宝石の夜
私 が 死 ぬ と き は
あ な た の な か が い い
遠 く 離 れ て し ま っ て も
心 は あ な た の な か が い い
ダー リ ン そ の と き は
私 を 思 い だ し て 思 い だ し て
形 を 声 を 味 を
き っ と 思 い だ し て ね
深い水面から顔をだすように、意識が浮上した。
囁くような女性の歌声に鼓膜を撫でられ、ベッドの上で寝返りをうつ。
「甘ったるい曲…………」
寝ぼけた声が思わず溢れ、まだ少しだけ重たい瞼を薄らと開けた──────その先で。
ソファーに腰をかけた金色の髪が飛び込んできた。
「!!!」
頭のなかに靄がかかったような、ぼぉっとした感覚が一変。
跳ねるように飛び起き、修道服の膝の上で針と糸を使って縫い物をしている青年を凝視する。
テーブルには完成品だろうか。角が四つ尖った手の平サイズの物がいくつも散らばっていた。
「やっと起きた。気分は?」
視線を寄越すこともなく、手を動かし続けている。
その声音はまるで時間を尋ねるみたいに軽い。
開放的で、淡いオレンジ色に包まれた部屋には猫足のチェストやビューロー、チェアが置かれていて。
サイドテーブルの上には生まれて初めて見た、赤い花が一輪、陶器の入れ物に挿してある。
そのどれもが私の目にはキラキラと眩く、一瞬、夢のなかにいるのかと思った。
ラジオから流れてくる女性の歌声が部屋のなかを泳ぐなか。
きっと一、二分ほど遅れて口を開いたと思う。
「…………どこなの、ここ」
「………………」
上目に向けられた瞳は、オレンジの明かりの下では濃い緑に見え、それが私を通り越し、背後を見つめるから。
その後を追って振り返る。と、一面に貼りつけられた透明なガラスの向こうには、緑や赤、青や黄色といった色鮮やかな光が反射して輝いている。
「宝石の夜…………」
熱に浮かされたような音がぽつり、と、落ちた。
今、私の目の前に広がる光景は、確かに子どものときに絵本で見た宝石の夜だ。
私、空にいちばん近い場所にいるの?
「それで? 気分は?」
まるで悪戯が成功したみたいな、得意気な声にはっと我に返る。
目を奪われ、心が震えたことは絶対に知られたくなくて、わざと鼻を鳴らす。
それから青年を真正面から睨む。
「最悪。私に何したの。どういうつもり?」
「別に。ただ噛みついただけ」
「噛み……」
「仕返しされたけど」
青年はそう言って、舌先をチラっとだす。
その瞬間、脳裏に過ぎる光景を、思いだす感触を、味を、追い払うようにベッドから降り、
「ふざけないで。あの煙草、変な物じゃないでしょうね」
テーブルを挟む形で詰め寄れば、何を考えているのか一度瞳が逸れ、「ただの精神安定剤」戻ってきた。
こいつ……
やっぱり人を馬鹿したような態度が癪に障る!
「もういい。帰る」
吐き捨てると同時に信じられないくらい柔らかい絨毯の上を踏み潰し、ドアへ向かおうとした。
「おいおい、ちょっと落ち着けよ」
不意に、背中に尋ねられる。
「どうやって?」
なんの彫刻が彫られているのかは分からない。ただ黄金色にうねったドアハンドルを握った手が、足が止まった。
「ここはスラムじゃないんだ。どうやって帰るわけ?」
──────聞かせてくれよ。
試すような声音が、手から力を奪う。
そうだ。ついカッとなって忘れていた。
ここは空にいちばん近い場所だ。
帰るには相応な金がいる。
前にも後にも引けない状況に、どうすることもできず。ただ俯き固まっていることしかできない。
ふと、背中にかかる黒髪の先を摘まれた。
それまでまったく近づいてくる気配はなかったのに。
いつの間にか背後を取られてしまっていた。
「やめて!」
振り返ることで振り払う。
にこりと微笑みながら立っている青年の左手が、ひらひらと一枚のチケットを振っている。
凛とした声が言う。
「片道分くらい自分で稼いで帰りなよ」
「は?」
それはどういう意味?
尋ね暇もなく、無防備になった首筋に、文字通り噛みつかれた。
「ひっ……!」
声にならない声が溢れる。
そのままドアに体を押しつけられ、さっきチケットを握っていた左手がドレスのスリットから入り込み、太ももを撫で、臀部へと伝う。
「最っ低! 結局それが目的なわけ!?」
軽いリップ音をたて離れた唇がふっと笑い、
「なにもったいぶってんの? いつも客相手にやってることだろ」
囁くようにそう言われ、息が濡れた皮膚に当たる。
「何言って……」
「ちょっと興味あるんだよね。スラムの娼婦に」
「しょう」
娼婦ですって?
たとえ私がそうだったとして、こんな風に扱われる筋合いはない。
それとも、スラムの人間には尊厳もないって?
「このクソガキ!」
金色の後ろ髪は掴むと柔らかく、私の胸の位置で上を向かされた顔が、瞳だけを下に向け、不服そうに言う。
「クソガキ?」
「そうよ、クソガキよ。私は娼婦じゃない。歌い手なんだから」
「歌い手? 絶対ウソじゃん!」
「どういう意味よ」
「そんな格好した歌い手がいるもんか」
「悪かったわね。これでも毎晩バーのステージに立ってるのよ!」
「………………」
黙り込み天を見つめる青年の手から力が抜け、素肌に触れていた指が離れた。
それでもなにをされるか分からないから、後ろ髪を掴む私の手はそのままに。
「じゃあさ、」
戸惑うような音がしたかと思えば。
「歌ってくれよ」
思いもよらない言葉を紡がれ、「え?」つい髪を掴んでいた手が緩む。
自由を得た瞳が正面から私の目を見据えた。
「歌い手だって言うなら、歌ってみてよ」
「⋯⋯⋯⋯⋯⋯」
まさかそうくるとは思わなかった。
だけど、やるしか道はない。
絶対に失敗は許されない。
私の歌でぶん殴ってチケットを手に入れるんだ。




