニコリと笑った。
それはとても清廉なものだった。
そらから「マリア」と、落ち着き払った声が名前を呼ぶ。
ルカが言った。
「それはきっと、恋だね」
いとも簡単に、そう形にされた。
いくら考えても分からなかったこの感情に、ルカは簡単に名前をつけた。
でも、それが正解なのかはまだ分からず。
「……恋?」
私は、ぽかんと立ち尽くす。
恋って、あの恋?
好きとか嫌いとか、愛してるとか。
私が?
ルカを?
「そんなわけ──────」
『ない』
と、最後まで言い切ろうとして。
できなかった。
頭では、そんなことありえないと否定している自分がいる。
私が誰かを好きになるなんて。
そんなの、想像すらしなかった。
それなのに心は、ずっと分からなかった答えのピースを見つけたみたいに、すとんと腑に落ちて、いっそ清々しさを覚える。
「中和剤、……早くして」
でも、認めるのが怖くなった。
たとえこれが恋だとして。
だからなに?
恋だと認めたらこの先はどうなるの?
だって、ルカが私と同じ気持ちかどうかなんて分からないじゃない。
これは全部、きっと症状のせいだ。
そう思えば少しは楽になる。
ルカの言葉は聞かなかったことにしよう。
「ちょっと待って」
部屋のなかへ戻っていく小柄な人は、それ以上なにも言わなかった。
ほら。どうせ私をからかっただけ。
自分に言い聞かせながらなかへ入ると、すぐにソファーへ座った。
極力、金糸は見ないようにして。
ずっと絨毯のうえを見つめ続けていた。
さっきまで抱えていた感情の熱が、少しずつ引いていく。そのたび、針で刺されたみたいに胸の奥が痛む。
キーン。と、いつもの金属音が響いた。
独特な甘い香りが鼻腔を擽る。
ルカがゆっくり近づいてくる気配がして、視界にふと影がさす。
視線は逸らしたまま顔をあげ、唇を軽く開いた。
そこへルカの唇がそっと触れて。
隙間から紫煙が流れ込んでくる。
途端、体から力が抜けていく。
だけど胸には熱が燻っている。
ぎゅっと苦しい痛みも消えてくれない。
唇が離れた。
でも、鼻先はまだ少し触れている。
その距離を保ったまま、ルカがふっと息だけで笑った。
その表情が、愛おしいと感じてしまった。
もう素直に認めるしかない。
これは、恋なんだと。
「もう一回、」
きっとまた私をからかうつもりだったんだろう。
だけど私はその言葉ごと、目の前の唇を奪ってやった。
今までの仕返しだ。
そのくらいは許されるだろう。
ちゅっ。と、本当に軽く触れただけのキスだった。
「え──────」
唇と唇の間で落ちた言葉はそれきり。
空色は両目を見開き固まってしまった。
それから数秒後、よろよろとテーブルにぶつかりながら後退し、尻もちをつくような格好で転ぶ。
それでも無意識なのか。
冷静を装うとしているのか。
修道服の内側からいつもの小物を取りだし、煙草を突っ込んでから。
「……なに、今の」
ルカがぽつりと呟いた。
彼が私をどう思っているかは分からない。
だけどようやくはっきりと分かった感情の名前。
それはやっぱり、紛れもなく恋だ。
そうしたら、熱いだけじゃない。
痛いだけじゃない。
はじめて誰かにこんな感情を抱いた。心の奥から滲みでてくる、慈しみを。
それで胸がいっぱいになって。
私は足を組み、その上で頬杖をつく。
そして笑った。
たぶん、人生でいちばん柔らかく、笑った。
「もう一回、する?」
「は……?」
ほとんど唇は開かず。
落ちた彼の音は、なんとか形になって、震えていた。
空色はさっきから瞬きも忘れて私を凝視し続けている。
信じられない。
とでもいうような顔だ。
その表情さえも、今は抱きしめたほど愛おしい。




